残留農薬基準値の決め方その3:「ADIを超えないように」決めたら良いのでは?

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要約

残留農薬基準は「農薬を正しく使用しているかどうか」という農業規範としての基準であり、健康影響の基準ではないため説明の際は要注意ですが、むしろ説明の仕方を注意するよりも運用を変えて健康影響の基準値(ADIから換算)に変えればよいのでは?という意見についてまとめました。

本文:残留農薬基準を「ADIを超えないように」決めたら?

今回の記事は残留農薬基準値の決め方の3回目となります。

その1では、残留農薬基準の決め方の説明として巷にあふれている「ADI(許容一日摂取量)を超えないように決められています」は正しくないことを説明しました。

残留農薬基準値の決め方その1:巷にあふれるの説明のほとんどが誤解を招いている
残留農薬基準の決め方の説明として巷にあふれている「ADI(許容一日摂取量)を超えないように決められています」は間違いです。まずADIから換算する基準値というのはどういうものかを説明し、その次に残留農薬基準の決め方(ALARA型)を解説します。

その2では、残留農薬のポジティブリスト制における一律基準値0.01mg/kgの根拠について、毒性がよくわからない場合であっても健康影響の懸念がない摂取量を推定した「毒性学的懸念の閾値」から計算されていることを説明しました。

残留農薬基準値の決め方その2:残留農薬ポジティブリスト制における一律基準値の根拠
残留農薬基準値が決められていない農薬-作物の組み合わせに自動的に適用されるポジティブリスト制に基づく一律基準0.01mg/kgの根拠を解説します。毒性がよくわからない場合であっても健康影響の懸念がない摂取量を推定した「毒性学的懸念の閾値」を応用しています。

残留農薬基準値は農業規範としての基準値となっているため、正しく農薬が使用されているかどうかを判断するものであり、健康に影響があるかどうかを判断するためのものではありません。ここが非常にややこしいところです。

一般の人に対して難しい説明は必要ない!「基準値以内なら健康影響はない」とシンプルに説明するほうがよいのだ!

このような意見が出てくるのもわかります。しかしこのような説明を繰り返した結果、基準値は健康影響に関する基準値という誤解が広まり、その誤解がさまざまな問題に発展しているように思います。

本記事では、「説明の仕方を変えるよりも運用を変えてADIから基準値を換算すればよいのでは?」という私見を論じてみます。まずそもそもなぜ現在のような基準値の運用になっているのかの歴史的背景を説明し、次にADIから基準値を換算するようになるとどうなるのかを説明し、最後に二種類の基準値(農業規範と健康影響)の併用方法について考えてみます。

「農業規範」と「健康影響」の二種類の残留農薬基準

まず、そもそもなぜ現状のようなややこしい基準値の運用になっているのかの歴史的背景から説明していきます。

残留農薬基準値のはじまりは1968年で、DDTなどの安全性に懸念のある農薬の残留を管理する目的で基準が作られました。これは食品衛生法に基づく食品の規格基準の一つで、法律の目的から考えれば「安全かどうか」の基準となっています。よって、基準値を超えたものは流通販売禁止となりました。

一方で1971年の農薬取締法の改正時に、「作物残留に係わる登録保留基準」という制度ができました。こちらのほうは「安全かどうか」というよりも、「農薬を正しく使用しているかどうか」という農業規範としての基準でした。そのため、基準値を超えても流通販売禁止などの措置はありません。あくまで生産現場での安全性を確保することが狙いです。

このように日本にはしばらくの間、二つの法律に基づく別々の残留農薬基準値がありました。それが2003年の食品安全基本法制定をきっかけに、農薬取締法の「作物残留に係わる登録保留基準」が食品衛生法による残留農薬基準値に統一されたのです

このときポジティブリスト制度の導入を控えて、基準値が設定されていないものは0.01mg/kgという厳しい一律基準値が適用されることになりましたが、なるべく一律基準の適用を抑えるため、既存の農薬取締法の基準値や海外で設定されている基準値などを使いまわした、という事情もありました。

このような経緯により、「農薬を正しく使用しているかどうかの基準値」が「安全かどうかの基準値」に名目上変わっていったのです。残留農薬基準値がややこしいのは二つの制度のすり合わせの結果でした。

残留農薬基準を「ADIを超えないように」決めたなら?

次にADIから基準値を換算するようになるとどうなるのかを説明していきます。

ここまで説明してきたように残留農薬基準値はかなりややこしいため、「ADIを超えないように決めています」という(正しくないが)シンプルな説明が生まれてきたと考えられます。

全くの私見ですが、説明の仕方を実際(農業規範としての基準)に近づけるよりも、基準値の運用の仕方を「ADIを超えないように決めています」に変えてしまうほうがよいのではないかと思います。

ADIから基準値を換算する方法については「残留農薬基準値の決め方その2」の記事で書きましたが、もう一度示しておきます。チオベンカルブのADIが0.009mg/kg/日なので、1日あたりの全食品摂取量2kg、食品からの摂取寄与率80%として計算すると:
0.009 (mg/kg/日)×55.1 (kg)×0.8/2 (kg/日) = 0.2 mg/kg
となります。

ADI-criteria2

この方法だと、現行の基準値のように作物ごとに細かく区別する必要はなく、一般食品全てに共通する基準値となり、非常にシンプルになります。現状ではチオベンカルブの基準値は魚介類(貝類9mg/kg, 貝類以外0.3mgk/kg)を除いて全て0.2mg/kg以下になっています。

厚生労働省:薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会農薬・動物用医薬品部会 平成23年2月10日開催 【チオベンカルブ(農薬)】 資料5-1 農薬・動物用医薬品部会報告(案)

薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会農薬・動物用医薬品部会資料 |厚生労働省
厚生労働省の食品衛生分科会農薬・動物用医薬品部会審議会資料について紹介しています。

「海外では〇〇の基準値は△△なのに日本では緩い!」などの批判がよくありますが、作物ごとに比較すれば日本のほうが緩いものもあれば厳しいものもあります。国内外で農薬登録の有無(一律基準の適用)や使用方法が違うためにこのような基準値の差が生まれてしまうのですが、これはなかなか説明が難しいです。ADIから換算すれば農業規範の差は関係なくなりますので、外国との基準値の差は生まれにくくなります。

ただし、ADIや曝露係数(食品摂取量「2kg」、平均体重「55.1kg」、食品からの摂取寄与率「80%」みたいな数字のこと)が国によって若干違ってくるので、基準値も全く同じにはならないかもしれません。これはPFOSの基準値の記事で説明しました。

有機フッ素化合物PFOS・PFOAのリスクはどのくらい高いか?その1:世界一厳しい日本の基準値のからくり
PFOS・PFOAは最近になり日本で水道水や環境水での目標値・指針値(基準値的なもの)が50ng/Lと策定されました。一方世界各国では70~10000ng/Lまで幅があり、日本が世界一厳しくなっています。無影響とされる量や基準値を決める際の仮定の組み合わせによりこのような差が出てきます。

一律基準0.01mg/kgという数字も、「毒性がよくわからない場合であっても健康影響の懸念がない摂取量」がベースですので、ADIがわかっている農薬についてはADIから換算するのがむしろ妥当なやり方です。

また、残留農薬基準は作物ごとに細かく異なることもまた複雑さを増す原因になっています。食品中放射性物質の基準値などは一般食品で全て共通です。これがもし作物ごとに細かく基準値が分かれていたら、さらに大きな混乱を招いていたはずでしょう。

放射性セシウムについては、許容量1mSv/年をベースとして、食品からの寄与率・一日の食事摂取量・希釈率・実行線量換算係数(シーベルトからベクレルに換算する)を用いて基準値(一般食品100ベクレル/kg)を導出しています。食事摂取量は成人男子なら一般食品で2117g(性別・年代ごとに設定)です。この根拠については過去記事に詳しく書きました。

東日本大震災から10年。放射性物質のリスク評価・管理を振り返る:その1 リスク評価編
東日本大震災による原発事故後の放射性物質の許容量と基準値の根拠について整理しました。緊急時と平常時、内部被ばくと外部被ばくという軸の組み合わせで4つの許容量があり、それぞれ別々のロジックにて決まっています。許容量が決まれば後は、実効線量換算係数などのパラメータを使って食品中濃度に換算することで、食品中放射性物質の基準値が決まります。

このように一般食品で共通していると説明はとてもシンプルで済みます。コミュニケーションしやすい基準値であることもまた重要ではないでしょうか。わかりにくい基準値は制度の運用が難しくなります。

二種類の基準値の併用は可能か?

最後に二種類の基準値(農業規範と健康影響)の併用方法について考えてみます。ここまでで残留農薬基準値は健康影響の基準値としてADIから換算して決めたほうがよい、ということを書きました。ただし、現行の農業規範としての基準値を残して二種類の基準値があってもよいと思うのです。

多くの場合、農業規範としての基準値のほうが健康影響の基準値よりも低くなると思いますが、前者を超えた場合はイエローカードで要指導、後者を超えた場合はレッドカードで要回収、みたいなやり方が考えられるでしょう。

現状の農業規範としての基準値を超過したもの(多くは一律基準0.01mg/kgの超過で健康には影響しない)を回収・廃棄するということが、その産地全体への過剰な経済的ペナルティーになってしまっています。

その産地全体の出荷がしばらく止まってしまったり、大きなニュースとなってしまった場合にはスーパーなどで「〇〇県産の△△は使ってません」などと県まるごと風評するようなことを書かれてしまったりします。これって「国民の健康を守る」という本来の目的から逸脱してしまっているのでは?とさえ感じます。

また、基準値の決め方は基本的には国際的な考え方(コーデックス委員会)に従うしかないため、日本だけが独自の考え方で基準値を決めるというのもまた難しそうです。例えば以下の資料では、国際的な最大残留基準(MRL)とは「農薬が使用基準に従って使用されているかどうかの指標」と書かれています。

FAO/WHO合同残留農薬専門家会議(JMPR)及び諸外国政府にデータを提出するためのワークショップ
資料1 食品中の残留農薬に関する国際的基準値の設定 https://www.maff.go.jp/j/nouyaku/n_info/pdf/140219_yy1.pdf

ただし、海外では残留基準値を超えてもリスク評価をしてリスクの懸念がなければ回収・廃棄などをしないなどの柔軟な運用をする国もあるようです。これってつまり、残留基準値はあくまでも農業規範としての基準値で、リスク懸念の基準値が別にあるのと同じことですよね。運用としてそのような制度にすることは日本でも可能ではないでしょうか。

まとめ:残留農薬基準を「ADIを超えないように」決めたら?

残留農薬基準は「農薬を正しく使用しているかどうか」という農業規範としての基準であり、健康影響の基準ではありませんが、もしこれが「ADIを超えないように」という健康影響としての基準値であったならどうなるか?ということをまとめました。説明しやすくなるだけではなく、基準値の作物間の細かい差や海外との差が生まれにくくなるメリットがあります。

その4では、本記事で紹介したADIから換算する方法を一斉に適用したリストを作成しました。

補足

拙著「基準値のからくり」の「第5章 古典的な決め方の基準値」に残留農薬基準の決め方の説明があります。

残留農薬基準値を超過した場合の作法:

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