要約
農家は長寿命説の文献を批判的に検証した記事に対するコメントへの返答として、職業別の平均余命、なぜ「農家は長寿命」説を信じ込みやすいかの心理学要因、農家は認知症予防に効果があるのか、などを整理しました。結果として、農業が寿命や認知症に与える影響は明確ではありませんでした。
本文:「農家は長寿命」説の検証その2
本ブログでは農家の死亡リスク・寿命についてこれまで二つの記事を書いており、どちらも人気のある記事となっています。
農業は死亡事故のリスクが高く、職業別の死亡率も他の業種よりも高くなっています。ただしそれは農家が高齢化していることが原因であり、農業自体のリスクが買いわけではないことを示しました。
また、農家は長寿命とする文献を精査したところ、エビデンスとしては非常に弱いものであることを示しました。
特に農家は長寿命説を検証した後者の記事は反響も大きく、いろんなコメントが寄せられました。内容としては、(1)農家は体を動かすので健康に良いはず、(2)都市伝説と言われてもやっぱり農家は長寿だと思う、(3)農家はボケない、などです。
コメントを頂けるのは非常にありがたいので、これらのコメントに対する答えも書いてみようと思いました。そこで本記事では、農家は長寿命説の検証その2として、職業別の平均余命を新たに調べて整理し、次にそもそもなぜ農家は長寿命説を信じ込みやすいかを心理学的に解説し、最後に農家は認知症予防に効果があるかどうかも調べた結果を報告します。
農家を含む職業別の平均余命
職業別の死亡率については過去記事で紹介した通り、年齢で調整すると農家の死亡率が高いわけではないことが示されました。ただし、死亡率はわかったけど寿命はどうなの?と言われると、寿命を調べたものはあまりありません。
文献1(文献情報は補足参照)は1985年とかなり古いですが日本の職業別生命表を調べた事例です。ただし、「農業」ではなく「農林漁業」でくくられています。65歳時点での平均余命で比べると以下のようになります。
就業者全体:17.1
専門・技術的職業:17.2
管理的職業:18.2
事務:17.7
販売:16.2
農林漁業:16.4
採掘:9.4
運輸・通信:17.4
技能・生産・労務作業:18.5
保安職業:18.0
サービス職業:16.0
無職:10.5
農林漁業は就業者全体よりも余命が短くなっています。ただし、採掘と無職が極端に短命になっている以外はそこまで大きな違いはなさそうです。
海外の研究も見てみましょう。
文献2(文献情報は補足参照)は、運輸、(非熟練の)一般、技術、管理、医療、農業、教育の7つのカテゴリでオランダにおける平均余命を調べたものです。65歳時の平均余命で比べると、男女ともに農業は教育に次いで二番目に余命が長くなっていました。特に男性の場合は運輸と教育で4歳近くも余命の差があります(以下に図表のリンクを貼ります)。
https://www.frontiersin.org/files/Articles/675618/fsoc-06-675618-HTML/image_m/fsoc-06-675618-g001.jpg
文献3(文献情報は補足参照)は、ドイツの男女における教育・収入・職業が余命に与える影響を調べたものです。教育や収入のレベルが高いほど寿命が延びています。また、いくつか職業を抜粋して65歳時の平均余命で比較すると、男性の場合以下のようになります。
全体:14.2
農家:16.8
採掘:11.5
技術専門職:16.8
運輸:13.0
医療:17.0
教育:18.0
農家は全体に比べて寿命が長くなっています。一方で女性の場合は以下のようになり、農家は全体よりも寿命が短くなっています。このように男女で結果が分かれるのは大変興味深いです。
全体:18.5
農家:17.8
技術専門職:19.8
運輸:17.9
医療:17.7
教育:22.1
これらをまとめると、なかなか白黒ハッキリとした結論を付けるのは難しいですね。日本ではまり影響がありませんが、海外だと少なくとも男性に限れば農家は長寿である可能性があります。このようなグレーの状況であると考えておけばよいでしょう。
農家は長寿説を信じ込みやすい心理的要因
以前に書いた記事では、農家は長寿命説を主張する文献に批判的な見解を出しましたが、それを読んでもなおかつやっぱり農家は長寿だと考える人が多いようです。なぜこんなにも農家は長寿命説を信じ込みやすいかを心理学的に説明してみます。
1.「事例が頭に浮かびやすいかどうか」を「正しさ」と混同する
まずは本ブログの過去記事でも解説したことのある「利用可能性ヒューリスティック」の影響です。例えば、水遊び中の子供が水死するなどの事故はよくニュースで報道されるため、水難=子供の水遊びとイメージしやすくなっています。ところが、実際には水難の死者は子供よりも高齢者が多く、水遊びよりも釣りや魚採りのほうが多いのです。このようにイメージしやすい情報に引っぱられて考えが偏ってしまいます。
そして令和3年の農家の平均年齢は68歳になっており、他の職業と違って農家と聞けば高齢者がイメージされます。このイメージが農家=長寿命という偏りを生み出してしまうのでしょう。このように「事例が頭に浮かびやすいかどうか」を「正しさ」と誤解してしまうのが利用可能性ヒューリスティックです。
2.「ストーリー的なもっともらしさ」と「正しさ」を混同する
農家の生活はサラリーマンと違って自由で、ストレスがなく、よく体を動かし、いつも採れたての野菜をたっぷりと食べ、都会の喧騒を離れて美味しい空気を吸っている、みたいなイメージがあり、そのような農的ライフスタイルは健康とつながりそうな気がします。なので農家はきっと長寿に違いない、というストーリーがすんなりと受け入れられます。
このような「ストーリー的なもっともらしさ」と「正しさ」を混同するのも人間の思考の偏りの一つです。これはいわゆる「リンダ問題」と呼ばれているものと同じ現象です。
このリンダ問題について書かれている心理学者のトベルスキーとカーネマンによるレビュー論文(文献4 文献情報は補足参照)によると、専門家の集団を二つに分けて「ソ連がポーランドに侵攻して、アメリカが外交関係を断絶する」確率と、「アメリカが外交関係を断絶する」確率をそれぞれ求めさせたところ、前者のほうが高い確率で起こると判断されました。ただ、理論的には「ソ連がポーランドに侵攻する」かつ「アメリカが外交関係を断絶する」確率は、「アメリカが外交関係を断絶する」だけの確率より確実に低くなるはずです。それでも前者のほうがストーリー的にもっともらしく、専門家であってもそれを正しさと混同してしまった、ということになります。
(結局のところポーランドではなくウクライナでしたが)
このような心理的偏り(認知バイアス)があるため、農家は長寿説はココロに響きやすく、なかなかその考えを捨てられなくなることがうかがえます。
農家はボケないのか?
農家はボケない、という説もかなり信じられているようです。これもいくつかの文献にあたって検証してみます。
文献5(文献情報は補足参照)は日本の研究であり、職業が認知症に与える影響を調べたものではありませんが、関係しそうな要因として「仕事をしている」、「園芸的活動」の影響を調べています。園芸的活動は職業というよりも趣味のカテゴリです。男性の場合は「仕事をしている」、「園芸的活動」の二つが統計的有意に認知症を伴う要介護認定のリスクを下げました。つまり、定年なしで続けられる農業が認知症リスクを下げる可能性は十分あります。一方で、女性の場合はどちらも影響なしでした。
海外の研究も見てみましょう。
文献6(文献情報は補足参照)は、スペインで55歳以上の男女の職業とアルツハイマー病の発生率との関連を調べたものです。職業が農家の場合、男性はホワイトカラーの職業と比べてアルツハイマー型認知症の発症リスクが66%低く、女性の場合は同様に主婦に比べて45%低かった、という結果がでています。
文献7(文献情報は補足参照)は、フランスで65歳の男女を10年間追跡調査して職業と認知症の関係を調べたものです。その結果、アルツハイマー病のリスクは、特定の職業とは関係ありませんでした。一方で、非アルツハイマー型のパーキンソン病を伴う認知症のリスクについて、農家の女性は専門家や経営者と比較してなんと増加しました。
これらの結果を見ると、寿命と同様で、研究によって効果が分かれているため農家はボケにくいとハッキリ言うことはできなさそうです。また、男性の場合は農業が認知症防止に効果的な可能性がある一方で、女性の場合は男性に比べてその効果が弱そう、ということも言えそうです。
農業の女性に対する効果が弱いというのは寿命と認知症の両方で共通しており、しかも複数の文献で一致する結果がでているため、かなり信憑性が高いと言えますね。
最後に本記事の全体の解釈における注意点として、これらの研究からは農業という職業が影響しているのか、それとも農的ライフスタイルが影響しているのかは分離ができない、ということがあります。
まとめ:「農家は長寿命」説の検証その2
農家は長寿命説の文献を批判的に検証した記事に対するコメントへの返答として、職業別の平均余命、なぜ農家は長寿命説を信じ込みやすいかの心理学要因、農家は認知症予防に効果があるのか、などを整理しました。農業が寿命や認知症に与える影響は明確ではなく、特に女性には効果が弱いようです。また、さまざまな認知バイアスによって農家は長寿命説は心に響きやすく、信じ込ませる力があるようです。
補足(文献情報)
参考にした文献リストを以下にリストします。私はこの分野の素人なので、研究手法の妥当性や結果の解釈など、書いてあることの信頼性の評価まではできません。また、網羅的に文献を調べたわけでもないので、ひょっとすると例外的な文献だけを拾っている可能性もあります。
職業別の平均余命
文献1:日本の研究
職業別就業者の生命表:1985年 石川晃 人口問題研究, 46(4), 86-95
文献2:オランダの研究
Deeg et al (2021) Occupation-Based Life Expectancy: Actuarial Fairness in Determining Statutory Retirement Age. Frontiers in Sociology, 6, 675-618
文献3:ドイツの研究
Luy et al (2015) Life Expectancy by Education, Income and Occupation in Germany: Estimations Using the Longitudinal Survival Method. Comparative Population Studies, 40(4), 399-436
「ストーリー的なもっともらしさ」と「正しさ」を混同する
文献4:
Tversky and Kahneman (1983). Extensional versus intuitive reasoning: The conjunction fallacy in probability judgment. Psychological Review, 90(4), 293-315
農業と認知症の関連
文献5:日本の研究
竹田徳則ほか (2010) 地域在住高齢者における認知症を伴う要介護認定の心理社会的危険因子 AGES プロジェクト3年間のコホート研究. 日本公衛誌 57(12), 1054
文献6:スペインの研究
Santabarbara et al (2019) The effect of occupation type on risk of Alzheimer’s disease in men and women. Maturitas, 126, 61-68
文献7:フランスの研究
Helmaer et al (2001) Occupation during life and risk of dementia in French elderly community residents. Journal of Neurology, Neurosurgery & Psychiatry, 71, 303-309
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