なにかしなくちゃ症候群:効果がある対策よりも目立つ対策が好まれる

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要約

リスクは一般的に目に見えにくい性質があるため、リスク低減対策はその効果よりも目立つ、わかりやすい、話題になるなどの対策が好まれる傾向があります。そのような目立つ対策に飛びついてしまう「なにかしなくちゃ症候群」の中で、効果がないことをわかりつつあえて行う「確信犯」の存在に注目します。

本文:効果がある対策よりも目立つ対策が好まれる

コロナ対策として消毒薬をド派手に噴射する、とりあえずプラスチックを紙に変えてみる、廃棄される規格外野菜を集めてフードロス削減、どれも目立ってわかりやすくて話題を集めそうな取り組みですね。ところでその取り組みの効果はどれほどのものでしょうか?

さまざまな分野でリスク低減対策が行われており、行政によるもの、企業によるもの、市民によるものなど、その主体もさまざまです。そして、リスクは一般的に目に見えにくい性質があるため、リスク低減対策の効果もまた目に見えにくいのです

そのため、リスク低減対策はその効果よりも目立つ、わかりやすい、話題になる、などの別の視点からの評価が大きくなってしまいます。結果として、本当に効果がある対策よりも「やってます」感の強い目立つ対策が実行されがちになってしまいます。

このように、なにもしないほうがマシな場合であってもよけいなことをやってしまいがちな心理的傾向のことを「なにかしなくちゃ症候群」と呼ぶようです。日本語ではほとんど使われませんが、英語の「Do-Something Syndrome(DSS)」はそこそこ使われているようです。

なにかをすることが問題解決につながるとは限りません。しかし、なにも考えないのではなく、いろいろ検討した結果として積極的になにもしないことを選択するのは難しいものです。それを好意的に評価する人がいないからです。

本記事では、そんな「なにかしなくちゃ症候群」の事例を、行政によるもの、企業によるもの、市民によるもの、という主体別に見ていきたいと思います。その中で特に、効果がないことをわかっていながらあえて行う「確信犯」の存在とその影響について注目してみます

行政主体の「なにかしなくちゃ症候群」

まずは行政による取り組みから見ていきましょう。

冒頭でも紹介したように、新型コロナウイルス発生初期においては防護服を来た人が噴霧器で消毒液をド派手に噴射している様子がよく映像で流れました。非常にショッキングな映像であるためニュース性が高いのです。

ただし、その効果はというとあまり意味がないため、徐々にそのような対策は行われなくなりました。ただし、それでもアルコールによるイスなどの表面消毒は公共的な場所でよく見かけました。効果がないとわかっていても「対策しています」というアピール力が高いためやめられないのですね。本ブログの過去記事でも解説しています。

ドアノブなどを拭くのは本当にムダなのか?コロナウイルス表面除染のリスク学
コロナウイルスの感染経路は飛沫が重要なので、モノの表面はドアノブなどの「みんなが触るところ」よりも「飛沫が直接かかるところ」に注意が必要です。消毒薬はその使用自体にリスクがある次亜塩素酸やアルコールよりも家庭用洗剤で十分ですが、規制の枠組み上商品にそのような表示ができません。

よくニュースなどで消毒薬を散布している映像が流れるように、そういう映像は「絵」になりやすいのだと思います。絵になりやすいということは、換気などに比べて「対策をやってます」というアピールになりやすい、ということを意味します。それゆえに特に公共的な空間では人々から求められてしまいます。

次にプラスチックの削減としてのレジ袋有料化があります。どう考えてもレジ袋をやめたところでプラスチックの使用量削減効果はなさそうですが、それをわかったうえでこのような政策を実施したようです。これも本ブログの過去記事でも解説しています。

環境科学への違和感の正体~科学と社会運動の混在
危険をあおるほどインパクトファクターの高い科学雑誌に論文が掲載されやすい、という近年の環境科学に対するへの違和感の正体について、(1)科学と社会運動(〇〇すべき)の混在、(2)「リスクを減らしたい」ではなく「悪いものに罰を与えたい」という感情、(3)「正しさ」の押し付け、という3つの視点から整理しました。

レジ袋有料化を決めた環境省の中央環境審議会 > 循環型社会部会 > レジ袋有料化検討小委員会の答申においては、レジ袋有料化の目的はプラごみ問題や気候変動問題の解決ではなく「消費者のライフスタイルの変革を促すこと」とハッキリ書かれているのです。マイクロプラスチックのリスクの話など全く出てきません。

