食品安全では科学的な評価よりもリスクコミュニケーションがボトルネックになってきた

SNS その他

要約

食品安全の世界では、安全性そのものよりも社会の受容性のほうがボトルネックになりつつあります。そのような時代における、リスコミの主戦場であるSNS対策、コミュニケーションしやすいリスク評価の必要性、政府のリスコミの総合調整役である消費者庁の実際の取り組みについて整理します。

本文:リスコミがボトルネックになってきた

食品安全の世界では、安全性そのものよりも社会の受容性のほうがボトルネックになっていることが多くなってきたように思います。

一番の例は原発処理水の海洋放出です。魚介類を食べた場合の安全性に問題がないことは科学的議論としてはずいぶん前から出尽くしていました。ところが、そこから実際の放出が始まるまでに何年もかかり、2023年8月からようやく放出が始まりました。

いざ海洋放出が始まってしまうと危険をあおっていた人たちもおとなしくなり、実際に福島県産の魚介類も避けられているわけではないようです。

YAHOOニュース:処理水放出から1カ月超 福島県漁連会長、風評ないとの認識示す

Yahoo!ニュース
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本ブログの以下の過去記事にも書いたように、科学的な議論はこれ以上やることがなく、社会的な受け入れ、すなわちリスクコミュニケーション(以下、リスコミ)がボトルネックとなっていました

海洋放出する原発処理水中トリチウムの基準値1500Bq/Lは風評被害を防止するための基準値なのか?
原発事故後の処理水を海洋放出する際に、消費者の懸念を少しでも払拭して風評影響を最大限抑制するための放出方法として、処理水中トリチウムを1500Bq/L以下にすると決まりました。この数字の根拠を探ったところ、リスクベースで決まった値であり、本来以上に安全側に立った基準というわけではないことがわかりました。

原発事故やコロナなど、なにかリスクの社会問題が起こるたびにリスコミが重要、重要と言われながらもいざそれが過ぎると忘れ去られ、次の問題が起こった時にまた同じことが繰り返されます。

今後はますますこのような事例が増え、リスク評価を精緻化するよりもリスコミにリソースを傾けないと物事が進まなくなるように思います

本記事では、そのような時代にリスコミはどうあるべきかをまとめます。まず、SNSがリスコミの主戦場となる中でどのような対策があるかをまとめ、次に規制のためのリスク評価からコミュニケーションしやすいリスク評価への変化の必要性を提案し、最後に政府のリスコミの総合調整役である消費者庁の実際の取り組みを整理します。

リスコミの主戦場はSNS

2011年の東日本大震災とそれに伴う原発事故のあたりから、リスコミはSNSが主戦場になってきました。専門家による有益な情報もあれば、明らかなデマ、誤解・変な解釈、不安・不信、政府批判などであふれかえっています。

行政によるリスコミは講演会形式がメインで、SNSを使う場合でも基本的にはお知らせを流す広報アカウントです。積極的に他のアカウントとやり取りをしたり、デマを否定したりなどの活動は行いません。こういう役割はすべて完全ボランティアで自発的に登場した在野のリスクコミュニケーターが担いました。

行政が行うには確かにリスクが高すぎます。反対の立場の人から激しい突き上げをくらうのは確実で、担当者の能力的・心理的負担は大きく、対応を間違うとあっという間に炎上してしまいます。

現状SNS対策は在野のリスクコミュニケーターに頼る以外ないのですが、デマは拡散力が強く、量的には勝ち目がありません。やはりX(旧Twitter)などのプラットフォーム側での対策が必要です。

最近になり、Xでは日本語でもコミュニティノートが付くようになりました。これは、あやしい書き込みに対してより正確な情報を他のユーザーが書き込めるようにしたものです。これはなかなか評判が良いようです。

X: コミュニティノート

概要
より正確な情報を入手できる環境づくりを目指すXのオープンソースプログラム、コミュニティノートの詳細について説明します。

しかしこれも他のユーザーが自発的に書き込まなければいけないもので、量的には限界があるでしょう。ただし、コミュニティノートは誰が書き込んだかは出てこないため(その代わりにノートの事前評価が必須)、行政の担当者がノートを書き込む活動ができるようになったと言えます。

私はおそらくこのコミュニティノートのシステムは、ノートを自動で付けるための「前フリ」ではないかと考えています。あやしい書き込みとそれに付いたノートとのデータセットがたくさん蓄積されるとどうなるでしょうか。それをAIに学習させれば、コミュニティノートの自動化ができるはずです。

しかもXはそのデータセットを公開しています。これはすごいことだと思います。データが公開されればAIの開発競争が起こって、よりよいものが誕生する可能性が高まります。日本語だけのデータとかに分けてくれるともっと良いのですが。

X: データをダウンロード

https://twitter.com/i/communitynotes/download-data

本ブログの過去記事ではchatGPTにファクトチェックさせるやり方を紹介しました。コミュニティノートのデータをchatGPTに追加学習させてファインチューニングすれば、さらにファクトチェックの能力の向上が期待できますね。

リスクコミュニケーションもAIが担う新時代その3:AIにデマを自動判別してもらおう!
リスクコミュニケーションにAIを活用する方法の一つとして、ChatGPTを使ったデマ判定方法を紹介します。ツイッターなどでは日々デマが拡散し、人力での対応は限界があるため、AIによってファクトチェックを自動化できると非常に強力なツールとなります。

コミュニケーションしやすいリスク評価・リスク管理が必要

リスコミがボトルネックとなって物事が進まないという時代においては、リスク評価・リスク管理の方法をリスコミしやすいようなやり方に考える必要があると思います。

前回の記事では食品関係のリスクを俯瞰する試みについて紹介しました。リスコミにおいては個別の要素を細かく評価するミクロなアプローチよりもこのような全体を俯瞰するマクロなアプローチのほうが役に立ちます。

食品関係のリスクを俯瞰する試み:農薬やPFASなどの位置づけはどの辺か?
食品によるリスクの全体像はどのようなもので、どの要因がどのくらい大きいのか?という全体を俯瞰するマクロなアプローチが不足しています。そこで、世界疾病負荷研究のデータを用いて食品関係のリスクを俯瞰します。農薬やPFASなど話題の化学物質の位置付けも併せて示します。

つまり、規制のための評価とは別に、マクロなアプローチのリスク評価にもっとリソースが割かれるべきでしょう。このアプローチでは、リスクの指標を死亡率、損失余命、DALYなどで統一し、さまざまなリスクと比較します。そうすると、個別のリスク要因がどのような位置づけにあり、なにを優先して避けるべきかを明確にできます。

リスク評価のエンドポイントについても、現在のやり方はマクロなアプローチに応用しにくくなっています。PFASが良い例ですが、最新の世界の規制においてはワクチンを接種した際の抗体価の上昇が抑えられる、というエンドポイントから許容量が決められています。

有機フッ素化合物PFASのリスクその1:米国のPFOS・PFOAの規制強化の根拠は免疫力の低下
世界的な規制強化の流れにある有機フッ素化合物PFASについて複数回にわたり解説します。その1では、PFOS・PFOAの米国の飲料水新基準値案に焦点をあてて解説します。有害性評価ではワクチン抗体価の減少というあまり見なれないエンドポイントを採用しています。

これは実際の病気の発生ではなく、それより前の段階である抗体価の減少を見ています。この許容量を超えても病気になるというわけではないため、死亡率、損失余命、DALYなどへの換算が不可能です。実際の悪影響との関連がわかる評価が必要になるでしょう。

発がん性物質の取り扱いも厄介なものの一つです。除草剤グリホサートの例が良く知られていますが、発がん性があるかないかで延々と禅問答がなされ、「発がん性=キケン」という考え方から抜け出せません。むしろ、もしも発がん性があったとしたらどのようなリスクか、という計算をして、上記のリスクを俯瞰するアプローチに含めたほうがわかりやすくなります。

分野によるリスク評価・管理のやり方もバラバラです。これもコミュニケーションを大きく困難にしている要素の一つです。

例えば、農薬の場合は許容量を動物実験などから科学的に決定しますが、残留基準値は許容量から換算するのではなくALARAの原則的に決まります。この辺は誤解されやすいところで、コミュニケーションしにくいやり方だと思います。許容量から換算するほうが納得しやすいでしょう。

