リスクと幸福はどんな関係にあるのか?その5:寿命が短くても幸せな条件

James_Dean 幸福

要約

死亡に至らなくても病気などで苦しだ分を考慮したリスク指標として、専門家の判断に基づくDALY等があります。一方で当事者の記憶に基づく苦痛の評価はそれとはかなり違い、「終わり良ければ全て良し」などのバイアスが働きます。幸福度も記憶に基づくものに近く、過去から現在に至る快楽や苦痛の総和とはなっていないようです。

本文:寿命が短くても幸せな条件

これまで本ブログでは幸福とリスクの関係について、日本と世界におけるマクロ統計データからわかることを書いてきました。

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「幸福」の記事一覧です。

マクロ統計データの話から変わって、幸福にかかわるリスクコミュニケーション・心理学・行動科学系の話を書いてみたいと思います。ジェームズディーンのような濃くて短い人生は幸せなのかとか、そんなことを考えてみましょう。

ここで突然ですが、茹でガエル理論とか、茹でガエルの法則などと言われていることに注目します。カエルを熱湯の中に入れると飛び出して逃げるが、徐々に温度をあげていくとカエルは高温に慣れてしまって逃げ出さずにそのまま茹で上がって死んでしまうという「訓話」で、環境変化に慣れることなく即座に危機意識を持って対処せよ、というお説教までがセットになっています。カエルの話は実際に実験した結果ではなく作り話なのですが、実際の人間の反応というのはどうなんでしょう?

病気やけがによる苦痛というのもリスクの1つですが、この苦痛の感じ方も時間変化によってずいぶんと違うのではないでしょうか?例えば、茹でガエル理論で比較されるように、一瞬の強い苦痛と、最初は弱いけどじわじわ強くなる苦痛、もしくは最初は強いけどじわじわ和らいでいく苦痛、どれが一番「つらく」感じるのでしょうか?また、何度も同じ苦痛にさらされていると、「つらさ」に慣れてくるものなのでしょうか?

「つらい」という感情は幸福度を下げますので、リスクと幸福度は関連します。この関連の仕方を時間変化の観点から見ていくことにします。まず、リスク学では苦痛の時間変化をどう扱うかを整理し、次に苦痛や快楽の時間変化をどう測定するかを紹介し、最後にこの苦痛・快楽の時間変化と幸福度の関係性を比べてみます。

リスク学では苦痛の時間変化をどう扱うのか?

死亡に至らなくても病気などで苦しだ分を考慮してリスクを比較するための指標がDALYやQALYです。本ブログでは大麻のリスク比較でDALYを使いました。

大麻は酒やたばこよりも安全か?リスク比較によって検証する
大麻の死亡リスクを推定したところ「10万人あたりの年間死者数1人」となり、酒「同15.9人」やたばこ「同59.9人」と比較してかなり低いものでしたが、絶対値として無視できるほど低いというわけでもありませんでした。死亡に至らない精神疾患なども考慮したDALYで比較しても、酒やたばことのリスクの差が埋まりませんでした。

DALY(disability-adjusted life year:障害調整生命年)とは、損失生命年(死亡数×死亡時平均余命)と損失健康年(障害を受けた人数×障害の継続年数×障害のウェイト)を併せて、さらに年齢による社会的重みづけを考慮したものです。

下の図を例に、理想的な寿命が85歳だとしてAとBの二つの場合のリスクを計算します。赤線がその人がたどった健康度の推移で、1が完全に健康な状態、0が死亡です。灰色で囲った部分が、理想的な寿命から失われた余命です。

DALY

Aは65歳で死ぬまで完全に健康な状態で生きた場合で、
1×20 = 20
から20年の余命が失われたと計算します。これは損失余命の計算と同じです。Bは、45歳でけがをしてその後遺症によって完全に健康な状態から50%の状態になり、85歳まで生きた場合で
0.5×40 = 20
と同様に20年の余命が失われたと計算します。年齢による社会的重みづけを考慮しない場合では計算上DALYは同じ20年です。

