除草剤プロピザミドは炎症性腸疾患の原因となるか?Nature論文を読み解きます

zebrafish 化学物質

要約

除草剤のプロピザミドが炎症性腸疾患の原因であると主張しているNature論文の内容を解説します。現実離れした高濃度で発生することを示しただけでリスク評価には役に立たない内容です。現実的な曝露量におけるリスクの考察を行い、なぜこの論文がNatureに掲載されたかも考察します。

本文:除草剤プロピザミドは炎症性腸疾患の原因?

2023年4月にサイエンスポータルアジアパシフィックに掲載された記事に以下のようなものがありました。

除草剤が炎症性腸疾患(IBD)の環境因子と判明 台湾と米ハーバード大が共同研究

台湾の陽明交通大学(NYCU)は3月7日、同院と米ハーバード大学医学大学院(Harvard Medical School)との学際共同研究により、除草剤が腸炎を悪化させる危険因子であることが発見されたと公表した。炎症性腸疾患(IBD)に及ぼす環境因子の効果を明らかにした画期的な研究であり、研究成果は学術誌 Nature に掲載された。

https://spap.jst.go.jp/other_asia/news/230401/topic_nt_03.html

「除草剤」と書かれていますが、実際にはプロピザミドという主に芝に使用する除草剤のことです。

これは典型的なハザード評価(現実よりも高濃度の曝露でどのような影響が起こりうることを示す)であって、リスク評価(現実的な曝露量で影響が出ている可能性があるかどうか示す)ではありません。

この記事ではハザード評価とリスク評価の違いについてはなにも記載がありません。そもそもこの手の研究ではまずそのような違いに触れられることはないのです。なぜなら危険を強調したほうが研究のインパクトが大きくなるからです。

芝のスポーツ場や庭を頻繁に利用する人々はプロピザミドに暴露するリスクがある。ワン博士のチームは現在、除草剤により生じるIBDを緩和するナノ粒子とプロバイオティクスを開発している。

https://spap.jst.go.jp/other_asia/news/230401/topic_nt_03.html

プレスリリースにはこのような文章もあり、「曝露により影響が出るリスクがある」ではなく「曝露のリスクがある」などという表現が使われており、まるで影響が出るリスクがあるかのような誤解を引き起こしています。

さらに、影響を緩和する薬品を開発しているとのことで、まるで実際に影響が出ているかのような書き方をしています。これらを読めば多くの人が実際に除草剤の影響で腸炎が発生しているかのような誤解をするでしょう。

しかも論文の掲載誌が権威のある科学誌「Nature」であり、「プロピザミドは危険である」という信憑性を高めています。

本記事では、まずこの研究でどのようなことが明らかになったのかを解説し、次に現実的な曝露量で影響が出ているかどうかを示します。最後にこの論文がNatureに掲載されたことにどのような意味があるのかについて考察します。

Nature論文の研究内容

このNature論文を読んでみましたので、以下に内容を紹介します。

Sanmarco et al (2022) Identification of environmental factors that promote intestinal inflammation. Nature, 611, 801-809

Identification of environmental factors that promote intestinal inflammation - Nature
The herbicide propyzamide increases inflammation in the small and large intestine, and the AHR–NF-κB–C/EBPβ signalling axis—which operates i...

まずこの研究では、腸炎の悪化因子を効率的に探索するため、ToxCastデータベースと機械学習を使用しています。ToxCastデータベースとは、細胞などを用いたさまざまな毒性試験の結果を収録したものです。

この中から、腸炎に関係していると思われる毒性試験(例えば腫瘍壊死因子など)に活性を示した物質を選定します。生物に致死性のない物質をさらに絞り込んで、そのあとに実際にゼブラフィッシュという魚を用いて実際に腸炎を悪化させるかどうかを調べました。

その結果、13の腸炎悪化物質が発見されました。この中にはリニュロンなどの除草剤成分が含まれていますが、プロピザミドは含まれていません。逆に腸炎を改善する4つの物質も見つかっています。

次に、腸の炎症を悪化させる13物質、腸の炎症を改善する4物質がToxCastでどのような毒性を持つかのパターンを分析して、悪化させる物質と類似の作用を持つ物質を探索しました。この類似の物質を見つける際にAIの一種である機械学習を使用しています。

この結果、類似の作用を持つ物質20種類を抽出しました。この20物質で再度ゼブラフィッシュを用いた試験を行うと、6物質が腸炎を悪化させることがわかりました。このうちの一つがプロピザミドです。ちなみに最も低濃度(0.2μM)で腸炎を悪化させたのはテブコナゾールという殺菌剤でした。

ここで試験された物質が単独で正常なゼブラフィッシュの腸炎を引き起こしてしまうのか、と最初は思っていたのですが、そうではありませんでした。先にTNBS(2,4,6-トリニトロベンゼンスルホン酸)という別の物質を用いて無理やりゼブラフィッシュに腸炎を引き起こしておき、そこに別の化学物質を与えた際にその腸炎がさらに悪化するのか改善するのかを調べるのです。実際に、プロピザミド単独の曝露では腸炎を誘発しませんでした。

ここから先は、どのようなメカニズムでプロピザミドがゼブラフィッシュのTNBS誘発性腸炎を悪化させるのかを調べた結果が続きます。いろいろな実験が行われていますが、ここは私の興味の範囲外ですのできちんと読んでいません。

除草剤プロピザミドのリスク評価

さて、上記のような研究結果から、人間に対して悪影響が出ていると言えるのでしょうか?残念ながら何も言うことはできません。

リスク評価を行う場合には、影響が出たというだけの情報は役に立ちません。必要なのは影響が出ない曝露量です。これと実際の曝露量を比較することでリスクの判断ができます。上記の実験では1μM(=250μg/L)のプロピザミドは腸炎を悪化させましたが、0.2μM(=50μg/L)では悪化させませんでした。

そして、影響がない50μg/Lを実際の曝露量と比較しようと思っても、それは不可能です。ゼブラフィッシュは水中に住む生物なので、曝露の単位は水中濃度になりますが、それを人間の曝露量には換算できません。

化学物質の有害性を評価するために、マウスなどの哺乳類を用いた動物実験がよく使われます。実際に、TNBSで腸炎を誘発させたマウスは腸炎の研究によく用いられています。ゼブラフィッシュを用いても腸炎を悪化させるメカニズムの研究はできるかもしれませんが、リスク評価に必要な情報は提供できないのです。

では別の情報源からマウスなどの動物実験を用いた有害性評価を見てみましょう。食品安全委員会による評価書を見ると、プロピザミドの許容一日摂取量(ADI)は0.019mg/kg体重/日とされています。

評価書詳細

プロピザミドはほとんどがゴルフ場などの芝用に使用され、あまり食品に使われるものではありません。芝に使った場合の曝露評価はなかなか難しいですが、無理やり計算してみましょう。

カーブSCという除草剤は以下のサイトを見ると、芝1m2あたり0.4-0.6mL散布します。成分はプロピザミド36%なので、プロピザミドの量に変換すると0.5mLの36%で1m2あたり180mgです。この散布された除草剤が全部芝に付着したとして、その芝の5cm×10cmの面積分を毎日食べたとするとADIぎりぎりの0.018mg/kg体重/日になります。もちろん実際にはこのような量を摂取することは考えられません。

カーブ™SC 【芝雑草防除】の商品詳細・使い方(SDS) - 丸和バイオケミカル株式会社
丸和バイオケミカル株式会社が販売するカーブ™SC の商品詳細ページ(安全データシートあり)。ダラースポット病・葉枯病に卓効を示します。発病初期散布で優れた治療・予防効果を有し、長い残効性を示します。またダラースポット病の少水量散布でも安定した効果を示します。

一方でゼブラフィッシュは水生生物なので、プロピザミドが水系に流出した場合における生態リスクはどうなのか?と思うかもしれません。

環境省が公開しているリスク評価書を見てみましょう。魚類、甲殻類、藻類の毒性試験の結果から基準値は470μg/Lと設定されています。一方で、環境中予測濃度は0.012μg/Lであるため、環境中濃度は基準値を大幅に下回っています。
https://www.env.go.jp/content/900544360.pdf

また、プロピザミドが腸炎を悪化させた濃度は250μg/Lであり、実際の環境中濃度がこれを超えることはまずなさそうです。

この論文はなぜNatureに掲載されたのか?

