どうして生物屋と農業者のすれ違いは繰り返されるのか?

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要約

生物屋は理想的な生物多様性保全の姿を農業者に求め、農業者は現場での実行可能性を重視するというすれ違いがSNSなどで繰り返し目立ちます。どうしてすれ違いが繰り返されるのかについて、保全目標の重要性や専門家の活用の可能性の観点などからまとめます。

本文:どうして生物屋と農業者はすれ違うのか?

X(旧Twitter)を見ていると、農業系のアカウントと生物多様性系のアカウントがぶつかり合う場面が結構目立ちます。今回はこの話を題材に書いていきます。

例えば2024年2月には、ある人が農業用の水路で釣りをしようとしたところ、以前は土手であったところがコンクリートで固められて、これでは魚がいなくなってしまうと不満をこぼしました。これに対して、水路は釣り人のためのものではなく、過疎化・高齢化が進んだ中山間地で水路を維持管理していくためには必要な工事である、と農業系の人たちが反論しました。

これに限らず、農薬使用に関してしっかりと規制を守り、用量・用法を守り、なるべく使用量を減らす努力をしている農家に対して、「農薬を使う慣行農家は生物多様性に一切配慮していない」などと言い放つ生物多様性系アカウントなどもあります。

農家側も「だったらまずは水路の泥さらいに来い」、「除草剤を使わない代わりに農薬使用に批判する人たちが雑草抜きに来い」などと反論します。このように生物屋と農業者は立場の違いから議論が沸騰しやすい傾向があります。

平成13年に改正された土地改良法にて土地改良事業の実施に当たって「環境との調和に配慮すること」が位置付けられました。これに基づいて、生物多様性に配慮した水路なども整備されてきています。例えば、以下の資料ではさまざまな生物多様性配慮型の水路における保全効果の検証が行われています。

農林水産省 鳥獣対策・農村環境課 (2022) 農業水路系における生物多様性保全のための技法と留意事項
https://www.maff.go.jp/j/nousin/kankyo/kankyo_hozen/attach/pdf/index-28.pdf
概要版
https://www.maff.go.jp/j/nousin/kankyo/kankyo_hozen/attach/pdf/index-31.pdf

これを見ると、配慮護岸、魚巣ブロック、二面張り水路、深み工、ワンド工、ビオトープ、水路魚道、水田魚道のようなさまざまな配慮施設があることがわかりますね。

生物多様性の視点からは、この土地改良法を持ち出してコンクリート張りを批判することが多いのですが、「三面張りコンクリート水路はダメ」などと規制をかけられているわけではないことに注意が必要です。

本記事では、どうしてこのような生物屋と農業者のすれ違いは繰り返されるのか?についてまとめます。まず、保全目標の重要性について整理し、次に専門家の活用の可能性について(少々否定的に)論じます。最後に解決に向けてのヒントを考えてみましょう。

「保全目標」がないと議論は平行線のまま

本ブログでは「安全の定義」についてたびたび書いています。安全とは「許容できないリスクのないこと」で、許容可能なリスクの上限を安全目標と呼びます。生態系保全の場合は、生物がリスクを許容するわけではなくあくまで人間目線で許容できないリスクを決めて、そこから「保全目標」を決めます。

保全目標とは「何をどれだけ守れば十分か」という話です。これは科学だけでは決められない問題ですが、科学を軽視して決めることもできません。価値判断の要素も多分に入っており、突き詰めれば「我々はどうのような世界に生きたいのか?」というスケールの話になります。専門家は「素人は黙ってろ」という態度に出ることが多いのですが、価値判断の部分では専門家以外の意見も重要です。

リスク管理においてはこの安全目標や保全目標を決めることがスタートです。これがないままになにをすべきかを議論してもまったく噛み合うことがありません。冒頭で書いた生物屋vs農業者みたいな構図についてみても、この保全目標がないままに「生物に影響を与えるのは許さない」vs「現場は現状こうやるのが精一杯」という噛み合わない構図になります。

水路の話に戻ると、土地改良法では生物多様性に配慮しなければならないために、コンクリート張りは法令違反だと主張する人までいるようです。もしそのような「規制」があるとすれば、なにをもって違反なのかを決めるのが保全目標になります。「生物多様性の専門家がそう思うから」ではありません。冒頭に書いたようにコンクリート張りを規制されているわけではありません。つまり、現時点で保全目標は設定されていない、と考えられるのです。

この話は「規制行政(コンクリート張りの水路はダメ)」と「推進行政(環境配慮型の水路を積極的に作ろう)」の違いをわかっていないことが原因です。土地改良法における環境調和は規制ではなく推進ですね。

本ブログではこれまで関連する記事をいくつか書いていますのでそれも合わせて紹介します。

安全の定義について

安全と安心の違い再考~同じようで違っていて、違うようで同じである~
「安全」と「安心」はセットで使われることが多いのですが、「安全と安心は違う!安全は科学的、安心は心理的なもの」という安全安心二分論も頻繁に見かけます。ただし実際には「安全」の中にも心理的な要素は含まれており、同じようで違っていて違うようで同じ概念と整理できます。

