政府の外部有識者の選定基準:知識を生み出す能力と知識を社会に応用する能力は異なる

meeting リスクガバナンス

要約

政府に外部有識者として呼ばれている人たちの中に専門家ではない人が混ざりますが、知識を生み出す能力と知識を統合して社会に応用する能力は別物であり、査読論文や被引用数は前者の能力の指標にしかなりません。後者の能力をどのように判断するかを考えてみました。

本文:政府の外部有識者の選定基準

今回は久しぶりに科学と政治ネタで書きたいと思います。専門家が政策に関与することはコロナウイルス対策でもそれ以外でもよくあることですが、政府はどのようにして関与する専門家を選んでいるのでしょうか?

この人よくテレビで偉そうに解説していて、政府の有識者会議のメンバーにもなっているようだけど、本当に専門家なの?まともな人かどうかどのように見分けるの?

いくつか例を挙げてみましょう。

以下は、アナウンサーが政府の委員に「子育て経験がある」という理由で選定された記事です。

News ポストセブン:中野美奈子アナに浮上する「政界進出」の可能性 「こども未来戦略会議」委員起用で注目集まる今後

中野美奈子アナに浮上する「政界進出」の可能性 「こども未来戦略会議」委員起用で注目集まる今後
岸田文雄首相が推進する“異次元の少子化対策”の一環として、政府は4月、「こども未来戦略会議」を新設。その第1回目の会合が7日に行われ、有識者委員として、経団連の十倉雅和会長、連合の芳…

中野アナは現在、故郷の香川県で子育てをしながらフリーアナとして活動しており、子育ての現場を知る当事者として民間委員に起用されました
(中略)
「金銭的に裕福な家庭の意見なんてなんの参考になるの?」

また、以下の動画では農水省の官僚が芸能人に有機農業の魅力について教えを乞うています。健康や美容にも良いなどと全く根拠のない話を「個人の見解です」などの言い訳とともに晒しています(私個人の見解は補足にある過去記事にまとめています)。

農林水産省インタビュー「有機農産物・農業の魅力」を公開しました

農林水産省インタビュー「有機農産物・農業の魅力」を公開しました
農林水産省インタビュー「有機農産物・農業の魅力」を公開しました。 アグリイノベーション大学校の卒業生でもある女優・モデルの高橋メアリージュンさんに「有機農産物・農業の魅力」に対するインタビューを実施しました。

有機農業は良いことしかないって思います。健康、美容、そして環境にも優しい(個人の見解です)、ということは精神的にも優しいんですよ。

最近話題の人と言えば三浦瑠璃さんも(wikipedia情報ですが)いろいろな政府の有識者として活動しているようです:

内閣総理大臣主宰「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員(2018年8月 - 12月)
内閣府特命担当大臣(経済財政政策)主宰「国際政治経済懇談会」委員(2020年6月 - 2021年9月)
内閣総理大臣主催「未来投資会議」民間議員(2020年7月 - 9月)
内閣官房長官主催「成長戦略会議」民間議員(2020年10月 - 2021年10月)
厚生労働省主催「コロナ禍の雇用・女性支援プロジェクトチーム」委員(2021年2月 - 6月)

三浦瑠麗 - Wikipedia

さらには最近岸田首相の脳波を測定してあれこれ言っている脳科学者の中野信子さんも政府の「教育未来創造会議」有識者委員に就任したとありますね。

岸田首相の脳波を測定してみたらヤバかった! | 文春オンライン
「異次元の少子化対策」「新しい資本主義」など、独自の政策を矢継ぎ早に打ち出した岸田文雄首相の支持率が上昇し始めている。 だが、強いメッセージ性やカリスマ性のない岸田首相には「何を考えているのかわかりに…
政府の「教育未来創造会議」有識者委員に中野信子客員教授が就任しました|大学情報のお知らせ|お知らせ | 京都芸術大学
京都芸術大学の公式webサイトです。大学の概要、学部・大学院、図書館・劇場、学生生活・就職、国際交流・学外連携などの情報や、入試・受験案内、展覧会情報などを掲載しています。

この人たちは本物の専門家ではない。査読付き論文(事前に内容について科学的に審査を受けてそれをクリアした論文)が全然ない。査読論文をたくさん書いていて、それがたくさん引用されている人を選ぶべきだ!

