要約
政府に外部有識者として呼ばれている人たちの中に専門家ではない人が混ざりますが、知識を生み出す能力と知識を統合して社会に応用する能力は別物であり、査読論文や被引用数は前者の能力の指標にしかなりません。後者の能力をどのように判断するかを考えてみました。
本文:政府の外部有識者の選定基準
今回は久しぶりに科学と政治ネタで書きたいと思います。専門家が政策に関与することはコロナウイルス対策でもそれ以外でもよくあることですが、政府はどのようにして関与する専門家を選んでいるのでしょうか?
この人よくテレビで偉そうに解説していて、政府の有識者会議のメンバーにもなっているようだけど、本当に専門家なの?まともな人かどうかどのように見分けるの?
いくつか例を挙げてみましょう。
以下は、アナウンサーが政府の委員に「子育て経験がある」という理由で選定された記事です。
News ポストセブン:中野美奈子アナに浮上する「政界進出」の可能性 「こども未来戦略会議」委員起用で注目集まる今後
中野アナは現在、故郷の香川県で子育てをしながらフリーアナとして活動しており、子育ての現場を知る当事者として民間委員に起用されました
(中略)
「金銭的に裕福な家庭の意見なんてなんの参考になるの?」
また、以下の動画では農水省の官僚が芸能人に有機農業の魅力について教えを乞うています。健康や美容にも良いなどと全く根拠のない話を「個人の見解です」などの言い訳とともに晒しています(私個人の見解は補足にある過去記事にまとめています)。
農林水産省インタビュー「有機農産物・農業の魅力」を公開しました
有機農業は良いことしかないって思います。健康、美容、そして環境にも優しい(個人の見解です)、ということは精神的にも優しいんですよ。
最近話題の人と言えば三浦瑠璃さんも(wikipedia情報ですが)いろいろな政府の有識者として活動しているようです:
内閣総理大臣主宰「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員(2018年8月 - 12月) 内閣府特命担当大臣(経済財政政策)主宰「国際政治経済懇談会」委員(2020年6月 - 2021年9月) 内閣総理大臣主催「未来投資会議」民間議員(2020年7月 - 9月) 内閣官房長官主催「成長戦略会議」民間議員(2020年10月 - 2021年10月) 厚生労働省主催「コロナ禍の雇用・女性支援プロジェクトチーム」委員(2021年2月 - 6月)三浦瑠麗 - Wikipedia
さらには最近岸田首相の脳波を測定してあれこれ言っている脳科学者の中野信子さんも政府の「教育未来創造会議」有識者委員に就任したとありますね。
この人たちは本物の専門家ではない。査読付き論文(事前に内容について科学的に審査を受けてそれをクリアした論文)が全然ない。査読論文をたくさん書いていて、それがたくさん引用されている人を選ぶべきだ!
このような意見もよく見かけるようになりました。私も上記のような人選が良いとは思いませんが、だからといって論文数や被引用数で選ぶようなやり方にも否定的な考えを持っています。
知識を生み出す能力と知識を統合して社会に応用する能力は別物です。査読論文や被引用数、はてはノーベル賞をとったとか、そういうことは前者の能力を表す指標にはなりますが、後者の能力の指標にはなりません。
本記事では、知識を生み出す能力の指標とは何か、なぜ学者として優秀な人が政策アドバイザーとして活躍できないのか?、では知識を社会に応用する能力をどのように判断するか?の順でまとめていきます。
知識を生み出す能力の指標
専門家の選定の基準としてよく見かけるのはその分野の査読論文があるかどうかです。さらには論文数だけではなくて、被引用数を見なければいけないなどと主張する人もいます。以下では物理学分野での累積被引用数の具体的な目安まで書かれていますね:
0本: 普通の人
https://twitter.com/takuyakitagawa/status/1629322884765331456
1本: 博士学生
10本: 優秀な学生
100本: 駆け出し研究者、助教
1000本: 学者、教授
1万本: すごい教授
10万本:業界の伝説
被引用数をさらに加工したh-indexという指標もあります。
例えば、生命科学分野においては25-30が研究者として優れた業績の目安とされることがあります。また、2005年までの20年間のノーベル物理学賞受賞者の平均値は40程度と言われています。
https://www.soubun.com/journal/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%80%85%E3%81%AE%E8%B2%A2%E7%8C%AE%E5%BA%A6%E3%82%92%E7%A4%BA%E3%81%99%E3%80%8Ch-index%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%AA%BF%E3%81%B9%E6%96%B9%E3%81%A8%E7%9B%AE%E5%AE%89/
h-indexを教授、准教授、助教など教員の能力判定の指標のひとつとする大学もあるようです。
あとは「ノーベル賞学者の〇〇さんがこう言っている」などの話もよく持ち出されます。「ノーベル賞をとった人の意見は正しい」ということなのでしょう。
朝日新聞:世界のノーベル賞受賞者61人「憂慮を共有」 日本学術会議問題巡り
被引用数やh-indexはGoogle scholarで簡単に調べられますので、何人か見ていきましょう。例えばコロナウイルス対策では、西浦博氏は被引用数23233・h-index65であり、まだ40代でこの数字はとんでもなく高い数字です。ツイッターで有名な岩田健太郎氏も被引用数6128・h-index39と、こちらも非常に優秀な学者であることがわかります。
一方で、コロナ分科会会長である尾身茂氏はデータがありません。では尾身氏よりも西浦氏や岩田氏のほうが分科会会長として優れているのか、というとそういうことではないと思います。科学と政策のつなぎ役としては適任であったでしょう。
冒頭に挙げた国際政治学者の三浦氏や脳科学者の中野氏もデータがありません。一方で実績に疑問が投げかけられている落合陽一氏などは引用数1685・h-index20であり、まだ30代でこの業績は見事なものだと思います。
ところでこのような数字は結構ハックできるものであり、リスクの分野でいえば
・流行りものに乗っかる
・危険をあおる
などによって「稼ぐ」ことができます。
環境科学ではこのような傾向が非常に強いことは過去記事にも書きました。
これも過去記事で書いた内容ですが、グリホサートの発がん性を示したメタアナリシス論文は261回引用されている一方で、発がん性を示すメタアナリシスの欠点を指摘した論文は21回しか引用されていません(引用数は2023年4月にGoogle scholarで調査)。
なぜ学者として優秀な人が政策アドバイザーとして活躍できないのか?
次になぜ学者として優秀な人がアドバイザーとして活躍できないのか?について考えてみます。
専門家と言えども少しでも専門が違えば全くの素人なのですが、一つの分野で専門家として確立した人は成功体験も大きいため、このことに無頓着な人が多いです。自分は科学的思考能力が優れているので分野外のことでも正しく判断できる、と考えてしまいがちなのですね。「科学的思考能力」は重要ではありますが、ここに自信を持ちすぎると分野外の専門知識を過小評価してしまいます。
以下の図は過去記事に掲載したものですが、コロナウイルス対策一つとっても、感染症の専門家がこのすべてをカバーすることなど到底不可能です。自分のカバーできる範囲をきちんと認識し、そこから外れることは他の専門家を尊重する態度が必要です。
一流の研究業績を持つ方がいざ政策のことなどを語りだすと突然トンチンカンなことを言い出すのは、「その分野の専門家」は「政策の専門家」ではないからです。そして「専門家の話を聞け」という人ほど他分野の専門家の話を聞かない傾向があるのが困りものです。
これも以前の記事で取り上げた内容ですが、コロナ禍での東京オリンピックを延期すべきという専門家(上記の岩田氏)の意見の理由が「コロナ禍でやってもつまらないから」であり、これは価値判断の領域であって「感染症の専門家」が判断することではないのです。
また、成功体験の大きい人はそれに見合った承認欲求もあるため「なぜ俺の言うことを聞いてくれないのか?」と感情をこじらせてしまいます。承認欲求による「感情のこじらせ」も結構厄介なものであり、まともな学者だった人が突然非科学的なことを主張しだす、いわゆる「闇落ち」の原因ともなります。
学者ではない一般の人(政治家や官僚等も含む)を見下す専門家も多いです。政府側も最初から馬鹿にしてくる人と一緒に仕事をしたいとは思わないですね。研究者はとにかく教えたがりが多く、相手の状況や希望を聞く前にいきなり相手の間違いを指摘して「私が正しい知識を教えて進ぜよう」と聞いてもいないことをいろいろ教えようとしますね。
結局こういう態度をとる専門家は、本当に問題解決をしたいわけではなく、単に知識を披露したい・マウンティングをとりたい・承認欲求を満たしたい・政府にモノ申して溜飲を下げたい、だけだったりするのです。このような人から有益なアドバイスは得られません。
さらに、政策の意思決定の場面では科学的なデータが十分得られない状況でとりあえず何かを決めなければいけない場面がほとんどで、そのような状況では専門家の間でも意見が大きく分かれます。
このような断片的な事実から政策の意思決定をするにはある意味「作法」と呼べるものが必要となります。このような作法はアカデミックな世界では必要とされず、ほとんどの専門家はこの訓練を積んでいません。つまりはレギュラトリーサイエンスという新たな分野の素養が必要になるのです。これも詳しくは過去記事に書いています。
では知識を社会に応用する能力をどのように判断するか?