このように、リスクの場合は健康損失度合いの総和(積分値)として表現されるわけです。このような値は足し算が可能であり、また、健康を損ねた期間が2倍になればリスクも2倍になるという比例の関係も成り立ちます。つまり、いつ苦痛を感じても苦痛の総和が同じであればリスクも同じと考えます。また、どれだけ苦痛を感じていても生きているだけまし、という計算になります。

快楽・苦痛の時間変化をどう測定するか

快楽・苦痛の時間変化をどう測定するかについては、19世紀に考案された「快楽計」にさかのぼります(機械ではありません)。これは快楽や苦痛のレベルを刻々と記録し続けるもので、その合計を快楽や苦痛の実測値と考えます。

ここで測定しているものは主観的幸福度の3要素(生活満足度、感情、エウダイモニア)のうちの感情に近いものだと思います。この辺の説明は以前の記事で書きました。

リスクと幸福はどんな関係にあるのか?その2:OECDが測定する幸福度とリスク
OECDが測定する幸福度は、主観的幸福度と能力アプローチ(健康、教育、所得などの自分の人生の機会を拡大する因子)、公正な配分という3つのアプローチからなる11の側面で評価するものです。指標としては平均寿命、大気汚染、殺人率などリスクの指標と重なるものもあります。

最近では携帯電話を使ったより簡便な方法もあります。これは「経験サンプリング法」と呼ばれるもので、携帯電話に定期的に通知が表示され、そのときの感情を記録するものです。

これについても、環境と幸福度の関係をこのような調査から解析した事例を以前の記事で書きました。屋外の水辺や緑地にいることは大幅に幸福度を高めるという結果になっています。

リスクと幸福はどんな関係にあるのか?その4:国連の世界幸福度報告は単なるランキング以上の優れモノ
国連の世界幸福度報告(World Happiness Report)の2020年度版について紹介します。ニュースなどでは単なるランキングモノとして扱われますが、幸福度と健康・環境リスクとの関係や、流行りのSDGsとの関係も示されており、さまざまなトレードオフ関係を幸福度という一つの統一指標で表現できる可能性を見せてくれます。

これでもかなりの手間がかかるため、より簡便なのが「一日再構築法」です。これは、面談によって昨日起こった出来事を細かく書きだして、出来事ごとにそのとき感情を評価していく方法です。起きている時間の中で不快な時間の割合を計算してこれをU指数などとします。

これら3つの方法は実際の経験に基づく評価なので、「経験する自己」と呼ぶこともできます。これに対して、後になってから、ある期間の快楽や苦痛の総和がどれくらいかを思い出して評価する方法は「記憶する自己」と呼ぶことができます。これまでのブログ記事で示したように、幸福度の一般的な計測方法は生活満足度を0-10段階で答える方法なので、経験というよりも記憶する自己を表現していると考えられます。

快楽・苦痛の時間変化と幸福度の関係性

苦痛を伴う医療行為の間に苦痛の程度を連続的に記録し(経験する自己)、それとは別に終了後にその期間中の苦痛の総和を評価してもらう(記憶する自己)という実験がありました。Aの方は時間は短いがずっと強い苦痛が続きました。それに対してBの方は時間は長く、ピーク時の苦痛はAと同じですが、その後徐々に苦痛が和らいで終了します。経験する自己としての苦痛の総和はBの方が高いのですが、記憶する自己はAの方がより苦痛であると評価されました。

つまり、経験する自己と記憶する自己は異なる評価を下すのです。記憶する自己の方が何らかのバイアスがかかった評価をしています。このバイアスの一般的な傾向として以下の二つが認められました:(1)ピークエンドの法則(ピーク時と終了時の苦痛の平均で苦痛の総量が決まる)、(2)持続時間はほとんど関係ない。これは「終わり良ければ全て良し」ということわざと同じことを表しています。これだと苦痛の程度を足し算できませんし、時間が倍になれば苦痛も倍になるという比例関係も成り立ちません。さらに、「いつ」苦痛を感じたかが非常に重要です。