このような意見もよく見かけるようになりました。私も上記のような人選が良いとは思いませんが、だからといって論文数や被引用数で選ぶようなやり方にも否定的な考えを持っています

知識を生み出す能力と知識を統合して社会に応用する能力は別物です。査読論文や被引用数、はてはノーベル賞をとったとか、そういうことは前者の能力を表す指標にはなりますが、後者の能力の指標にはなりません。

本記事では、知識を生み出す能力の指標とは何か、なぜ学者として優秀な人が政策アドバイザーとして活躍できないのか?、では知識を社会に応用する能力をどのように判断するか?の順でまとめていきます。

知識を生み出す能力の指標

専門家の選定の基準としてよく見かけるのはその分野の査読論文があるかどうかです。さらには論文数だけではなくて、被引用数を見なければいけないなどと主張する人もいます。以下では物理学分野での累積被引用数の具体的な目安まで書かれていますね:

0本: 普通の人
1本: 博士学生
10本: 優秀な学生
100本: 駆け出し研究者、助教
1000本: 学者、教授
1万本: すごい教授
10万本:業界の伝説

https://twitter.com/takuyakitagawa/status/1629322884765331456

被引用数をさらに加工したh-indexという指標もあります。

例えば、生命科学分野においては25-30が研究者として優れた業績の目安とされることがあります。また、2005年までの20年間のノーベル物理学賞受賞者の平均値は40程度と言われています。
h-indexを教授、准教授、助教など教員の能力判定の指標のひとつとする大学もあるようです。

https://www.soubun.com/journal/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%80%85%E3%81%AE%E8%B2%A2%E7%8C%AE%E5%BA%A6%E3%82%92%E7%A4%BA%E3%81%99%E3%80%8Ch-index%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%AA%BF%E3%81%B9%E6%96%B9%E3%81%A8%E7%9B%AE%E5%AE%89/

あとは「ノーベル賞学者の〇〇さんがこう言っている」などの話もよく持ち出されます。「ノーベル賞をとった人の意見は正しい」ということなのでしょう。

朝日新聞:世界のノーベル賞受賞者61人「憂慮を共有」 日本学術会議問題巡り

世界のノーベル賞受賞者61人「憂慮を共有」 日本学術会議問題巡り:朝日新聞デジタル
政府が日本学術会議の組織改革の法案を通常国会に提出する方針について、日本のノーベル賞受賞者ら8人が連名で岸田文雄首相に対し「熟慮を求める」と2月に出した声明に対し、世界の自然科学系の61人のノーベル…

被引用数やh-indexはGoogle scholarで簡単に調べられますので、何人か見ていきましょう。例えばコロナウイルス対策では、西浦博氏は被引用数23233・h-index65であり、まだ40代でこの数字はとんでもなく高い数字です。ツイッターで有名な岩田健太郎氏も被引用数6128・h-index39と、こちらも非常に優秀な学者であることがわかります。

Hiroshi Nishiura
‪Kyoto University‬ - ‪‪引用: 25,570 件‬‬ - ‪Theoretical Epidemiology‬ - ‪Infectious Disease Epidemiology‬ - ‪Biostatistics‬
kentaro iwata
‪Professor of Medicine, Infectious Diseases‬ - ‪‪引用: 6,781 件‬‬

一方で、コロナ分科会会長である尾身茂氏はデータがありません。では尾身氏よりも西浦氏や岩田氏のほうが分科会会長として優れているのか、というとそういうことではないと思います。科学と政策のつなぎ役としては適任であったでしょう。

冒頭に挙げた国際政治学者の三浦氏や脳科学者の中野氏もデータがありません。一方で実績に疑問が投げかけられている落合陽一氏などは引用数1685・h-index20であり、まだ30代でこの業績は見事なものだと思います。

Yoichi Ochiai
‪Associate Professor, Head of R&D Center for Digital Nature, University of Tsukuba‬ - ‪‪引用: 2,167 件‬‬ - ‪Digital Nature‬ - ‪HCI‬ - ‪CG‬ - ‪V...

ところでこのような数字は結構ハックできるものであり、リスクの分野でいえば
・流行りものに乗っかる
・危険をあおる
などによって「稼ぐ」ことができます。

環境科学ではこのような傾向が非常に強いことは過去記事にも書きました。

環境科学への違和感の正体~科学と社会運動の混在
危険をあおるほどインパクトファクターの高い科学雑誌に論文が掲載されやすい、という近年の環境科学に対するへの違和感の正体について、(1)科学と社会運動(〇〇すべき)の混在、(2)「リスクを減らしたい」ではなく「悪いものに罰を与えたい」という感情、(3)「正しさ」の押し付け、という3つの視点から整理しました。

これも過去記事で書いた内容ですが、グリホサートの発がん性を示したメタアナリシス論文は261回引用されている一方で、発がん性を示すメタアナリシスの欠点を指摘した論文は21回しか引用されていません(引用数は2023年4月にGoogle scholarで調査)。

除草剤グリホサートの健康影響その2:農薬の疫学調査はなぜ難しいのか?
グリホサートの発がん性の根拠とされている疫学調査のメタアナリシスを事例に、農薬の疫学調査はなぜ難しいのか?を解説します。農薬の疫学研究が難しいのは、農薬の曝露量の推定が難しいことが一番の理由です。結果として、信頼性の低い研究を積み上げたメタアナリシスの信頼性もまた低いということになります。

なぜ学者として優秀な人が政策アドバイザーとして活躍できないのか?

次になぜ学者として優秀な人がアドバイザーとして活躍できないのか?について考えてみます。

専門家と言えども少しでも専門が違えば全くの素人なのですが、一つの分野で専門家として確立した人は成功体験も大きいため、このことに無頓着な人が多いです。自分は科学的思考能力が優れているので分野外のことでも正しく判断できる、と考えてしまいがちなのですね。「科学的思考能力」は重要ではありますが、ここに自信を持ちすぎると分野外の専門知識を過小評価してしまいます。

以下の図は過去記事に掲載したものですが、コロナウイルス対策一つとっても、感染症の専門家がこのすべてをカバーすることなど到底不可能です。自分のカバーできる範囲をきちんと認識し、そこから外れることは他の専門家を尊重する態度が必要です。

expert
https://nagaitakashi.net/blog/risk-governance/science-policy-3/

一流の研究業績を持つ方がいざ政策のことなどを語りだすと突然トンチンカンなことを言い出すのは、「その分野の専門家」は「政策の専門家」ではないからです。そして「専門家の話を聞け」という人ほど他分野の専門家の話を聞かない傾向があるのが困りものです。

これも以前の記事で取り上げた内容ですが、コロナ禍での東京オリンピックを延期すべきという専門家(上記の岩田氏)の意見の理由が「コロナ禍でやってもつまらないから」であり、これは価値判断の領域であって「感染症の専門家」が判断することではないのです。

コロナウイルスのリスクガバナンスにおける科学と政治その7:オリンピックの開催是非は専門家が判断することなのか?
オリンピックの開催などをめぐって科学vs政治の対立構造があおられていますが、科学と政治の間に位置づくレギュラトリーサイエンスの観点が重要です。専門家がリスク管理に踏み込むのは緊急事態であることを考えれば仕方ありませんが、これが標準的なやり方ではありません。リスク評価の限界やリスクが許容可能かどうかの議論の必要性などの論点を整理します。

また、成功体験の大きい人はそれに見合った承認欲求もあるため「なぜ俺の言うことを聞いてくれないのか?」と感情をこじらせてしまいます。承認欲求による「感情のこじらせ」も結構厄介なものであり、まともな学者だった人が突然非科学的なことを主張しだす、いわゆる「闇落ち」の原因ともなります。

学者ではない一般の人(政治家や官僚等も含む)を見下す専門家も多いです。政府側も最初から馬鹿にしてくる人と一緒に仕事をしたいとは思わないですね。研究者はとにかく教えたがりが多く、相手の状況や希望を聞く前にいきなり相手の間違いを指摘して「私が正しい知識を教えて進ぜよう」と聞いてもいないことをいろいろ教えようとしますね。

結局こういう態度をとる専門家は、本当に問題解決をしたいわけではなく、単に知識を披露したい・マウンティングをとりたい・承認欲求を満たしたい・政府にモノ申して溜飲を下げたい、だけだったりするのです。このような人から有益なアドバイスは得られません。

さらに、政策の意思決定の場面では科学的なデータが十分得られない状況でとりあえず何かを決めなければいけない場面がほとんどで、そのような状況では専門家の間でも意見が大きく分かれます。

このような断片的な事実から政策の意思決定をするにはある意味「作法」と呼べるものが必要となります。このような作法はアカデミックな世界では必要とされず、ほとんどの専門家はこの訓練を積んでいません。つまりはレギュラトリーサイエンスという新たな分野の素養が必要になるのです。これも詳しくは過去記事に書いています。

リスク評価はファクトではない~断片的なファクトから問題解決につなげる作法~
リスク評価はファクトではなく、むしろ「ファクトがわかってからでは遅すぎる」という問題に対応するための作法と言えます。断片的なファクトを最大限有効に活用して、知見が欠けている部分は推定や仮定を置いて穴埋めし、政策などの意思決定の根拠として活用できるようにしたものです。
リスク評価はファクトではないその2~純粋科学とレギュラトリーサイエンスの考え方の違い~
日焼け止めで淡水生態系は致命的な影響を受けるのか?というテーマから、ファクトを追及することを目的とする純粋科学と、意思決定の判断材料を提示することを目的とするレギュラトリーサイエンスの考え方の違いを解説します。例えば純粋科学では日焼け止め成分をミジンコに曝露させたら死んだというファクトを重視しますが、レギュラトリーサイエンスではミジンコに対する無影響レベルはどれくらいかを重視します。

では知識を社会に応用する能力をどのように判断するか?

