感染防止のための献血制限の基準値:同性愛差別と血液不足との二つのリスクトレードオフ

blood-donation 基準値問題

要約

感染防止のための献血制限の基準値として、狂牛病を発端とする英国滞在歴のある人の献血制限(1ヵ月)、日本の男性同性愛者の献血制限(6ヵ月)、米国の男性同性愛者の献血制限(3ヵ月、ただし見直し中)についてまとめます。数字の根拠はどの事例も大変興味深いものです。

本文:感染防止のための献血制限の基準値

総理大臣秘書官を務めていた荒井勝喜氏による「同性婚見るのも嫌」発言により、政権が批判されています。このようなLGBTを含む「人権リスク」はこの数年で非常に大きくなっており、たった一言の発言が致命的になっています。

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LGBTへの差別問題の一つとして、男性同士の性的接触がある人(過去6ヵ月以内)の献血制限があります。異性間の特定のパートナーのみの性的接触であれば献血ができますが、男性同士の場合は特定のパートナーのみの場合でもダメです。

このように性的指向のみで判断するのは差別的と考える人がいる一方で、ゲイのほうがHIV(エイズウイルス)の感染確率が高いのは事実であるので、献血できないのは当然と考える人もいます。これは統計的差別(統計データに基づいた合理的判断から結果的に生じる差別)と呼ばれるものです。

ここでは二つのリスクトレードオフがあります。一つは同性愛差別(人権リスク)と輸血時の感染リスクのトレードオフです。献血制限を全くなくすれば輸血による感染リスクが上昇します。もう一つは輸血時の感染リスクと輸血用の血液不足のトレードオフです。献血の制限を厳しくすると献血をする人が減り、血液を必要とする人に届かなくなってしまいます。

そんな中、米国では男性同士の性的接触がある人の献血制限を緩和する(特定のパートナーのみとの性的接触の場合は献血可能とする)案を2023年1月23日に発表しました

US FDA: Recommendations for Evaluating Donor Eligibility Using Individual Risk-Based Questions to Reduce the Risk of Human Immunodeficiency Virus Transmission by Blood and Blood Products

Recommendations for Evaluating Donor Eligibility
This is the Guidance for Industry Recommendations for Evaluating Donor Eligibility Using Individual Risk-Based Questions to Reduce the Risk ...

本記事では、感染防止のための献血制限の基準値のからくりとして、狂牛病を発端とする英国滞在歴のある人の献血制限(1ヵ月)、日本の男性同性愛者の献血制限(6ヵ月)、米国の男性同性愛者の献血制限(3ヵ月)についてまとめます。どの例もなぜこの数字に設定されたのか?という根拠が大変興味深い事例です。

英国滞在歴のある人の献血制限:1ヵ月

1980年から1996年の間に英国に1ヵ月以上滞在した人は献血ができません。1996年に英国で狂牛病の牛を食べた人が新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病を発症し、さらに献血による二次感染が発生したことから、世界各国が英国滞在歴のある人の献血を制限したのです。

日本での英国滞在歴のある人の献血制限は以下のような経過をたどりました:
・2000年から「1980年以降に6ヵ月以上」
・2005年2月から「1980年以降に1ヵ月以上」
・2005年6月から「1980年~1996年の間に1日以上」
・2010年から「1980年~1996年の間に1ヵ月以上」

2005年に日本人がはじめて死亡したことで制限が厳しくなり、さらにこの死亡した日本人の英国滞在歴は1ヵ月以下であったことから「1日以上」とさらに厳しくなりました。これは世界で最も厳しい制限となったのです。

その後、献血者が実際に減少してしまったことと、新型インフルエンザの流行による献血量の確保の見通しがさらに悪化したことで、2010年には緩和に舵を切りました。この「1ヵ月」という数字が現在まで続いています。
(加えて、1997年~2004年までに通算6ヵ月以上の滞在歴のある人も制限されています)

以下のQ&Aにあるように、1ヵ月という数字は3つの理由から決まっていますが、おそらく最も大きな理由は(3)のケベック州の1ヵ月(日本以外で最も厳しい数字)と同じにした、ということだと推測されます。(1)は意味不明ですし、(2)の75%のリスク低減ならなんでOKなの?という説明が全くないからです。

厚生労働省:1980年から1996年の間に英国に1日以上滞在された方からの献血見合わせ措置に関するQ&A

1980年から1996年の間に英国に1日以上滞在された方からの献血見合わせ措置に関するQ&A

Q2 なぜ、1980年から1996年の間に通算1ヶ月以上英国に滞在された方について献血制限を行うのですか。
(1) 現在の科学水準では、リスクが完全にゼロであるとは言い切れないこと、
(2) 通算1ヶ月以上滞在された方からの献血の制限を行うことで、理論上、75%以上の相対的残存リスクを低減することが可能であること
(3) 主要先進国においても現在英国滞在歴に係る献血制限が実施されており、我が国に次いで厳しいカナダ・ケベック州の基準が通算1ヶ月であること

日本では基本的に感染リスクのみを考慮した制限になっていますが、日本が真似たカナダのケベック州では、制限を1ヵ月に設定すれば献血者の減少を3%以内に抑えられ、血液不足にならないという予測が根拠となっています。海外では血液不足解消とのトレードオフが重視されていることになります。

日本の男性同性愛者の献血制限:6ヵ月

日本ではこれまでに輸血によるHIVへの感染事例は5件あるようです。輸血ではありませんが薬害エイズ事件では血液製剤により千人以上がHIVに感染しています。

そして、日本では過去6ヵ月の間に男性同士の性的接触がある人は献血ができません。1980年代にHIV感染者が出始めたころはその多くがゲイ・バイセクシャルであり、現在でもHIVやB型・C型肝炎などのハイリスクグループであることが理由となっています。

日本赤十字社:献血をご遠慮いただく場合 エイズ、肝炎などのウイルス保有者、またはそれと疑われる方

エイズ、肝炎などのウイルス保有者、またはそれと疑われる方|献血をご遠慮いただく場合|献血の流れ|献血について|日本赤十字社

以下はいずれも、エイズウイルス(HIV)やB型肝炎およびC型肝炎ウイルス感染の危険性が高い行為です。
 これらのウイルスの感染初期は、強い感染力を持つにもかかわらず、最も鋭敏な検査法を用いても検出できない時期(ウインドウ期)が存在します。
 輸血を必要とする患者さんへの感染を防ぐため、過去6カ月間に下記に該当する方は、献血をご遠慮いただいています。
・不特定の異性または新たな異性との性的接触があった。
・男性どうしの性的接触があった。
・麻薬・覚せい剤を使用した。
・エイズ検査(HIV検査)の結果が陽性だった。(6カ月以前も含む)
・上記に該当する人と性的接触をもった。

感染してから検査で検出できない時期(ウインドウ期)は抗体検査では最大で90日程度とされています。これをもとにある程度安全率を織り込んで(この場合は2倍)6ヵ月という数字が設定されているようです。ただし、PCRなどの核酸増幅検査ならもっと感度が高いので1ヵ月後には検出ができます。なのでもっと短縮することは可能かもしれません。

ピアスの穴あけや入れ墨をした人も同じ理由でやはり6ヵ月献血ができません。興味深い数字として、ペット等の動物に咬まれた場合は傷が治癒してから3ヵ月間、人に咬まれた場合は傷が治癒してから6ヵ月間は献血ができないルールがあります。

なぜ動物に咬まれた場合には半分の期間でよいのでしょうか?おそらく動物の場合は狂犬病を疑い、これは発症までの潜伏期間が一般的に1~3ヵ月とされており、さらに発症するまで検査で見つけられないことが理由なのかなと思われます。

米国の男性同性愛者の献血制限:3ヵ月

米国でも1980年代から輸血を通してHIVに感染する事例が増加したため、1985年にFDA(米国食品医薬品局)は男性同士の性的接触を持つ人の献血を生涯にわたって禁止しました。

この制限が緩和されるには2015年まで待つ必要がありました。このときから、男性同士の性的接触から1年以上経てば献血ができるようになりました。

その後、2020年に新型コロナウイルスが発生すると米国は深刻な血液不足に陥り、献血の条件は男性同士の性的接触から3ヵ月後に緩和されることになったのです。これは上記の通り、ウインドウ期(核酸増幅検査の場合最大1ヵ月)に安全率を考慮したものと考えられます。

現時点でもこの3ヵ月という制限が続いていますが、これでもまだ血液不足は解消されず、さらなる制限緩和が求められています。さらには同性愛差別だという声も大きくなっています。

そこでFDAは性的志向のみで判断せずに、個別にハイリスクな行動をとっているかどうかの質問票に基づくリスク評価をベースに判断する方法を採用することにしたのです。男女に関係なく、ハイリスク行動(複数のパートナーがいる、コンドームを使用しないセックス、アナルセックスなど)で判断がなされます。

冒頭で二つのトレードオフがあると述べましたが、この緩和では同性愛差別への配慮というよりは血液不足が特に深刻であることが重視されていると考えられます。

日本でも新型コロナ発生後は献血者が減少し、血液不足問題が発生しています。日本はこの問題にどう対応するのか、今後の動向が注目されます。

ナショナル ジオグラフィック:男性同性愛者の献血の制限を緩和へ、米FDA、「もはや医学的根拠は皆無」と専門家

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The Washington Post: FDA eases blood donation ban on gay and bisexual men after years of protest

FDA eases blood donation ban on gay and bisexual men after years of protest
Gay and bisexual men in monogamous relationships could donate blood without abstaining from sex under an FDA proposal, ending a vestige of t...

まとめ:感染防止のための献血制限の基準値

感染防止のための献血制限の基準値についてまとめました。男性同士の性的接触ありの人の献血制限は同性愛差別との声も多く、また制限により献血者の減少と血液不足にもつながります。感染から検査で判明するまでのウインドウ期を考慮して制限期間が設けられていますが、米国では個別のリスク評価をベースとした判断に変更される予定となっています。

補足

英国滞在歴のある人の献血制限は拙著「基準値のからくり」のコラムに記載されています。

https://www.amazon.co.jp/dp/4062578689/

LGBT問題にからみ、男女の線引きについて書いた本ブログの過去記事は以下:

オリンピックにおける性別確認:テストステロン10nMの基準値のからくり
今回は夏休みのため、通常のブログ記事の更新はお休みします。その代わりに、現在東京オリンピックの最中ということでもあるので、オリンピックにおけるトランスジェンダーを含む女子選手としての出場の基準値(テストステロン濃度10nM)の根拠について書いてみます。これも一種の線引き問題です。

LGBTやセクハラなどを含む人権リスクについての本ブログの過去記事は以下:

「人権リスク」その1:なぜ「人権リスク」に対応する必要があるのか?
リスクの対象が財産・健康・環境に加えて人権などに広がりを見せており、世の中で人権を軽視した場合の悪影響が大きくなっています。人権侵害の内訳とその経年変化のデータを示しながら、なぜ「人権リスク」に対応する必要があるのか?について解説します。

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