要約
「農家は長寿命」というSNSなど(県の政策文書にも!)でまことしやかに語られる説を検証します。(1)農業者の医療費は非農業者よりも低い、(2)農業者の死亡時平均年齢は非農業者よりも高い、(3)農家の割合が多くなると死亡率を下げる、という根拠が示されていますが、適切な解釈のためにはさまざまなバイアスを取り除く必要があります。
本文:「農家は長寿命」説の検証
snsなどで「農家は長寿命」のような話をちらほら見かけることがあります。この手の話は結構誤解を生みやすいものなので、あまり信用はしていませんでした。本ブログでも、「農家は危険な職業か?」や「がん死亡率は都会が低くて田舎が高い」という話を検証し、いずれも年齢調整死亡率を使うことでその傾向が消えてしまうことを示しました。
「農家は長寿命」説もあまり気にしていなかったのですが、以下のように県の政策として出てくるようになってくるとあまりそうも言っていられません。
栃木県農業振興計画2021-2025「とちぎ農業未来創生プラン」
この中の「Ⅰ 農業・農村をめぐる情勢 -> 4 農業の価値」p23に、農業の価値の一つとして「健康的に暮らす」があり、農業者は長寿で元気で医療費負担を減らす等のことが書かれています。
この根拠として早稲田大学の研究が示されており、結構影響力があるようです。以下は早稲田大学のサイトのプレスリリースです。
早稲田大学:ピンピンコロリ! 農業者は長寿で元気! 国内初「農業者の後期高齢者医療費は非農業者の7割」を証明
本記事では、「農家は長寿命」説はファクトなのか?それとも都市伝説なのか?について、元となった論文などを見ながら検証していきたいと思います。
高齢農業者の医療費は低いのか?
まずは上記早稲田大学のサイトの
「(2) 今回の研究で新たに研究しようとし明らかになったこと」
に記載されている、「75歳以上の農業者の医療費は75歳以上の非農業者に比べて3割程度低い」ということについて検証してみます。
これについてはすぐに「生存者バイアス」と呼ばれる現象であるとわかります。75歳を超えてなお農業をしている人は「元気だから」農業者を続けています。高齢になって「元気じゃなくなった人」は農業をやめて無職=非農業者になります。この両者を比べれば医療費が違うのはごくあたり前と言えるでしょう。
これを図で表してみます。上の図では、65歳の時点で100人の農業者と100人のサラリーマンがいることを示しています。この時点で合計200人は皆元気な状態であり、サラリーマンは65歳で引退、農業者はそのまま農業を続けるとします。
下の図は、10年後の75歳時にそれぞれ35%(農業者35人、元サラリーマン35人)は体調を崩し、残りの人たちは健康を維持した状態を示しています。つまり、職業による健康への影響は全く同じという仮定です。体調を崩した農業者35人は農業をやめて非農業者になりますが、残りの65人は元気に農業を続けています。一方で非農業者は元サラリーマンの65人は元気ですが、元サラリーマン35人と元農業者35人の合計70人は元気ではなくなっています。
そうすると農業者と非農業者の医療費を比較した場合に、非農業者のほうは元気じゃない人が半分以上を占めていますので、医療費が多くかかるのは当然です。このような生存者(高齢になっても元気で農業を続ける人)のみを見て間違った判断をしてしまうのが生存者バイアスです。
この研究を行った方たちは、このような批判への反論として、高齢の農業者は健康悪化による離脱は少ないのだ、ということを主張しています(2020年に公表された論文。書誌情報は補足参照)。
この反論では、60-70歳の年齢層では5年で20%くらいが農業をやめているが80%が継続するというデータが示されています。上の図で仮定したような10年後で考えると、5年後80%のさらに5年後80%なので10年だと64%が継続・残り36%が農業をやめたという計算になります。つまり、上の図で用いた「10年で35%が農業者から非農業者になった」という仮定は机上の空論ではなく非常に現実的だということになりますね。
「農家の死亡時平均年齢は低い」は長寿の証拠となるか?
続けて、上記早稲田大学のサイトの
「(3) 新たな研究手法:アンケートによる農業者・非農業者との差異の確認、(4)今回の研究で得られた結果及び知見」
に記載されている「農業者の死亡時年齢は非農業者よりも高い」についても検証します。
この研究では埼玉県本庄市民にアンケート調査を行い「②平成元年以降に亡くなった家族員の、それぞれの死亡年齢、亡くなる前や引退前までに従事していた仕事種類とその従事期間、引退年齢、引退後の余命期間等を集計した」結果を報告しています。
結果は以下の通りです:
男性:自営農業者の平均死亡年齢81.5歳、それ以外73.3歳
女性:自営農業者の平均死亡年齢84.1歳、それ以外82.5歳
この調査では、引退前にしていた仕事をアンケートで聞いているので、「元気だから農業を続けている」という生存者バイアスは避けられています。しかし、この調査では生存者バイアスとは逆の「死亡者バイアス(こんな言葉はないのですが)」とでも呼べるような話になってしまっています。
つまり、生きている人をカウントしていないので、死亡者だけを見た死亡時年齢の比較では長寿かどうかを比較できません。これも図で示してみましょう。
上の図では農業者3人(3人ともすでに死亡)の死亡時平均年齢が75歳で、下の図では元サラリーマンの非農業者3人(2人死亡で1人存命)の死亡時平均年齢が70歳であるため、農業者のほうが死亡時平均年齢が高くなります。しかし、非農業者のほうでは存命である90歳の人をカウントしていません。この人が95歳まで生きて亡くなった場合、死亡時平均年齢は78.3歳となり、非農業者のほうが上回ります。
結論としては、このようなアンケート調査では農業者が長寿かどうかはわからないのです。
「農家の多い市町村の死亡率は低い=農家は長寿」は正しい?
最後に、上記早稲田大学のサイトに先行研究として紹介されている市町村レベルで集計されたデータ解析の結果も検証してみます。論文の書誌情報は補足参照、概要は以下で読めます。
川崎賢太郎「農家は長寿か:農業と疾病・健康との関係に関する統計分析」農林水産政策研究所『Primaff Review』No.66,2015,pp.6-7
http://www.maff.go.jp/primaff/kanko/review/attach/pdf/150728_pr66_04.pdf
こちらのほうはだいぶマシな研究ですが、冒頭で問題にした祖死亡率(年齢調整していない)を用いているため解釈は難しいです。市町村ごとの農業者の割合と死亡率の関係を調べたもの。年齢は5歳の階層別に収集し、さまざまな変数(学歴,所得,病院数,医師数,道路総延長,土地利用等)によって職業以外の影響を調整しています。
解析結果として、農業者の割合が高いと統計的有意に死亡率を減らす効果があるということになりました。ただし、年齢別に見ていくと、20-59歳では有意な影響は見られず、60歳以上で有意な影響が見られました。高齢者の層でより影響が強いわけです。
ここでもやはり、高齢層ではサラリーマンは定年退職しており、「無職」が意味するものが分かりにくいため、職業の影響を見るための解析としては解釈がややこしいです。
このことをさらに調べるために、無職の人を省いて就業者のデータのみを用いて職業の割合を計算するとどうなるか、を解析しています。ただし、「農業の就業者」と「農業以外の就業者」は年齢構成が全く違うため、あまりこの解析には意味がないと思われます。
さらに、定年前55-59歳のデータで就業率を求め、その数年後の同じ年齢層の死亡率を比較するなども解析も行われています。これなら年齢構成も揃っており、さらに定年前の職業を考慮しているので先ほどの問題点はクリアできます。この結果も農業者の割合の多いほうが死亡率が低いという結果になったようです。
(この結果が一番重要だと思われますが、なぜか結果の数字が省かれています。この辺がちょっと怪しい。)
注意すべき点として、ここから言えるのは「農業者が多い農村地域には死亡率を下げる何かしらの要素がある」ということだけなのです。決して「農家は長寿命」ということまでは言えません。田舎だから農家ばっかりというわけではありません。この論文には全体としては農業者の割合は2%程度という数字が出ており、2%の人たち(だけ)がいくら長寿になったとしても、人口レベルの寿命を有意に引き延ばすということは考えにくいのです。ここが「年収の高い地域ほど死亡率が低い」という結果の解釈とは違うところですね(この場合の年収は住民全員に関係することなので、「年収の高い”人”ほど死亡率が低い」に置き換えられる)。
にもかかわらず、この論文には「農業だから健康という因果関係が示唆された」と書かれており、結論がぶっ飛んでいると思います。農村地域の生活や社会構造がなぜ死亡率を下げるのか?ということを丁寧に考察していくことが必要になりますね。
ちなみに地域ごとの健康格差については本ブログでも記事を書いたことがあり、格差の要因として喫煙や食習慣の影響が大きいことが考えられています。
本気で職業によるリスクを調べるならば、市町村単位のような解析(生態学的研究と呼ばれる疫学手法)では限界があり、本来は農業者と非農業者の集団に分けてそれぞれ長期的に個人の健康観察していくような解析(コホート研究と呼ばれる疫学手法)を用いることになります。
統計情報を用いた生態学的研究をするうえでも、この研究で使われている祖死亡率は解釈に関して年齢の扱いがとにかく難しいので、年齢調整死亡率を計算するか、市町村別の生命表を使ったほうがよいでしょう。
平均寿命の上位50・下位50の表をどう見ても都会で寿命が長くて田舎(+都市部の貧困地区)で短いです。農村地域に死亡率を下げる要素があったとしても、それは他の要因にかき消されてしまう程度のものである、ということは言えるでしょう。
2022年6月6日追記
本記事に対するコメントへの返答として、職業別の平均余命、なぜ「農家は長寿命」説を信じ込みやすいかの心理学要因、農家は認知症予防に効果があるのか、などを整理しました。
まとめ:「農家は長寿命」説の検証
ここまで見てきたところの私の見解は、「農家は長寿命」はコホート研究の一つもない段階では議論の遡上にも載らない、というものです。「農村地域の住民は長寿」については「死亡率を下げる要素はあるが他の要因の影響のほうが大きい」というところでしょうか。これらはファクトというよりはだいぶ都市伝説に近いものと考えられます。
補足:書誌情報
早稲田大学の研究は農林金融という雑誌に論文として掲載されている(査読はないものと思われる)。
堀口健治、弦間正彦 (2017) 自営農業者の長寿傾向と後期高齢者医療費への反映―埼玉県本庄市における調査を踏まえて―. 農林金融, 70, 56-61
堀口健治、弦間正彦、軍司聖詞 (2020) 後期高齢者医療費の削減に貢献する現役農業者群. 農林金融, 73, 54-59
市町村データの解析も研究所の紀要のようなものに掲載されており、査読を経たものではなさそう。
川崎賢太郎 (2016) 第4章 農家は長寿か:農業と疾病・健康との関係に関する統計分析. 農林水産政策研究所 新たな価値プロジェクト研究資料 第1号, pp111-119
コメント