2022年11月1日から2023年2月19日まで国立科学博物館で開催された特別展「毒展」に行ってきました。今回はそこで感じたこと(人工物の扱いが残念だった)を書いてみます。リスク評価・管理の考え方が不足していたと思います。
「毒」は基本的にヒトを含む生物に害を与える物質として理解されています。しかし、毒のなかには単に毒にとどまらず、薬効をもつものもあります。「生物に何らかの作用を与える物質」のうち、人間にプラスに働くものを薬、マイナスに働くものを毒と呼んで、多様で複雑な自然界を理解し、利用するために人間が作り出した概念と考えることができます。人体に有用なものでも、取りすぎると毒になることがあります。また、アレルギー反応にみられるように、感受性の高低によっても毒性は異なります。
https://www.dokuten.jp/
本展では動物、植物、菌類、そして鉱物や人工毒など、自然界のあらゆるところに存在する毒について、動物学、植物学、地学、人類学、理工学の各研究分野のスペシャリストが徹底的に掘り下げ、国立科学博物館ならではの視点で解説していきます。毒をテーマにした特別展は、国立科学博物館では初めての開催となります。
自然界、そして人間の社会にはさまざまな毒が存在します。毒とそれに関わる生物との関係を知ることは、自然界の神秘と驚きに満ちた一面を知ると共に、現代社会を生きるうえで大きな助けとなると考えています。
「毒展」の全体像
「毒展」ではなく「毒をもつ生物展」だと思えば全体的には非常に面白かったです。動物(魚、蛇などの爬虫類、カエルなどの両生類、ハチなどの昆虫)、植物(トリカブトとか)、菌類(毒キノコ)などの展示がメインでした。生き物屋さんが中心に作っているのでそうなってしまうのでしょう。
ちなみにトップの画像はかわいいゴンズイちゃんの模型です。背びれと胸びれに毒があり、刺されると激しく痛いそうです。下の画像は最初に出迎えてくれる「どデカい」ハブの口です。
鉱物(水銀、鉛、ヒ素など)や人工物もちょっとだけ展示がありました。が、私のような化学物質のリスク評価を専門とする人間にとっては、「毒展」といいつつリスクの評価や管理を扱わないのは納得いかないものでした。
一応、化学物質のリスクにつながりそうな話も若干はありました:
・身の回りのものでも案外毒になるものがある(玉ねぎをペットに食べさせると危険など)
・パラケルススの有名な一説「あらゆるものは毒であり、毒か否かは量で決まる」
・毒性の評価法(マウスの毒性試験とLD50の話)
ただ、全体的には「有害なモノ」と「そうでないモノ」という二分的な扱いであり、「人間社会と毒のつながり」、「毒とのつきあいかた」的なテーマの展示もありましたが、そこでもリスクをどう評価して管理していくか?みたいな話は皆無でした。
以下のような記述はあまりに危険をあおるストーリーありきでガッカリですね。こういう書き方だと、普通の人は「人工の化学物質は怖いものだね、使わないほうが良いね」という感想しか持てないでしょう。
人間が作り出した毒もある。シラミやマラリアの駆除のために使用されたDDTや、工業的に利用されたPCB、プラスチック製品の焼却などによって生じるダイオキシンなどの物質は、POPs(Persistent Organic Pollutants)と総称される難分解性の物質だ。これらの多くは発がん性を始めとする毒性をもち、自然界では分解されない数mm程度のプラスチックの小さな粒(マイクロプラスチック)に吸着されて生物濃縮(食物連鎖を経て、連鎖の順番では後に位置する高次消費者の生物ほど毒が濃くなり、私たちの口に入る時にはかなりの濃度になること)され、他ならぬ私たちを苦しめる結果となっている。
https://www.dokuten.jp/exhibition02.html
発がん性があるかどうかよりもそのリスクの大きさで判断すべきですし、水環境中の化学物質はプラスチック以外の粒子に吸着しているもののほうがはるかに多いです。「かなりの高濃度」とはいったいどれくらいなのか、「私たちを苦しめる結果」とはいったい何を指しているのかわかりません。PCBが直接食品に混入したカネミ油症事件では大きな健康被害が出ましたが、環境経由でこのような健康被害が出たケースはありません。
それでは以下、実際の人工物に関する展示を見ていきましょう。
人工物の扱いその1(DDT)
人工物の展示はDDTなどのPOPs(難分解性有機汚染物質)とマイクロプラスチックの2点のみです。DDTの解説は以下のとおりです。
DDTはマラリアを媒介する蚊やシラミの駆除に非常に効果的でしたが、米国でハクトウワシやセグロカモメなどに悪影響を与えていることが指摘され、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の影響もあり、各国で使用が禁止されました。
その後、ハクトウワシやセグロカモメの個体数は回復したそうですが、これでメデタシメデタシではありません。東南アジアなどでマラリアの患者数が激増し、2006年にはWHOが屋内でのDDTの使用を推奨するなど、情勢は変わってきています。
公式図録のほうには禁止後にマラリア患者が急増し、その後一部で使用が推奨されるようになったことなども書かれていますが、展示ではそのあたりの言及がありませんでした。悪いものを退治してメデタシメデタシなストーリーが展開されています。
人間が魚などの食事由来で摂取する場合であっても、環境省のリスク評価によると最大摂取量は平均で0.017μg/kg/day、最大で0.16μg/kg/dayと推定されています。一方でヒトの疫学調査で影響が見られなかった摂取量は60μg/kg/dayであり、最大の摂取量であっても380倍もの差(曝露マージンという)があります。マイクロプラスチックを経由した生物濃縮で「私たちを苦しめる結果」と書いたのはいったい何だったのでしょうか?
環境省:化学物質の環境リスク評価 第1巻 [20] p,p’-DDT
どうせ農薬を扱うなら現代の農薬の説明をしたらもっと面白いと思います。例えば、
・田んぼで使う除草剤はなぜ雑草だけを枯らして稲を枯らさないのか?
・近年の殺虫剤の神経毒はなぜ昆虫にだけ効いて魚や哺乳類(人間を含む)にはあまり効かないのか?
・どうやって長期残効性を持たせているのか?(単に分解しにくいとかそんなシンプルな話じゃないんですよ)
みたいな解説はきっと「おおーっ!」と思うこと間違いないでしょう。作り手側が「農薬なんて毒をバラ撒いてるだけでしょう?」というイメージから抜け出さないといけませんね。
農薬の生態系への影響を扱いたいなら、そのリスクがどのように評価されてどのように管理されているかという情報ももちろん必要になりますね。
環境省:水域の生活環境動植物の被害防止に係る農薬登録基準
人工物の扱いその2(マイクロプラスチック)
マイクロプラスチックについては以下のとおり。
プラスチックについては全くベネフィットの説明がなく、単なる有害物という扱いになってますね。プラスチックは食品を安全に包装し輸送できることで、感染症含めさまざまなリスク低減に非常に有用なものですが、このような扱いは非常に残念です。
マイクロプラスチックのリスクについてはこれまで本ブログでも書いていますので、コチラをご覧ください。この展示から受けるイメージが大きく変わるはずです。
この展示では特にプラスチックの添加剤にフォーカスした説明がされています。添加剤として使用されるフタル酸エステルやビスフェノールA、臭素系難燃剤などはよく環境中から検出されますが、以下にあるようにそれぞれがリスク評価されており、リスクの懸念は低いことが示されています。
産業技術総合研究所:フタル酸エステル-DEHP-詳細リスク評価書:概要
産業技術総合研究所:詳細リスク評価書シリーズ6 ビスフェノールA:概要
産業技術総合研究所:リスクトレードオフ評価書(プラスチック添加剤 -難燃剤-)
ということで、「有害か有害じゃないか」という考え方から「リスク」という考え方に転換すれば、展示の方向性も大きく変わったのではないかと感じた次第でした。
補足
タイアップソングはBiSHの「UP to ME」という曲ですが、音声ガイドの会場レンタル版に課金しないと聴けません(アプリ配信版ではダメ)。なのでたぶん来場者の99%はこのタイアップソングを聴いてないと思われます。youtubeでは2バージョンありますが、こっちのダンスバージョンのほうがよいですね。
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