要約
コロナの死者数はオミクロン株になってから増加していますが、反対にコロナへの世間の関心度は低下しています。世間の関心の低下度をソーシャルリスニングの手法を用いて示し、ニュースで取り上げられなくなった理由などを解説し、最後にリスク心理学的な考察を試みます。
本文:なぜコロナの死者数は増えているのに世間での関心は下がるのか?
2022年7月から9月にかけてのコロナ第7波は収束し、全国旅行支援や入国規制の緩和が始まるなど、コロナ対策が緩和傾向にあります。
一日あたりコロナによる死者数の推移は以下のようになっており、第1波<第3波=第4波<第6波<第7波と徐々に上昇してきています。
第7波を7~9月の3か月間とすると、この間13688人の死亡が確認できます。第7波は収束しましたが、ヨーロッパではまたコロナ感染が拡大しており、じきに日本でも第8波が始まると予想されています。つまり、現在でもコロナのリスクは衰えておらず、関心が高くなってもよさそうです。医療従事者からはまだ対策を緩める時ではないという声も上がっています。
ところが、死者数などはあまりニュースで取り上げられることもなくなり、逆に世間での関心はどんどん下がっているように思えます。
もともとコロナ対策の目標は医療崩壊を防ぐことであり、死者数を何人に抑えるなどの目標ではありませんでした。そのような意味では、人工呼吸器を必要とするような重症肺炎患者は減少し、コロナ病床の稼働率も下がってきており、生活もコロナ前に徐々に近づきつつある、という状況でもあります。
本記事では、世間でのコロナに対する関心(リスク認知)の低下について取り上げます。まず、世間の関心が下がっていることをデータで示します。次にニュースで取り上げられなくなった理由について解説し、最後にリスク心理学的な考察もしてみましょう。
コロナに対する世間での関心は下がっているのか?
本ブログの過去記事において「コロナ慣れ」という現象についてソーシャルリスニングの手法を用いて解析しました(記事へのリンクは補足参照)。これと同じ手法を用いて、コロナへの関心の推移を見ていきましょう。
まずはGoogle Trendsを使って、「コロナ」というワードの検索数の推移を見てみます。2020年2月から2022年9月までの範囲で調べてみました。
コロナ第1波から第7波の感染拡大ピークに合わせて、検索数もピークになることがわかります。ただし、そのピークの高さが徐々に減少傾向になっており、関心が下がっていることがわかります。
次に、ツイッターの解析です。「リスク」を含むツイートを毎週1万ツイートずつ収集しており、その結果はこれまで本ブログで定期的に報告しています。この「リスク」を含むツイートを再解析し、毎月1か月分のツイートの中から「コロナ」というワードを抜き出し、全名詞中の登場頻度をパーセンテージで表します。
(ノイズを除くためにいいねの数が10以上のツイート、つまりそれなりの反応があったツイートを抜き出して解析しています)
これもGoogle Trendsの結果と同様に、コロナ第1波から第7波に合わせたピークが見られます。そして、これも同様にピークの高さは徐々に下がってきました。
検索で調べる頻度に加えて自らの発信も減っており、興味・関心・不安などが薄れてきたことを示すと考えられます。
ニュースは珍しいかどうかが重要
コロナ第〇波が進むにつれて死者数が増加しているにもかかわらず、世間での関心が低くなり、ニュースなどでもあまり取り上げられなくなっている、すなわちコロナ慣れ現象が見られます。
「慣れ」というのは「珍しくなくなった」ということです。ニュースというのは珍しいからニュースになります。犬が人間を噛んでもニュースにならないが人間が犬を噛めばニュースになる、とよく言われています。
新型コロナ発生後初期にはコロナによって亡くなる例は珍しく、「〇〇で初!」などの見出しを毎日のように目にしました。特に志村けんさんの死去のニュースは大きな衝撃となりました。最近でも基礎疾患なしの子どもが亡くなる例は珍しいためニュースになります。
以下のようなツイートなど、医療従事者がコロナ慣れに対して警笛を鳴らしていますが、大災害はめったに起こらない(=珍しい)からニュースになるのであり、コロナが日常化するにつれて危機感がなくなるのは仕方がないことかもしれません。
これまでも、インフルエンザによる超過死亡が5万人近い年(1998-1999のシーズン)があったり、肺炎で毎年10万人以上が亡くなったり、そもそも毎年100万人以上が亡くなったりしていますが、特にニュース等で大騒ぎされてきたわけでもなく、医療系インフルエンサー達もそのあたりに警笛を鳴らすことはありません。そのように考えれば、コロナだけを特別扱いすることはあまりフェアではないとも言えます。
また、死生観というのもなかなか複雑なもので、日本人だけなのかどうかわかりませんが、「死に方もみんなと同じじゃなきゃダメ(珍しい死に方をしたくない)」という感覚があります。つまり、死はどんな死でも等しいのではなく、良い死に方・悪い死に方などの感情があるということになります。
コロナ発生直後の2020年は「コロナでだけは死にたくない」という話をよく聞きました。コロナで死ぬのは悪い死に方であり、それだけは避けたいというわけですね。このことは本ブログの過去記事で書きました(記事へのリンクは補足参照)。
2022年現在では「コロナでだけは死にたくない」みたいな話を聞くこともなくなり、これもコロナで死ぬということが2020年当時は珍しかったから、と考えると自然なのかもしれません。
リスク心理学からの考察
心理的なリスクの大きさであるリスク認知に与える影響として、恐ろしさ因子と未知性因子の二つが重要である、というのがリスク心理学の古典的な理論です。
コロナに関しては、恐ろしさ因子は軽症だと思っていたら突然重症化して重度の肺炎になり、人工呼吸器装着になる、というようなイメージが相当します。また、未知性因子はよくわかっていない未知のウイルス、のようなイメージが相当するでしょう。
コロナ発生当初は恐ろしさと未知性の両方の因子が高かったものと思われますが、オミクロン株になりワクチンも普及してきたことで重症化率は劇的に下がり(恐ろしさが下がり)、ウイルスの性質もだいぶわかってきたことで(未知性が下がり)、両方の因子が下がってきたと考えられます。
このようにリスク認知が下がったことでコロナをあまり怖がらなくなり、結果として感染拡大による死者数増加につながっている、とも考えられます。
もう一つ別の方向から考えてみます。「〇〇万人が死んだ」などという「統計的な情報」は心理的なインパクトが弱いという効果があります。逆に顔と名前がわかる特定の一人の死亡などは「〇〇万人が死んだ」という情報よりもはるかに大きなインパクトがあります。
先にも書いたように志村けんさん一人が亡くなったというニュースの方が、コロナ第7波で13688人が亡くなったという情報よりもインパクトが大きいのです。これが「特定できる被害者効果」と呼ばれるものです。本ブログの過去記事でもワクチンはなぜ嫌われるのか?という考察に使っています(記事へのリンクは補足参照)。
つまり、死者数が増えるほどリスク認知が比例的に増加するわけではなく、むしろ「〇〇さんが死んだ」から「〇〇万人が死んだ」などとまとめられてしまうことでリスク認知は減ってしまうことになります。
さらに、対策を考えるうえでも心理の変化が重要です。初期において感染者数や死者数が少なかったころは、自分が頑張れば感染拡大をなんとかできるかもしれない、という意識をもてました。ところが、現在のように感染者数・死者数が増えると、もう「自分が対策頑張ってもどうにもならなくね?」という感情をもってしまうため、あきらめてしまいがちになります。これが焼け石に水効果と呼ばれるものです。これも過去記事で説明しました。
まとめ:なぜコロナの死者数は増えているのに世間での関心は下がるのか?
コロナの死者数はオミクロン株になってから増加していますが、反対にコロナへの世間の関心度は低下しています。コロナによる死亡が珍しくなくなったことでニュースになりにくくなっていることや、恐ろしさや未知性が減少してリスク認知が低下していることなどが原因と考えられました。
補足
本ブログの関連記事へのリンク
ソーシャルリスニングを用いたコロナ慣れの解析:
良い死に方・悪い死に方の違い:
特定できる被害者効果、焼け石に水効果の話
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