農業と熱中症の関係その1~熱中症の評価と管理の基礎知識~

agriculture-heat-illness-1 身近なリスク

要約

夏の高温化により農作業中に熱中症で亡くなる事故が増えています。そこで本記事では農業と熱中症の関係に関する研究を整理したレビューの内容を紹介します。熱中症の生理学、熱中症の評価方法、熱中症の対策と規制の順で情報を整理しました。

本文:熱中症の評価と管理の基礎知識

農林水産省は2024年の農作業死亡事故調査結果を取りまとめ、2026年2月に公開しました。

農林水産省:令和6年の農作業死亡事故について

令和6年の農作業死亡事故について:農林水産省

令和6年の農作業死亡者数は287人で、令和5年より51人増加しました。死亡者数は、令和元年以来5年ぶりの増加となり、増加人数は、調査開始以降、昭和48年の64人に次ぐ2番目に多くなりました。

死亡事故の5月から9月までの発生月では前年からの増加人数が52人(うち熱中症が21人)となり、高温期の死亡事故が増加しています。

2025年の日本の夏はこれまでに最も暑い夏になりました。そして農作業中の熱中症による死者数は59人となり、で前年度(37人)から大きく増加していたのです。この増加率はかなり高いと言えますね。

本ブログでは農業のリスク、熱中症のリスクについてこれまでいくつも記事を書いています(記事最後の付録参照)。例えば以下の記事では、農業の高い死亡リスクは農家の高齢化の影響であることを示しました。

農業は危険な職業なのか?リスク比較から見えた農業の死亡リスクのからくり
農業は大変な職業というイメージはあっても、危険な職業というイメージはないかもしれません。ところが、農作業中の事故による死亡リスクは他の職業と比べても非常に高く、しかも経年的に増加しています。業種別の死亡リスクでみても他業種よりも高くなっています。この原因は農家の高齢化にあると考えられます。

ただし、農業と熱中症の関係についてはこれまれ整理したことはありませんでした。そこで本記事では、農業と熱中症の関係について整理していきたいと思います。ある程度文献を調べた結果、以下のレビュー論文が総合的にまとまっていると思いましたので、まずはこの文献を紹介することにしました。

Pal and Patel (2021) Heat Stress’s Impact on Agricultural Worker’s Health, Productivity, and its Effective Prevention Measures: A Review and Meta-Analysis. International Journal of Agriculture System, 9, 51-79

Heat Stress's Impact on Agricultural Worker's Health, Productivity, and its Effective Prevention Measures: A Review and Meta-Analysis | International Journal of Agriculture System

以下、熱中症の生理学、熱中症の評価方法、熱中症の対策と規制の順で整理します。

熱中症の生理学

1992年から2006年までの米国における熱中症関連の死者数のうち、67%が農業およびその関連分野に関連していたと報告しています。
(これは非常に高いですね。日本だと高齢者の室内での死亡が多いのですが)

人間の身体が正常に機能する深部体温は36~38℃の間ですが、この範囲を超えた場合、通常は発汗量を増やして蒸発による熱放散で体を冷やそうとします。ところが高温多湿の環境下では汗が蒸発しにくくなります。このため熱を周囲に逃がせずに深部体温が38℃を超えると熱中症になります。

このとき、筋力、持久力、判断力、集中力、協調性、視力などの低下や心拍数の上昇が起こります。そして深部体温が40℃を超えると、痙攣、昏睡、せん妄を伴う生命に危険な状態になります。

また、汗によって体内の水分が失われると脱水症状が起こります。体重の5%以上の水分を失うと吐き気、頭痛、腎疾患などの症状が現れます。

農業において熱中症を引き起こす要因は、作業・環境要因と個人的要因の2つに分類されます。

作業因子では、激しい労働や長時間の作業、日陰のない場所での作業が要因となり、環境因子では、高温、高湿度、直射日光、低い気流(風不足)が要因となります。また、厚い作業服や保護具(農薬使用時の防護服など)の着用は、熱の放散を妨げます。

個人的要因としては、代謝異常(コレステロール値の異常など)、心不整脈、腎臓の疾患などの既存症や、心肺機能の低さ、遺伝的要因、栄養状態などの身体状態、アルコールや特定の薬の使用などの生活習慣があります。

その他にも熱中症に関係する重要な要因についてもいくつか特定されています。まず、女性は男性よりも熱による頭痛や疲労、吐き気を感じる頻度が高いという研究があります。妊婦の農業従事者は、高温にさらされることで妊娠時の健康維持や出産に悪影響を与えます。

また、熱中症に関する知識やトレーニングの不足が発症リスクを高めます。特に移民労働者は言語の壁やトレーニング不足により、暑い環境での作業に慣れていない(暑熱順化していない)状態で過酷な労働に従事し、死亡するケースが多く見られます。

さらに年齢も重要な要因です。高齢者は糖尿病や高血圧などの既存症を持つことが多く、体温調節機能や熱への耐性が低下しています。一方で、若年層も熱中症の労災申請において高い割合を占めているというデータもありますので、若いからといって油断は禁物です。

熱ストレスは熱中症だけでなく、労働災害(ケガ)のリスクも高めます。研究によれば、最高気温が1℃上昇するごとにケガによる労災の申請率が上昇し、特に熱波の期間中にはケガのリスクが有意に高まることが示されています。

熱中症リスクの評価方法

熱中症のリスク評価のために、2つの国際標準が定められています。このうち、ISO7243はWBGT(暑さ指数)による簡易な評価方法で、ISO7933は詳細な熱ストレス評価手法です。

WBGTは日本では暑さ指数と呼ばれ、気温だけではなく湿度や日射・輻射などの熱環境を総合的に指標化したものです。活動に関して以下のような目安が示されています:
31~: 特別な場合を除き、運動は中止。高齢者は安静状態でも危険。
28~31: 激しい運動は避ける。高齢者は休息を積極的にとる。
25~28: 積極的に休息、水分補給を行う。
~25: 通常は危険は少ないが、適宜水分補給が必要。

ISO7933は「この環境・この作業・この服装で働き続けた場合、体温や汗の量はどうなり、何時間までなら作業可能か?」をシミュレーションします。環境に関しては、気温、温度、平均放射温度(黒球温度計で測定する周囲からの熱放射)、風速の4つのパラメータを設定し、個人に関しては代謝率(体を動かすことで発生する熱量)、衣服の熱抵抗(着ている服の種類で決まる)の2つのパラメータを設定します。ここから深部体温や発汗率を予測し、深部体温が38℃、発汗量が体重の5%という危険水準に達するまで何分かかるかを計算します。

また、以下のように各政府機関が科学的根拠に基づいた運用基準を提供しています。

まずOSHA(米国労働安全衛生局)では、ヒートインデックス(衣服などによって調整したWBGT値)に基づいてリスクを「低・中・高・極めて高い」の4段階に分類しています。リスクに応じた推奨事項として、水と日陰の提供、休息、トレーニング、熱中症の兆候監視システムの構築、暑熱順化、不要不急の作業の延期などを挙げています。

ACGIH(米国政府産業衛生専門家会議)は、暑さ指数(WBGT)と作業負荷(代謝熱)の推定値を組み合わせた熱中症リスク評価・管理システムを開発しました。例えば、重労働に従事し、1時間あたり「75%の作業時間と25%の休憩時間」というスケジュールで働く場合、WBGTの基準を27.6に設定しています。また、作業後の休憩時に心拍数を120bpm以下に維持することを勧告しています。

NIOSH(米国国立労働安全衛生研究所)は暑熱順化の目安を提示しています。新規労働者には、初日の作業時間を20%に抑え、その後毎日20%ずつ増やしていく7~14日間のスケジュールを推奨しています。

熱中症の対策と規制

最後に熱中症の対策と規制について整理します。

対策としてはまずは適度な休憩です。暑さ指数(WBGT)に応じて休憩時間を増やす具体的なスケジュールが推奨されています:
WBGT28: 60分作業 / 15分休憩
WBGT29: 55分作業 / 10分休憩
WBGT30: 45分作業 / 22分休憩
WBGT31: 35分作業 / 25分休憩
WBGT32: 30分作業 / 30分休憩

また、昼間の時間帯を避けて、早朝や夕方に作業を行うことで熱ストレスを回避します。昼食休憩は45分以上確保することが推奨されています

次に暑熱順化です。暑熱順化は体を徐々に暑さに慣れさせるプロセスで、心肺機能の向上や発汗による体温調節能力を高めます。カリフォルニア州の調査では、熱中症の46%が就業初日に、80%が就業後4日以内に発生しており、暑熱順化する前の期間リスクが高いことがわかります。

暑熱順化には最大で2週間を要し、上記のNIOSHによる目安を参考にします。経験が豊富な場合は、初日50%、2日目60%、3日目80%、4日目100%と進めることもできます。

また、水分補給も重要です。30分おきなどの定期的な水分補給は、労働者の意識保持率を56%に改善したという報告があります。炭酸飲料の摂取を控えることで熱中症を6.7%軽減できるという研究もあります(なぜだろう?量を飲めなくなるから?)。

日陰の確保も重要です。木陰や簡易テントなどの日陰での作業・休息は、生産性の損失と経済的コストを大幅に削減できることがわかっています。

最後に教育とトレーニングです。労働者自身が熱中症の初期兆候(めまい、動悸、のどの渇きなど)を認識し、応急処置を学べるようにすることが不可欠です。

規制についてもまとめておきましょう。

米国のカリフォルニア州とワシントン州では、農業者を熱中症から保護するための規制が設けられています。例えばカリフォルニア州では、労働時間に応じて休息時間が定められています。3.5時間から6時間働く場合は10分、6時間から10時間の場合は計20分(10分×2回)、10時間から14時間の場合は計30分(10分×3回)の休息をとる権利があります。この休憩時間は有給で、守らない場合には1時間分の賃金が割増しで支払われます。

1日に14時間も畑で作業をするの?それで休憩がたった30分だけ?と思ったのですが、以下を見るとこれは農業者に限らず、労働者全般の話のようです。
https://brobertsonlaw.com/practice-areas/wage-hour/rest-breaks/

