要約
PFAS問題の解説その4として、20種類のPFASのリスク評価の事例を紹介します。乳児のPFAS摂取量は母乳を飲んだ量でほぼ決まってしまいますが、母乳は感染症のリスクを下げる効果があるのに「PFASでワクチン抗体価が下がる!危険だ!」というリスク評価には大きな疑問が残りました。
本文:PFASのリスク評価と母乳育児の悩ましい関係
世界的な規制強化の流れにある有機フッ素化合物PFAS(ペルフルオロアルキル化合物およびポリフルオロアルキル化合物)について複数回にわたり解説するシリーズの4回目(最終回)です。
その1では、PFASに含まれるPFOS・PFOA(ペルフルオロオクタンスルホン酸・ペルフルオロオクタン酸)の米国における飲料水新基準値案に焦点をあてて解説しました。有害性評価ではワクチン抗体価の減少というあまり見なれないエンドポイントを採用しました。これはコロナ禍において免疫力というものが「守るべきもの」の一つとして重視されてきたの結果なのかもしれません。
その2では、PFAS全体の規制動向について解説しました。PFASをリスクの観点から3つにく分けて解説し、フッ素樹脂はリスクの懸念が低いことを示しました。ところが欧州では、予防原則による(リスク評価を伴わない)フッ素樹脂を含めたPFAS全面排除の動きが進んでいます。
その3では、そもそもPFASはどのような製品にどのような目的で使われているのか、PFASがこの世からなくなればいったいどんなことが起こるのかを解説しました。安易な脱PFASによる副作用はかなり大きなものになると思われます。
今回その4では、PFASのリスク評価を思いっきりマニアックに解説します。欧州において、1歳児に対するPFASの曝露量とワクチン抗体価の減少の関係を基にPFASのリスクが評価されました。
ただし、乳児のPFAS摂取量は母乳を飲んだ量でほぼ決まってしまう(ミルクではなく母乳を飲むほど高くなる)のですが、そんな状況で「PFASで1歳児のワクチン抗体価が下がる!危険だ!」というリスク評価に何の意味があるんだろう?と疑問に思いました。このリスク評価の結果を素直に受け取れば「母乳を与えるのは危険!」となるはずですが、そもそも母乳は感染症のリスクを下げる効果があります。
以下、本記事ではPFASのリスク評価と母乳育児の悩ましい関係について深掘りしていきます。
PFASのリスク評価事例
PFOS・PFOAのリスク評価については本ブログの過去記事で紹介しましたが、PFASは1万以上といわれる多数の物質を含むグループであり、PFAS全体のリスク評価はかなり大変です。
そこでここでは、オランダが最近公表した総PFAS(といってもたかだか20種類)のリスク評価事例を紹介します。
RIVM (2023) Risk assessment of exposure to PFAS through food and drinking water in the Netherlands
飲料水や各種食品中のPFASの分析結果から20種類のPFAS摂取量を推定しました。さらに、これらをまとめてリスク評価するために、毒性等量を計算しました。これはPFOAの毒性を1として、ほかのPFAS類の毒性の強さを換算して足し合わせた総量を表します。
このときの相対的な毒性の強さをRPF(relative potency factor)と呼び、動物実験の結果などから設定します。リスク評価に用いる耐容週間摂取量(TWI)として、4.4ng/kg体重/週を設定しています(これもPFASその1の記事で解説した米国と同じくワクチン抗体価の減少をベースとしています)。
総PFASの推定摂取量(PFOA換算値)は地下水を飲んでいる場合は中央値が3.3ng/kg体重/週、95パーセンタイル値が12ng/kg体重/週となり、表層水(河川など)を飲んでいる場合は中央値が4.6ng/kg体重/週、95パーセンタイル値が14ng/kg体重/週でした。これは検出限界以下の場合にゼロを仮定した場合です。
摂取源はトップが魚介類で、次に飲み物(コーヒー、お茶など)、飲料水と続きます。PFASの内訳としてはPFUnDAがトップで、次にPFOS、PFDAが続きます。これはRPFの値が、PFUnDAは10、PFOSは2、PFDAは4と、PFOA(=1)よりも高いことに起因しているようです。
日本の場合はPFOS・PFOAのリスクについて書いた過去記事によると、PFOS・PFOA合計で1-2ng/kg体重/日なので7-14ng/kg体重/週になります。つまり、PFOS・PFOAだけでオランダと同程度で、20PFASだと日本のほうが高いかもしれません。日本人は魚をたくさん食べているからでしょうか。
摂取量の中央値がTWIと同程度になっており、半分くらいの人がTWIを超えることになります。ただし、ワクチン抗体価の減少というエンドポイントが実際の悪影響としてどの程度のものであるかは解釈が難しいです。この点を以下で深掘りしていきます。