ところで、私たちは実際の苦痛の総和と記憶する自己としての苦痛のどちらを減らしたいのでしょうか?極端な想像として、麻酔の効かないものすごく苦痛に満ちた治療行為を受けるが、終了後にその間の記憶を消す薬を飲むことができるとしたらどう感じるか、という質問をすると、記憶がなくなるなら大丈夫という人が多いとのことなのです。つまり、実際の苦痛の総和よりも記憶する自己が重要であるのです。

さて、リスク(DALY)を評価する数十年というスケールと、上記で出した医療行為の評価の時間スケール(10~20分程度)は全く違います。ピークエンド・持続時間無視の法則は人生というレベルにおいても適用できるのでしょうか?別の研究を見てみましょう。

以下の4つのシナリオのうち1つを見て、その人生の幸福度(1~9の9段階)を評価してもらう、という実験があります(シナリオごとに別々の被検者が答える)。
1.30歳まで非常に幸せな人生を送り、そのまま30歳で自動車事故で即死する
2.60歳まで非常に幸せな人生を送り、そのまま60歳で自動車事故で即死する
3.30歳まで非常に幸せな人生を送り、その後5年間はそれまでよりも少し辛い生活を送り35歳で自動車事故で即死する
4.60歳まで非常に幸せな人生を送り、その後5年間はそれまでよりも少し辛い生活を送り65歳で自動車事故で即死する

この結果、やはりピークエンド・持続時間無視の法則がそのまま当てはまりました。つまり、1や2が最も幸福度が高く評価されたのです。1と2は寿命が倍も違いますし、1と3では3の方が幸福度の総和としては大きいはずですが、実際の幸福度の評価にはあまり関係ありませんでした。濃く短い人生が良い人生だと感じることは心理学で「ジェームズ・ディーン効果(The James Dean Effect)」などと呼ばれています(補足参照、ようやくジェームズ・ディーンの話が回収できました!)。

DALYであれば4>2>3>1の順で良いと評価されるので、どうやら、人間が感じる人生の幸福度はDALYで評価されるような考え方とは全く異なるもののようです。

では最後に、政策立案にこのような指標を使う場合にはどちらの考え方(経験する自己やDALY的な考え方と記憶する自己的な考え方)に基づくべきでしょうか?これはなかなか哲学的な問いになりそうです。

少なくとも政府が「幸せなら早死にしても構わんよね!助けなくていいよね!」とか言い出したらやっぱり嫌ですよね。患者や被害者の価値観は重要ではありますが、やはり苦痛には慣れが生じるのでその状態を第3者よりも軽く見てしまう傾向があります。そうすると、そのような人々に対する医療などの資源配分が不当に少なくなる恐れがあります。DALYにおける損失ウェイト(どのような病気で健康損失度がどのくらいか)はこのような考え方をベースに当事者ではなく専門家によって決められています。

まとめ:寿命が短くても幸せな条件

死亡に至らなくても病気などで苦しだ分を考慮してリスクを比較するための指標としてDALYやQALYがあり、苦痛の程度は足し算や比例計算が可能です。一方で、記憶する自己の苦痛の総和の評価は「終わり良ければ全て良し」となり、実際の苦痛の総和とはあまり関係ありません。幸福度はどちらかと言えば記憶する自己に基づくものであり、DALYのようなリスク評価とは合わない部分もあります。政策立案をどちらに基づいて行うべきかは哲学的な問いになるでしょう。

補足

本ブログのネタ帳として今回も「ファストアンドスロー」に活躍していただきました。幸福度の計測や二つの自己(経験する自己と記憶する自己)の違いなどはこの本がネタ元です。

https://www.amazon.co.jp/dp/4150504113/

ジェームズ・ディーン効果についての論文は以下(アクセス不可のため未読)。ふざけているわけではなくて論文のタイトルにちゃんと「ジェームズ・ディーン効果」と書いているのですよ!ちなみにジェームズ・ディーンは24歳のとき交通事故で死亡しました。彼が本当に幸せだったのかは第3者には知る由もありません

Diener et al. (2001) End Effects of Rated Life Quality: The James Dean Effect. Psychological Science 12, 124-128

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解説した記事

Study Touts 'James Dean Effect'

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