規制のためのリスク評価とリスクコミュニケーションのためのリスク評価の違い

assessment-for-communication リスクコミュニケーション

要約

リスクコミュニケーションのためのリスク評価はマクロなアプローチ(詳細ではないがさまざまな種類のリスクを俯瞰的に眺める)のほうが望ましいと考えます。マクロなアプローチの化学物質のリスクへの適用として、実際の農薬の残留基準値超過事例を用いて計算します。

本文:リスクコミュニケーションのためのリスク評価

本ブログではこれまでに、「食品安全に係る施策を進める上でリスクコミュニケーションがボトルネックになってきた」ということを書いてきています。安全性そのものよりも社会の受容性の問題によって、物事が進まなくなってきているのです。

食品安全では科学的な評価よりもリスクコミュニケーションがボトルネックになってきた
食品安全の世界では、安全性そのものよりも社会の受容性のほうがボトルネックになりつつあります。そのような時代における、リスコミの主戦場となっているSNS対策、コミュニケーションしやすいリスク評価の必要性、政府のリスコミの総合調整役である消費者庁の実際の取り組みについて整理します。

この記事では、原発処理水の放出について例を出していますが、このほかにも、米の低カドミウム品種の導入においても、この問題で大きくつまずいてしまいました。放射線育種という長年使われている技術が突如として危険視されてしまったのです。

「あきたこまちR」危険視する根拠ない情報拡散 県注意呼びかけ | NHK
【NHK】秋田県で開発された「あきたこまちR」という新しい品種の米が「危険だ」とする、根拠のない情報が広がっています。旧ツイッター…

新型コロナウイルスが発生した際が顕著でしたが、新たなリスクの社会問題が発生するたびに、リスクコミュニケーション(リスコミ)の重要性が叫ばれます。ところが、喉元過ぎると忘れ去られてしまい、次の問題が起こった際にまたゼロからのスタートとなるのです。

さて、冒頭に紹介した過去記事では、リスコミがボトルネックとなって物事が進まない時代においては、リスク評価・リスク管理の方法もリスコミしやすい方法に考える必要がある、ということも書きました。

今までの方法がダメというよりも、規制のためのリスク評価(これまでの方法)とリスコミのためのリスク評価は分けるべきなのです。

リスコミに適したリスク評価とは、個別の要素を細かく評価するミクロなアプローチではなく、ざっくりと全体を俯瞰するマクロなアプローチです。

全体を俯瞰するマクロなアプローチは、
・定量的
・他のリスクと比較可能
・安全側に偏らない
・判断の目安となるものさしをつける
などの特徴があります。

化学物質に関してはこのマクロなアプローチで扱うのがなかなか難しかったのですが、本ブログの中でもいろいろと試行錯誤してきた結果、だいぶ扱い方がわかってきました。

本記事では、過去に記事化した農薬の残留基準値超過事例を用いて、どのようにマクロなアプローチで扱うのかについてまとめます。まずはリスク評価のミクロとマクロのアプローチの違いについて再整理し、次に実際に以下の「180倍の農薬、食べると嘔吐や失禁」などと取り上げられてしまった事例で計算してみます。最後に、マクロなアプローチの活用について考えてみましょう。

農薬の残留基準値を超過した際に健康影響を判断するための3つのステップ
農薬の残留基準値を超過したニュースを例に、健康影響を判断するステップとして以下の3つを紹介します。1.農薬評価書を活用して農薬の毒性、無影響量などを調べる2.影響が出るまでどの程度その食品を食べる必要があるのかを計算する3.リスクを評価し、そのリスクが受け入れられるかどうかを考える「基準値の〇〇倍!」という数字から判断できることはほとんどないことがわかります。

リスク評価のミクロとマクロ

リスコミに適したリスク評価とは、個別の要素を細かく評価するミクロなアプローチではなく、ざっくりと全体を俯瞰するマクロなアプローチである、と書きましたが、もう少し詳しく説明してみましょう。

ミクロなアプローチ
個別のリスク要因を対象に詳細にリスクを評価する
->個別のリスク要因について「安全か否か」を示す

マクロなアプローチ
詳細ではないがさまざまな種類のリスクを俯瞰的に眺める
->本当に避けるべきものは何かを示す

ミクロなアプローチでは農薬や添加物、プラスチックやPFASなどが注目されます。これらについて、調べれば調べるほどにハザード(大量に曝露した際にどのような影響が現れるか)についての情報がたくさん集まります。このような情報に触れれば触れるほどに、その影響が心配になってきます。

その結果、以下のような思考が生まれてきてしまうのですね。

農薬や添加物を避けて、ペットボトルをやめて、テフロンのフライパンもやめれば安全になるのね?

