コロナウイルスのリスクガバナンスにおける科学と政治その7:オリンピックの開催是非は専門家が判断することなのか?

olympic リスクガバナンス

要約

オリンピックの開催などをめぐって科学vs政治の対立構造があおられていますが、科学と政治の間に位置づくレギュラトリーサイエンスの観点が重要です。専門家がリスク管理に踏み込むのは緊急事態であることを考えれば仕方ありませんが、これが標準的なやり方ではありません。リスク評価の限界やリスクが許容可能かどうかの議論の必要性などの論点を整理します。

本文:オリンピックの開催是非は専門家が判断することか?

コロナ対策やオリンピックについては日々情報が更新され、日々大きな動きがあります。この記事は2021年6月15日現在の情報に基づいて書かれていることをご了承ください。

前回の記事では、オリンピック開催の是非をめぐる世論の時系列変化をソーシャルリスニングの手法を用いてざっくりと解析してみました。その結果、人々はオリンピック開催に伴うリスクを判断しているというよりも、その時の感染状況をオリンピックのリスクに置き換えて判断している、という傾向が見えてきました。

オリンピック賛成・反対の世論の変化はその時点の感染状況の推移と関係している
Google Trends、YAHOO知恵袋、ツイッターの3つのツールを用いて、オリンピック中止か開催かの人々の気持ちの変化を探ってみました。人々はオリンピック開催に伴うリスクを判断しているというよりも、その時の感染状況をオリンピックのリスクに置き換えて判断している、という傾向がわかりました。

そして、オリンピック開催の是非の主戦場はやはり政治と科学の関係のところになるでしょう。今回の記事ではその関係について整理していきます。まず最近の動向として、コロナ分科会座長の尾身氏が独自にオリンピックについて提言を出すという方針を示しました。それに対して田村厚生労働大臣が「自主研究の発表」と扱う発言をして、ニュースとなりました。 

朝日新聞:尾身氏見解は「自主研究の発表」田村大臣、非公式の認識

尾身氏見解は「自主研究の発表」田村大臣、非公式の認識:朝日新聞デジタル
東京五輪・パラリンピック開催に伴う新型コロナウイルスの感染拡大リスクをめぐり、政府対策分科会の尾身茂会長が考え方を示す方針を明らかにしていることについて、田村憲久厚生労働相は4日の閣議後会見で「自主…

尾身氏による「今の状況で(オリンピックをやるのは)普通はない」や「そもそもこのオリンピック。今回この状況の中で一体何のためにやるのか」という発言が切り取られたりして、マスコミは政府と専門家の対立をあおっているようにも見えます。その結果、「尾身氏の発言は越権行為!」といった批判や、逆に「政府は科学者の言うことを聞け!」といった批判など、荒れ模様が増してきています

尾身会長の“五輪発言” 「政権との対立構図」報道は果たして的確だったのか?

Yahoo!ニュース
Yahoo!ニュースは、新聞・通信社が配信するニュースのほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載しています。

 文字情報では「“尾身の乱”!? 政府と分科会に溝」と強調し、アナウンサーが「そんななかワクチンが切り札と言われている東京オリンピック、開幕まで50日を切りましたが、その開催をめぐって、今週、政府と分科会の尾身会長との間に溝が。『尾身の乱』、勃発です」などと伝えた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3fb90da0cd7f633ab32e9ecadef305a5f4fa74b5?page=1

ここでもやはり「科学と政治」という二分法での対立構造となっており、両者の橋渡しをする「レギュラトリーサイエンス」という観点で語られることはまずありません。これについては過去記事に詳しく書きましたので、そちらを参照してください。

コロナウイルスのリスクガバナンスにおける科学と政治その4:「科学と政治」の二分式ではダメな理由
科学と政治の間にある純粋科学ではないものの正体はレギュラトリーサイエンスとして整理すると位置づけが明確になります。コロナウイルス対策では、発症後8日間で職場復帰、都道府県ごとの自粛緩和基準、ソーシャルディスタンス2m、37.5度以上が4日間続くときに相談、コロナ対策なしなら42万人死亡予測、などがレギュラトリーサイエンス的な要素です。このときどこまでが科学的ファクトでどこからが仮定に基づく推論なのかを明示することが重要です。

ここから以下、「レギュラトリーサイエンス」という観点からオリンピックのリスク評価、開催の条件、専門家組織の動きの順でまとめていきます。

オリンピックのリスク評価は純粋に科学の領域なのか?