欧州におけるPFASのTWI=4.4ng/kg体重/週の根拠
上記のオランダのリスク評価ではTWIとして、4.4ng/kg体重/週を使いました。これは欧州食品安全機関(EFSA)が決めた数字です。4.4の根拠を探るために次はこれを読んでいきましょう。
EFSA CONTAM Panel (2020) Risk to human health related to the presence of perfluoroalkyl substances in food. EFSA Journal 18(9), e06223
まとめの関係部分を抜き出して訳すと以下のようになります。
健康に基づくガイダンス値を導き出すために、2つの重要な研究が検討された。フェロー諸島の小児を対象とした研究では、個々のPFASsだけでなく、PFOA、PFNA、PFHxS、PFOSの合計の血清レベルと、ジフテリアと破傷風に対する抗体価との間に様々な関連が示された。これら4つのPFASの合計については5歳で、ジフテリアに対する抗体価については7歳で27.0 ng/mLのNOAECが特定された。さらに、CONTAMパネルは、主に母乳で育てられた1歳児から採取した血清中のPFOA、およびPFOA、PFNA、PFHxS、PFOSの合計値と、インフルエンザ菌b型(Hib)、ジフテリア、破傷風に対する抗体価との間に逆相関があることを示す、ドイツの小児を対象とした新しい研究を特定した。PFOA、PFNA、PFHxS、PFOSの4つのPFASの合計の血清レベルとジフテリアに対する抗体価との間の逆相関に基づいて、1歳時の17.5 ng/mLの最低BMDL10が導き出された。
(中略)
PBPKモデルを用い、授乳期間を12カ月と仮定すると、乳児のBMDL10は、4種類のPFASの合計について、母親による1日当たり0.63 ng/kgbwの摂取量に相当すると推定された。このような摂取量は、35歳時の母親の血清中濃度が6.9 ng/mLになる。
CONTAMパネルは、1日当たり0.63 ng/kgbwの摂取量を出発点とし、PFOA、PFNA、PFHxS、PFOSの合計について、1週間当たり7×0.63=4.4 ng/kgbwの耐容摂取量(TWI)を設定することを決定した。BMDL10は、多くの免疫毒性化学物質に当てはまるように、感受性の高い集団であると予想される乳幼児を対象としているため、追加の不確実性係数を適用する必要はないと判断された。さらに、ワクチン接種反応の低下は、疾病というよりも疾病の危険因子と考えられる。
(DeepLによる翻訳)
フェロー諸島での子供の追跡調査の結果、ワクチン抗体価の減少がPFASの血清中濃度27ng/mLより高い濃度で見られ、ドイツの1歳児の調査では同様に17.5ng/mL以上で見られたと書かれています。この17.5ng/mLを摂取量に換算すると0.63ng/kg体重/日 = 4.4 ng/kg体重/週となります。
フェロー諸島の調査論文は以下のもので、ジフテリアと破傷風ワクチンを接種した場合の抗体価と5種類のPFAS(PFOS, PFOA, PFHxS, PFNA, PFDA)との関係を調べたものです。PFASの血清中濃度が高いほど抗体価の減少が見られ、2倍の曝露が-49%の抗体価減少をもたらしました。
Grandjean et al (2012) Serum Vaccine Antibody Concentrations in Children Exposed to Perfluorinated Compounds. JAMA, 307(4), 391-397
ドイツの調査論文は以下のもので、101人の1歳児の血中PFAS濃度と抗体価の関係を調べたところ、フェロー諸島の調査と同様に、PFOAの血清中濃度が増加するほどヒブやジフテリア、破傷風の抗体価が下がっていました(PFOS、PFHxS、PFNAは有意な関係なし)。ただし、生後1年間の感染症歴との有意な関係はありませんでした。
Abraham et al (2020) Internal exposure to perfluoroalkyl substances (PFASs) and biological markers in 101 healthy 1-year-old children: associations between levels of perfluorooctanoic acid (PFOA) and vaccine response. Arch Toxicol 94, 2131-2147
ただし、1歳児のPFASの摂取量は母乳を飲んだかどうかで大きく左右されます(ミルクではなく母乳を飲むほど高くなる)。となると、これはPFASの影響というよりも母乳の影響を見ているのとほとんど同じではないかと思えてきます。以下でこの辺をもう少し詳しく追ってみましょう。
PFASの摂取源となる母乳はやめるべきか?