そこで、いくら「ADI(許容一日摂取量)というものがあって、それ以下になるよう管理されていて、、、」という説明をいくらしても、なかなか響かないのは多くの人が感じているところではないでしょうか?

個別のリスクについて深掘りするよりも、もっと全体を見て、効果の高い対策から手をつけましょう、というほうがわかりやすいと考えます。そこで、マクロなアプローチが必要になってくるのです。

ただし、化学物質の場合は物質によってバラバラで、死亡率などの統一的な指標で評価することが困難です。通常、死亡に至るもっと手前のエンドポイント(体重減少など)で評価するため、定量化が難しかったのです。

発がんに関してはまだ定量化がやりやすいので、いろいろ本ブログでも試行錯誤してきました。これらの結果は以下の記事などを見てください。

食品関係のリスクを俯瞰する試み:農薬やPFASなどの位置づけはどの辺か?
食品によるリスクの全体像はどのようなもので、どの要因がどのくらい大きいのか?という全体を俯瞰するマクロなアプローチが不足しています。そこで、世界疾病負荷研究のデータを用いて食品関係のリスクを俯瞰します。農薬やPFASなど話題の化学物質の位置付けも併せて示します。

リスクの定量化のものさし

取り上げる事例は、冒頭で紹介した過去記事で取り上げた、イソキサチオンという農薬が残留基準値を超えて検出された事例です。

市によると、イソキサチオンの基準値は0・05ppmだが、検査で9ppmを検出。生産者は特定している。体重60キロの人が20グラムを食べると、よだれが垂れる、嘔吐(おうと)や失禁を引き起こすなどの症状が出ることがあるという。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/671685/

以下の報告を見ると、残留濃度の確定値としては8.4ppm(mg/kg)でした。イソキサチオン以外にも、アラクロール(検出値:0.03ppm、基準値:0.01ppm)とテフルベンズロン(検出値:0.85ppm、基準値:0.01ppm)が基準値を越えて検出されたとのことです。

残留農薬基準超過農産物の発生のお知らせとお詫びならびに当該農産物の自主回収のご報告|ニュース&更新情報|JA全農ふくれん | 全国農業協同組合連合会福岡県本部

さて、ここまでの情報を用いてリスク評価を行います。方法はすでに過去記事で書いた「動物実験の結果から化学物質の死亡リスク、損失余命、DALYを求める方法」と使いましょう。

動物実験の結果から化学物質の死亡リスク、損失余命、DALYを求める方法の一案~PFOS・PFOAを例に~
リスク比較ではさまざまなリスクを統一指標で評価する必要がありますが、化学物質のリスクは動物実験から評価することが多いため、死亡率や損失余命、DALYなどの指標で表現することが困難です。そこで、動物実験の結果のみを用いて死亡率、損失余命、DALYを求める簡易な方法を提案します。

イソキサチオンのADIは0.002mg/kg体重/日です。これは以下の記事にてリストを作っていますので、他の農薬についても調べることができます。

残留農薬基準値の決め方その4:「ADIを超えないように」決めた目安残留濃度の一覧(587農薬)を作りました
残留農薬基準は「農薬を正しく使用しているかどうか」という農業規範としての基準であり、健康影響に関係する基準ではないため複雑怪奇になっています。そこで「ADI(許容一日摂取量)を超えないように」計算した健康影響に関する目安残留濃度の一覧(587農薬)を紹介します。
イソキサチオンのADI = 0.002 mg/kg体重/日
↓100倍
NOAEL(無影響量) = 0.2 mg/kg体重/日
↓5倍
死亡率のNOAEL = 1 mg/kg体重/日

これを5%の影響率(=死亡率)とみなす

次に1日に春菊を食べる平均的な量が必要になります。

これは、令和5年国民健康・栄養調査の結果から、表5-1「食品群別摂取量 – 食品群、年齢階級別、平均値、標準偏差、中央値 – 総数、1歳以上」を使います。

国民健康・栄養調査 令和5年国民健康・栄養調査 年次 2023年 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口
国民健康・栄養調査は、健康増進法に基づき、国民の身体の状況、栄養素等摂取量及び生活習慣の状況を明らかにし、国民の健康増進の総合的な推進を図るための基礎資料を得ることを目的として、毎年実施しています。 得られた結果は、国や地方公共団体において、生活習慣予防など、健康づくり政策を進め...

簡単な分類ではありますが、これくらいで十分でしょう。春菊というカテゴリはありませんが、「その他の緑黄色野菜」の年齢総数の平均値である31.7g/日を使います。

体重50kgの人の曝露量(mg/kg体重/日)は
残留濃度(mg/kg)×食品摂取量(g/日)/1000(g/kg)/50(kg体重)
= 8.4×31.7/1000/50
= 0.00533 (mg/kg体重/日)

曝露量1 mg/kg体重/日のとき、5%の死亡率
曝露量0.00533 mg/kg体重/日のとき、x%の死亡率
という比例計算をすれば、
x = 0.05×0.00533/1 = 0.0002665
となり、これを年あたりに変換するために70で割ると、
0.0002665/70 = 0.0000038
となります。
つまり、10万人あたりの年間死者数は0.38人となります。

これを回帰式を用いて損失余命やDALYに変換すると、
損失余命 = 18.082×0.38^0.9432 = 7.3
DALY = 19.684×0.38^0.9574 = 7.8
となりました。

これをリスクのものさしで表現すると以下のようになります。

原因死亡率損失余命DALY
がん34657226025
自殺18643660
交通事故3.8108.7204.6
火災1.223.090.3
イソキサチオンが8.4ppm残留したその他の緑黄色野菜を毎日31.7g一生涯食べ続ける0.387.277.80
自然の力への曝露0.122.834.66

 

マクロなアプローチをどのように活用していくか?

さて、イソキサチオン以外にも、アラクロール(検出値:0.03ppm、基準値:0.01ppm)とテフルベンズロン(検出値:0.85ppm、基準値:0.01ppm)も基準値を超えて検出されているため、この二つについても同様に計算してみましょう。それぞれ、アラクロールのADIは0.01mg/kg体重/日、テフルベンズロンのADIは0.021mg/kg体重/日ですので、この情報がわかれば同じように計算できます。

原因死亡率損失余命DALY
がん34657226025
自殺18643660
交通事故3.8108.7204.6
火災1.223.090.3
イソキサチオンが8.4ppm残留したその他の緑黄色野菜を毎日31.7g一生涯食べ続ける0.387.277.80
自然の力への曝露0.122.834.66
テフルベンズロンが0.85ppm残留したその他の緑黄色野菜を毎日31.7g一生涯食べ続ける0.0040.0910.092
アラクロールが0.03ppm残留したその他の緑黄色野菜を毎日31.7g一生涯食べ続ける0.00030.00780.0076
注)すべて人口10万人あたりの数

イソキサチオンの例に比べると数桁以上もリスクが低いことがわかります。基準値超過の事例の多くはアラクロールくらいのリスクレベルであることが多いです。

さらに、これまで計算されてきたような曝露マージンやどのくらい食べ続ければADIを超えるかという計算も併せて示してみましょう。

イソキサチオンの事例
曝露マージン:38
体重50kgの人が毎日0.012kg一生涯食べ続けるとADIを超過する

アラクロールの事例
曝露マージン:53000
体重50kgの人が毎日17kg一生涯食べ続けるとADIを超過する

テフルベンズロンの事例
曝露マージン:3900
体重50kgの人が毎日1.2kg一生涯食べ続けるとADIを超過する

こんな感じになりました。このように、いくつかのリスクの表現方法の余地を残しておくのもよいでしょう。

なぜ、基準値を超過しているのに、リスクとしてそれほど大きい数字にならないのでしょうか?農薬の基準値は健康影響に関する基準値ではない、ということが一番の理由です。これについては本ブログの過去記事に詳しく書いていますので、そちらを参照してください。

残留農薬基準値の決め方その1:巷にあふれるの説明のほとんどが誤解を招いている
残留農薬基準の決め方の説明として巷にあふれている「ADI(許容一日摂取量)を超えないように決められています」は間違いです。まずADIから換算する基準値というのはどういうものかを説明し、その次に残留農薬基準の決め方(ALARA型)を解説します。

今回、リスクの計算については慢性影響に関するNOAELを使用しました(ADI×100で逆算)が、本来基準値超過は一時的なものなので、急性影響を考慮したほうがよいのでは?という意見もあることでしょう。

ただし、マクロなアプローチのリスク評価においては、細かいことを詰めるよりもざっくりでよいので全体像を示すことが重要です。これはあくまでずっと食べ続けた場合の話、という前提の説明が必要となります。もっとも、イソキサチオンのようなかなりひどい事故事例であっても、一回食べた程度でどうにかなるものではないことは冒頭で紹介した過去記事でも書いています。

さて、最後になりますが、今回紹介した計算も自分でやろうとすると大変です。計算も自動で行えるツールがあったら便利ではないでしょうか?そんなツールについては次回にまた紹介できればと思います。

まとめ:リスクコミュニケーションのためのリスク評価

規制のためのリスク評価とリスクコミュニケーションのためのリスク評価は分けるべきであり、リスクコミュニケーションのためのリスク評価とは、個別の要素を細かく評価するミクロなアプローチではなく、ざっくりと全体を俯瞰するマクロなアプローチです。農薬の残留基準値超過事例を用いて、実際に死亡率や損失余命、DALYをざっくりと計算して、リスクのものさしで表現しました。

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