要約
マスクと熱中症の関係は「一見リスクの話をしているようで実はそうではない」問題の一つと考えられます。マスク生活にうんざりしている人たちが熱中症のリスクみたいな(都合の良い)情報に「これだっ!」と飛びついて「マスクは外すべき」となることを、認知的不協和理論を用いて解説します。
本文:熱中症になるからマスクは外すべきか
コロナからの出口戦略(コロナ前の日常に近づいていくこと)として脱マスクの議論が活発になってきました。そして政府は2022年5月20日にマスクが不要な場面や未就学児には推奨しないことなどを発表しました。
FNNプライムオンライン:【速報】「屋外でマスク不要」 政府見解を発表 散歩・徒歩通勤・未就学児も 通勤電車はマスク着用を
専門家による助言は以下の資料にあります。
第84回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード(令和4年5月19日)
これまでも、人との距離が十分確保できれば、屋外でマスクの着用は必ずしも必要でない旨を示すとともに、特に気温、湿度が高い夏期には熱中症の予防の観点からも周りの人との距離が確保できるところではマスクを外すことを推奨してきた。
資料3-9 和田先生提出資料「日常生活における屋外と、小児のマスク着用について」
岸田首相はこれまで脱マスクについては慎重な姿勢を見せていますが、海外ではマスクを外すなどその場の「空気を読んだ」言動をとっています。
東京新聞:「ノーマスク外交」岸田首相に「私たちも取っていい?」と疑問の声
マスクに感染拡大防止効果があるのは確実で、マスクをやめれば当然感染拡大にプラスに働きます。あとは欧米のようにそのリスクを受け入れるか否か、ということになりますが、一向にそのような議論にはなりません。
一方で、気温が上がってきたことで「マスクをつけると熱中症のリスクが上がるから外すべき」という主張も目立ってきました。これは日本以外ではあまりみかけない日本独自の理屈ではないかと思います。
一見、コロナと熱中症のリスクトレードオフの話かなと思うわけですが、実際にはマスクをつけても(体に負担はかかりますが)熱中症になりやすいとまでは言えないようです。これは本ブログの過去記事で書きました。
ただよく考えると、これはリスクの話をしているようでいて実はリスクの話ではない、という事例のように見えます。マスク生活にうんざりしている人たちが熱中症のリスクみたいな(自分に都合の良い)情報に「これだっ!」と飛びついているだけなのかな、と思うのです。
つまり、「マスク生活にうんざりしている」がことの本質であって、熱中症のリスクは実のところどうでもよく、熱中症とマスクが関係ないなら他の(都合の良い)理由を探すだけなのです。
本記事では、「一見リスクの話をしているようで実はそうではない」という事例として脱マスクを取り上げ、認知的不協和理論や感情ヒューリスティックなどリスク学でよく使われる心理的な理論で解説をします。最後に農薬、遺伝子組換え、プラスチックなど同様の事例がたくさんあることを併せて紹介します。
認知的不協和理論
「一見リスクの話をしているようで実はそうではない」という事例がなぜ起こるのかを認知的不協和理論で考えてみます。認知的不協和とは個人のなかに二つの矛盾する認知を抱えている状態です。この状態は心理的ストレスがかかるため、そのストレスを解消するために認知や行動が変化する現象が起こります。
例えば、タバコを吸いたいが同時にタバコは健康に悪いという認知を持っていた場合、この二つは矛盾し、認知的不協和が生じています。そこで、「タバコを吸うとストレスが下がり逆に健康に良い」、「量が少なければ問題ない」、「自分は体が頑丈なので大丈夫」という新たな認知を加えて不協和を解消しようとします。こういう不協和を解消できる情報に飛びついてしまうわけですね。
マスクの例でいくと:
1.マスク生活は不愉快、もう限界、できればつけたくない
2.マスクはコロナ感染拡大防止に有効
という二つの認知が不協和を起こしている状態で
3.マスクをすると熱中症が増える
という情報が与えられると「これだっ」と飛びついて
4.熱中症を防止するためにマスクを外すべき
という認知になります。
本音は「とにかくマスク生活にうんざりしていて早く外したい」ということであって、熱中症のリスクを本当に心配しているわけではありません。ですが、「熱中症リスクがあるからマスクはNO!」というのが自分にとって都合が良いので、熱中症リスクの問題にすり替えてしまっているのです。しかもこれは意識的にやってるのではなく、問題をすり替えていることに自分でも気付いていません(気付いてしまうと不協和が解消できないので)。
