要約
2024年度から農林水産省の補助金を受ける場合に環境負荷低減の取組が義務化されます(クロスコンプライアンス制度)。欧州では2005年から義務化されており日本は制度的に遅れています。一方で実際のリスクの比較として残留農薬基準の超過率を日欧で比べてみると興味深い関係が明らかになります。
本文:制度とリスクの日欧比較:農薬編
「規制制度が立派な欧州と規制は緩いがリスクは低いニッポン」シリーズの二回目です。
初回の記事では、コロナ対策、性犯罪の履歴確認、農作業安全の3つの事例を取り上げて、規制制度の比較と実際のリスクの大きさを比較しました。いずれの事例でも、欧州は日本よりも強力な規制があり、制度が立派ですがリスクはむしろ日本のほうが低いという結果となりました。
今回は農業における環境規制について取り上げたいと思います。
農林水産省の補助金等の交付を受ける場合に、環境負荷低減の取組を義務化する「クロスコンプライアンス」制度が2024年度から導入されることになりました。さらに2027年度からは守れていない場合にペナルティーを課すことが検討されています。
マイナビ農業:すべての補助金で環境負荷低減が必須に。みどり戦略の「クロスコンプライアンス制度」始動
さらに2027年度からは、ペナルティーを導入することを視野に入れている。補助事業の申請時にチェックした項目を実施していない場合、改善するようまず農家に求める。それでも応じないときは、罰則を科す。
ペナルティーは「氏名を公表する」「補助金の返還を求める」などが想定される。具体的な内容は、24年度以降の実施状況を見ながら考える。農水省は27年度をクロスコンプライアンスの本格導入の年と位置づけている。
この「クロスコンプライアンス」制度は欧州では2005年からすでに導入されており、約20年遅れて日本でも導入されることとなりました。制度上では欧州が先行していて日本はかなり遅れているように見えます。
しかしながら初回の事例で見てきたように、規制の強さと実際のリスクの大きさはあまり関係がないようです。そこでクロスコンプライアンス制度についてはどうなのか、特に本記事では農薬について注目してみましょう。
本記事ではまず欧州のクロスコンプライアンス制度について解説し、次に日本のクロスコンプライアンス制度、特に使用されるチェックシートについて注目します。最後に欧州と日本の残留農薬基準の超過率からリスクを比較してみましょう。
欧州のクロスコンプライアンス
まず、補助金を受け取るための環境配慮のクロスコンプライアンスについて、欧州では2005年から義務化されました。概要は以下の農林水産省の資料に書かれています。
農林水産省(2019)海外における環境直接支払制度の現状・課題分析~平成30年度調査委託事業の結果概要~
https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/kakyou_chokubarai/attach/pdf/sansya_11-9.pdf
この制度が始まった際に、補助金の性質が生産量に応じた直接支払いから、生産者を単位とした直接支払いに変わったのです。これを生産と補助金のデカップリング(それまでセットで考えられていたものを切り離すこと)と呼ばれています。これによって、直接支払いが生産を支えるものから環境保全に係る農地管理や生産物の質の向上を支えるものへと性質が変わりました。
ところで「クロスコンプライアンス」とはどういう意味でしょう?「コンプライアンス」は法令遵守などルールに従うことを意味します。「クロス」はなにかをまたぐという意味です。直接支払いは農家の所得向上を目的とするものですが、そのための受給要件として所得向上とは関係のない環境要件を課しています。このことを目的と要件が「またいでいる(クロスしている)」と表現しているわけですね。
ではどのような条件を満たすと「クロスコンプライアンス」を満たしたことになるのでしょうか?以下の記載を見てみましょう。
農畜産業振興機構:EUにおける直接支払い受給のための要件について. 月報 <畜産の情報> 月報「畜産の情報」(海外編)2007年1月
このクロス・コンプライアンスの順守項目は、関係法令の順守と農地の適正管理の2つの大きな柱からなっている。
(1) 関係法令の順守
農業生産活動において、環境保全、公衆衛生、動植物衛生、動物福祉の分野に関する19(※)の法令で定められた基準を満たして農業生産活動を行う必要がある。
(※ 本規則の公布(2003年9月)時点での対象法令は18であったが、2004年1月に施行された「羊およびヤギの個体識別および登録システムの確立に関する理事会規則(EC/21/2004)」が後に追加され、対象法令は19となった。)(2) 農地の適正管理
https://lin.alic.go.jp/alic/month/fore/2007/jan/spe-01.htm
直接支払いの受給資格を得るためには、生産の有無にかかわらず、対象農地を農業生産および環境の両面で良好な状態に保つ必要がある。
法令遵守のほうはEUがルールを決めますが、農地の適正管理(Good Agriculture and Environmental Condition, 略してGAEC)については国によって状況がかなり異なり、欧州の各国が独自にルール化しているために地域差がかなり大きいようです。
このGAECはGAP(Good Agriculture Practice)と似ている概念なので両者を混同しがちです。欧州では2005年からGlobal GAPが義務化されたなどと言う人もいるのですが、両者は異なるものです。
欧州におけるGAP認証(Global GAP)は、小売業者団体が中心になって策定したもので、生産者と流通業者の農産物取引のための農場認証制度です。生産物を欧州の大手スーパーに並べてもらうためにはこのGlobal GAPの認証が必要になります。
日本のクロスコンプライアンス
次に、冒頭で紹介した農林水産省によるクロスコンプライアンス制度について見ていきましょう。「農林漁業に由来する環境負荷に総合的に配慮するための基本的な取組」はチェックシートを記入・提出することで確認されることとなります。
農林水産省:環境負荷低減のクロスコンプライアンス
そのチェックシートは以下のような内容です(2024年3月時点の農業経営体向けのバージョンです)。
「努める」とか「検討」が多くて、なんとでも言えてしまうような内容です。まだ制度の開始段階なので簡単なものになっていると思われます。将来的には徐々に厳しくなっていくかもしれません。
なお、「努める」とか「検討」については、事後確認の際に聞き取りによって確認したり、聞き取りのマニュアルを整備したりなどが検討されているようです(だったらチェックシートとか要らなくないですか?)。
また、欧州の制度でも説明したようにGAP認証(日本ではJGAP認証が良く知られています)とは異なります。GAP認証を取得していてもチェックシートを提出する必要がありますが、GAP認証でチェックシートに代えられるかを検討するとQ&Aに書いてあります。
生物多様性への悪影響の防止については以下の2項目で、これは農薬関係の項目と完全にダブっています。
□病害虫・雑草の発生状況を把握した上で防除の要否及びタイミングの判断に努める
□多様な防除方法(防除資材、使用方法)を活用した防除を検討
つまり、上記の取組の結果として農薬使用が減少すれば生物多様性にプラスになる、と言っているのと同じですね。
「農薬使用=悪いこと」とみなしていることが非常に気になりますが、農薬は登録審査にて生活環境動植物の被害防止に係る規制をクリアしています。規制をクリアした中でもリスクの高低はありますが、そのような情報を確認しながら使用することが重要と考えます。
環境省:水域の生活環境動植物の被害防止に係る農薬登録基準について
残留農薬基準超過率の日欧比較
農薬関係では以下のようなチェック項目があります。
□病害虫・雑草が発生しにくい生産条件の整備を検討
□病害虫・雑草の発生状況を把握した上で防除の要否及びタイミングの判断に努める
□多様な防除方法(防除資材、使用方法)を活用した防除を検討
□農薬の適正な使用・保管
□農薬の使用状況等の記録・保存
このようなチェックシートの項目が守られていれば農薬の使用量は最小限となり、残留農薬基準を超える事例も減るはずですね。ちなみに基準値超過は健康影響を示すものではなく、農薬を適切に使用していない(使用基準を守っていない)ということを示すものです。
そこで、残留農薬基準の超過率の日欧比較をしてみましょう。まずは欧州の場合です。以下のEFSA(欧州食品安全機関)のレポートによれば、2021年に分析された87863サンプルのうち残留基準値超過率は3.9%でした。
ただし超過した3.9%のうち「違反」となるのは2.5%です。これはどういうことかというと、分析値には不確実性があるので、多少基準値を超えていてもそれは誤差の範囲内とみなされると「違反」にはならないわけです。
EFSA (2023) The 2021 European Union report on pesticide residues in food
この辺は以下のJETRO(日本貿易振興機構)のレポートでも書かれていますね。
JETRO (2015) EUにおける残留農薬に関する規制https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/07001937/zannou_eu_rev.pdf
通関時のサンプル検査において、農薬残留値がMRLをわずかでも上回ると輸入差し止めとなるのかどうかについては、加盟国当局に一定の裁量が与えられている。EUでは、EUレベルで毎年実施される残留農薬モニタリング調査に加え、各国が独自の状況や戦略に基づき実施している残留農薬管理プログラムがある(輸入製品のみに限らない)。EFSAがこれらの結果を毎年発表しているが、2012年モニタリング調査結果レポート(2014年12月発表)によれば、残留農薬規制違反で食品事業者に法的処分ないし行政処分を課す前には、分析測定不確実性を考慮するのが慣行であり、測定不確実性は通常、残留濃度測定値の±50%を適用していると記述されている。
同レポートによれば、2012年に加盟国の残留農薬管理プログラムのもと総数7万8390サンプル(食品約750品目/農薬約800種類)に対して分析が行われた。MRLを超過していたのは全体の2.9%であったが、このうち残留濃度が明らかに法的上限を超えており「違反(non-compliant)」との判定が下され当該食品事業者に対して行政上あるいは法的な措置がとられたサンプルは1.7%で、残り1.2%は、MRLの基準を超えているものの測定不確実性を考慮して規則を遵守している(compliant)とみなされている。
さて、日本の場合はこのような基準値超えの際の不確実性の措置はないようです。以下の報告では、国産農産物は1,129,102件の調査が行われ、基準値超過数は24(超過率は0.002%)でした。ちなみに輸入農産物の基準値超過率は0.014%となり国産の7倍でした。そして欧州の基準値超過率3.9%はなんと日本の1000倍以上です!
厚生労働省:平成30年度 食品中の残留農薬等検査結果について
どういうサンプルを選んで分析しているか(完全にランダムに選んで分析するわけではない)は日本と欧州で違うかもしれませんので単純な比較はできないのですが、それにしても日本のほうが超過率がダントツで低いのですね。
この事例でも制度が立派な欧州と実際のリスクは低い日本という関係が示されました。政府が優秀な欧州、現場が優秀な日本と言い換えることもできそうです。
まとめ:制度とリスクの日欧比較:農薬編
農林水産省の補助金等の交付を受ける場合に、環境負荷低減の取組を義務化する「クロスコンプライアンス」制度が2024年度から導入されることになりました。欧州ではすでに2005年から義務化されており日本は制度的に遅れています。ところが、農薬を正しく使っているかどうかの指標となる残留農薬基準値超過率を比べてみると、日本のほうがはるかに低くなっていました。この事例でも制度が立派な欧州と実際のリスクは低い日本という関係が示されています。
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