では、知識を社会に応用する能力は何で判断するべきなのでしょうか?上記の逆を考えれば良いわけですね。
・ドメイン知識(分野特有の知識)がある
例えばコロナウイルス対策などで、経済学者がコロナに関するデータをパパっと分析してなにかモノを言おうと思っても、ドメイン知識がないのでわりと的を外しがちだったりするのはその分野(この場合感染症)特有の知識がないためだったりします。
査読論文の有無や被引用数は関係ないといいつつも、さすがにドメイン知識のない素人では無理があります。経済学者であっても医療・公衆衛生分野の経済分析をしている人など、両分野にまたがる知識があると良いでしょう。
・問題にどっぷりとコミットする意思がある
流行りものの研究テーマにささっと手を出し数年でまた次の流行りのテーマに移る、を繰り返す人は外野から文句を言うだけになりがちです。逆に、ある社会問題にどっぷり浸かる覚悟がある人は問題解決への真剣度合いが違います。
・自分の専門家としての立ち位置を含む問題の全体像を描ける
上記でコロナウイルス対策の専門家とは?という図を出しましたが、政策がカバーするべき全体像を描き、その中で自分がカバーできる部分がどこなのかを示すことができる人は適任だと思います。自分の専門性の限界を知っているとも言い換えられます。狭い学問分野の中で一流の業績を持っていても、その知見が外の世界でどこまで通用するかがわからないことが多いのです。
逆に「俺は専門家だぞ!俺の言うことを聞け!」みたいなことしか言えない人はその部分に無頓着なため、場をかき乱すだけになるでしょう。
・問題解決には専門性だけでは不十分であることを理解している
政策とは実務ですから、科学的な理想論が通用しないことが多々あります。その実務の中で何がボトルネックかを理解していないと意味のあるアドバイスができません。過去記事において、リスクコミュニケーションやデジタル化の例を取り上げ、最大のボトルネックは専門性ではなく組織にまつわるところにある、ということを書きました。対象となる組織のことをよくわかっていない人が外部から物申すだけでは変化は起こりにくいのです。
・断片的なファクトを意思決定につなげる作法を理解し、作ることができる
断片的なファクトを意思決定につなげる作法がわかっていないと、ファクトの隙間の部分をそれぞれが勝手なやり方で埋めてしまうので、その埋め方の作法を作って関係者間で合意するところから始めないといけません。EBPMで一番足りていないのはこの部分だと思います。
まとめ:政府の外部有識者の選定基準
政府の外部有識者の選定基準として、査読論文やその被引用数を指標とするべきという意見があります。ところが、知識を生み出す能力と知識を統合して社会に応用する能力は別物であり、査読論文や被引用数は前者の能力の指標にしかなりません。
後者の能力をどのように判断するかについて、以下のようにまとめられます:
・ドメイン知識がある
・問題にどっぷりとコミットする意思がある
・自分の専門家としての立ち位置を含む問題の全体像を描ける
・問題解決には専門性だけでは不十分であることを理解している
・断片的なファクトを意思決定につなげる作法を理解し、作ることができる
補足
有機農業に関する見解:
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