コスタリカでは2015年に、農業法人が屋外で働く労働者に休憩時間、水、日陰、および保護服を提供することを義務付ける法律を制定しています。また、北アイルランドでは2016年の規制により、雇用主は労働者に対して24時間ごとに11時間の継続的な休息期間を確保することが求められています。

まとめ:熱中症の評価と管理の基礎知識

農業と熱中症の関係に関するレビュー論文の内容を紹介しました。全体的には農業というよりも熱中症の基礎知識のような内容になってしまいました。休憩の基準や暑熱順化の手法、ISO7933の評価手法などはもっと詳細に整理してみたいです。熱中症の基礎知識だけでだいぶ長くなってしまったので、また別の記事で農業と熱中症の関係の関係を書いてみたいと思っています。

補足

本ブログで農業のリスクについて扱った記事

農業は危険な職業なのか?リスク比較から見えた農業の死亡リスクのからくり
農業は大変な職業というイメージはあっても、危険な職業というイメージはないかもしれません。ところが、農作業中の事故による死亡リスクは他の職業と比べても非常に高く、しかも経年的に増加しています。業種別の死亡リスクでみても他業種よりも高くなっています。この原因は農家の高齢化にあると考えられます。
自殺のリスク評価その2:農家の自殺リスクは高いのか?
農家の自殺リスクは高いのか?の検証として、業種別自殺リスクとそれらの経年変化をまとめました。農業は就業者総数に比較して自殺リスクが高いのですがその解釈は単純ではなく、農業という業種の影響、自営業であることの影響、就業者総数の自殺リスクの過小評価など、考慮すべき点が複数あります。
農家はうつ病になりやすいのか?農薬がうつ病の原因なのか?を検証します
農家はうつ病になりやすいのか?を検証するため、米国の質の高い疫学調査における農薬使用とうつ病との関係を調べた結果を紹介し、さらに日本の職業別悩み・ストレス・心の状態のデータから農家のストレス度を比較します。いずれも結果の解釈が難しく注意が必要なことがわかりました。
規制制度が立派な欧州と規制は緩いがリスクは低いニッポン
さまざまな分野で「日本も欧米を見習ってもっと強い規制を!」などの話をよく耳にしますが、日本は独自のお願い事ベースの緩い管理が成功してきた実績があります。コロナ対策、性犯罪の履歴確認、農作業安全の3つの事例を取り上げて、規制制度の比較と実際のリスクの大きさを比較すると面白い傾向が見えてきました。

本ブログで熱中症について扱った記事

熱中症とコロナウイルスのどちらに気を付ければよいのか?熱中症の死亡リスクを比較する
熱中症の死亡リスクは10万人あたりの年間死者数1.3人ですが、年代ごとの差が非常に大きく、高齢者のリスクが高くなっています。また、マスクや換気などコロナウイルス対策とのトレードオフ関係をみるために、コロナと熱中症のリスクを年代別に比較したところ、高齢者は一般的にはコロナよりも熱中症対策を優先すべきと考えられます。
ほかのリスクが熱中症のリスクを増大させる?マルチリスクの視点から必要な対策とは何か
熱中症は高齢者による自宅での発生が多いため、エアコンの故障や停電は熱中症のリスクを上げる致命的な要因となります。市民レベルでできることとして、エアコンは10年以上経過したら故障する前に交換、台風の予報をみてから事前に停電時の準備をしておく、ことがポイントでしょう。
「化学物質による水域汚染→水道の断水→熱中症」の連鎖は起こりうるのか?化学物質と熱中症のリスクを比較する
2012年に発生した水道水中ホルムアルデヒド基準値超過による大規模断水事故の事例を紹介します。幸いにして「化学物質による水域汚染->水道の断水->熱中症」の連鎖は起こりませんでしたが、真夏にこの事故が起こった場合は熱中症のリスクが化学物質によるリスクを上回ることが懸念されます。
熱中症になるからマスクは外すべき? 一見リスクの話をしているようで実はそうではない例
マスクと熱中症の関係は「一見リスクの話をしているようで実はそうではない」問題の一つと考えられます。マスク生活にうんざりしている人たちが熱中症のリスクみたいな(都合の良い)情報に「これだっ!」と飛びついて「マスクは外すべき」となることを、認知的不協和理論を用いて解説します。
熱中症対策と塩分摂取の関係―予防と治療の区別が肝心
熱中症対策では塩分の補給が重要と言われていますが、一方でその必要性に疑問が提示され、塩分摂取の悪影響も懸念されています。現状の日本人は必要量よりもかなり多い食塩を摂取しており、汗をかいた程度で不足することはありません。なぜ熱中症対策として塩分摂取をする必要があるのかの疑問に迫ります。
熱中症対策と塩分摂取の関係その2:熱中症と塩分摂取のリスク比較
熱中症予防に塩分摂取という情報が広がっている中、熱中症のリスクと塩分の過剰摂取のリスクを比較するとどうなのかを解説します。それに加えて、塩の過剰摂取に関する最近の話題や、減塩の効果とそのための面白い技術なども併せて紹介します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました