リスク評価はファクトではないその2~純粋科学とレギュラトリーサイエンスの考え方の違い~

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要約

日焼け止めで淡水生態系は致命的な影響を受けるのか?というテーマから、ファクトを追及することを目的とする純粋科学と、意思決定の判断材料を提示することを目的とするレギュラトリーサイエンスの考え方の違いを解説します。例えば純粋科学では日焼け止め成分をミジンコに曝露させたら死んだというファクトを重視しますが、レギュラトリーサイエンスではミジンコに対する無影響レベルはどれくらいかという推定を重視します。

本文:純粋科学とレギュラトリーサイエンスの考え方の違い

前回の記事では、ゲスト出演したYouTube動画の内容にからめて、「リスク評価はファクトではない」ということについて書きました。ファクトがわかってからでは遅すぎる問題について説明し、さらにリスク評価の有害性評価と曝露評価におけるファクト以外の部分について説明しました。

リスク評価はファクトではない~断片的なファクトから問題解決につなげる作法~
リスク評価はファクトではなく、むしろ「ファクトがわかってからでは遅すぎる」という問題に対応するための作法と言えます。断片的なファクトを最大限有効に活用して、知見が欠けている部分は推定や仮定を置いて穴埋めし、政策などの意思決定の根拠として活用できるようにしたものです。

今回も前回に引き続いて、YouTube動画の内容に関連したことを書きます。動画の最後の方ではファクトを追及することが目的である純粋科学的な考え方と、判断根拠を提示することを目的とするレギュラトリーサイエンスの考え方の違いについて解説しました。

本物の科学と偽科学という軸とはまた別の、純粋科学と政策をつなぐレギュラトリーサイエンスというものがあるのです。本ブログでレギュラトリーサイエンスについて解説したものとして、ソーシャルディスタンスを例にとった記事があります。

何メートル離れれば安全なのか?ソーシャルディスタンスのからくり
ソーシャルディスタンスの距離は、ニュージーランドとイギリスで2m、米国では1.8m、オーストラリアで1.5m、シンガポールで1mです。日本ではマスクなしで2m、マスクありで1mです。この差は科学的な根拠に基づくものではなく、それぞれ科学と現実の狭間から生まれたものであろうと推測されます。

今回取り上げる例は、すでに過去に記事にしたものですが、日焼け止めで淡水生態系は致命的な影響を受けるのか?という問題です。

日焼け止めで淡水生態系は致命的な影響を受けるのか?生態リスクを考える際のポイント
日焼け止め成分が海外で規制されるなど、生態系への影響が注目されています。「一般的な日焼け止め成分は淡水生態系にとって危険であることが判明」と題したニュースを例に、生態リスクを考える際のポイントを紹介します。

この中では「日焼け止め成分をオオミジンコに曝露させたら影響が出た」という内容の論文を取り上げました。このような研究内容を受けて、すぐに該当する日焼け止めは禁止、という方向につなげるのがレギュラトリーサイエンスという作法のない状態です。

本記事では、この記事で取り上げた論文から得られたファクトをベースに、純粋科学とレギュラトリーサイエンスの考え方の違いを解説します。「〇〇を生き物に曝露させたら死んだ!」、「△△を分析したら〇〇が検出された!」、「□□への影響は評価されていない!」などの科学的知見をレギュラトリーサイエンスではどのように扱うか、という順で解説していきます。

〇〇を生き物に曝露させたら死んだ!

「〇〇を生き物に曝露させたら死んだ!」という研究例は非常に多く、論文も大量にどんどん出てきます。それだけなら科学的ファクトが増えてよいことです。ところが、そこからレギュラトリーサイエンスという科学と政策をつなぐ作法を飛ばして政策に対して意見するようなことがあると、問題がおかしな方向に向かうことがあります。

ファクト:〇〇を生き物に曝露させたら死んだ!
(作法のない)意見:〇〇は危険なので禁止すべき!

実際に研究でどういうファクトが得られたかを整理すると以下のようになります。


・48時間の急性毒性試験での半数影響濃度(EC50):
オクトクリレン 30ug/L
オキシベンゾン 1200ug/L

・走光性応答障害がオクトクリレン2ug/L以上の濃度で見られ(ただし有意差なし)、200ug/Lで48時間の曝露後に生存率が低下

・21日間の慢性毒性試験では、オクトクリレン7.5ug/L、オキシベンゾン100ug/Lで生存率低下

https://nagaitakashi.net/blog/chemicals/sunscreen/

このファクトをもとに、論文中では「現実的な濃度で毒性を発現する」と書かれ(これが本当かどうかは以下で説明)、ニュースサイトでは「淡水生態系にとって危険であることが判明」、「淡水環境に生息する一部の生物にとって致命的である」となってしまいます。

一方で、レギュラトリーサイエンス考え方ではまず無影響レベルの推定を行います。以下の図のように、無影響とみなせる〇〇の濃度を推定し、その濃度以下になるよう管理しましょうという流れになります。

regulatory-science1

ただし前回の記事にも書きましたが、影響があることの証明は可能ですが影響がないことの証明は不可能であるため、無影響レベルはファクトというよりは推定値です。利用できるデータが増えればその分推定の不確実性は下がっていきます。

生態リスク評価の作法に従えば、急性毒性のEC50と慢性毒性の無影響濃度(NOEC)を定めます。この研究は無影響濃度を決定するような試験設計になっていないのが問題ですが、とりあえず以下のようにみなします。

急性毒性EC50:
・オキシベンゾン 1200ug/L
・オクトクレリン 30ug/L
慢性毒性NOEC:
・オキシベンゾン 2ug/L
・オクトクレリン 0.5ug/L

よって、環境中濃度がこれ以下になるように管理すればよいとなります。実際の生態リスク評価では他の生物種のデータも使いますし、さらに安全係数などを適用したりもします。

△△を分析したら〇〇が検出された!

「△△を分析したら〇〇が検出された!」という研究例はこれまた非常に多いです。これも、それだけなら科学的ファクトが増えてよいことだと言えます。ところが、やはりレギュラトリーサイエンスなしに政策に飛んでしまうことがよくあります。しかも先に説明した「〇〇を生き物に曝露させたら死んだ!」と組み合わせて使うことが多く、さらに威力を増します。

ファクト1:〇〇を生き物に曝露させたら死んだ!
ファクト2:△△を分析したら〇〇が検出された!
(作法のない)意見:〇〇は「非常に危険」なので禁止すべき!

日焼け止めの記事では日本国内の研究事例である2つの論文を取り上げました。実際に研究でどういうファクトが得られたかを整理すると以下のようになります。


徳島県と沖縄県の海水浴場で日曜日の日中(最も人出の多いとき)に検出された最大濃度は以下のとおり。

徳島県:
・オキシベンゾン 0.02ug/L
・オクトクリレン 0.3ug/L
沖縄県:
・オキシベンゾン 1.3ug/L
・オクトクリレン 0.08ug/L

https://nagaitakashi.net/blog/chemicals/sunscreen/

一方で、レギュラトリーサイエンスではこれを無影響レベルと比較してリスク評価を行うことを考えます。以下の図のように、検出された濃度と無影響レベルを比較して管理措置が必要かどうかを判断し、必要があれば無影響濃度以下になるよう管理しましょうという流れになります。

regulatory-science2

ただし上記の濃度は日中の最大濃度で、 その日の夜にはもう検出限界以下(<0.01ug/L)になります。一方で、毒性試験では試験期間になるべく濃度レベルを一定に保つよう努力しますので、このままでは比較ができません。試験期間(急性なら48時間、慢性なら21日間)における平均濃度がどれくらいかを推定する必要があります。

濃度の時間変動を考慮すれば、急性的な曝露濃度は(48時間の平均濃度に換算すると)最大検出濃度の1/3以下、さらに曜日による人出の差を考慮すれば慢性的な曝露濃度は(21日間の平均濃度に換算すると)最大検出濃度の1/10以下になっているはずです。

これらを踏まえて無毒性レベルと比較する環境中予測濃度(PEC)は以下のようにみなします。

急性PEC:
・オキシベンゾン 0.4ug/L
・オクトクリレン 0.1ug/L
慢性PEC:
・オキシベンゾン 0.13ug/L
・オクトクリレン 0.03ug/L

生態リスク評価では毒性値とPECを比較します。その結果は以下のとおり、すべてPECが毒性値よりも大幅に低く、影響が起こる可能性は低そうと判断されます。この結論は上記の(作法のない)意見とはかなり異なりますね。

急性のリスク評価:
・オキシベンゾン PEC 0.4 < EC50 1200
・オクトクリレン PEC 0.1 < EC50 30
慢性のリスク評価:
・オキシベンゾン PEC 0.13 < NOEC 2
・オクトクリレン PEC 0.03 < NOEC 0.5

□□への影響は評価されていない!

上で試験生物として用いられたオオミジンコは、生態影響試験の世界ではグローバルスタンダードになっている試験生物です。試験方法もOECDのテストガイドラインによって標準化されています。

このような標準的な生物以外の研究例ももちろんたくさんあります。日焼け止め成分ではサンゴへの影響がよく懸念されています。サンゴを対象とした研究を行って、それをもとに危険だと主張するものもあります。上記のオオミジンコ毒性試験の論文には、サンゴへの影響が2ug/L程度で発生するという論文が紹介されています。

ファクト:サンゴに〇〇を曝露させたら死んだ(が、リスク評価で活用されていない)!
(作法のない)主張:今すぐサンゴでリスク評価すべき

一方でレギュラトリーサイエンスでは、以下の図のようにまずは試験法の標準化を考えます。いうなれば、その試験結果って本当なの?妥当なの?とまずは疑ってかかるわけです。

regulatory-science3

標準化のプロセスでは、(誰でもできるというわけではありませんが)どこの試験機関でやってもそこそこ同様の結果が得られるような試験法を開発し、ガイドライン化します。また、試験生物が容易に入手でき、飼育・維持が容易な必要があります。さらに、試験のエンドポイントが生態学的に妥当であることも必要です(バイオマーカーや細胞レベルの試験ではないなど)。このような妥当性・再現性の担保が得られた状態でリスク評価に活用するという流れになります。

それでも、どこまでやってもすべての生物種での試験は不可能ですから、ある程度のデータから生態系全体の無影響濃度を推定する必要があります。このあたりの作法も詳細は省きますがいくつかの方法があります。

推定が入っているから役に立たないということではなく、現時点でのファクトを最大限有効に活用したリスク評価はその時点における判断の助けとなるものです。リスク評価を無視すれば(作法のない)お気持ちだけでいろいろ決まってしまう懸念があります。

重要なことはどこまでがファクトでどこからが推定なのかを明示すること、使った推定法、仮定、価値判断などを明示することです。これで誰でも計算のプロセスを追ってリスク評価ができるようになります。これを(ファクトではないが)客観性があるリスク評価と呼んでいます。もしも使っている仮定や価値判断に異論があれば、ベースとなるファクトは同じものを使い、推定などの部分は独自のやり方でリスク評価をすればよいのです。

まとめ:純粋科学とレギュラトリーサイエンスの考え方の違い

日焼け止めで淡水生態系は致命的な影響を受けるのか?というテーマから、純粋科学とレギュラトリーサイエンスの考え方の違いを解説しました。純粋科学で得られた「〇〇を生き物に曝露させたら死んだ!」、「△△を分析したら〇〇が検出された!」、「□□への影響は評価されていない!」などの知見から、レギュラトリーサイエンスでは「〇〇の無影響レベルを推定」、「検出濃度と無影響レベルと比較」、「試験の標準化」を行うことを考えます。

その3では、リスク評価の中にはさまざまな価値判断も含まれていることを解説しています。

リスク評価はファクトではないその3~リスク評価の中に潜む価値判断~
「リスク評価は専門家が行うものなので完全に科学的なもの」と言えるわけではなく、その中にはさまざまな価値判断も含まれています。特に「そもそも何を評価するか?」という部分には価値観が大きく反映されるので、専門家以外のかかわり方も重要になります。

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