では、知識を社会に応用する能力は何で判断するべきなのでしょうか?上記の逆を考えれば良いわけですね。

・ドメイン知識(分野特有の知識)がある
例えばコロナウイルス対策などで、経済学者がコロナに関するデータをパパっと分析してなにかモノを言おうと思っても、ドメイン知識がないのでわりと的を外しがちだったりするのはその分野(この場合感染症)特有の知識がないためだったりします。

査読論文の有無や被引用数は関係ないといいつつも、さすがにドメイン知識のない素人では無理があります。経済学者であっても医療・公衆衛生分野の経済分析をしている人など、両分野にまたがる知識があると良いでしょう。

・問題にどっぷりとコミットする意思がある
流行りものの研究テーマにささっと手を出し数年でまた次の流行りのテーマに移る、を繰り返す人は外野から文句を言うだけになりがちです。逆に、ある社会問題にどっぷり浸かる覚悟がある人は問題解決への真剣度合いが違います。

・自分の専門家としての立ち位置を含む問題の全体像を描ける
上記でコロナウイルス対策の専門家とは?という図を出しましたが、政策がカバーするべき全体像を描き、その中で自分がカバーできる部分がどこなのかを示すことができる人は適任だと思います。自分の専門性の限界を知っているとも言い換えられます。狭い学問分野の中で一流の業績を持っていても、その知見が外の世界でどこまで通用するかがわからないことが多いのです。

逆に「俺は専門家だぞ!俺の言うことを聞け!」みたいなことしか言えない人はその部分に無頓着なため、場をかき乱すだけになるでしょう。

・問題解決には専門性だけでは不十分であることを理解している
政策とは実務ですから、科学的な理想論が通用しないことが多々あります。その実務の中で何がボトルネックかを理解していないと意味のあるアドバイスができません。過去記事において、リスクコミュニケーションやデジタル化の例を取り上げ、最大のボトルネックは専門性ではなく組織にまつわるところにある、ということを書きました。対象となる組織のことをよくわかっていない人が外部から物申すだけでは変化は起こりにくいのです。

「〇〇にリスコミの専門家がいれば、、、」という声が「〇〇にリスコミの専門家がいるのになぜ、、、」という声に変わる理由
組織にリスコミの専門家が入るだけでは上手くいかないのは(1)大きな組織ほどヒエラルキー構造が強く専門家の意見が反映されにくい、(2)リスコミを活用しようとする組織への変革が追いついていない、という理由が考えられます。そして現在のリスコミ人材の育成は、組織・現場のことをよく知る関係者のリスコミ能力を高める方向に進んでいます。

・断片的なファクトを意思決定につなげる作法を理解し、作ることができる

断片的なファクトを意思決定につなげる作法がわかっていないと、ファクトの隙間の部分をそれぞれが勝手なやり方で埋めてしまうので、その埋め方の作法を作って関係者間で合意するところから始めないといけません。EBPMで一番足りていないのはこの部分だと思います。

まとめ:政府の外部有識者の選定基準

政府の外部有識者の選定基準として、査読論文やその被引用数を指標とするべきという意見があります。ところが、知識を生み出す能力と知識を統合して社会に応用する能力は別物であり、査読論文や被引用数は前者の能力の指標にしかなりません。

後者の能力をどのように判断するかについて、以下のようにまとめられます:
・ドメイン知識がある
・問題にどっぷりとコミットする意思がある
・自分の専門家としての立ち位置を含む問題の全体像を描ける
・問題解決には専門性だけでは不十分であることを理解している
・断片的なファクトを意思決定につなげる作法を理解し、作ることができる

補足

有機農業に関する見解:

有機農業25%の方向性を考える:有機農業と環境リスクの関係
有機農業の推進が政策課題に挙げられていますが、有機農業と環境リスクの関係について解説します。「有機農業=無農薬」ではなく、有機でも使える天然物由来の農薬も、化学合成農薬と同等の毒性があります。有機農業は環境保全に加えて価値観の側面も持っており、リスクの低減とは別に主観的幸福度などの側面で評価したほうが良いのではないかと考えられます。

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