要約
PFASについて欧米の基準と比較して日本の基準が緩いなどの意見を目にすることがありますが、実は数字だけを比較してもあまり意味がありません。基準値設定の考え方を3つに分けて整理し、PFAS(PFOS・PFOA)の基準がそれぞれどこに位置付けられるのかを解説します。
本文:化学物質の基準値の3つの決め方
日本の水道水中のPFASに関する基準は、2020年に水質管理目標設定項目における暫定目標値としてPFOS・PFOAの合算濃度として50ng/Lと設定され、その後2026年4月から水道水質基準に格上げされました(基準は50ng/Lのまま)。この格上げによって、検査義務・遵守義務が課されることになりました。
PFOS・PFOAの製造や使用も原則禁止されているため、規制としてはおおむね完了したと言えます。あとはPFOS・PFOA以外のPFASに次の課題は移行すると思われます。
ただし、欧米の基準と比較して日本の基準が緩いなどの意見もあります。この場合、基準の数字だけが比較される場合が多いのですが、実は数字だけを比較してもあまり意味がなかったりします。
なぜかというと、そもそも基準値設定にはいくつかの考え方があり、考え方が違う基準値同士を単純に比較しても意味がないからです。化学物質の基準値設定には大きく分けて以下の3つの考え方があります:
1.無影響・受け入れられるリスクレベルから換算する方法
2.分析可能な限界レベルによって決める方法
3.現状できるだけ低く設定する方法
さらに、理想とする目標値なのか、それとも検査義務・遵守義務のある規制値なのか、などの分類もあります。これもごっちゃにしないほうがよいでしょう。
本記事では、この3つの基準値設定の考え方を整理し、PFAS(PFOS・PFOA)の基準がそれぞれどこに位置付けられるのかを解説します。
無影響・受け入れられるリスクレベルから換算する方法
水道水質基準の「健康に関する項目」のうち、非発がん性物質や遺伝毒性なしの発がん性物質の基準値設定には、毒性影響が認められない一日あたりの摂取量(Tolerable Daily Intake, TDI)を算出し、それを基に水中の濃度を決定する無毒性換算型で設定されます。
また、発がん性物質で遺伝毒性ありの場合、曝露量がどれだけ低くても発がん確率がゼロにならない、という閾値なしを仮定して、受け入れられるリスクレベル(生涯発がん確率10万人に1人、10-5とも記される)をベースに基準値を設定します。
ここではクロロホルムと臭素酸の例を以下の図に示します。クロロホルムは発がん性あり・遺伝毒性なしと考えられています。一方で臭素酸は遺伝毒性を持つ発がん性物質とみなされます。

①動物実験から得られたLOAELは15 mg/kg体重/日であるが、これは週6回の投与であるため、週7日投与での毒性値に補正して13 mg/kg体重/日とする。
②不確実係数(UF)1000(実験動物からヒトへの外挿における不確実性10×ヒトの個人差の不確実性10×LOAELであることの10)で割ることでTDIを決定する。
③体重50 kgの人が1日に2Lの水を飲み、水からの摂取寄与率を20%とすると(残りは食品などから摂取)、TDIから水中濃度を換算すると
0.013(mg/kg体重/日)×50(kg体重)×0.2/2(L/日) = 0.065 mg/L
となり、ここから基準値は0.06 mg/Lと決定される。
臭素酸:
①発がん確率10-5に相当する曝露量を求めると0.000357mg/kg体重/日と算出される。
②体重50 kgの人が1日に2Lの水を飲み、水からの摂取寄与率を100%とすると、発がん確率10-5に相当する曝露量から水中濃度を換算すると
0.000357(mg/kg体重/日)×50(kg体重)×1/2(L/日) = 0.0089
となり、ここから基準値は0.01 mg/Lと決定される。
一方でPFASについて、日本の水道水の基準値(PFOS・PFOA合計50ng/L)の設定方法を以下の図に示します。これもクロロホルムと同様に無毒性換算型基準値となっています。
(関連する過去記事へのリンクは記事最後の補足にあります)

①ラットを用いた2世代試験における体重減少を根拠にしたNOAELは100000 ng/kg体重/日である。
②ヒトはラットよりもPFOSの排出が遅いため、これを体内動態を表現した数理モデルによって補正し、ヒトのNOAELを510 ng/kg体重/日と推定した。
③不確実係数(UF)は実験動物からヒトへの外挿における不確実性を3(通常は10を用いるが、体内動態がすでに補正されているため3倍を使用)にヒトの個人差の不確実性10をかけて30となる。TDIは510÷30=17から数字を丸めて20 ng/kg体重/日となる。
④体重50kgの人が1日に2Lの水を飲み、水からの摂取寄与率を10%として(残りは食品などから摂取)、 TDIから水中濃度を換算すると
20(ng/kg体重/日)×50(kg体重)×0.1/2(L/日) = 50 ng/L
となる。
PFOA:
⑤マウスの妊娠期曝露による仔の骨化部位数の減少や仔の性成熟促進を根拠としたLOAELは1000000 ng/kg体重/日である。
⑥PFOSと同様に体内動態を補正し、ヒトのLOAELを5300 ng/kg体重/日と推定した。
⑦UFは実験動物からヒトへの外挿における不確実性をPFOSと同様に3、ヒトの個人差の不確実性10、NOAELではなくLOAELであるため追加の10をかけて300となる。TDIは5300÷300=17.7から数字を丸めて20 ng/kg体重/日となる。
⑧PFOSと同様にTDIから水中濃度を換算すると
20(ng/kg体重/日)×50(kg体重)×0.1/2(L/日) = 50 ng/L
となる。
分析可能な限界レベルによって決める方法
欧州における水道水中農薬の基準は、各農薬がそれぞれ0.1μg/L以下、さらに全農薬の濃度の合計が0.5μg/L以下となっています。基本的に水道水中に農薬が存在すべきではないという目標として事実上のゼロを求めています。ただし、1980年に基準値が設定された当時の分析技術では定量限界が0.1μg/L程度であったことから、0.1μg/L以下であれば事実上ゼロとみなされました。これが0.1μg/Lの由来となっています。
すなわち、この基準値は分析可能な下限値として決まった数字であり、健康リスクと無関係なものです。
(関連する過去記事へのリンクは記事最後の補足にあります)
分析法ベースで基準値が決まっているというのも結構あるあるで、例えばアスベストの基準もそのような根拠で決まっています。2020年にホームセンターで発売された珪藻土製品から基準値(0.1%)を超えたアスベストが検出された事例は話題になりました。
アスベスト含有率による規制は以下の3段階で強化されました:
1975年:労働安全衛生法に基づく規定「労働基準法特定化学物質等障害予防規則」によって、アスベストを5%以上含む製品等の吹き付け作業が原則禁止
1995年:5%が1%に下げられ規制強化
2006年:労働安全衛生法施行令、石綿障害予防規則(労働基準法特定化学物質等障害予防規則から切り替え)によってアスベスト0.1%以上含む製品の製造・輸入・使用が禁止
2006年の規制強化の背景には、2005年のクボタショック(工場周辺住民に中皮種患者)が社会問題化した影響があります。経緯から推測すると、以下の3点が考慮されています。
・リスクベースというよりは実行可能性
・海外との整合性(0.1%は輸入禁止の基準値でもある)
・分析可能な下限値
最後の点については、審議会の議事録に、0.1%程度が分析できる限界なので今回0.1%に下げる、ということが書かれています。ということで、アスベストの基準値0.1%も健康に悪影響を及ぼすか否かの基準値というよりは分析限界型基準値であることがわかります。
(関連する過去記事へのリンクは記事最後の補足にあります)
一方で、米国におけるPFOS・PFOAの暫定飲料水健康勧告値は2022年に提案されました。ここでは、新しい基準値案の根拠として「ワクチン抗体価の減少」という特殊なエンドポイントが採用されました。基準値はPFOSで0.02ng/L、PFOAで0.004ng/Lと非常に低い値となりました。ただし、この勧告値は遵守義務がありません。
その後、2023年には遵守義務のある飲料水の規制値案が提案されました。この基準値はPFOS・PFOAともにそれぞれ個別に4ng/Lであり、健康勧告値に比べてPFOAで1000倍も緩くなってしまいました。
健康勧告値であるPFOS0.02ng/L、PFOA0.004ng/Lは低すぎて濃度を分析できる手法がなく、基準値を守れているかどうかを確かめられません。そこで、分析できる下限の濃度である4ng/Lが代わりに基準値となったのです。つまり、「分析限界型」の基準値ということになります。
(関連する過去記事へのリンクは記事最後の補足にあります)
ちなみに、PFOS・PFOA以外のPFASについても複数物質の合算値として基準値が提案されていましたが、第2次トランプ政権になってからPFOS・PFOA以外の基準値については撤廃されてしまいました。
現状できるだけ低く設定する方法
残留農薬基準値は、「ADIを超えないように、作物ごとに残留が許される量として設定されている」という説明がよく見られますが、これは誤解を招く表現です。これだと無影響換算型であるかのように見えますが、実際には違います。
残留農薬基準値の意味は、「農薬のラベルに記された使用基準(使用方法、使用回数、使用時期など)を守って適正に使用していれば、これ以上は食品中に残留しないと考えられる」範囲で、合理的に達成可能な限り低く(ALARA, as low as reasonably achievable)設定された濃度であり、「できるだけ低く型」の基準値となります。
すなわち、これは健康影響の基準ではなく、適正農業規範としての基準となります。この設定プロセスは以下の図のようになります。作物残留試験で多く残留すれば基準値は高くなり、少なく残留すれば低くなります。
(関連する過去記事へのリンクは記事最後の補足にあります)

③④⑤作物残留試験の結果から、残留濃度の中央値に任意のマージンをかけて基準値(案)を設定する。
⑥食品ごとの残留濃度の中央値にそれぞれのフードファクター(国民が一日に平均的に食べる食品の量)をかけたものの合計値を計算し、体重55.1 kgで割って平均的な推定摂取量を計算する
⑦推定摂取量がADIの80%(食品からの寄与分)を超えていないことを確認する。
次に放射性物質の許容値については以下のようになっています:
緊急時:放射性ヨウ素 50 mSv/年、放射性セシウム 5 mSv/年
平常時:セシウム・ストロンチウム等 1 mSv/年
どちらもリスクベースで決まった数字ではなく、やはALARAの原則で決まった数値です。つまり、守れない規制を強いても疲弊するだけ、コスパを考えない管理は持続不可能、という考え方に基づきます。これも「できるだけ低く型」ですね。
(関連する過去記事へのリンクは記事最後の補足にあります)
一方で、WHOは2022年9月に暫定ガイドライン値としてPFOS・PFOAそれぞれ個別に(合算せずに)100ng/Lを提案しました。WHOは欧米が注目した「ワクチン抗体価の減少」について、抗体価の減少と健康のアウトカムの関係が不明などの理由から疑問視しています。
このWHOの基準値は健康影響から決められた値ではなく、以下の点が総合的に考慮されました:
・現状の水中濃度が高くても1000ng/L程度である
・通常の浄水処理技術でその90%以上を取り除ける(100ng/L以下になる)
・現在の各国の基準値がおおむね100ng/L前後である
つまりこれも、現状可能な範囲で「できるだけ低く型」の基準値と言えるでしょう。また、測定可能な30種類(PFOS・PFOAも含む)のPFASの合算として500ng/Lというガイドライン値も提案されており、これも現状の技術により達成可能であるということが根拠となっています。
まとめ:化学物質の基準値の3つの決め方
3つの基準値設定の考え方と、PFAS(PFOS・PFOA)の基準がそれぞれどこに位置付けられるのかを整理しました。PFASの水道水中基準といっても、以下のように日本、米国、WHOで考え方がそもそも違います:
・日本の水道水質基準値:無影響換算型
・米国の水道水質基準値:分析限界型
・WHOの水道水質ガイドライン値:できるだけ低く型
これらの考え方の違いを考えずに数字の大小だけを比較してもあまり意味がありません。基準値を見た際には、どのような考え方で設定されたかを調べてみることが重要です。
補足
本記事で参考とした過去記事へのリンク
日本の水道水中PFOS・PFOAの基準値の根拠

米国・WHOの水道水中PFOS・PFOAの基準値の根拠

欧州の水道水中農薬の基準値の根拠

アスベストの基準値の根拠

残留農薬基準値の根拠

放射性物質の許容値の根拠



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