リスクガバナンス

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リスク評価はファクトではないその2~純粋科学とレギュラトリーサイエンスの考え方の違い~

日焼け止めで淡水生態系は致命的な影響を受けるのか?というテーマから、ファクトを追及することを目的とする純粋科学と、意思決定の判断材料を提示することを目的とするレギュラトリーサイエンスの考え方の違いを解説します。例えば純粋科学では日焼け止め成分をミジンコに曝露させたら死んだというファクトを重視しますが、レギュラトリーサイエンスではミジンコに対する無影響レベルはどれくらいかを重視します。
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リスク評価はファクトではない~断片的なファクトから問題解決につなげる作法~

リスク評価はファクトではなく、むしろ「ファクトがわかってからでは遅すぎる」という問題に対応するための作法と言えます。断片的なファクトを最大限有効に活用して、知見が欠けている部分は推定や仮定を置いて穴埋めし、政策などの意思決定の根拠として活用できるようにしたものです。
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多くの人が間違って使っている言葉「予防原則」について改めて解説します

あまり理解せずに使っている例が多い「予防原則」という考え方についてまとめます。「予防原則」と「予防的アプローチ」と「未然防止」の違いについて、弱いバージョンと強いバージョンの違いについて、リスクトレードオフには対応できないこと、について解説していきます。
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リスク・ホメオスタシス理論で考えるコロナ感染者数が増減を繰り返す理由

リスクホメオスタシス理論は交通安全分野で生まれた概念で、安全対策を採った分だけ危険な行動が増加するため結果としてリスクはあまり変わらないという理論です。この理論を用いてコロナ感染者数が何度も増減を繰り返す理由を考えます。集団の中のリスク許容度の差が大きいことが重要になってきます。
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リスク許容度から考えるオリンピックとロック・イン・ジャパン・フェスティバルとこんにゃくゼリーの共通点とは何か?

サッカーEURO選手権や野球のオールスターで満員の観客を入れている欧米よりもコロナの感染者数や死者数が抑えられている日本でのオリンピックは無観客となりました。オリンピックや中止に追い込まれた日本のロックフェスの共通点を、やはりリスクに関して批判の矛先が集中したこんにゃくゼリーも含めて考えてみました。
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東京オリンピック2021開催に関する尾身提言のからくり:リスク評価としての出来は不十分

オリンピック開催に関する尾身提言の内容についてリスク評価の観点から見ていきます。飲食などの人流の増加の程度に関しては根拠が乏しく、安全目標も不明確で、リスク評価に基づいたリスク管理になっていません。最も気になるのは「解決志向リスク評価」の視点が欠けている点です。
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コロナウイルスのリスクガバナンスにおける科学と政治その7:オリンピックの開催是非は専門家が判断することなのか?

オリンピックの開催などをめぐって科学vs政治の対立構造があおられていますが、科学と政治の間に位置づくレギュラトリーサイエンスの観点が重要です。専門家がリスク管理に踏み込むのは緊急事態であることを考えれば仕方ありませんが、これが標準的なやり方ではありません。リスク評価の限界やリスクが許容可能かどうかの議論の必要性などの論点を整理します。
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米国のメンソールたばこの禁止は「健康格差是正」という新たなロジックに基づくものである

米国でメンソールたばこが禁止される方向に進んでいますが、これは単純にメンソールたばこによる健康被害があるからというよりは、健康格差の是正という新たな規制のロジックに基づいています。これはたばこ自体に手をつけずにメンソールだけを狙い撃ちするために考え出されたロジックと考えられます。
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ドアノブなどを拭くのは本当にムダなのか?コロナウイルス表面除染のリスク学

コロナウイルスの感染経路は飛沫が重要なので、モノの表面はドアノブなどの「みんなが触るところ」よりも「飛沫が直接かかるところ」に注意が必要です。消毒薬はその使用自体にリスクがある次亜塩素酸やアルコールよりも家庭用洗剤で十分ですが、規制の枠組み上商品にそのような表示ができません。
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なぜ予測を出せなくなり、なぜそれがリスクとなるのか?予測のリスク学その3

コロナウイルス対策では予測に基づく対策が遅れているように感じます。Googleなどの海外勢が日本の感染予測を出す一方で、日本からは予測が出なくなってしまいました。本来予測を出すべきである中の人たちが予測を出せなくなる現状とその問題点について、コロナと原発事故を比較しながら整理しました。