リスク評価はファクトではない~断片的なファクトから問題解決につなげる作法~

fact2 リスクガバナンス

要約

リスク評価はファクトではなく、むしろ「ファクトがわかってからでは遅すぎる」という問題に対応するための作法と言えます。断片的なファクトを最大限有効に活用して、知見が欠けている部分は推定や仮定を置いて穴埋めし、政策などの意思決定の根拠として活用できるようにしたものです。

本文:リスク評価はファクトではない

今回はまず、「農業法人トゥリーアンドノーフ」が運営するYouTubeチャンネルの動画にゲスト出演したことを報告します。

YouTube:ネオニコチノイド+マイクロプラスチックのリスクを農業家はどう考えるべきか

これまでのYouTube動画では見たことのないような、結構ガチにリスク学な動画になっていますので、ぜひご覧ください。私が話している内容は本ブログの以下の記事がベースとなっています。

オランダの政策評価書から明らかになったネオニコチノイド系殺虫剤禁止後のリスクトレードオフ
欧州でネオニコチノイド系殺虫剤が規制されましたが、その後のリスク低減効果について、オランダが公表した政策評価書の内容を紹介します。規制の当初から指摘されていたこと(ネオニコチノイド系殺虫剤を禁止しても他の農薬に切り替えるだけでリスクは減らない)が現実になったことが明らかとなっています。
マイクロプラスチック問題その3:被覆肥料カプセルの問題はリスクの問題ではない
被覆肥料のプラスチックカプセルの問題について、リスクの視点から全体像を整理しました。被覆肥料由来のマイクロプラスチックの排出は全体の1%以下であり、マイクロプラスチックの生態リスクは現状で懸念レベル以下であることから、リスクの問題というよりはごみ問題として考えるべきです。

動画では、この二つの話題の後に、リスク評価、レギュラトリーサイエンス、安全などについても語っています。

農業法人トゥリーアンドノーフが運営するYouTubeチャンネルではこれまでに「グリホサートの真実とは」などのテーマで知識の普及に努められています。

https://www.youtube.com/watch?v=Kmq0jquRmo8

このような活動は大変素晴らしいものだと思います。ただ、見ている中で「ファクト(真実)」と「リスク評価」の関係は誤解されやすいものだと感じました。例えば、この動画を解説した以下のサイトでは、
・本物の科学以外に「偽科学」「未科学」がある
・グリホサートに発がん性がないというのは、科学的に揺るぎない事実であると言える
などの表現が出てきて、リスクを扱う上ではちょっと危ういなあと思います。

https://agrifact.jp/glyphosate-unscience-and-pseudoscience-what-truth-about-glyphosate6/

実のところリスク評価は「ファクト」ではないのです。発がん性の有無を判定する評価もしかりです。リスク評価というのは不確実なものをどう扱うかというアプローチの一つなので、ファクトにこだわるという姿勢を超える必要があり、純粋に科学的なものとは少し違います。そして、科学の世界で完結するものではなく社会とのつながりから逃れることができないものなのです。

そこで今回の記事では、「リスク評価はファクトではない」ということについて掘り下げて書いてみることにします。まず、ファクトがわかってからでは遅すぎる問題について説明し、次にリスク評価の有害性評価と曝露評価におけるファクト以外の部分について説明していきます。

ファクトがわかってからでは遅すぎるという問題

まず、かつての公害問題のような話と、現在の化学物質のリスクの違いを考えてみます。公害問題では水俣病など被害が目に見える形で出てきており、症状が特徴的であるため原因のメチル水銀との因果関係も明確です。

それに対して現在の化学物質のリスクは目に見えるような影響があるわけではなく、いろんな断片的事実を組み合わせて影響があるかもしれないという推測をしているものになります。また、ただちに影響はなくても将来的に何か影響があるかもしれない、という可能性もあります。目に見えないゆえにいろんな言説が出てきて、不安ばかりが高まります。一方で発見されずに放置されているリスクもいろいろあるでしょう。

