残留農薬基準値の決め方その2:残留農薬ポジティブリスト制における一律基準値の根拠

化学物質

要約

残留農薬基準値が決められていない農薬-作物の組み合わせに自動的に適用されるポジティブリスト制に基づく一律基準0.01mg/kgの根拠を解説します。毒性がよくわからない場合であっても健康影響の懸念がない摂取量を推定した「毒性学的懸念の閾値」を応用しています。

本文:残留農薬ポジティブリスト制における一律基準値の決め方

今回の記事は残留農薬基準値の決め方その2となります。前回の記事(その1)では、残留農薬基準の決め方の説明として巷にあふれている「ADI(許容一日摂取量)を超えないように決められています」は正しくないことを説明しました。

残留農薬基準値の決め方その1:巷にあふれるの説明のほとんどが誤解を招いている
残留農薬基準の決め方の説明として巷にあふれている「ADI(許容一日摂取量)を超えないように決められています」は間違いです。まずADIから換算する基準値というのはどういうものかを説明し、その次に残留農薬基準の決め方(ALARA型)を解説します。

ところで2021年6月から、残留農薬基準値超過を含む食品等の自主回収を行った場合の届出が義務化され、データベース化されています。

自主回収報告制度(リコール)に関する情報

以下の検索システムで食品衛生法違反事例を調べると2021年6月~2022年12月20日の間で113件あり、そのうち残留農薬基準値超過は24例ありました。その24件のうち基準値0.01mg/kg(ポジティブリスト制に基づく一律基準と思われる)を超過したものが22例であり、ほとんどを占めています。非常に厳しい基準値となっているため、超過事例が多くなっているのです。

厚生労働省:公開回収事案検索
https://ifas.mhlw.go.jp/faspub/IO_S020501.do?Action=a_seaAction

最近でも、2022年11月に鹿児島県産のピーマンがカズサホスの基準値0.01mg/kgを超過したという事例が出てきます。

本記事では、基準値が決められていない農薬-作物の組み合わせに自動的に適用されるポジティブリスト制に基づく一律基準0.01mg/kgの根拠を解説します。「毒性学的懸念の閾値」などリスク評価におけるいろいろな知恵や作法が取り入れられた大変「味わい深い」基準値となっています。

残留農薬のポジティブリスト制とは?

まずは残留農薬のポジティブリスト制とはどういうものかについて解説します。規制制度において一般的にネガティブリスト制・ポジティブリスト制というと以下のような説明になります:
ネガティブリスト:使用禁止の物質だけをリスト化するもの
ポジティブリスト:使用してもよいものだけをリスト化しそれ以外は使用禁止

もともと農薬取締法に基づく農薬登録制度は、使用してもよい農薬-作物の組み合わせだけを「登録」し、それ以外は使用禁止というものです。つまり、もともとポジティブリスト制なのです。

一方で、残留農薬のポジティブリスト制とは、「一定量以上の農薬等が残留する食品の販売等を禁止する制度」です。これがどうして「ポジティブリスト制」というネーミングになったのかは結構謎です。

前回の記事で残留農薬基準値の決め方を説明しましたが、健康に影響のない摂取量であるADI(許容一日摂取量)から換算しているわけではなく、作物残留試験の結果から決めています。

逆に言えば、作物残留試験の結果がなければ基準値を決めることができません。ポジティブリスト制ができる以前までは、登録されている農薬-作物の組み合わせ以外で作物残留試験の結果がないものは基準値がないため、規制の穴ができてしまっていました。

つまり、登録されていない農薬-作物の組み合わせで農薬を使用(不正使用にあたる)しても、残留農薬基準によってそれを防ぐことができなかったのです。特に2002年の農薬取締法改正以前は、地域特産物であるマイナー作物(登録されている農薬があまりない)の栽培でこのような農薬使用の実態が部分的にありました。

2002年に登録のない農薬を大々的に販売していた業者が逮捕され、農薬の安全性を疑問視する報道が過熱し、登録のない農薬を使用した農家に罰則を科すなどの規制強化がなされました。マイナー作物の農薬登録の推進として3年の経過措置が取られ、ついに2006年から基準値が設定されていない農薬-作物の組み合わせには自動的に一律基準0.01mg/kgが課されることとなったのです。これが残留農薬のポジティブリスト制になります。

