みどりの食糧システム戦略における「化学農薬(リスク換算)50%減」を解説します

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要約

農林水産省の「みどりの食糧システム戦略」では、2050年までに化学農薬の使用量をリスク換算で50%減という政策目標を打ち立てました。このリスク換算の方法として、毒性の強さを示すADI(許容一日摂取量)を使ってリスク係数を求めて使用量を重みづけしていく方向性が出されました。

本文:みどりの食糧システム戦略における化学農薬のリスク換算とは?

本ブログでは2021年3月に「有機農業25%の方向性を考える:有機農業と環境リスクの関係」と題する記事を書きましたが、この有機25%を推進する農林水産省の「みどりの食糧システム戦略(以下みどりの戦略と省略)」について最近いろいろと動きが出てきました。

有機農業25%の方向性を考える:有機農業と環境リスクの関係
有機農業の推進が政策課題に挙げられていますが、有機農業と環境リスクの関係について解説します。「有機農業=無農薬」ではなく、有機でも使える天然物由来の農薬も、化学合成農薬と同等の毒性があります。有機農業は環境保全に加えて価値観の側面も持っており、リスクの低減とは別に主観的幸福度などの側面で評価したほうが良いのではないかと考えられます。

みどりの戦略は2021年5月12日に最終決定されました。この戦略の概要(本文p19のポンチ絵)には以下のように書いてあります。

みどりの食料システム戦略トップページ:農林水産省

Midorino-Senryaku
https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/midori/attach/pdf/index-7.pdf

さて、農薬に関する記述としては、このポンチ絵中に「低リスク農薬への転換、総合的な病害虫管理体系の確立・普及に加え、ネオニコチノイド系を含む従来の殺虫剤に代わる新規農薬等の開発により化学農薬の使用量(リスク換算)を50%低減」とあります。前回の記事を書いたときから、この「リスク換算」とは一体何か?ということが非常に気になっていましたが、最近になってこの情報が出てきました。

本記事では、この「リスク換算」とは何かについて出てきた情報を整理し、それに対する有識者の意見、本当のリスク換算はどうあるべきか、という順番で解説していきます。

化学農薬の使用量(リスク換算)の意味

化学農薬の使用量(リスク換算)の意味は、農林水産省の農業資材審議会農薬分科会(2021年4月21日開催)の資料の中で出てきます。

第25回農業資材審議会農薬分科会配布資料 資料7 みどりの食料システム戦略中間取りまとめ(抜粋)

第25回農業資材審議会農薬分科会配布資料:農林水産省

この資料の(参考)と書かれたところにひょっこりと出てくるのです。見つけたのは偶然です。

これによると、

(参考)化学農薬使用量(リスク換算)の求め方

Σ(「農薬出荷量(有効成分ベース)」×「リスク係数※」)

※「リスク係数」は、ADI を基に係数を決定

https://www.maff.go.jp/j/council/sizai/nouyaku/attach/pdf/25-4.pdf

ということで、ADI(Acceptable Daily Intake, 許容一日摂取量, 毒性の強さの指標となる値で詳細は補足参照)で重み付けした使用量ということになるのかな、と理解しました。ところが、この農薬分科会の次の会(2021年5月21日開催)でまた新たな情報が出てきたのです。

第26回農業資材審議会農薬分科会配布資料 資料4 「みどりの食料システム戦略」における化学農薬使用量(リスク換算)について

第26回農業資材審議会農薬分科会配布資料:農林水産省

〇 農薬の有効成分の ADI値は極めて小さい(0.001 mg/kg 体重/日未満)ものから、極めて大きい(1 mg/kg 体重/日以上)ものまであり、ADI値をそのまま係数として換算した場合、極端なADI値が強く反映され、生産現場や農薬メーカーの取組を正しく評価できない恐れ。そのため、ADI値に応じた「区分」に分け、係数を設定し、リスク換算に用いる。

〇 有効成分それぞれの ADI値の分布(下表)を見ると、「0.01 未満」、「0.01 以上~0.1 未満」、「0.1 以上~」の3区分でリスク係数を設定することが妥当。

〇 有効成分の出荷量が最も多い「0.01 未満」を「標準」区分(グループ1)とし、「0.01 以上~0.1 未満」(グループ2)、「0.1 以上」(グループ3)の3区分とする。

〇 「リスク係数」については、「標準」区分のグループ1を「1」とすると、ADI の絶対値に鑑み、グループ2はその 1/10 の「0.1」とし、グループ3はさらにその 1/10 の「0.01」とすることが考えられるが、その場合、よりリスクの低い農薬への切り替えが過大に評価されることとなり、使用量を削減する生産現場及びメーカーの努力の評価を過少にすることから、KPIとしては不適切。

〇 そのため、各グループの係数「1」「0.1」「0.01」の平方根である「1」「0.316」「0.1」をリスク係数とする。

https://www.maff.go.jp/j/council/sizai/nouyaku/attach/pdf/26-4.pdf

ということで、少し想像と違うものが出てきた感じです。単純にADIで重みづけしてしまうと、リスク係数としての幅がかなり大きくなり、「リスクの低い農薬への切り替えが過大に評価されることとなり、使用量を削減する生産現場及びメーカーの努力の評価を過少にする」ということが書いてありますね。

リスクの低い農薬への切り替えが問題であるかのような書き方は少し気になります。当ブログで前回書いた記事の問題は、リスクのよくわからない物質への切り替えによって、逆にリスクが増加してしまうリスク・トレードオフの話でした。リスクが低いとわかっているなら切り替えは問題ないでしょう。

化学物質の安易な代替によるリスクトレードオフは職場の化学物質管理でも大きな課題となっている
有害性が判明して規制された化学物質から、有害性情報がほとんどないため規制されていない化学物質への安易な代替によるリスクトレードオフは、職場の化学物質管理においても発生しています。そこで本記事では労働安全衛生法による職場の化学物質管理の見直しの方向性について解説します。

その問題の解決策が「平方根をとる」ことになっているのですが、なぜ平方根かという理由が書いていないので、鉛筆をなめた感がありますね。リスク係数「0.01」というのを適用すると、このグループはもう使用量としてはほとんどカウントされなくなってしまうから、ということでしょうか。

化学農薬の使用量(リスク換算)50%減に対して農薬分科会でどんな意見が出たか?

最初にリスク換算の式が出された第25回農薬分科会については議事録がもう公開されています。そこで、専門家からどのような意見が出されたのかを見ていきましょう。議事録のp20から説明が始まります。

第25回農業資材審議会農薬分科会議事録:
https://www.maff.go.jp/j/council/sizai/attach/pdf/index-35.pdf

まずは、「ネオニコチノイド系農薬」と一部の農薬が名指しされているのはなぜか?という意見があります。何か問題のある農薬という意味を含んでいるのか?ということですね。回答としては、殺虫剤の中では製剤ベースで一番多く使われているからということで、特に問題があるという意味ではないとの回答でした。ただ、こういう説明がない中で名指しされると誤解を招きやすいなとは思います。

次に、ネオニコチノイドという名前を出しておきながらADIをベースにリスク換算するというのは大きな矛盾をはらむ、突っ込みどころ満載な提言だとの意見が出てきます

これはつまり、ネオニコチノイド系殺虫剤はADIで見ると非常に低毒性な農薬であるため、このやり方だと使用削減のインセンティブにならないのではないか、ということですね。一方で環境中の生物への毒性はやはりあるので、そちらの考慮も必要だという意味です。

さらに、低リスクの農薬に切り替えればよいのだということではなく、それでは抵抗性の問題(同じ系統の農薬ばかり使うと耐性をつけやすくなる)が出てくるので、バラエティに富んだ系統の薬剤を使うようにすべきということも重要、という意見もありました。

他にも、新しい低リスクの農薬の開発はハードルが高く、国の後押しが必要という意見も出ています。RNA農薬などもありますが、そもそもどのようにリスク評価するかが定まっていません。

ここまでが委員からの意見の紹介になります。なぜADIを使うのか、というところで疑問が出てきていますね。以下のように農水省の説明としては、環境影響を考慮しない理由は外国に説明がつきやすい、ということのようです。


先ほどADIに基づいてリスク係数を考えたいと御説明いたしましたが、ADIはヒトに対する毒性指標であって、環境生物に対する毒性指標ではございません。一方、環境生物全般に対する指標につきましては、現時点において途上国でも利用可能な世界共通のものがないといった事情もございます。繰り返しになり恐縮でございますが、生産現場、農薬メーカー両方の御努力の現状を把握するための物差しといたしまして、諸外国にも説明可能なADIに基づいて検討したいと考えているものでございます。

https://www.maff.go.jp/j/council/sizai/attach/pdf/index-35.pdf

減らすべきは農薬使用量ではなく農薬使用にともなうリスクである

ここから先は私の意見になります。そもそも、減らすべきは農薬使用量ではなく農薬使用にともなうリスクである、というのが原則だと思います。リスク管理では、今現在そもそもどれくらいのリスクがあるのか、ということがまずあって、それをどういう対策をすればどれくらいまで減るのか、という政策オプションがいくつか出てきて、その中から実現可能でコスパの高い対策を選択していく、ということが基本になります。

ADIをベースにリスク換算を考えるのであれば、そもそも現時点でADIを超過するような事例がほぼないため、そもそも減らせる部分がもうないわけです。これがもしも、基準値超過事例を半減させる、だったら不適切な農薬使用を減らす、という意味でリスクが減ったとはいえるかと思います。本ブログで紹介したオランダの‘Healthy Growth, Sustainable Harvest’という政策目標でも、食品安全についてはそのような目標設定になっていました。

オランダの政策評価書から明らかになったネオニコチノイド系殺虫剤禁止後のリスクトレードオフ
欧州でネオニコチノイド系殺虫剤が規制されましたが、その後のリスク低減効果について、オランダが公表した政策評価書の内容を紹介します。規制の当初から指摘されていたこと(ネオニコチノイド系殺虫剤を禁止しても他の農薬に切り替えるだけでリスクは減らない)が現実になったことが明らかとなっています。

また、不適切使用などの異常時ではなく、平常時のリスクを想定するのであれば、リスク指標としては多数の農薬を総合的に考える必要がありますので、簡便に計算可能かつすでにリスク管理に活用されている方法となると、水道水質基準の「総農薬方式」がよいのではないでしょうか

厚生労働省:農薬の考え方について

農薬の考え方について

農林水産省が提案しているものと同様の式で表現すれば以下のようになります:
Σ(「農薬の検出値」/「農薬の目標値」)

検出値/目標値は個別の物質のリスク指標にもなりますが、これを全ての農薬で足し算していくわけです。ここで、人間が食べる場合では、検出値は実際の残留農薬濃度、目標値はADIになります。環境影響の場合は、検出値は水中濃度、目標値は環境省で設定されている「水域の生活環境動植物の被害防止に係る農薬登録基準」になるでしょう。これらは伝統ある方法であり、全く日本独自のやり方というわけでもないため、普通に外国に対しても説明困難とは思えません。

まとめ:みどりの食糧システム戦略における化学農薬のリスク換算とは?

農林水産省が策定した「みどりの食糧システム戦略」では、2050年までに化学農薬の使用量をリスク換算で50%減という政策目標を打ち立てました。「リスク換算」というところをどうするのかは現状で最終決定ではありませんが、毒性の強さを示すADI(許容一日摂取量)を使ってリスク係数を求め、これで重みづけしていく方向性が出されました。細かい点に関して2021年5月の時点ではまだまだ課題が残されています。

補足

関連する記事を紹介します。合わせて読むとより理解が深まると思います。

ADIについては以下の資料をご覧ください(TDIの例が書いてありますが、ADIでも同様です):
ニュース農業と環境 リスクって何?安全って何?
https://www.naro.affrc.go.jp/publicity_report/publication/files/no113_3.pdf

農薬の健康影響のリスク指標については過去記事で説明しています。

農薬の残留基準値を超過した際に健康影響を判断するための3つのステップ
農薬の残留基準値を超過したニュースを例に、健康影響を判断するステップとして以下の3つを紹介します。1.農薬評価書を活用して農薬の毒性、無影響量などを調べる2.影響が出るまでどの程度その食品を食べる必要があるのかを計算する3.リスクを評価し、そのリスクが受け入れられるかどうかを考える「基準値の〇〇倍!」という数字から判断できることはほとんどないことがわかります。

環境影響のリスク指標についても、過去記事で説明しました

オランダの政策評価書から明らかになったネオニコチノイド系殺虫剤禁止後のリスクトレードオフ
欧州でネオニコチノイド系殺虫剤が規制されましたが、その後のリスク低減効果について、オランダが公表した政策評価書の内容を紹介します。規制の当初から指摘されていたこと(ネオニコチノイド系殺虫剤を禁止しても他の農薬に切り替えるだけでリスクは減らない)が現実になったことが明らかとなっています。

また、もっと科学的に洗練されたリスク評価手法はいろいろあり、例えば複数農薬の複合影響を加味したリスク評価などもあります。複数農薬の複合影響を加味した生態リスク評価については、すでにマニュアルやだれでも評価可能な計算ツールまで公開されています。

複数農薬の累積的生態リスク評価ツール NIAES-CERAP | 農研機構
農研機構は食料・農業・農村に関する研究開発を行う機関です。既存の複合影響予測モデルを組み合わせて多数の農薬の複合影響を計算できる新たなリスク評価ツールNIAES-CERAP(Cumulative Ecological Risk Assessment of Pesticides)を解説。

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