トンデモ科学を撲滅せねば!と憤慨したときに考えるべきことその1:反ワクチンから抜け出した話を読んで

pseudoscience リスクコミュニケーション

要約

反ワクチン思想から抜け出したという話がTwitterで話題になっていますが、これは反ワクチンの人が読むべきというよりはトンデモ科学を撲滅せねば!と憤慨している人こそ読むべきです。合理的=科学的とは限らず、判断の背後にある物語や価値観を理解することが重要です。

本文:トンデモ科学と戦う前に考えるべきこと

日本ではコロナワクチンの接種が進み、執筆時点(2021年10月28日)2回接種した人が人口の70%を超えました。これは大きな成果と言えます。

一方で、以前にも本ブログで書きましたがワクチンは嫌われやすい性質を持つものです。ワクチンで救われる命は計算上のもので実感しにくいことに比べ、副反応で苦しんだ話やワクチンを打った後に死亡した(因果関係があるとは限らない)という話はリアルなものだからです。

ワクチンはなぜ嫌われるのか?メリットよりもデメリットに注目が集まる心理的要因
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反ワクチンの人たちは特にネット上で声が大きいため目立ちます。科学的根拠の乏しい、いわゆる「デマ」をまき散らすことが特徴です。これに対してツイッター等ではデマと戦う人たちも多くいます。

そんな中で、Twitterでは最近反ワクチン活動から抜け出してコロナワクチンを接種したという人(ピンクドルフィンさん)のツイートが話題になっています。

私もこの話を非常に興味深く読みましたが、本記事では、事実は小説より奇なりと感じたこと、これを読んだ人たちの反応が「反ワクチンの人はこれを読むべき」と言っていて違和感を抱いたこと、なぜ私が疑似科学(トンデモ科学)撲滅運動にあまり興味をもたないか、についてまとめて書いていきます。

snsで「ワクチンを打て」と呪文のように唱え続けている人たち(主に医療従事者)や、トンデモ科学を撲滅せねば!と憤慨している人こそ、一連のツイートを読んで考えることがあるはずと思います。

事実は小説よりも奇なり?「賢者の石、売ります」との類似点

ピンクドルフィンさんの話を要約すると以下のようになります:

  • 母が元から医療嫌いで自然派、おかげでワクチンをほとんど打っていない
  • さらに父が病気のときに薬の副作用で悪化し自分も医療不信に
  • 不妊で悩んでいたところ疑似科学で儲けている食事療法の先生に出会い一気に傾倒、以降デトックスやら何やらにお金をつぎ込むようになる
  • その後妊娠してさらに信じ込むようになる
  • コロナ発生後は正義感にかられてTwitterでコロナというデマと戦い始める
  • ワクチン接種が始まるとワクチンは陰謀という真実を拡散する
  • 生まれた子供にワクチンを打たせるべきか調べているうちに反ワクチンに疑問を持ち始める
  • 周りの反ワクチンの人がコロナで死に、コロナはデマではないと気づく
  • ワクチン肯定派の話を聞いて洗脳とける <- イマココ

この話を読んでまず感じたことは、朱野帰子さんの小説「賢者の石、売ります」に非常によく似ているな、ということです。この小説のメインストーリーは、疑似科学を撲滅しようと奮闘する主人公が正論で周りを振り回して孤立するみたいな話ですが、最後には疑似科学にハマった姉を救うことになります。主人公の姉とピンクドルフィンさんの状況がまさにかぶります。

小説な中で、主人公の姉は自然派でスピリチュアルなものが好き、パワーストーンを売る店を開いている、出産前にある助産師に傾倒し育児の疑似科学にどっぷりハマる、という設定です。出産後に母乳がうまく出ないのに、粉ミルクでアトピー・肥満・低学力になる!みたいな話で脅されてノイローゼになってしまいます。

共通点は以下のように3つあります:

  • 母が反科学的思想で娘にも受け継がれた
  • 父が病気になった際に医療不信になった
  • 出産前後に怪しい療法をする人たちにハマった

異なる点としては、小説では科学マニアの弟がいたおかげで姉は疑似科学から抜け出すことができましたが、ピンクドルフィンさんは自力で抜けだすことに成功しました。こういう家族の協力なしで抜け出したというのは事実は小説より奇なりだなと思いますね。

ところでこの小説は「賢者の石、売ります」から「科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました」とキャッチーな感じにタイトルが変わってしまいました。「トンデモ科学を撲滅せねば!」と憤慨している人には特にオススメします。

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ツイッターでの反応への違和感

ピンクドルフィンさんのツイートには多くの「いいね」がついて、またたくさんリツイート(他の人におすすめとして拡散すること)されています。反応の多くは反ワクチン勢からの攻撃(ワクチン推進派による作り話、バイトでやっている、この人は工作員!)となっています。

一方で、ワクチン推進派の方からも「反ワクチンの人たちはこれを読むべき」という反応が多く見られます。これには私は違和感を抱きます。むしろ読むべきは反ワクチンデマと戦う、みたいな人たちではないでしょうか。つまりは小説「賢者の石、売ります」の主人公のように疑似科学を撲滅しようと正義を振りかざす人達です。

ピンクドルフィンさんの話を見ると、母親が反科学的な人でワクチンを打ってもらえなかった、父の病気の際に不幸にも薬の副作用で悪化した、不妊で悩んでいたところ疑似科学的な食事療法の後に(偶然)妊娠した、などの様々な物語があって反ワクチン思想に染まっていきます。そして、正義感をもって「コロナはデマ、ワクチンは陰謀」という真実(と思っていること)を広げようと努力します。

反ワクチンと戦う方も正義と思っていますが、デマをばらまいている方もまた自分たちは正義だと思っているわけです。正義対悪の戦いではなく正義対正義の戦いになります。

この「正義感」というやつは結構厄介なもので、「正義のために相手に攻撃的になってもOK」という非道徳的な行動を正当化しやすくなります。反ワクチンと戦う人たちは相手を見下した態度で科学リテラシーの低さを狙って攻撃します。これは自粛警察、マスク警察なども同様でしたね。このことは以前にも書いていますので詳しくはそちらをどうぞ。

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思想の違いはあれど、皆がその人なりの物語を持っていて、その人なりの合理性で行動しているわけです。「科学的ではない=非合理」ではありません。「科学」が価値観のすべてではないし、それゆえに単に科学リテラシーの問題で解決できることでもありません。

このような場面ではお互いを非難することではなく、相手が土台としている合理性とは一体何なのかを理解することが重要でしょう。一連のツイートはそのような物語を理解するために非常に貴重なものになっています。

これはリスクコミュニケーションにおいても同じことです。リスクコミュニケーションでも一方的に正しい(=科学的な)情報を伝えることではなく、信頼関係に築くこと(=お互いを理解しあうこと)がゴールになります。科学的な知識を理解させても信頼関係を築けなければ意味がありません。

このことは小説「賢者の石、売ります」でも主要なテーマとして描かれています。主人公は勤めている家電メーカーにてマイナスイオンドライヤーなどの疑似科学商品を廃止しようとして、誇りをもって働いている同僚達から孤立し、友人や家族からも孤立していきます。一方で姉が疑似科学にハマるまでの物語も丁寧に描かれています。

「トンデモ科学を撲滅せねば!」運動になぜあまり興味を持たないか

「賢者の石、売ります」の著者である朱野帰子さんのインタビューが以下で読めます。

文春オンライン:「なぜ人はエセ科学的に惹かれるのだろう」トンデモ医療ブームなかであえて作家が書いたこと

「なぜ人はエセ科学的に惹かれるのだろう」トンデモ医療ブームなかであえて作家が書いたこと | 文春オンライン
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 ではどうすれば似非科学商品は無くなるのか。この小説を書く前に、似非科学を糾弾する本をいくつか読みました。全てがそうではないですが、賢い人物が無知な人物に教え諭すという構図のものを読んだ時、なんだか苦しくなりました。似非科学を信じる人たちのことを嘆く時、自分も「賢い人物」側に立った気分になることに気づいたからです。

 SNSでも似非科学がなぜ悪いのかを論理的に説明し、上から説教するような投稿をよく見かけます。善かれと思っての行動だとしても、そのやり方はあまり意味がないと感じています。さっきも言いましたが、問題はもっと複雑だからです。

私も非常に同意できるのですが、私がなぜトンデモ科学撲滅運動にあまり興味を持たないかを考えてみると、3つくらい理由を挙げられます。一つめは線引き問題として、トンデモ科学とそうでないものの線引きは難しい、ということです。もう一つは、科学リテラシーの欠如問題として扱われることへの違和感です。最後に、先ほどに書いたようにコミュニケーションのあり方として問題がある、ということです。

「賢者の石、売ります」の主人公が忌み嫌うマイナスイオンドライヤーやパワーストーンは、ありもしない効能をうたうことが問題とされています。しかし、神社で無病息災のお守りを買ったり、何かの効能をうたう温泉を楽しんだり、伝統儀式的なものに参加したり、文化の一部になっているものにはあまりお咎めがありません。

安全とは「受け入れられないリスクがないこと」という定義ですが、疑似科学もこれも同じで非科学的な部分も含めて「受け入れられるか否か」が重要になるのではないでしょうか。こうなると、国や地域(文化)によって、時代によって、人の価値観によって線引きが変わってくるため、一筋縄ではいかないぞ、という感じになってきます。程度の問題でもありますが、本人が受け入れていることを周りがどうこう言うのはおせっかいになりますね。

次に、トンデモ科学撲滅運動は、非科学的なものを信じるのは科学リテラシーが欠如しているからで、正しい(科学的な)情報を与えれば解決するのだ、という考えがベースになっています。これはリスクコミュニケーションでも大きな問題となりましたが「欠如モデル」と呼ばれており、そんな単純に解決するものではありません。専門家(=科学リテラシーが十分にある)と呼ばれる人であっても、いざリスクのこととなると全くとんちんかんなことを言い出す例はとてもたくさんあります。

さらに、上から目線でのコミュニケーションが効果的でないことは明らかです。どのようなメッセージングが有効か、ということについてもっと考える必要があるでしょう。

まとめ:トンデモ科学と戦う前に考えるべきこと

反ワクチン思想から抜け出したという話がTwitterで話題になっていますが、これは反ワクチンの人に読ませるというよりはトンデモ科学を撲滅せねば!と憤慨している人こそ読むべきだと言えます。それぞれの人がそれぞれの物語を経て価値観・思想を形成していき、その人なりの合理性(=科学的とは限らない)で判断をしていきます。そこに善い悪いはなく、「科学的=絶対的に善いこと」ではありません。トンデモ科学撲滅には「正義」がベースにありますが、相手側もまた「正義」で戦っていることがわかります。

その2として、デマやトンデモ科学と戦う際に気をつけるべき「自分はダマされないが他の人は簡単にダマされる」という「第三者効果」についても書いています。

トンデモ科学を撲滅せねば!と憤慨したときに考えるべきことその2:自分以外はダマされやすいと考える第三者効果
デマやトンデモ科学と戦う際に気をつけたいのが「自分はダマされないが他の人は簡単にダマされる」というバイアスが働く「第三者効果」です。専門的知識のある人、デマの嫌いな人、自分に自信のある人ほどこのような効果が高まり、デマの影響を過大視してしまいます。

補足

コロナワクチンについては本ブログで他にも記事を書いていますので合わせてお読みください。

確率で書くとわかりにくいのでやめよう!その4:ワクチンの有効率・副作用と分母無視の法則
確率で書くとわかりにくい例として「ワクチンの有効性95%」や、分母を無視して判断を誤りやすい例として「ワクチン接種後に〇〇人死亡」について解説します。確率よりも頻度で示したほうがわかりやすくなりますが、頻度であっても分母を揃えて比較しないと容易に判断を誤ります。
コロナワクチンのリスクとリターン(ベネフィット)を定量的に比較する
コロナワクチンについての安全性について注目されているところですが、リスクとリターンをきちんと定量的に評価して比較したものは今のところ見あたりません。そこで、分母は揃えてリスクとリターンの比較を試みました。比較は単純ではありませんが、20代と60代の比較ではリスクとリターンの関係が逆転するかもしれません。

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