反対に、食品中放射性物質の規制については、許容量自体がALARAの原則的に決まり(緊急事態には許容量が上がる)、食品中基準値は許容量から換算して決まります。農薬とは許容量と基準値の決まり方が逆になっています。このような個別分野における局所最適化はリスコミの観点から改善が必要だと思います。

リスクコミュニケーションの総合調整役の消費者庁は何をやっているのか

このような時代の中、リスクコミュニケーションの総合調整役の消費者庁が何をやっているのかいまいち見えにくいので、ここで整理してみましょう。

消費者庁の役割は以下の資料にまとまっています。「食品の安全性の確保に関する消費者、事業者、行政(中央省庁、地方自治体)など、関係者相互の情報及び意見交換」と書かれています。

食品安全委員会:食品の安全を守る仕組みと 消費者庁の役割
https://www.fsc.go.jp/fsciis/attachedFile/download?retrievalId=kai20170627ik1&fileId=020

さらに、これまでの取り組みと今後の方向性をまとめた「食品に関するリスクコミュニケーション研究会報告書」を2017年に公表しています。

食品に関するリスクコミュニケーション研究会報告書
https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11062778/www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_safety/food_safety/risk_commu_workshop/

これまでの実績としては
・リスクコミュニケーション担当者会議
・食品中の放射性物質に関するリスクコミュニケーションを補助する取り組み
・リスクコミュニケーションの実施
・地方公共団体等が行うリスクコミュニケーションの支援
・リスクコミュニケーターの養成
などがあります。全般的に放射性物質に偏っている感じはあります。

リスクコミュニケーションの実施については以下のページがあり、基本的に講演会形式で行われています。

食品に関するリスクコミュニケーション | 消費者庁

ただし、開催したということのみが実績となっており、評価がされているのかどうかはわかりませんでした。リスコミがうまくいったかどうかを評価し、評価と改善を繰り返すことが重要です。これは本ブログの過去記事で詳しく書いています。

リスクコミュニケーションの成功・失敗とは何か?その1:WEBによる情報発信の効果の測定方法
リスクコミュニケーションが成功した・失敗したなどと語られることがありますが、何をもって成功・失敗と言うのでしょうか?WEBによる情報発信を例にして、計測によってその効果を評価する方法を紹介します。ユーザーによる評価、A/Bテストによる表現方法の違いの評価、SNSを用いた情報発信後の反応を計測する方法を活用します。
リスクコミュニケーションの成功・失敗とは何か?その2:リスコミのプロセスの評価方法
リスクコミュニケーションが成功した・失敗したなどと語られることがありますが、何をもって成功・失敗と言うのでしょうか?計測結果と目標を比較するだけでなく、改善を繰り返すサイクルがうまく回っているか、というプロセスを評価することも重要です。(1)目的設定、(2)情報の受け手の調査、(3)双方向性の確保、(4)リスコミが継続される仕組みの構築、(5)計測結果に基づく改善を繰り返す仕組みの構築、が評価軸になります。

リスクコミュニケーター研修については以下の資料に説明があります。3時間半の研修後に実践活動を行い、その後2時間半のフォローアップ研修を行うものです。対象者は「消費者及び地域の方々と直接接する消費生活相談員、消費生活アドバイザー、保健士、栄養士、保育士、学校給食関係者、その他、食品中の放射性物質に関する知見の普及に意欲を持つ方々」となっています。

平成25年度のコミュニケーター養成研修の概要
https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9551460/www.caa.go.jp/safety/pdf/131011kouhyou_3.pdf

また、今後の取り組みの方向性として「ITを活用したリスクコミュニケーション」がありました。報道などで特定のリスク要因について取り上げられた際にSNSで情報提供するそうです。ただ、Xの消費者庁のアカウントは典型的な広報アカウントで、積極的にリスクコミュニケーションを行っている様子はありませんでした。SNSでの活動はぜひ強化してほしいところです。

まとめ:リスコミがボトルネックになってきた

リスコミの主戦場がSNSになる中で、行政は有効なSNS対策を打ち出せていない状況であり、今後はAIなどの活用が必要になるでしょう。また、リスコミしやすいかどうかという観点でのリスク評価・リスク管理方法を考えていく必要もあります。さらに、リスコミの取り組みには評価に基づく改善を繰り返すサイクルも重要です。

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