ドイツにおける1歳児を対象とした研究では、グラフを見る限り血清中PFOA濃度が20ng/mLあたりから抗体価が落ちてくるのは間違いなさそうですが、これは母乳という大きな交絡要因が含まれていそうです。
この結果をそのまま読んでしまえば「母乳をやめよう」というメッセージにつながってしまいます。ところが母乳には免疫系に大きなメリットがあるので、母乳を与えたほうが全体としてはメリットが大きいでしょう。
例えば母乳の免疫系へのメリットとしては以下のレビューがあります。5歳未満児の下痢発症率に対する母乳育児の影響を調べた15の研究のメタアナリシスの結果、下痢の発生は31%低くなっていました。同様に5歳未満児の呼吸器感染症について調べた18の研究のメタアナリシスの結果、入院が57%低くなっていました。
WHO (2013) Short-term effects of breastfeeding: a systematic review on the benefits of breastfeeding on diarrhoea and pneumonia mortality.
これも母乳を飲むほどにPFAS摂取量は高くなるので、PFASに曝露するほど下痢や呼吸器感染症になりにくくなるという結果が出てしまうでしょう。しかもこちらは抗体価の話(病気になる前段階の話)ではなく、実際の病気の発生率について調べたものです。私たちが防ぎたいものは抗体価の減少ではなく実際の病気の発生であるはずです。
ということで、1歳児を対象とした研究を使うのはあまりに不適切であるため、代わりにフェロー諸島の5-7歳児を対象とした結果を使ってみましょう。このときのNOAEC27ng/mLは摂取量に換算するとどれくらいになるでしょうか?1歳児を対象としたときの17.5ng/mLと二倍も変わらないので、摂取量もそれほど変わらないのでしょうか?答えはNOです。
欧州EFSAの評価書をもう一度見てみると、「3.4.3 用量反応評価」のところに、摂取量と血清中濃度の関係がモデルによって推定されています。PFAS濃度は母乳育児の場合に1歳児でピークを迎え、5歳児でも母乳有り無しで多少差が出ます。
このモデルで5歳の時点で母乳の影響を考えない場合(母乳なしの場合)、PFOSを0.89ng/kg体重/日摂取した場合に血清中濃度は3ng/mLになります。PFOAの場合は0.374ng/kg体重/日摂取した場合に血清中濃度は1.7ng/mLになります。
NOAECは27ng/mLですから、PFOSでこの濃度になるためには0.89ng/kg体重/日の9倍必要で、8ng/kg体重/日 = 56ng/kg体重/週となります。同様に、PFOAで27ng/mLになるためには0.374ng/kg体重/日の15.9倍必要で、5.9ng/kg体重/日 = 42ng/kg体重/週となります。
これはEFSAが決定したTWI = 4.4ng/kg体重/週と比べてなんと10倍も違う数字となります!1歳児のPFAS摂取量は母乳を影響を強く受けるため、5歳児と比べてこんなにも違う数字が出てくるのですね。
上記で紹介したオランダの評価においては、PFASの摂取量は高くても14ng/kg体重/週程度ですから、マージンはあまりないものの実際に抗体価が下がるレベルよりも摂取量が低いことがわかります。
ということで、現状のPFAS摂取量は抗体価が下がるレベルではなく、当然のことながら実際に病気の発生率が上昇するレベルよりもずっと低いことになるでしょう。
また、ワクチン抗体価は追加接種で上昇するため、PFAS曝露に関係なく(抗体価はPFAS以外にもいろんな影響を受けるため)抗体価を測定して不足していれば追加接種するという対策が必要で、その対策さえしていればPFASに特別な対応は必要ないでしょう。
まとめ:PFASのリスク評価と母乳育児の悩ましい関係
オランダで行われた20種類のPFASのリスク評価の事例を紹介しました。その評価で使われたTWI=4.4ng/kg体重/週の根拠について追っていったところ、1歳児を対象としたPFAS血清中濃度とワクチン抗体価の関係を調べた研究がベースとなっていました。ところが、1歳児のPFAS摂取量はほぼ母乳を飲んだ量で決まるため、この研究を使うのは不適切と考えられました。母乳を影響を考えない場合にはTWI=42-56ng/kg体重/週が導かれ、摂取量がこれを超えていないことが確認されました。
PFASのリスクについて解説するシリーズはいったん終了です。何か新しい展開があればまた書くかもしれません。
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