科学者の仕事はリスク評価、行政・政治の仕事はリスク管理という「リスク評価・管理分離論」は基本的な考え方です。コロナ対策の文脈では「科学的な評価」という言葉もよく耳にします。

ここで、オリンピックのリスク評価は純粋に科学の領域なのか?という疑問をあえて出してみます。コロナウイルスのパンデミックは日々状況が変わり、そのリスクについても不確実性の非常に大きなものになっています。「純粋に」科学的な態度でリスク評価に臨むならば、不確実なことは「わからない」というのが真に誠実な態度になります

ところが、それでは何も決められません。わかっていることもまたたくさんあるわけなので、それらの知恵をまったく活用しないのは「もったいない」のです。そこで必要なのが「レギュラトリーサイエンス」という概念です。

すでにある科学的な知見をベースとして、知見のギャップがある(まだわかっていない部分がある)ところについては、さまざまな仮定や推論を置いてなんとか評価します。さらには、なるべく安全側の仮定を置いて、リスクを過小評価するよりも過大評価になるようにしたりもします。こういう判断はすでに価値判断の領域です。これを純粋に科学的な評価と呼ぶことはできないのです。

その価値判断の部分までも「専門家だけ」で決めても良いものなのでしょうか?良い場合もあるでしょうし、そうでない場合もあるでしょう。重要なのは市民の声に耳を傾け、どのような価値判断を望むのか、という調査をしておくことです。それをもとにリスク評価の価値判断の部分を専門家が議論すれば良いでしょう(市民が判断すべきということではありません)。

この辺は現在の公衆衛生や感染症の専門家のものの言い方に欠けている部分だと言えます。どこまでがファクトに基づくもので、どこからが仮定や推論に基づくものか、仮定はどのような考え方をベースに設定したか、などを明示することが重要です。

つまりはリスク評価の限界をしっかりと示すということです。こういうのは実は経済学者などのほうがしっかりしているのかもしれません。東京大学の藤井大輔氏と仲田泰祐氏らが「日本でのCovid-19と経済活動」というサイトを運営しており、感染拡大や経済影響のシミュレーションを公開しています。このサイトでは「免責事項」という部分にきちんとその有用性と限界について記載されています。こういうことを書いてくれるのは非常に貴重なことだと思います(シミュレーションの中身の正しさとはまったく別の話ですが)。

免責事項 | コロナ感染と経済活動

ちなみに彼らのシミュレーション結果では、海外からの入国による影響は限定的だが、国内の人流増加の影響が大きいという結果を発表しています。 

日本経済新聞:五輪入国「感染増は限定的」 無観客など人流抑制が必要 東大准教授ら推計

五輪入国「感染増は限定的」 無観客など人流抑制が必要 - 日本経済新聞
東京五輪・パラリンピックを開催して海外から選手らが入国しても「東京都の感染者増加は限定的」とする推計を東京大学の経済学者がまとめた。会場に向かう人出など国内の人流(人の流れ)が増える影響の方が圧倒的に大きく、「無観客開催など人流の抑制策が必要」と指摘した。推計したのは仲田泰祐准教...

オリンピックを「安全に」開催できる条件とは?

さて、リスク評価を行えばそれでオリンピックが開催可能かどうかが決まるのでしょうか?答えは「できません」になります。

科学は本来まだわかっていないことを明らかにするための道具であり、なにかを決めるための道具ではないのです。専門家はプロなのでなんでも判断できる、専門家がオリンピックの開催是非も判断すべき、というのはかなり危険な考え方と言えます。

例えば以下のニュース記事では、開催可能かどうかは「純粋に医学的な問題」だとしつつも、後のほうで盛り上がらないオリンピックはつまらないから延期すべき、と言っています。「つまらないから延期すべき」というのは完全に価値判断の領域であって、「感染症の専門家」が判断するようなことではありません。

BuzzFeedNewsワクチン接種と変異ウイルスのスピード勝負 感染症専門医が五輪を延期したほうがいいと考える理由

ワクチン接種と変異ウイルスのスピード勝負 感染症専門医が五輪を延期したほうがいいと考える理由
専門家からも懸念の声が上がる中、開催に突き進むコロナ禍の東京五輪。感染症専門医の岩田健太郎さんは「秋に延期した方がいい」と話します。その理由とは?

ここで安全の定義をもう一度思い出してみましょう。安全とは「許容できないリスクがないこと」であって、許容できるかどうかは専門家ではなく社会が決めることです。つまり、安全に開催できるかどうかは、主観的・価値判断的なものが入るので純粋に科学(医学)の問題ではないのです。安全の定義について、詳しくは本ブログの過去記事に書いています。

コロナウイルスとのたたかいは何をもって収束と言えるのか?都道府県独自基準のからくり
安全とは「許容できないリスクのないこと」と定義されるので、許容できないリスクの定義が必要です。コロナウイルス対策に関しては医療崩壊が起こることが許容できないリスクとみなされ、都道府県ごとに異なる状況にあわせて独自の基準が出されてきました。

リスク評価を行った後に、そのリスクを許容できるか否かの議論が必要になります。ところが、公衆衛生や感染症の専門家がこのような言い方をするのを見たことがありません。安全の線引きも俺らが決めるもの、と言わんばかりです。

ただ、上記の安全の定義の過去記事に書いたように、コロナ対策における「許容できないリスク」は医療崩壊が発生すること、というのが現在では広く共通認識として定着してきました。そういう意味ではオリンピック開催にあたり「許容できないリスク」の再設定は必要ないという状況になります。

専門家組織はどのように動いているか?

まずは新型インフルエンザ等対策推進会議の関連を見ていきます。

新型インフルエンザ等対策推進会議|内閣官房ホームページ
内閣官房,新型インフルエンザ等対策推進会議

基本的対処方針分科会は執筆時点で2021年6月10日開催が最新です。現在の緊急事態宣言の発出に関係するものです。オリンピックに関する議論は見あたりません。

コロナ分科会は執筆時点で2021年4月27日開催が最新です。ここでもオリンピックに関する議論は特に見あたりませんが、4月27日の議事は「今後のイベント開催制限等のあり方について」になっており、感染状況に応じたイベント開催制限等についての案が出されています。オリンピックとは書いていませんが、それを意識したものかもしれません。

資料として出されている図によると、緊急事態宣言下では無観客、まん延防止では5000人まで、それ以外は5000人または50%のうち大きいほうとなっています。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/taisakusuisin/bunkakai/dai3/gijisidai.pdf

コロナ対策の専門家組織の中心は、専門家会議(現コロナ分科会)から厚生労働省のアドバイザリーボード会合に移っていますので、そちらも見てみます。

新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの資料等(第31回~第45回)
新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの資料等(第31回~第45回)を掲載しています。

アドバイザリーボードは執筆時点で2021年6月9日の第38回が最新です。膨大な資料があるのですが、ここにもオリンピック開催のリスクのようなものは出てきませんでした。ここでの議論内容はニュースにもなっており、オリンピックの開催に関係なく、8月に再度緊急事態宣言級の感染拡大が起こる可能性が示されています

東京新聞:8月に東京で再宣言の恐れ、西浦教授ら分析 専門家「五輪でさらに増加」と懸念

8月に東京で再宣言の恐れ、西浦教授ら分析 専門家「五輪でさらに増加」と懸念:東京新聞 TOKYO Web
新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を今月20日で解除した場合、ワクチン接種が進んでいても東京では流行が再拡大し、8月に再び緊急事態宣...

つまり、現時点で専門家組織への諮問はなく、そして業を煮やしたのか冒頭にあったような尾身氏の独自提言の動きにつながっていくわけです。これはコロナ専門家会議の時にも同じようなことがありました。これが、まるで専門家会議が政策を決めているかのような誤解を与えたため、その反省をもとに現在の体制になっています

このような過去の経緯があり、尾身氏の発言・提言は現在が緊急事態であることを踏まえて、越権行為であることをわかっていてあえてやっていると思われます。今回のケースではブレーキ役が他にいないので、使命感を持ってやっているのでしょう。ただし、これがスタンダードな専門家のふるまい方ではないことに注意が必要です。

もう一つ付け加えるべきが、「東京2020大会における新型コロナウイルス感染症対策のための専門家ラウンドテーブル」です。これはオリンピック組織委員会に設置された専門家委員会です。2021年6月15日時点で2回の会議が開催されています。5月28に開催された会議内容は以下の資料で見ることができます。上記の東大・仲田氏によるシミュレーション結果も報告されていますね。
https://gtimg.tokyo2020.org/image/upload/production/omkfe27ikambud4tg8a3.pdf

まとめ:オリンピックの開催是非は専門家が判断することか?

「科学者がオリンピックの開催可否に口を出すのは越権行為!」あるいは「政府は科学者の言うことを聞け!」などの科学vs政治の対立構造があおられていますが、このような二分法で考えないほうが賢明です。

科学と政治の間に位置づくレギュラトリーサイエンスでは、科学的知見をベースとしながらも、不確実な部分を仮定や推論で埋め、時には価値判断を含めてリスク評価などを行います。これを「科学的」と強調しすぎるのは良いことではなく、その限界を明示することが重要です。

また、オリンピックを安全に開催できるかどうかは、リスク評価だけでなくそのリスクが許容できるか否かの社会的議論が必要になり、これは専門家だけで判断することではありません。

尾身氏をはじめとする感染症の専門家らによってオリンピック開催について独自の提言が準備されていますが、普通に考えればリスク評価と管理の分離の原則に照らして越権行為であることには間違いありません。今回の緊急事態という特殊な状況のもとであえて踏み外したと考えたほうが良いでしょう。

2021年6月28日追記:
公表された尾身提言についての内容についての記事を書きました。

東京オリンピック2021開催に関する尾身提言のからくり:リスク評価としての出来は不十分
オリンピック開催に関する尾身提言の内容についてリスク評価の観点から見ていきます。飲食などの人流の増加の程度に関しては根拠が乏しく、安全目標も不明確で、リスク評価に基づいたリスク管理になっていません。最も気になるのは「解決志向リスク評価」の視点が欠けている点です。

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