さて、ここまで紹介してきたように、現実にはありえない高濃度のプロピザミドが腸炎を悪化させたという内容でした。しかも、プロピザミドは単独で腸炎を引き起こすわけではなく、すでに腸炎になっているゼブラフィッシュの症状をさらに悪化させたというものでした。また、人間に対してどのようなリスクがあるかは判断ができないデータです。

ではこのような(リスク評価には役に立たない)内容の論文がなぜ世界の権威的な科学誌であるNatureに掲載されたのでしょうか?以下の3点が理由として考えられます。

1つ目は新規性として、ToxCastと機械学習アプローチを使用して、ターゲットとなる候補物質を効率的に探索した点です。ToxCastは細胞などを用いたさまざまな毒性試験の結果を収録した大規模データベースであり、その活用が期待されています。また、機械学習のようなAIの活用も新規性があります。

2つ目は有用性として、プロピザミドがゼブラフィッシュのTNBS誘発性腸炎を悪化させるメカニズムを解明した点です。リスク評価にはあまり役に立ちませんが、メカニズムの解明については腸炎の治療法などの開発に役立つかもしれません。

3つ目は社会的インパクトとして、プロピザミドの危険性を示した点です。しかし、これは上記にも書いた通り、非現実的な高濃度曝露においてプロピザミドが腸炎を悪化させることを示しただけであり、現時点で健康リスクの懸念があることを示したわけではありません。

3点挙げてみましたが、結局は3番目かなと思います。人間に対するリスク評価には役に立たない内容であるにもかかわらず、プロピザミドが危険であることをほのめかしているからです。

論文のディスカッションの中で「プロピザミドが腸炎の有病率が先進国で増加している原因となっている」と書かれてしまっており、さらに冒頭に紹介したプレスリリースでは「除草剤により生じるIBDを緩和するナノ粒子とプロバイオティクスを開発している。」と書かれています。

リスク評価されていないのにプロピザミドが原因となっているという記述や除草剤によりIBDが生じているという記述(プロピザミドが腸炎を発症させるわけではない)は完全にミスリードです。このような主張につながってしまうことは大きな問題があります。

つまり、科学と社会運動(除草剤は危険だから使わないほうが良い)がミックスした環境科学の特徴を表しています。このことは本ブログの過去記事でも指摘しています。

環境科学は社会へのインパクトが求められるため、インパクトファクターの高い雑誌(一般的に高いほど良い雑誌と見なされる)ほど、「〇〇はキケン!」という結論の論文が掲載されやすくなります。たくさん分析したけどどれも懸念レベル以下でした、という内容の論文は決して価値が低いわけではないのですが、インパクトファクターの高い雑誌には掲載されません。

https://nagaitakashi.net/blog/others/environmental-science/

ファクト明らかにする部分と社会問題への応用の部分がごっちゃになってしまうと社会のリスク管理に対する弊害が大きくなるでしょう。

まとめ:除草剤プロピザミドは炎症性腸疾患の原因?

除草剤のプロピザミドが炎症性腸疾患の原因であると主張しているNature論文の内容を解説しました。これは典型的なハザード評価(現実よりも高濃度の曝露でどのような影響が起こりうることを示す)であって、リスク評価(現実的な曝露量で影響が出ている可能性があるかどうか示す)ではありません。にもかかわらず、社会的インパクトを高めるためにプロピザミドが危険であることをほのめかしており、問題の大きい論文と考えられます。

補足

トップの画像はAI生成画像で、芝の上でゼブラフィッシュが遊んでいるイメージです。ゼブラフィッシュのシマの向きが逆ですが、まあしょうがないでしょう。

この記事にでてくるさまざまなキーワードを適当にたくさん入れて画像を生成させたのが以下の画像です。あまりにおかしい画像ができたので載せておきます。なぜピザ?と疑問に思ったのですが、プロピザミドのことを「ピザ」と認識したのだと思います。芝刈り機と顕微鏡が合体しているようなものも出てくるなど、突っ込みどころ満載ですね。

propyzamid

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