要約
リスク学の社会実装とは何かを考えるための参考として、日本リスク学会に新たに設けられた「グッドプラクティス賞」の4つの受賞対象について紹介します:福島レポート、MAss gathering Risk COntrol and Communication (MARCO)、食品安全情報blog、SAICM(国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ)。
本文:リスク学の社会実装
先週は2年ぶりに北海道の実家に帰省していたためブログの更新をお休みしました。千歳空港は新型コロナ発生以前と比べると閑散としており、影響の大きさを実感しましたね。
さて、本記事では日本リスク学会の新しい取り組み「グッドプラクティス賞」について紹介したいと思います。これはリスク学の社会実装とは何か?ということについて改めて考えさせてくれます。
日本リスク学会については私がメインの学会として活動しているところで、レギュラトリーサイエンスについてのタスクグループも担当しています。
2021年度は11月20-21日に年次大会が開催されました。この年次大会にて、学会初の取り組みとなる「グッドプラクティス賞」の第1回授賞式が(オンラインで)行われました。このグッドプラクティス賞の説明を見てみましょう。
「グッドプラクティス賞」は、昨年の表彰活動を振り返る中で、新型コロナウイルス感染症に関するものなど、実践的な活動を表彰する賞があってもよいのではないかという意見があったことに端を発して新設されました。
http://www.sra-japan.jp/cms/award2021-re/
(中略)
本賞の特徴は、活動の形態を問わないこと、及び、会員・非会員を問わない個人、グループ、団体を授与対象者としていることにあります。学会員による多様な活動を後押しすることはもちろんのこと、他分野での優れた活動を取り上げることで、それらを学会員に紹介する効果や、逆に、日本リスク学会を他分野の方々に知っていただく効果を期待しています。本賞に相応しいという理由付けができれば、研究成果の情報発信やリスクコミュニケーションの実践のみならず、人材育成、メディア記事や番組、映画や芸術といったものも対象となりうると考えています。
つまり、学問的な貢献ではなく社会実装などの実践的な取り組みに対して表彰を行うものです。最初なので手探り状態でスタートしたこの表彰制度ですが、第1回は4つの個人・団体・取り組みに授与されることになりました。
日本リスク学会:2021年度日本リスク学会「学会賞」「奨励賞」「グッドプラクティス賞」の表彰のお知らせ
日本リスク学会:2021年度日本リスク学会表彰式のご報告
以下、それぞれについて紹介を続けていきます。
福島レポート
まずは受賞理由から見ていきましょう。わかりにくくなりがちなリスクに関する科学的知見をわかりやすく提供する活動が評価されました。
「福島第一原発事故以降の科学的・社会的知見の発信(福島レポート)」
http://www.sra-japan.jp/cms/award-2021/
●選考理由:福島レポート(https://synodos.jp/fukushima-report/)は、編集長である服部美咲氏のもと、福島第一発電所事故以降に得られた科学的・社会的知見を、様々なリスクの視点から、多岐にわたり、頻度高く、分かりやすく発信してきた。英語による発信もなされていて、海外の方が福島の暮らしと現状を知る重要なソースとなっている。科学的・社会的知見の共有をもって目指すべき社会を問うというジャーナリズムの礎をもって、福島県に住む人々の生活を支え、ウェルビーイングの向上に資するものと言える。なお、2021年6月には、記事を再構成し、新たに書きおろされた内容を追加して「東京電力福島第一原発事故から10年の知見:復興する福島の科学と倫理」(著者:服部美咲)が丸善出版より出版された。
服部氏がこの福島レポートを書く動機については以下のインタビュー記事に詳しく書かれています。
SYNODOS:科学的知識を伝え続ける 『東京電力福島第一原発事故から10年の知見』著者、服部美咲氏インタビュー
以下の部分は特に印象的でした。私もリスクについて書くということの暴力性のようなものは常に意識したいと思っています。
――インタビューを受けた本人にもチェックしてもらうのはなぜですか。
私は、福島について取材し、記事に書くことで、必ず誰かの心を傷つけているのだと常に感じています。同時に、できるかぎりそれを最小限にしたいと意識もしています。
原発事故後の福島についての発言を、書き手の政治的スタンスに基づいて、不自然に切り取られた経験を持つ専門家が少なくありません。それも、発言全体の意図が、実際とは異なるものに変質してしまうような切り取り方です。そういった経験にショックを受け、優れた科学者が福島について語ることをやめられた例を、いくつも見聞きしました。胸が痛みました。それは、結果的に福島の住民の方々の生活の歩みを妨げることだとも思います。
特に最近は甲状腺がんの過剰診断の問題についてよく取り上げています。本ブログにおいても、福島レポートを紹介して過剰診断についての記事を書いたことがあります。この記事では予言の自己成就という整理をしました(ある病気が注目されるようになったことで皆が病院に駆け込んだ結果として診断数が増えてしまう現象で、本当にその病気が増えているのかはわからない)。
MAss gathering Risk COntrol and Communication (MARCO)
まずは受賞理由からです。コロナ禍における大規模イベントのリスク評価に取り組んだ実績が評価されました。オリンピックは終了しましたが、Jリーグなど現在進行形のイベントにも取り組んでいます。
MARCOは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行以降、多くの人々が集まる大規模集会におけるリスク制御とコミュニケーションを目的に、多様な専門分野の研究者が集まって組織された有志研究チームである。井元清哉氏(東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター教授)が代表を務めている。東京オリンピック・パラリンピック競技大会、プロ野球やサッカーといったイベントのスタジアム等において、MARCOメンバー自らが実施する各種計測結果や最新の科学的知見に基づき、感染リスクや感染対策効果の定量的な評価を行ってきた。本活動の成果は、各イベント関係者と随時共有され、感染リスクの把握や感染対策の検討・実装に貢献している。様々なメディアで多数取り上げられ、複数の競技団体から表彰されるなど、社会的に高い評価を得ているとともに、出版された論文は高い評価を得ており、学術的にも価値が高いものであると言える。
http://www.sra-japan.jp/cms/award-2021/
どうやったらリスクを抑えた状態でイベントなどを開催できるかについて真剣に取り組んでいます。MARCOのWEBサイトは以下にありますが、私が非常に気に入っているのが「Mass gathering eventの解決志向リスク学」とサブタイトルがついているところですね。
解決志向リスク評価という考え方はぜひ広がってほしいと思います。従来のリスク評価は問題志向(problem-focused)であって、例えば「コロナはどれくらい怖いのか?」が問いになっています。怖い怖いというだけなら誰でもできるのです。対して解決志向(solution-focused)リスク評価は「実行しようとしている対策はどれくらい良い対策なのか?」が問いになります(詳細は本ブログの過去記事を参照してください)。
受賞スピーチでは、コロナで2020年の東京オリンピックの延期が決まった際に、海外の人たちに勝手にリスク評価されて安全とか危険とか言われたくないというのが、プロジェクトを始めるモチベーションになったと話されていました。
これはものすごく重要なことで、日本ではガチな専門家ほど情報やリスク評価結果を公表しにくいという構造の問題があり、本ブログでも整理したことがあります。このプロジェクトも、政府のコロナ分科会に呼ばれるようなガチな人たちじゃないからこそできたのではないかと思われます。
食品安全情報blog
これも受賞理由から紹介します。食品安全分野では超有名なブログを10年以上にもわたりほぼ毎日続けていることが評価されました。
畝山智香子氏は、一般の関心が高い食品安全分野において、国際機関や諸外国の公的機関が発信する各種情報を収集し、一部を所属組織のWebサイトにて「食品安全情報」(http://www.nihs.go.jp/dsi/food-info/foodinfonews/index.html)として隔週で発行する傍ら、2004年以降、ほぼ毎日、収集した情報をその日のうちに自らのブログ(https://uneyama.hatenablog.com)にアップしてきた。これらは、海外の食品安全に関する情報を関係者や社会がいち早く共有するための基盤としての役割を果たしており、当該分野におけるリスク学の社会実装に大きく貢献している。また、「ゼロリスクという幻想」に対して冷静な評価を呼びかける書籍を複数出版し、一般市民や専門家に向けた講演や講義も多数実施してきた。
http://www.sra-japan.jp/cms/award-2021/
私も10年以上にわたり読者を続けており、ネタ帳にさせてもらうことも多いです。本ブログの大人気記事であるソーシャルディスタンスの根拠についての記事もネタ元にしました。
食品安全情報blogという名前がついていますが、食品安全のみならず化学物質全般のトピックも多いですし、リスクコミュニケーションや科学と社会などのテーマについても幅広く情報収集されています。最近は新型コロナウイルスネタも多く、つまりは安全・リスク全般についてのブログとも言えます。本ブログもこれくらい有名なものになりたいですね。なお、ときおりカッコ内に書かれるピリ辛コメントが特に好きです。
受賞スピーチによると、ブログのアクセスは2012年がピークで1500/日程度、2016年に1000/日、最近は300-400/日程度ということでした。アクセス元は半分がTwitter経由、次に常連、後はgoogle経由だそうです。
SAICM(国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ)
SAICMという個人でもなく団体でもない「枠組み」としての受賞となります。受賞理由は以下の通りです。
SAICM(国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ)は、国際的な化学物質管理に関するマルチセクター・マルチステークホルダーによるボランタリーな枠組みであり、2006 年に開催された第1回国際化学物質管理会議(ICCM1)で採択された。SAICM推進活動には多くの産官学ステークホルダーが参画し、省庁においては、化学物質リスクに関連する法令改正やリスク評価の制度導入と運用が進められ、また産業界においては、工業会や各企業において活発な自主管理活動が実施された。SAICM目標の達成度という点では議論があるものの、最終年とされた2021年(当初は2020年であったがコロナ禍により順延)に向けて、リスクにもとづく化学物質管理(リスク評価・リスク管理・リスクコミュニケーション)を日本社会に社会制度として実装することに大きく貢献したものと言える。
http://www.sra-japan.jp/cms/award-2021/
SAICMの前提にあるのはWSSD2020年目標です。これは、2002年のヨハネスブルグサミット(持続可能な開発に関する世界首脳会議、World Summit on Sustainable Development、略してWSSD)で採択されたものです。「化学物質が人の健康と環境にもたらす著しい悪影響を最小化する方法で使用、生産されることを2020年までに達成することを目指す」とされています。この目標を達成するための行動計画がSAICMです。
化学物質のリスク評価の推進に重点の一つが置かれており、化審法に基づく化学物質のリスク評価、環境省による環境リスク初期評価、農薬登録基準の設定、労働安全衛生法に基づく職場における化学物質のリスク評価、などがSAICMの取り組みに含まれています。
ということで、自分も関係者の一人ではないかと思われますが、誰が表彰式で登壇するかは非常に悩ましかったでしょうね。結局のところ、本活動の代表者とするに相応しい貢献をされてきた北野大氏が代表者となりました。終始にこやかに受賞スピーチをされていた姿が印象的でした。
まとめ:リスク学の社会実装
リスク学の社会実装とは何かを考えるために、日本リスク学会に新たに設けられた「グッドプラクティス賞」の4つの受賞対象について紹介しました。ブログなどの情報発信系、解決志向リスク評価の実装、産官学を交えた包括的な取り組みが対象となりました。今後も社会実装の参考としてチェックしていきたいと思います。
(本ブログも長年続けば対象になるかも!?)
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