なぜコロナウイルスで42万人死亡の予測は外れ、トイレットペーパーが無くなるというデマは現実になるのか?予測のリスク学

toiletpaper リスクガバナンス

要約

専門家によるコロナ死者数の予測はそれ自体が人々の行動を予防的に変えるため、リスクを下げるために外れてしまいます。トイレットペーパーが無くなるというデマは在庫があるうちに買っておこうという行動の変化を引き起こし、実際に品切れを引き起こしました。

本文

リスク評価やリスク管理では「予測」は非常に重要な要素です。リスク管理は被害を未然に防ぐことが目的であり、被害が顕在化してから対策に乗り出すのでは遅すぎるわけです。例えば自然災害を考えてみても、巨大地震はいつどこで起こるのか、そのときの津波の高さは何mで、どのくらいの被害が出るのか、などの予測は非常に難しいですが多くの注目が集まります。

新型コロナウイルス対策においても、厚生労働省クラスター対策班の北海道大学教授西浦氏による「対策なしなら死者42万人」という数字の衝撃は大きいものでした。さて、緊急事態宣言が2020年5月25日に全面解除となり、ようやく経済活動が再開されようとしています。5月26日時点での新型コロナウイルス感染症による死者数は830人であり、予測は大外れ、そもそも緊急事態宣言は必要なかったなどの批判の声が上がっています。

一方で3月にはトイレットペーパーが無くなるというデマが流れ、デマであったにもかかわらず、実際に売り場からトイレットペーパーが消え一時的に買えなくなりました。なぜ専門家による予測は外れ、デマが現実になるのか、これは予測そのものが人間の行動を変えてしまうという性質をもっているからです。本記事ではそのような予測がもつ影響力について考えてみます。

予言の自己破壊

予言の自己破壊とは、予言そのものが予言を実現させない方向に働くことです。選挙を例にとると、事前の世論調査で○○党が大勝するという結果が出ることで、○○党を支持はするが大勝させてしまうとおごりが出てしまうからあえて違う党に投票する、などの人が一定数現れます。これも予言の自己破壊の例です。

コロナウイルスの対策なしなら死者42万人という予測も、対策が全くなされないはずはないのでそもそも実現しない予測ですが、外出自粛の強化などさらなる対策をとってもらうことにつながるため、より被害は少なくなるわけです。

実際に、イギリスのコロナウイルス対策では、当初は経済的な影響を抑えるためスウェーデンのように都市のロックダウンなど強力な対策を取らずに、集団免疫を獲得するという方向性でいました。ところが、この戦略では多数の死者が出るという予測結果によって、リスクが想定以上であることから方向転換したと言われています。

【解説】 なぜイギリスは方向転換したのか 新型ウイルス対策 - BBCニュース
新柄コロナウイルス対策を強化しなければ数十万人が死亡するという警告を受けて、イギリス政府は方向転換を決断した。

つまり、予測が当たればよいというわけではないのですね。しかしながら、そもそも予測はベストな推定であったのか?怖がらせるためにリスクを過剰に「盛った」のではないか?という疑問については専門家間での事後検証は必要かと思います。

本ブログで何度も取り上げているクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号における死亡リスクですが、このときの3711人中死者数13人(死亡率0.35%)を日本の人口にそのまま当てはめると44万人になり、西浦氏による予測とあまり変わらなくなります。つまり、死亡率としては現実として起こっていることになります。もちろん日本全体がクルーズ船内のような密な状況ではないので最悪のシナリオということになるでしょう。

予言の自己成就

予言の自己破壊の逆が予言の自己成就です。例えばファッションの例では、次に流行る色やデザインを予測しますが、その予測自体が服の生産やマーケティングにつながり、それが実際に流行を生むことになります。これにはデザイナーやマーケターなどの仕掛け人がいます。

2020年3月ころに、トイレットペーパーがスーパーやドラッグストアの棚から消え、一時的に買えなくなりました。トイレットペーパーは中国産なので輸入が止まり品薄になる、といった情報が拡散されました。そこに、わざと買い占めてガラガラになったドラッグストアの棚の写真をつければ心理的なインパクトが非常に大きくなります。そして無くなる前に買わなきゃという人が我も我もと殺到し、品薄が現実のものとなってしまいました。買い占めたトイレットペーパーはネット上で高値で売買され、転売屋が仕掛けたものと考えられました。ただし、実際は国内で生産されており在庫がないわけではなかったため、そのうち買えるようになりました。ここで、トイレットペーパーがなくなるという予言はデマだったにも関わらず、仕掛け人の存在により実現してしまったわけです。

特に仕掛け人がいなくても予言の自己成就は起こります。ある病気が近年増加傾向にあったとして、それが本当にその病気が増えているのか、それとも注目されるようになったことで自分もそうかもしれないと病院に駆け込んで診断数が増えただけなのかは、一見しただけではわかりません。韓国の甲状腺がんの例が知られています。甲状腺がんが増えている、という話を聞いてみんなが検査を受けるようになり、結果として激増してしまったのです。実際には以前なら見過ごされてきた命に関わりのない無症状のがんを発見できるようになっただけなので、診断数が増えただけで実際にがんが増えたわけではないとのことです。

韓国の教訓を福島に伝える――韓国における甲状腺がんの過剰診断と福島の甲状腺検査/Ahn hyeongsik教授・Lee Yongsik教授インタビュー / 服部美咲 - SYNODOS
東京電力福島第一原発事故後、福島県では原発事故当時おおむね18歳以下だった県民(約38万人)を対象とし、甲状腺スクリーニング検査(無症状の集団に対して、甲状腺がんの可能性があるかどうかをふるいわける検査)が行われている。...

リスク評価・管理は予測にどう向き合うか?

あまり簡単に書けることではありませんがここでは3つのポイントを示しておきます。

まず1点目。最悪シナリオの予測のみを示すやり方はやめるべきです。それによって回避されたリスクの大きさも過大評価されてしまいます。例えば最良の推定で40万人死亡のリスクを一桁「盛って」400万人死亡と発表したとします。対策によってこれを回避できた際に「400万人の命を救った」などとその効果まで盛られてしまうのです。リスク評価の目的にもよりますが、最良の推定と最悪の場合の推定はどちらも併記されるのが望ましいでしょう。

次に2点目。過大な予測を示して危険、危険と騒いで注目を浴びたり、それによって多額の研究費を獲得したりなどの専門家の利益相反に気を付けるべきです。意外とこういう点は注目されていませんが、リスクを扱う専門家はもっともっとこの利益相反に敏感になるべきです。

最後の3点目として、リスク評価を担当する専門家の役割は、評価対象のリスクの大きさ(コロナはどれだけ怖いものなのか?)だけを示すのではなく、対策オプションの評価をすることまでが重要です。つまり、対策なしなら〇〇人死ぬ、という予測だけではなく、Aという対策なら△△人、Bという対策なら□□人の死者が出る、などの予測を加えることが重要です。対策AやBそれぞれの経済への影響や実行可能性などを加味して最終的な決定は政治側の役割になります。このような科学と政治の関係については別の機会にじっくりと書いてみる予定です。

まとめ

予測そのものが人間の行動を変えてしまうという性質をもっており、予測が当たるか外れるかに影響します。専門家によるコロナ死者数の予測は自己破壊的な性質によって外れることとなり、トイレットペーパーが無くなるというデマは自己成就的な性質により現実になってしまいます。

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