農薬の残留基準値を超過した際に健康影響を判断するための3つのステップ

vegitables 化学物質

要約

農薬の残留基準値を超過したニュースを例に、健康影響を判断するステップとして以下の3つを紹介します。
1.農薬評価書を活用して農薬の毒性、無影響量などを調べる
2.影響が出るまでどの程度その食品を食べる必要があるのかを計算する
3.リスクを評価し、そのリスクが受け入れられるかどうかを考える
結果的に、「基準値の〇〇倍!」という数字から判断できることはほとんどないことがわかります。

本文:農薬の残留基準値超過における健康影響

残留農薬基準値を超えたというニュースは定期的に発生し、「基準値の〇〇倍!」という見出しになりやすいです。最近出たニュースでは、それだけではなく「食べると嘔吐や失禁」などというずいぶんと破壊力のある見出しが躍っています。

西日本新聞:春菊から基準値の180倍の農薬 食べると嘔吐や失禁も 福岡市が注意

春菊から基準値の180倍の農薬 食べると嘔吐や失禁も 福岡市が注意
福岡市は8日、JAくるめ(福岡県久留米市)が出荷し、福岡市内の青果店で販売された春菊の一部から基準値の180倍の農薬イソキサチオンが検...

市によると、イソキサチオンの基準値は0・05ppmだが、検査で9ppmを検出。生産者は特定している。体重60キロの人が20グラムを食べると、よだれが垂れる、嘔吐(おうと)や失禁を引き起こすなどの症状が出ることがあるという。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/671685/

しかも画像が救急車になっており、あたかも救急搬送された人がいるかのようなイメージを与えています。

結論から言うと、通常食べる量では特に健康に影響が出ることは考えにくく、明らかに毒性の解釈を間違えた記事になっています。

本記事では、農薬が基準値超過した際の判断材料として3つのステップを紹介します:
1.農薬評価書を活用して農薬の毒性、無影響量などを調べる
2.影響が出るまでどの程度その食品を食べる必要があるのかを計算する
3.リスクを評価し、そのリスクが受け入れられるかどうかを考える

1.農薬評価書を活用して農薬の毒性、無影響量などを調べる

農薬の基準値超過の際に一体何を調べたらよいのでしょうか?こういうときこそ、食品安全委員会の農薬評価書を活用しましょう。この評価書から基本的な毒性情報の要約が得られます。

ただし、この評価書にたどり着くのが結構大変だったりします。Googleで「農薬名 評価書」と検索しても出てはくるのですが、バージョンが古かったりするものが検索上位に来たりします(いつもこれでイライラします、なんとかならんの?)。なので、最新版を見るには食品安全委員会のWEBサイトから行くのが確実です。

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食品安全委員会は、国民の健康の保護が最も...

食品安全委員会のWEBサイトで「食品健康影響評価(リスク評価)」クリックします。

FSA1

次に「農薬」をクリック。

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農薬があいうえお順でずらーっと出てきますので、イソキサチオンを探してクリックします。次に、これもなかなかわかりにくいと思うのですが、通知文書というやつをクリックすると評価書が出てきます(なるべくたどり着かせないようにしようという意図でもあるのだろうか?と思うくらい不親切です)。

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いろんなデータがずらずら並びますが、最後の「食品健康影響評価 」というところをまずは見るとよいでしょう。イソキサチオンの場合は35ページにあります。農薬の基準値超過で参考にするのはARfD(急性参照用量, Acceptable Reference Doseの略)という数値です。


また、イソキサチオンの単回経口投与等により生ずる可能性のある毒性影響に対する無毒性量のうち最小値は、ヒトのChE活性阻害試験で得られた 0.03 mg/kg 体重/日であったことから、これを根拠として、安全係数10(ヒトの試験であるため種差:1、個体差:10)で除した0.003 mg/kg 体重を急性参照用量(ARfD)と設定した。

農薬評価書 イソキサチオン 2016年2月 食品安全委員会

農薬の基準値超過は事故ですから、ずっと食べ続けるわけではなく単発の影響を考えます。このときに、これを超えなければ急性的な影響はないという数値がARfDです。これが0.003 mg/kg体重です。先のニュースで食べると嘔吐や失禁を引き起こすとされた9ppm(=9mg/kg)のイソキサチオンが含まれる食品を体重60kgの人が20g食べた場合、
体重あたり農薬摂取量(mg/kg体重) = 食品中残留量(mg/kg)×食品摂取量(g)/1000(g/kg)/体重(kg体重)
で計算できますので(1000は単位の変換)、
9(mg/kg)×20(g)/1000(g/kg)/60(kg体重) = 0.003mg/kg体重
となり、ARfDと同じになります。

ARfDは「超えなければ影響は無視できる」という数値であって「超えたら影響が出る」という数値ではありません。この部分を誤解したために冒頭のニュースのような表現が出てきてしまったわけです。

2.影響が出るまでどの程度その食品を食べる必要があるのかを計算する

「食べると嘔吐や失禁」が本当かどうかをさらに検証します。通常はARfDとの比較だけで終わりになることが多いのですが、今回の事例では摂取量がARfDを超えること想定されるので、この比較だけでは影響がないとは言い切れません。そこで、もう少し詳しく見る必要があります。

イソキサチオンの評価書で、嘔吐や失禁といった症状の出てくる箇所を調べると、
ラット5週間亜急性毒性試験で25mg/kg/dayのときに嘔吐様症状(p24)
ビーグル犬の急性毒性試験で40mg/kg体重以上のとき下痢、軟便、嘔吐(p21)
マウス急性毒性試験で60mg/kg体重以上のときに尿失禁(p20)
ラット急性毒性試験で105mg/kg体重以上のときに尿失禁(p20)
とあります。

これらから、大体20mg/kg体重程度の摂取量を超えると嘔吐や失禁の症状が出てくるとみなしましょう。そこで、先ほどの逆の計算をして、20km/kg体重の摂取量になるにはどれくらいの9ppm残留した春菊を食べる必要があるのかを出します。
食品摂取量(g) = 毒性発現用量(mg/kg体重)/食品中残留量(mg/kg)×1000(g/kg)×体重(kg体重)
という式で計算できますので(1000は単位の変換)、
20(mg/kg体重)/9(mg/kg)×1000(g/kg)×60(kg体重) = 133333g = 133kg
となり、100kg以上食べる必要があることがわかります。

ということで、ARfDを超えてしまうという状態と、実際に影響が出るレベルとは大きな開きがあることがわかります。

ここから先はちょっと難しくなります。通常はこのような動物実験での無影響量からARfDを決めていくのですが、イソキサチオンの場合はちょっと特殊で、実際に人間に曝露させた実験によってARfDを決めています。

34ページを見ると、最大0.03mg/kg体重/日の3週間にわたる曝露で、統計的有意な影響が見られなかったとあり、ここから、不確実係数10(個人差)で除することでARfD=0.003mg/kg体重/日が決まっています。動物実験の場合は不確実係数として個人差10に加えて動物->ヒトの外挿に係る10が適用されます。

重要な点は、人間を使った実験なので影響が出るような量を曝露させるわけにはいかないという点です。動物実験の結果からまず大丈夫だろうと思われる量を曝露させて影響が出ませんでした、という実験なのです。0.03mg/kg体重/日以下なら影響は出ないということは言えますが、これを超えたら影響が出るかどうかはわからないのです。どれくらいで影響が出るかは動物実験のほうを見ないとわかりません。ここを理解していないと、ARfDを超えたら嘔吐・失禁などという誤った解釈が生まれてしまいます。

3.リスクを評価し、そのリスクが受け入れられるかどうかを考える

基準値を超えたときのリスク評価とその判断はどのようにしたらよいのでしょうか。まず、食べても影響がないからと言って基準値違反しても問題ないというわけではありません。通常食べる量でARfDを超えてしまうというのはかなり問題が大きいと思います。今回は本来土壌混和する薬剤(直接作物にはかけない)を葉物(直接食べる部分)にかけてしまったのが原因ということで、とんでもないずさんな誤使用が疑われています。売り物としては完全に失格です。

このように、残留農薬基準値は農薬を正しく使用しているかどうかをチェックするための基準となっています。それを超えたら健康に影響が出るという基準ではありません。ではどうすればよいのかというと、以下の二つのプロセスを「基準値超過の作法」と呼んでいます。

(1)まずはリスクを計算する。農薬などの場合は曝露マージンを計算、発がん性物質の場合は発がん確率を計算。
(2)そのリスクが受け入れられるかを議論

専門家は(1)はできるのですが、リスクは低いから安心せよなどと(2)のプロセスを勝手にすっ飛ばしてしまわないよう注意が必要です。

とりあえずここでは以前書いたPFOSの記事と同様の方法でリスク評価をしてみましょう。

有機フッ素化合物PFOS・PFOAのリスクはどのくらい高いか?その2:基準値を超えた場合と平常時のリスクを計算する
PFOS・PFOAの水中基準値(目標値、指針値)超過がニュースとなっていますが、基準値を超えただけではリスクの大きさはわかりません。曝露マージンや影響率などのリスクを実際に計算することでその大きさを判断できます。結果的に、PFOS・PFOAのリスクは平常時でも基準値超過の水を飲んだとしてもかなり低いことがわかりました。

ビーグル犬の急性毒性試験で5mg/kg体重以上のとき赤血球ChE(コリンエステラーゼという神経伝達物質にかかわる酵素)活性阻害という影響が見られますので(p21)、これをLOAEL(最小影響量)とみなし、不確実係数3で(ここは天下り的に)割って1.6mg/kg体重を無影響量(NOAEL)相当とします。春菊なら鍋で100gくらいは食べるでしょうから、9ppmのイソキサチオンが残留した春菊を体重50kgの人が100g食べる際のイソキサチオン摂取量は、
9(mg/kg)×100(g)/1000(g/kg)/50(kg体重) = 0.018mg/kg体重
と計算されます。
曝露マージン = NOAEL/農薬摂取量
で計算されますので、曝露マージンは88です。マージンとしてはまだだいぶありますが、農薬の事故事例としてはかなりマージンが少ないほうです。今回の事故はかなりひどい事例であると言えるでしょう。

また、NOAELの影響率を5%と仮定して、ざっくりと比例計算すれば
0.05/88 = 0.00056 = 56×10-5
となり、10万人あたり56人の影響(1800人に1人くらい)となり、この数字だけ見るとびっくりするくらい大きいです。ただし、ここで行った比例計算は発がんリスクの計算で使用する考え方ですが、かなり過大評価してしまいます。また、LOAELの用量で見られた赤血球ChE阻害は、神経系への影響が出る前段階を示すもので、それ自体が有害影響ではありません(補足参照)。さらに、以下のニュースによれば実際に出荷された量は23ケース(1ケース25袋)で575袋とのことなので、1800人も食べることはないでしょうから計算上は影響を受ける人は1人未満ということになります。

基準値180倍超え農薬の春菊、原因はタマネギ用の誤散布
JAくるめ(福岡県久留米市)が出荷し、福岡市内の青果店などで販売された春菊の一部から、基準値の180倍の農薬イソキサチオンが検出された...

もちろん、これをもって「何も問題ない、騒ぎすぎ」などと言ってはいけません。それは(2)のステップを踏んでからになります。

まとめ:農薬の残留基準値超過における健康影響

農薬の残留基準値を超過した際の健康影響を判断するステップとして以下の3つを紹介しました。
1.農薬評価書を活用して農薬の毒性、無影響量などを調べる
2.影響が出るまでどの程度その食品を食べる必要があるのかを計算する
3.リスクを評価し、そのリスクが受け入れられるかどうかを考える

「基準値の〇〇倍!」という数字から判断できることはほとんどありません。今回の事例では、食べて影響が出るほどのものではないが、農薬の事故としてはかなりリスクの高いほうであり、ずさんな農薬使用は許されるべきでない、と個人的には感じます。

それでもニュースで救急車の画像を使用するなどは健康影響のレベルとかけ離れており、見識を疑うレベルと言えるでしょう。

補足

本記事では残留農薬基準値がどのように決定されているのか、という部分は説明しきれませんでした。残留農薬基準値を含め様々な基準値の設定根拠を並べると、その違いに驚くことが多いです。詳しくは拙著をご覧ください。

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「赤血球ChE阻害は、神経系への影響が出る前段階を示すもので、それ自体が有害影響ではありません」というくだりは、
令和2年5月20日食品安全委員会第1回農薬第一専門調査会
資料4「コリンエステラーゼ阻害作用を有する農薬の取扱いについて(案)」
https://www.fsc.go.jp/fsciis/meetingMaterial/show/kai20200520no1
を参考にしています。

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