ここでいくら「マスクで熱中症のリスクが増えるとは限らない」という情報を提供してもあまり意味がありません。そもそも本質は熱中症リスクの問題ではないからです。逆にこのような情報は認知的不協和を復活させてしまうので相手を不快な気分にさせます。これが「一見リスクの話をしているようで実はそうではない」問題なのです。リスクコミュニケーションにおいても本質を見極めることがポイントです。
感情ヒューリスティックとの関係
マスクと熱中症の関係を「一見リスクの話をしているようで実はそうではない」問題として、認知的不協和理論を用いて解説しました。それに加えて、両者の関係はリスク学でよく使う「感情ヒューリスティック」とよく似た思考過程とも言えます。感情ヒューリスティックについては、「良いリスク」と「悪いリスク」について解説した本ブログの過去記事で解説しています。
“the affect heuristic(感情ヒューリスティック)”とは、その対象を良いか悪いか(好きか嫌いか)という感情でまず判断を下し、その対象のリスクやベネフィットは後付けで判断される、という思考過程です。良い(好きな)ものはリスクが低くベネフィットは大きいはず、悪い(嫌いな)ものはリスクが高くベネフィットは小さいはず、という順番で考えるわけです。リスクやベネフィットを分析的に考えるのは大変ですが、その代わりに良いか悪いかで置き換えてしまうことで素早い判断ができるようになります。
マスクの例でいくと:
1.マスク生活は不愉快、もう限界、できればつけたくない(=マスクは嫌い)
という感情が出発点になり、
2.嫌いなマスクのリスクは大きいはず(熱中症リスクを高めるはず)
3.嫌いなマスクのベネフィットは小さいはず(感染拡大防止効果は小さいはず)
という認知を引き起こし、
4.熱中症を防止するためにマスクを外すべき
と主張するようになります。
これも同様に本音は「マスクは嫌い」ということであって、熱中症のリスクを心配しているのではありません。いずれにしろここから先のリスコミにおける注意点は同じです。
他にもいろいろある「一見リスクの問題のようで、、、」事例
ここまでマスクと熱中症の関係を例に「一見リスクの話をしているようで実はそうではない」問題を紹介してきました。実は他にもこのような事例はたくさんあるものと思われます。これまでに本ブログで紹介した事例をおさらいしてみましょう。
例えば被覆肥料由来のマイクロプラスチック問題については、一見すると生態リスクが問題とされているように見えます。ただし、まずはごみ問題としてネガティブなイメージが持たれており、そこに生態リスクのような情報が入ってくることにより、ネガティブなイメージが増幅されているような状況と考えられます。
農薬や遺伝子組換え作物についても、一見すると健康や生態系へのリスクが議論の中心になっているように見えます。ただこれも、強固に反対する人はそもそも「そういうものがない世界に生きたい」という価値観の側面が強いと考えられます。これはリスクの問題よりもはるかに大きな問題なのです。
ただし、「そういうものがない世界に生きたい」というあまりに漠然とした願望はわがままで説得力がないということもある程度わかっているうえで、その不協和を「リスクがあるからダメなんだ」という新たな認知で解消しようというするわけですね。
コロナワクチンも漠然とした不安と感染や重症化を防ぎたいという二つが認知的不協和を起こしており、「副反応が重大だ」というリスクの問題にすり替えて忌避する行動につながるのではないでしょうか。
こういう場合にはやはりリスクが低いという情報を一生懸命提供しても、リスクのことは本質ではなかったりするのですれ違いが起こってしまいます。
まとめ:熱中症になるからマスクは外すべきか
マスクと熱中症の関係を例に「一見リスクの話をしているようで実はそうではない」問題を紹介しました。認知的不協和とは「マスク生活はもううんざり」と「マスクはコロナ感染拡大防止に有効」という二つの矛盾する認知を抱えている状態であり、この状態は心理的ストレスがかかるため、「熱中症リスクがあるからマスクは外すべき」という新たな認知を加えてそのストレスを解消しようとします。本音は「マスク生活にうんざり」であって熱中症のリスクを心配しているわけではないため、リスコミでは注意が必要です。
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