「レジ袋よりもマイバッグ」というのはなんとなく「いいことしている」感が出やすく、それを後押しする政策もわかりやすく「やってます」感が出てくるのですね。

次に市町村レベルでよく話題に挙がる「給食で有機野菜を使おう」キャンペーンを取り上げます。(もともと反科学的な思想を持つ)地方議員などが「農薬で発達障害になる」などのデマを信じ込んでキャンペーンを持ち上げたりします。行政はそんなのはデマだとわかりつつも、話題になる新しい取り組みをなにかやりたいという気持ちもあるためこの運動に乗っかったりします

ただし、以下の記事で詳しく解説されているように、
1.農薬を使う慣行農業はキケンという主張とセットであること
2.発達障害に対する誤解と差別の助長
3.反ワクチンや陰謀論、カルト宗教などの団体が支援しており接点が大きくなること
4.社会運動として先鋭化して運動自体が目的化してしまうこと
などの懸念が示されています。

AGRI FACT: 第27回 オーガニック給食問題まとめ(前編)【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】

第27回 オーガニック給食問題まとめ(前編)【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】 | AGRI FACT 農と食の科学的情報サイト
全国オーガニック給食フォーラム開催 2022年10月26日に、なかのZERO大ホールで開催された「全国オーガニック給食フォーラム」には主催者発表で会場1,100名、オンライン1,800名、また10名以上の国会議員、40以上の自治体首長の参加

企業主体の「なにかしなくちゃ症候群」

企業の活動も危ない感じのものが多いです。最近、紙ストローはプラストローよりもPFAS含有量が多いというニュースがありました。

Newsweek日本版:紙ストローは、本当に環境に優しい?「永久化学物質」の割合が「プラ以上」というショッキングな研究結果が

紙ストローは、本当に環境に優しい?「永久化学物質」の割合が「プラ以上」というショッキングな研究結果が
<プラスチック製ストローの代替品としてよく見かけるようになった紙ストローだが、実は有害な物質PFASが含まれていた> 多くの飲料チェーンやファストフード店がプラスチックゴミを削減するため、紙製のストロ...

多くの飲料チェーンやファストフード店がプラスチックゴミを削減するため、紙製のストローを使い始めた。だが科学者たちは、こうした紙ストローには有害なPFAS(有機フッ素化合物の総称)が含まれていることが多く、プラスチックと比べて環境にそれほど優しくない可能性があると警告している。

PFASが多少含まれる程度でキケンというわけではありませんが、そもそも以前はプラストローが紙で包装されていたのに、今は紙のストローがプラスチックで包装されていたりするので、これで環境に良いなどと言われてもはっきり言って意味不明です。

当然企業の人たちは意味がないことをわかっているでしょうけど、「脱プラスチックを進めています」みたいな目立つ取り組みの魔力に勝てないのでしょう。

このような取り組みはいわゆる「グリーンウォッシュ」と呼ばれるもので、最近では「SDGsウォッシュ」とも呼ばれていますね。「SDGsに取り組んでいます」と言わなければいけない雰囲気に飲み込まれて、予算もあまりない中でとりあえずなにかやってるフリをしなければなりません

こういう場合に効果があるかどうかは関係なく、目立つ・わかりやすい・話題性がある、という対策に飛びついてしまうという構図があります。

化学物質においてもとりあえず「○○は使ってません(ただし、よく似た別の物質に代えただけです)」みたいなアピールはよくあります。このような安易な代替によるリスクトレードオフは大きな問題になっていることを過去記事でもまとめています。

化学物質の安易な代替によるリスクトレードオフは職場の化学物質管理でも大きな課題となっている
有害性が判明して規制された化学物質から、有害性情報がほとんどないため規制されていない化学物質への安易な代替によるリスクトレードオフは、職場の化学物質管理においても発生しています。そこで本記事では労働安全衛生法による職場の化学物質管理の見直しの方向性について解説します。

リスクの分野では「悪者を見つけてそれを徹底的に退治する」ということがよく見られます。ところが臭いものにフタをしただけで問題が解決するなら苦労はしません。あるリスクを減らしたところ別のリスクが増加する、というリスクトレードオフの事例もまたよく出てきます。

なにかが規制されると有害性に関する情報の少ない(よって規制されていない)化学物質に安易に代替され、一見すると管理できているように見えるけど実際のリスクは減っていない、というような状況が生まれています。

市民主体の「なにかしなくちゃ症候群」

市民の間にも「自分たちになにかできることはないか?」と考える人が結構います。良かれと思ってとりあえずなにかを始めることは大事ですが、あまり事前に調べたりせずに行動を起こすと「なにかしなくちゃ症候群」に陥りやすいですね。

最近よく聞くのが「フードロス削減のために廃棄される規格外野菜を活用しよう」という運動です。以下の記事に詳しく書かれていますが、
・質の悪いものは味も悪い場合が多い
・そもそも畑にすきこまれるので(肥料になるので)ムダにはならない
・収穫・梱包・輸送にコストがかかるのでそんなに安くできない(捨てるものだからタダでいいよねと考える人が多い)
・規格品がその分売れなくなるので農家のためにもならない
などの問題があります。現状で規格外野菜に目をつけるのはかなりスジが悪いようですが、日本人の「もったいない文化」に火をつけるのでとにかくウケが良いのですね。

マイナビ農業:その作物廃棄、本当にフードロス? 規格外品にまつわる思いちがいと落とし穴

その作物廃棄、本当にフードロス? 規格外品にまつわる思いちがいと落とし穴
SDGsへの関心の高まりで、フードロスについて考える場面が増えた。それにともなって、畑での作物廃棄にも注目が集まるようになってきている。しかし、畑での作物廃棄をフードロスと考えるべきなのか? 農産物流通ベンチャーを経営する筆者は、大企業によ

また、インターネットに流れるデマや陰謀論にハマり、「真実(と思い込んでいるもの)」に目覚めてしまう人もいます。こういう人たちは「真実」をみんなに知らせなければという正義感から、デマや陰謀論をSNSなどで一生懸命拡散しようとします

そこには仲間がたくさんいて充実感が得られます。そんな仲間たちと一緒に「敵(デマを叩いてくる人)」と戦うことでさらに仲間意識が高まります。本ブログの過去記事でも詳しく書いています。

トンデモ科学を撲滅せねば!と憤慨したときに考えるべきことその1:反ワクチンから抜け出した話を読んで
反ワクチン思想から抜け出したという話がTwitterで話題になっていますが、これは反ワクチンの人が読むべきというよりはトンデモ科学を撲滅せねば!と憤慨している人こそ読むべきです。合理的=科学的とは限らず、判断の背後にある物語や価値観を理解することが重要です。

反ワクチンと戦う方も正義と思っていますが、デマをばらまいている方もまた自分たちは正義だと思っているわけです。正義対悪の戦いではなく正義対正義の戦いになります。この「正義感」というやつは結構厄介なもので、「正義のために相手に攻撃的になってもOK」という非道徳的な行動を正当化しやすくなります。

「困っている人に救いの手を」みたいな活動もまたわかりやすく話題性があります。最近あった以下のニュースもそのたぐいの一つですね。医学生が弱者への共感を養うために売春を行う女性たちに汗拭きシートを配る活動を行ったようです。

弁護士ドットコムニュース:「医者の卵」が歌舞伎町で課外実習、立ちんぼ女性に汗拭きシート配る意味「他者への共感養ってほしい」

「医者の卵」が歌舞伎町で課外実習、立ちんぼ女性に汗拭きシート配る意味「他者への共感養ってほしい」 - 弁護士ドットコムニュース
日本一の歓楽街とされる新宿・歌舞伎町。「不夜城」に集う女性たちを支援につなげる「声かけ」の体験をしている若者がいる。昨今、偏差値が上がり、恵まれた家庭でないと進学が難しくなっている医学部の学生だ。...

これに対してX(旧Twitter)では以下のような批判的な反応が見られています。

・物をあげるっていう支援や物見遊山的なサポートは、追い詰められた人間たちの劣等感を煽るってことをどこか頭の隅に入れといてほしい。

・上流階級が物見遊山で貧困層の生活を覗き込んで的外れな援助で自己満する流れ醜悪すぎて見てられない

・「他者への共感」はぜひ育んで欲しいけど、なぜ教育に同意も取れてない無関係の人を巻き込むのか

市民による活動は純粋に良かれと思ってやっている場合が多く、これが意外と厄介だったりもします。その中には確信犯的な人も混ざっており、信じ込んでいる人を確信犯が搾取するような構造もあります(無給の活動員として利用するなど)。頭を使わずに行動力だけ高い人が特に搾取されやすく危ないですね。

まとめ:効果がある対策よりも目立つ対策が好まれる

リスク低減対策はその効果よりも目立つ、わかりやすい、話題になるなどの対策のほうが好まれる傾向があります。なにもしないほうがマシな場合であってもよけいなことをやってしまうのが「なにかしなくちゃ症候群」です。意味がないとわかっていてやっているのか、意味があると信じているのかを考えてみるとそれぞれの主体の行動原理がわかってきます。

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