ポジティブリスト制における一律基準の決め方

ここまでポジティブリスト制の説明をしてきましたが、いよいよ一律基準0.01mg/kgの根拠について説明します。

以下の資料によると、
1.諸外国の同様の制度で0.01~0.1mg/kgの一律基準が設定されている
2.毒性に関する情報が得られない場合でも安全が確保できる許容量が1.5μg/人/日であり、ある物質が0.01mg/kg残留する食品を150g/日(ほとんどの食品の一日摂取量はこれを超えない)食べた場合に1.5μg/人/日となること

の2点が根拠となっています。
0.01(mg/kg)×0.15(kg/人/日) = 0.0015(mg/人/日)

uniform-criteria

厚生労働省:食品に残留する農薬等に関するポジティブリスト制度における暫定基準の設定について(最終案)
16.食品中に残留する農薬等に関するポジティブリスト制度における一律基準の設定について(最終案)

食品に残留する農薬等に関するポジティブリスト制度における暫定基準の設定について(最終案)等目次 |厚生労働省
食品に残留する農薬等に関するポジティブリスト制度における暫定基準の設定について(最終案)等目次 について紹介しています。

ここで、「毒性に関する情報が得られない場合でも安全が確保できる許容量が1.5μg/人/日」という部分が気になると思います。これが「毒性学的懸念の閾値」と呼ばれているものです。

どんな化学物質であってもこの摂取量以下なら影響がない、という閾値さえ決められれば、毒性がよくわからないものが検出された場合であっても、その閾値以下であればリスクの懸念なし、という判断が可能となります。

まず、多数の発がん性物質の50%発がん用量(TD50)の分布を解析します。次に、発がん確率50%となる摂取量から、発がん確率100万人に1人になるように比例的に摂取量を推定します。この分布の低い側の端を見ることで0.15μg/人/日が導かれます。

TTC

これは発がん物質だけを集めた場合ですが、全化学物質中の発がん性物質の割合が10%程度だと仮定すると、この10倍量である1.5μg/人/日であっても、発がん確率はほとんどの場合100万人に1人以下になります。

非発がん物質の無影響量はほとんどの物質が1.5μg/人/日以上になることも確認されています。発がん確率100万人に1人という数字は実質的安全量に相当します。これは本ブログの過去記事でも解説しています(リンクは記事最後の補足参照)。

こうやって知見の穴をその周辺の情報から埋めようとする作法がレギュラトリーサイエンスっぽいところですね。

一律基準をADIがわかっている農薬に適用するのはヘン?

このような一律基準は登録のない農薬の使用(=不正使用)を検出するために活用できますが、農薬を適正に使用していても基準値を超えてしまうことがあります。例えば農薬を使用した際に離れたところで栽培している他の作物に飛散して付着してしまったり、土壌に残留した農薬が他の作物を栽培したときに吸い込んでしまったり、河川に流出した農薬を吸い込んでしまったり、などの事例があります。

例えば、2006年にシジミから最大0.12 mg/kgのチオベンカルブの残留が見つかり、一律基準値0.01 mg/kgの12倍ということで基準値違反になった例があります。シジミに農薬を使うわけではないので一律基準の0.01mg/kgが適用されますが、水田で使われたチオベンカルブが河川に流れ出て、それをシジミが蓄積した結果、基準値を超えてしまったのです。かなり珍しい事例ですね。

この場合の摂取量を計算すると、体重55.1kgの人が1日にシジミ30個(=21g)を食べると0.000046mg/kg体重/日となります:
0.12(mg/kg)×0.021(kg/日)/55.1(kg) = 0.000046mg/kg/日

この摂取量は、動物実験ベースのNOAEL(無毒性用量)までまだ20000倍もの曝露マージン(余裕度)があり、健康被害の発生まで程遠いレベルであることがわかります。しかしながらシジミ漁自体がしばらく操業禁止となったりするなどの大きな影響が出ました。

これは農薬の不正使用でもなく、健康影響の懸念もないため、一体何のペナルティなのかよくわからなくなります。そもそもチオベンカルブはすでにADIがわかっている農薬であるため、毒性がよくわからないものに対する毒性学的懸念の閾値を適用するのは何かおかしいと思われます。

実際にADIから換算する方法で基準値を試算してみましょう。1日あたりの全食品摂取量2kg、食品からの摂取寄与率80%として計算すれば:
0.009 (mg/kg/日)×55.1 (kg)×0.8/2 (kg/日) = 0.2 mg/kg
となり、0.12mg/kgでも基準値以下になります。

clam2

最初からこうしておけばよかったのではないでしょうか。ただし、冒頭にあげたカズサホスの場合はADIが0.00025mg/kg体重/日と非常に低いため、この方法だと0.01mg/kgを下回ってしまいます(例外的)。

その後の2011年にはチオベンカルブの貝類の基準値9mg/kgが設定され、シジミには一律基準は適用されなくなりました。この基準値もADIから換算されたものではなく、「農薬を適正に使用していればこの値は超えないだろう」という観点から設定されたものになります。

河川水中で予測されうる最大濃度0.58μg/Lに、シジミがチオベンカルブを濃縮する倍率2908をかけ、さらに貝類間の種間差を考慮した不確実性係数5をかけて、
0.58×10-3(mg/L)×2908×5 = 8.4mg/kg
と計算された推定残留量から9mg/Lと設定されたのです。

厚生労働省:薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会農薬・動物用医薬品部会 平成23年2月10日開催 【チオベンカルブ(農薬)】 資料5-1 農薬・動物用医薬品部会報告(案)

薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会農薬・動物用医薬品部会資料 |厚生労働省
厚生労働省の食品衛生分科会農薬・動物用医薬品部会審議会資料について紹介しています。

まとめ:残留農薬ポジティブリスト制における一律基準値の決め方

残留農薬のポジティブリスト制における一律基準値0.01mg/kgの根拠について説明しました。毒性がよくわからない場合であっても健康影響の懸念がない摂取量を推定した「毒性学的懸念の閾値」から計算されています。ただし、毒性がわかっている農薬にまで一律に適用することにより、実際の運用に不具合が出ることもあります。

残留農薬基準は「農薬を正しく使用しているかどうか」という農業規範としての基準であり、健康影響の基準ではないため説明の際は要注意ですが、むしろ説明の仕方を注意するよりも運用を変えて健康影響の基準値(ADIから換算)に変えればよいのでは?という意見についてまとめました。

残留農薬基準値の決め方その3:「ADIを超えないように」決めたら良いのでは?
残留農薬基準は「農薬を正しく使用しているかどうか」という農業規範としての基準であり、健康影響の基準ではないため説明の際は要注意ですが、むしろ説明の仕方を注意するよりも運用を変えて健康影響の基準値(ADIから換算)に変えればよいのでは?という意見についてまとめました。

さらに、ADIから換算する方法を一斉に適用したリストを作成しました。

残留農薬基準値の決め方その4:「ADIを超えないように」決めた目安残留濃度の一覧(587農薬)を作りました
残留農薬基準は「農薬を正しく使用しているかどうか」という農業規範としての基準であり、健康影響に関係する基準ではないため複雑怪奇になっています。そこで「ADI(許容一日摂取量)を超えないように」計算した健康影響に関する目安残留濃度の一覧(587農薬)を紹介します。

補足

拙著「基準値のからくり」の「第5章 古典的な決め方の基準値」に残留農薬基準の決め方の説明があります。

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毒性学的懸念の閾値の解説:
http://www.nies.go.jp/risk_health/chemsympo/2017/h29_youshi/sympo20180216-004-yamada_takashi.pdf

本ブログの実質的安全量(発がん確率100万人に1人に相当)の解説記事:

除草剤グリホサートの健康影響その4:発がん性物質の受け入れられるリスクレベル
グリホサートのように発がん性ありなしの論争を続けるよりも、発がんリスクの大きさを評価してそれが十分に小さいかどうかを判断したほうがよい場合があります。リスクが十分低く安全と言えるのかどうか?という問いに答えるための方法・考え方について解説します。

本ブログの残留農薬基準値を超過した場合の作法:

農薬の残留基準値を超過した際に健康影響を判断するための3つのステップ
農薬の残留基準値を超過したニュースを例に、健康影響を判断するステップとして以下の3つを紹介します。1.農薬評価書を活用して農薬の毒性、無影響量などを調べる2.影響が出るまでどの程度その食品を食べる必要があるのかを計算する3.リスクを評価し、そのリスクが受け入れられるかどうかを考える「基準値の〇〇倍!」という数字から判断できることはほとんどないことがわかります。

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