リスクの許容度は対象への態度で変化する(科学だけでは決まらない)

リスク許容度から考えるオリンピックとロック・イン・ジャパン・フェスティバルとこんにゃくゼリーの共通点とは何か?
サッカーEURO選手権や野球のオールスターで満員の観客を入れている欧米よりもコロナの感染者数や死者数が抑えられている日本でのオリンピックは無観客となりました。オリンピックや中止に追い込まれた日本のロックフェスの共通点を、やはりリスクに関して批判の矛先が集中したこんにゃくゼリーも含めて考えてみました。

規制行政と推進行政の違いについて書いた記事

農薬の規制強化と有機農業の推進から考える規制行政と推進行政の違い
農薬の規制と有機農業の推進はセットで語られることが多いのですが、この二つは似ているように見えてまったく違います。規制は経済への介入となるため慎重さ・科学的根拠・国際調和が求められ、推進はそれよりもお気持ちが通りやすく暴走しやすいという特徴があります。

専門家を活用すればうまくいくのか?

「生物多様性の専門家をもっと活用すればよい」という意見もよく目にします。例えば企業は生物多様性の専門家を雇用すべき、そうすれば企業による生物多様性の取り組みは効果的になる、というような話です。ただし、この手の話も少し冷静に考えるべきでしょう。

専門家は自身の専門知識を披露するのが大好きです(私もこんなブログを書いているのでご多分に漏れずですが)。そして、他人の間違った知識を正すのも大好きです。組織の中に生物多様性の専門家が放り込まれても、
・組織が置かれた問題を共有する前に正しい知識を披露しがち
・俺様が教えてしんぜようの態度になりがち
・専門知識だけで問題を解決できると信じがち
な面があります。専門家は話すのは好きですが人の話を聞くのはニガテですね。

まずは現場が置かれた状況をよく理解して、現場としての問題を解決しないとなにも貢献できないでしょう。企業の場合でも、担当者はもっといろいろ生物多様性の取り組みをやりたくても、役員を説得できないみたいな壁にぶつかったりしているのです。

本ブログでは過去に「なぜ組織に専門家を放り込むだけではダメなのか?」をリスクコミュニケーションを例に書いた記事があります。組織としての文化がないところに専門家を放り込んでも能力の発揮が難しくなります。

「〇〇にリスコミの専門家がいれば、、、」という声が「〇〇にリスコミの専門家がいるのになぜ、、、」という声に変わる理由
組織にリスコミの専門家が入るだけでは上手くいかないのは(1)大きな組織ほどヒエラルキー構造が強く専門家の意見が反映されにくい、(2)リスコミを活用しようとする組織への変革が追いついていない、という理由が考えられます。そして現在のリスコミ人材の育成は、組織・現場のことをよく知る関係者のリスコミ能力を高める方向に進んでいます。

また、リスクコミュニケーションでは「人々の科学的知識が欠けているからリスクが低くても不安に思うのだ。教育によって知識を与えれば不安が解消されて安心するはずだ」という前提が初期のころにありました。実際にはこのような考え方に基づくリスクコミュニケーションはあまり成功しませんでした。

これも生物多様性の分野にそのままあてはまるように思います。「人々の生物多様性に関する知識が欠けているから生物多様性に配慮しないのだ。教育によって知識を与えれば生物多様性に配慮するようになるはずだ」という考え方ですね。これも多分うまくいかないでしょう。

冒頭にも書いたように水路の問題は知識の欠如ではなく維持管理がボトルネックになっていたりします。なので生物多様性に関する情報提供や教育に力を入れる「だけ」ではうまくいきませんね。もちろん情報提供や教育が必要ないと言っているわけではありませんよ。

また、専門家が「科学」と呼んでいる中にも案外科学以外のものが含まれていることには自覚が必要でしょう。「生物多様性に配慮」と言った際に、そもそもどんな生き物に注目するか(例えばトキやコウノトリ、メダカなどのアイコン生物や、昆虫などの科学者が大好きな生物)みたいなところは価値観の部分が大きかったりします。微生物のような目に見えない生物だってもちろん生物多様性を構成する立派な一員ですが無視されがちです。

何を見て何を見ていないか、というところにはバイアスが潜んでいます。意見の対立が本当に科学の部分の対立なのか価値観の部分の対立なのかを見極めることも大切です。価値観の対立である場合にはいくら専門家が情報提供しても対立が収まることはないでしょう。

これも関連記事として、本ブログでリスク評価の中に潜む価値判断についてまとめた記事を紹介しておきます。

リスク評価はファクトではないその3~リスク評価の中に潜む価値判断~
「リスク評価は専門家が行うものなので完全に科学的なもの」と言えるわけではなく、その中にはさまざまな価値判断も含まれています。特に「そもそも何を評価するか?」という部分には価値観が大きく反映されるので、専門家以外のかかわり方も重要になります。

対立を解く解決策はあるのか?

ここまで保全目標の重要性と専門家の活用について書きましたが、問題は根深くて解決はなかなか難しそうだということがわかります。すぐに「こうすれば解決!」みたいな魔法はありませんが、考えるヒントになりそうなことを本ブログの過去記事を引用しながら整理してみましょう。

1.本業できちんと稼ぐことが重要

生物多様性の保全には環境にやさしい有機農業を増やせばよい、という意見はよく聞きますが、結局のところ有機で大規模化はなかなか難しいです。有機農業は現状1%にも満たない規模であり、小規模でやっている限りその貢献度は小さいままです。それよりも大部分を占める慣行農業による環境負荷を減らす方向性のほうが全体としての効果が高いです。

そして大規模化している農家ほど生物多様性の取り組み割合が高くなっています。SDGsなども取り組んでいる企業は大企業が多く、本業できちんと儲けているほど生物多様性保全の取り組みができる余裕が生まれるのです。

衣食足りて礼節を知る?~農業×SDGsの波は順番が逆~
「衣食足りて礼節を知る」すなわち、SDGsにおいてもまずは食うに困らない安定した生活基盤があって初めて環境保全などのプラスαの取り組みがうまくいきます。農業においても、大規模農家のほうが環境保全に取り組む余裕が出てくるため結果的に取り組みが進んでいます。
2.イメージアップよりもリスクマネジメントが重要

生物多様性に取り組んでイメージアップして販売価格を上げようとする取り組みもいろんなところで行われています。ただし、まだ生物多様性に対する注目度はトレンドとしては弱く、トキやコウノトリなどの訴求力の強い生き物がいる地域を除けば、イメージアップとしてそれほど強い力はありません

より重要なのはリスクマネジメントの視点での生物多様性保全となるでしょう。GAP認証(食品安全、環境保全、労働安全を目標として農場が取り組むリスクマネジメント)の取得によってスーパーへの出荷が有利になったりします。リスクマネジメントの取り組みによって環境保全だけではなく収益も上がることも実証されています。さらにクロスコンプライアンス制度も導入されますが、GAPに取り組んでいれば楽にクリアできるようになるでしょう。

生物多様性への取り組みって何すればいいの?と悩んだ時の3つの戦略
SDGsやCSR、ESG投資対応で「生物多様性」に取り組まねばならないけど何をしたらよいのかわからない、という悩みに対しての3つの戦略を示します。いずれも本業と密接に関わり企業価値を向上させるような取り組みをするべきであるとまとめられます。
制度は立派な欧州とリスクは低いニッポンその2:農薬編
農林水産省の補助金を受ける場合に環境負荷低減の取組が義務化されます(クロスコンプライアンス制度)。欧州では2005年から義務化されており日本は制度的に遅れています。一方で実際のリスクの比較として残留農薬基準の超過率を日欧で比べてみると興味深い関係が明らかになります。
3.解決志向型で考える

冒頭の水路の話に戻りますが「コンクリート張りはダメ、自然を再現した水路にするべき」みたいな意見は、コロナ対策における「なにもしないと42万人死亡、外出を8割減らせばよい」という専門家の意見と似ているように思います。

専門家からの理想論の押しつけではなく、まずは各現場にて実行可能な対策(なにもしないという対策も含む)を並べて、それぞれの費用や効果などを評価して対策の意思決定につなげることが現実的です。これが「解決志向リスク評価」と呼ばれる考え方です。正解を追及することではなく「できることはなにか?」から始めると、対立から前に進めるようになるのではないでしょうか。

コロナウイルスのリスクガバナンスにおける科学と政治その5:リスク評価・管理の分離から解決志向リスク評価へ
専門家はリスク評価、行政・政治はリスク管理という評価・管理分離論がリスク対策においては主流となっていますが、今回のコロナウイルス対策の事例を見てもいろいろと不都合が浮かび上がってきました。「解決志向リスク評価」はそのような関係性を再構築するものです。

まとめ:どうして生物屋と農業者はすれ違うのか?

SNSなどで生物屋と農業者の対立が繰り返されています。生物屋は理想的な生物多様性保全の姿を農業者に求め、農業者は現場での実行可能性を重視します。両者が同じ土俵で議論するためにはまず保全目標の設定が必要です。また、専門知識だけで解決できる問題ではないことを理解し、情報提供・啓蒙の効果を過信しないことも重要です。それでも人の考え方はそう簡単には変わらず解決は簡単ではありませんが、ゆっくりではあるものの確実に良い方向に変化はしていくでしょう。

コメント

  1. 梅田彬晴 より:

    デマ本とマトモな本は図書館にどれだけ蔵書されている?(原発・食/農関係)
    https://seisenudoku.seesaa.net/article/493263625.html

    「基準値のからくり」(講談社ブルーバックス)は、良質な本判定で、事実誤認が確認できない・または極小で、特筆すべき主張や説明がされているものです。

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