さらに重要なことは、「明らかな影響がわかってからでは(ファクトが得られてからでは)遅すぎる」という問題です。公害では影響が明らかになってから対策がなされましたが、現在のリスク管理は未然防止が求められます。動物実験などの断片的な情報からリスク評価を行い、それに基づいて対策を決める必要があります。このことを図にすると以下のようになります。

fact

一般的なイメージでいうと、しっかりとした科学的ファクトが得られてからそれを社会問題に適用する(政策などを決める)という上段の順番が思い浮かぶでしょう。ところが、現実は断片的なファクトをもとに規制や政策などを決める必要があります。

その間を何とかして埋めないといけないわけですが、この間にはある意味「作法」というのが存在します。この作法がないと、断片的な情報からそれぞれが勝手なことを言いたい放題で、危険だから禁止派とたいしたことないから現状維持派で論争が起こります。最終的には誰かの「お気持ち」をもとになんとなくで物事が決まってしまいます。

リスク評価もこの作法のうちの一つです。断片的な知識を最大限活用し、知識が不足している部分はなんらかの推定によって埋めていきます。知識が不足しているから何を言っても良いのではなく、こういう場合はこうするという決められたガイダンスに沿ってリスク評価を行うことで、一貫性を保つことができます。

通常「専門家」と呼ばれる人たちは、基本的にファクトを追及する部分の専門家であり、断片的なファクト政策につなげる部分の専門家ではありません。なので、専門家の発言であったとしても、ファクトの部分から外れた話には注意したほうがよいでしょう(感染症の専門家が政策について語っていたりとか。。)。

「リスク評価はファクトではない」有害性評価編

化学物質のリスク評価におけるファクト以外の部分とは一体何かについてさらに詳しく説明します。

まずは有害性の評価の方からです。人体実験はできないためマウスやラットなどの動物実験の結果をヒトに読み替えることが通常です(種間外挿という)。動物実験で得られた無影響量(体重あたりの用量)をベースに種差の不確実係数などを適用したりします。この場合、ヒトは実験動物よりも10倍感受性が高いという仮定(=ファクトではない)を置くことになります。

これに加えて、化学物質に強い人もいれば弱い人もいますがこの個体差の情報もわかりません(動物実験では遺伝的におなじ系統の個体のみを使います)。この個体差に関しても個体差の不確実係数等を適用します。他にも高用量で見られた有害性が低用量でどうなるか(影響率が低すぎて動物実験では影響が検出できない)を推定したりもします(低用量外挿という)。

不確実係数の適用では、わからないときは安全側に考えよう(リスクを大きめに見積もるようにしよう)というある意味価値判断が入ってきます。これは科学というよりもむしろ政策的な考え方です。不確実係数が安全係数とも呼ばれるのはこういう理由からです。リスク評価が科学の世界だけで閉じるものではなく、社会とのつながりから逃れられない、というのはこういうことを意味します。

よって、使う実験データ自体(=ファクト)が同じでも、どの程度の安全側に考えるかでリスク評価は大きく変わってきます。これは評価の目的次第といえるでしょう。安全側の規制をかけたい場合には安全係数を適用すべきですし、リスクとリスクの比較が目的である場合には安全係数をかけすぎて実態とかけ離れてしまっては意味がありません。

発がん性の評価なども、こうこうこういう試験をクリアしたものを「発がん性がないということにしましょう」という専門家間の合意によるものです。「ある」ことの証明はできるが「ない」ことの証明はできない、というのが通常の科学的考え方です。なので一定のルールを作ってそれに沿って評価する必要があります。こういうことを知っていれば「グリホサートに発がん性がないというのは、科学的に揺るぎない事実であると言える」という言い方はできないはずです。

「リスク評価はファクトではない」曝露評価編

次に曝露評価の方に移ります。化学物質の環境中濃度を測定して、水なら一日に大人が2L飲む、大気なら一日に15000Lの空気を吸うという仮定を置いて、化学物質の一日摂取量を推定します。もちろん個人差があるはずですが、そこはざっくりと仮定を置いてしまうのです。より詳細には個人差を確率分布として扱うような方法もあります。

環境中濃度も全国くまなく測定することは現実的に不可能なので、数理モデルを用いて地域分布を推定したりします。これもファクトではなく予測値ですが、実測値を使って比較・検証したりすることでなるべく実測値を有効活用します。

数理モデルによる環境中濃度の予測には環境への排出量の入力が不可欠です。これもPRTRデータなどの情報があればよいですが、ない場合には推定が必要です。冒頭で紹介したYouTueb動画の中では、被覆肥料由来のマイクロプラスチック排出量をざっくりと推定しています。その中では、その他プラスチックの排出量を育苗トレイ、ポット、被覆肥料に3等分したりなど、かなりざっくりとした仮定に基づいていたりします。そして最終的には大きめに見積もった値と実態調査による値とで幅を持たせています。不確実性を幅で表現したりするのはよく使うやり方です。

こういうふうに書いていくと、リスク評価ってずいぶんいい加減なものに見えるかもしれません。ところが、リスク評価によって全体像を示すことで、断片的なファクトだけでは見えてこないものが見えてくるようになる、ということはたくさんあるのです。つまり、断片的なファクトしかない場合の判断の根拠として役に立つのです。

以上で説明してきたような、「作法」を伴う新しい科学をレギュラトリーサイエンスと呼びます。「本物の科学」と「偽科学」の二種類だけがあるわけではなく、科学と政策をつなぐレギュラトリーサイエンスという科学もあることをもっと知っていただきたいと思います。

本ブログでレギュラトリーサイエンスについて解説した以下の記事は非常に人気のある記事です。コロナ感染予防において安全な距離はどのくらいかという知見があまりない中で、ソーシャルディスタンスの距離をとりあえず決めなければいけなかった事例を取り上げています。

何メートル離れれば安全なのか?ソーシャルディスタンスのからくり
ソーシャルディスタンスの距離は、ニュージーランドとイギリスで2m、米国では1.8m、オーストラリアで1.5m、シンガポールで1mです。日本ではマスクなしで2m、マスクありで1mです。この差は科学的な根拠に基づくものではなく、それぞれ科学と現実の狭間から生まれたものであろうと推測されます。

まとめ:リスク評価はファクトではない

リスク評価とは、断片的なファクトを最大限有効に活用して、知見が欠けている部分は推定やざっくりとした仮定を置いて穴埋めし、政策などの意思決定の根拠として有効活用できるような形に整えたものです。「ファクトがわかってからでは遅すぎる」という問題に対応するには絶対に必要な考え方です。つまりリスク評価とは「ファクト」ではありませんが役に立つものです。

次回はこの続きとして、ファクトを追及するアカデミックな科学の考え方とレギュラトリーサイエンスの考え方の違いについて、具体的な事例を挙げながら説明していく予定です。

リスク評価はファクトではないその2~純粋科学とレギュラトリーサイエンスの考え方の違い~
日焼け止めで淡水生態系は致命的な影響を受けるのか?というテーマから、ファクトを追及することを目的とする純粋科学と、意思決定の判断材料を提示することを目的とするレギュラトリーサイエンスの考え方の違いを解説します。例えば純粋科学では日焼け止め成分をミジンコに曝露させたら死んだというファクトを重視しますが、レギュラトリーサイエンスではミジンコに対する無影響レベルはどれくらいかを重視します。

補足

中西準子 (2004) 環境リスク学―不安の海の羅針盤. 日本評論社

環境リスク学―不安の海の羅針盤
環境リスク学―不安の海の羅針盤

ファクトにこだわり続けた研究者が予測を主とするリスク評価に軸足を移すまでの物語です(実話)。リスク学の分野ではあまりに有名な物語ですが、発売から20年近くも経っており、この辺の話も知らない人がだいぶ増えてきたのではないかと思います。内容は20年たっても全く色あせることなく、リスク学の必読本としてあり続けています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました