ワクチンはなぜ嫌われるのか?メリットよりもデメリットに注目が集まる心理的要因

manhole リスクコミュニケーション

要約

ワクチンはなぜ嫌われるかを心理学の「特定できる被害者効果」によって説明しました。ワクチンによって救われているはずの多数の命は「単なる統計的情報」である一方、ワクチンの副反応で苦しんだ特定の個人の声のほうが心理的なインパクトが大きくなるので、メリットよりもデメリットに注目が集まりやすくなります。

本文:ワクチンはなぜ嫌われるか?

コロナのワクチンについても実用化へ向けた治験が進んでおり、一時治験が中断するなど最近でもニュースがたくさん出てきています。

一方で、世界各国でワクチンの重要性、安全性、効果的についての認識を調べた研究の結果が最近報告され、日本はどれも世界最低ランクであったことが明らかにされました。

ニューズウィーク日本版:「ワクチンは安全」という信頼、日本は世界最低レベルだった

「ワクチンは安全」という信頼、日本は世界最低レベルだった
<英ロンドン大学が、ワクチンの安全性や有効性、子どもに予防接種させる重要性につい...

ワクチンに対する世論は、国や地域によって様々だ。2015年時点で、アルゼンチン、リベリア、バングラディシュの回答者の85%以上が「ワクチンは安全である」との見解を示した一方、日本ではその割合が8.9%と低い。また、ワクチンの有効性についても、エチオピアやアルゼンチン、モータリアで回答者の8割以上がこれを認めているのに対して、日本では14.7%にとどまっている。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/09/post-94432.php

元の論文のほうも眺めてみましたが、やはり日本は世界でワクチンの信頼性が最も低い国と書かれてしまっていますね。

Figueiredo et al (2020) Mapping global trends in vaccine confidence and investigating barriers to vaccine uptake: a large-scale retrospective temporal modelling study
The Lancet, online first

Redirecting

注意したいのは、この調査は新型コロナ発生前のものです。コロナ禍ではワクチンがかなり前のめりになっている印象をうけますので、現時点でどうなっているかはまた別な話かもしれません。コロナに効くかどうかもわからない段階でBCG接種希望者が続出したのは、これまでのことを考えるとかなり異例のことです。

さて、「なぜワクチンは嫌われるか」という論説はすでにたくさんあるのですが、リスク認知の観点から私も論じてみたいと思います。キーワードは「ジェシカちゃん」と「マンホールのふた」です。

特定できる被害者効果とワクチン問題

1987年にジェシカちゃんという18ヵ月の幼児が幅20cm、地下7mの井戸に落ちて2日後に救助され、このとき70万ドル以上の寄付が集まった、という実話があります。

動画の最後のほうで救いだされます

これが「ジェシカちゃん問題」となるわけですが、この美談の一体何が「問題」だったのでしょうか?特定のところに寄付金が集中しすぎて、本当に援助が必要な人々のところに十分な寄付がいってないのではないか?(つまりバイアスがかかっている状態)という問題提起があります。

ここで、リスク認知で使われる「特定できる被害者効果(identifiable victim effect)」を考えてみましょう(日本語の訳は適当です)。「特定できる」という意味は実際の個人で、顔や名前、経歴や性格など本人の人となりがわかるという意味です。これと対比するのが「統計的情報」であり、例えばアフリカの難民が飢餓で数千人死亡した、などの情報です。被害としては数千人死亡のほうがはるかに大きなものであるにもかかわらず、「特定できる被害者」一人のほうにより大きな注目が集まり、結果として寄付金も集中してしまう、という問題なのです。

特定できる被害者効果の特徴としては以下のようになります:
・「特定できる被害者」はより大きな同情を集めやすい
・救った被害者の絶対数よりも救った被害者の割合が重要
・100万人中の10人救うよりも、10人中の1人を救うときにより大きな同情が集まる
・割合が低いときには「焼け石に水効果(drop in the bucket effect)」が働く
・特定できる被害者を救うのは1/1、つまり割合が100%になる
・怒りの感情も同じく特定の犯人に集中することが知られている

ジェシカちゃんはこの「特定できる被害者」の実例だったわけです。寄付によってアフリカの難民100万人のうち数千人の命が救えますという「統計的情報」を与えても焼け石に水効果が働いて寄付金が集まりにくいのです。その代わりに、その難民のうち一人(少女だと効果が高い)をピックアップして、詳細にその一人の情報を伝えたほうが寄付金が集まりやすくなります。

怒りの感情も特定の犯人に集中するというのも興味深いですね。だれか悪いやつを見つけて袋叩きにするというのは、現代のネットリンチ・芸能人バッシングに通じるものがあります。

この「特定できる被害者効果」をワクチン問題にあてはめてみましょう。例えば日本ユニセフ協会のWEBサイトには、「現在、予防接種によって守られている命は、年間200万人から300万人と推定されます。」、「毎年、150万人の子どもたちが、ワクチンがあれば防げる病気で命を奪われています。」と書かれています。

たった一本のワクチンで助かる命がある。
年間150万人、約20秒に1人の子どもたちが、ワクチンがあれば防げる病気で命を奪われています。

ものすごい数の命を救うことができるのですが、これは上記の対比でいえば「単なる統計的情報」です。実際に「誰が」ワクチンによって命を救われたのか(ワクチンを打っていなかったら死んでいたのか)はわからないわけです。

一方で、ワクチンの副反応の被害を受けた方は個人が特定できます。顔を出し、どのような被害でどのように苦しんでいるかの声を上げることができます。これはワクチンが何百万人もの命を救っているという「統計的情報」よりもはるかに大きく心に響くのですね。

ワクチン懐疑論は人間の心の本質を突いてくるものであって、なかなかこの問題に対処するのは簡単ではないことがわかります。

ワクチンと「マンホールのふた問題」

岸本充生東京大学特任教授(現大阪大学教授)はマンホールのふた問題として、同様の問題を取り上げています。

2015年のリスク:「起こったこと」と「起こらなかったこと」

2015年のリスク:「起こったこと」と「起こらなかったこと」(岸本充生特任教授)
毎日様々なニュースが流れる中で,私たちの安全を脅かす事件や事故も数多い。しかし,私たちはその出来事が起こった直後には強くその再発を恐れるものの,比較的すぐに忘れてしまう。2015年は,前年から引き継いだ形で,食品への異物混入問題で幕を開けたことを覚えているだろうか。

蓋が空いていたマンホールに落ちた人を救った人はヒーローになれるが、人が落ちる前にそっと蓋を閉めた人はその行為を気づかれさえしないのである。社会としては誰かが落ちる前に蓋をする方が望ましいのに。この非対称性が世の中の対応を「起こったこと」に偏らせているのである。

マンホールに落ちた人を救った話はまさにジェシカちゃん問題と同じですね。事前にふたを閉めたことで救われたであろう命は「特定できる被害者」ではないので心に響きません。

ワクチンは人が落ちる前にマンホールにふたを閉める行為そのものなのですが、実際に病気になった人を救った話と比べると地味で心に響きにくく、誰からも感謝されないのです。このような未然防止策にいかに光をあてて、評価していくかが求められるでしょう。

「特定できる被害者効果」の軽減は可能か?

著名なリスク心理学者であるポール・スロビックらのグループは、ジェシカちゃん問題のような寄付金のバイアスをどうやって改善できるかの研究を行いました。以下のような仮説を立てています:
・寄付は同情によって増幅されるので、直観による意思決定思考(システム1)が支配的である
・特定の弱者は同情・寄付を集めやすい
・統計的弱者(アフリカには100万人の恵まれない子供がいる等)には同情・寄付が集まりにくい
・論理的な意思決定思考(システム2)を刺激することで特定の弱者への同情が減り、寄付金額も減るのではないか?

そこで、以下の3つの介入を行った後に寄付を求めると、介入を行わない対照群と比べて寄付のバイアス解消に効果があったという結果が出ました:
1.特定の弱者に必要以上に寄付が集まりすぎていることを教える
2.特定の弱者の情報に加えて、統計的情報を加える
3.最初に計算問題を解かせる

2番目の介入については、アフリカの貧困に関する統計的情報に加えて、その中の一人(ルキアちゃん7歳)をピックアップして、顔写真や彼女の現在の状況の説明を加える、というものです。また、最初に計算問題を解かせるというのは非常にユニークですね。これはリラックスした状態(感情に流されやすい)から、論理的な思考モードに強制的に切り替える効果があるようです。ところが、これら3つの介入すべて、「特定できる被害者」への寄付を減らす効果はありましたが、いずれもアフリカの難民などの統計的弱者への寄付金額を上昇させる効果は無かったのです。つまり、介入によって寄付金全体の金額が下がってしまったのです。

寄付という行為自体が同情をベースとしたものなので、論理的思考モードでは寄付をする行動自体を減らしてしまうのですね。

この介入効果をワクチン問題にあてはめてみると、各種情報提供は被害者への同情を抑える効果はあるが、ワクチン推進の原動力にはあまりなりそうもない(統計的情報への心理的反応は増えない)、ということになります。

Small et al. (2007) Sympathy and callousness: The impact of deliberative thought on donations to identifiable and statistical victims
Organizational Behavior and Human Decision Processes, 102, 143-153 

Redirecting

まとめ:ワクチンはなぜ嫌われるか?

ワクチンはなぜ嫌われるかを「特定できる被害者効果」によって説明しました。ワクチンによって救われているはずの多数の命は「単なる統計的情報」であり、実際に誰が救われているのかはわかりません。一方でワクチンの副反応で苦しんだ人は特定の個人であり、名前や顔があり、どのように苦しんでいるのかの声を上げることができます。後者のほうが心理的なインパクトが大きくなるので、メリットよりもデメリットに注目が集まります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました