リスク評価は時代遅れなのか?世界における化学物質管理の潮流の変化を解説します

discussion 化学物質

要約

化学物質管理は「リスクベース」で行うことが基本ですが、有害性などの物質の性質で管理方策を決める「ハザードベース」の考え方が強まっています。プラスチック条約や欧州グリーンディールに基づくハザードベースによる化学物質管理の最近の動きについて紹介します。

本文:リスク評価は時代遅れなのか?

現在、化学物質管理は「リスクベース」で行うことが基本となっています。リスクベースとは、有害性評価により有害性が確認できない閾値(もしくは受け入れられるリスクレベル)を決めて、曝露量がそれ以下になるように管理する、という考え方です。

基準値を決めて、それ以下になるように管理する、というのはまさにこのリスクベースの考え方です。

これと異なる考え方として、有害性などの物質の性質で管理方策を決めるのが「ハザードベース」の考え方です。農薬では発がん性があり、さらに遺伝毒性がある物質については農薬として使用することができません。これは受け入れられるリスクレベル(例えば発がんリスクが生涯10万人に1人など)を決めて、それ以下になるように管理するというリスクベースの考え方とは違いますね。

POPs条約(残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約)では、DDTやPCBなどの製造・使用が国際的に禁止されています。これもハザードベースの考え方で、環境中での残留性、生物蓄積性、人や生物への毒性、長距離移動性が懸念される物質については、リスクがあるかどうかにかかわらず禁止される仕組みとなっています。

このように化学物質管理はリスクベースを基本としながらも、ハザードベースの管理もミックスされて実装されているのが現状です。ただし、どのようにミックスするべきかは正しい答えは存在せず、いろいろな考え方を持つ人がいます。

そしてここ数年の動きとして、欧州を中心にハザードベースの管理が強まっています。これは従来型の化学物質管理法の枠組みとは別に、POPs条約のように別の枠組みとして化学物質を規制しようとする動きのことです。これには例えば現在交渉が続いているプラスチック条約があります。

懸念物質(他の物質に代替するべき物質)というものを決めて、それを使わないようするにする、というのが基本的な考え方になっており、その懸念物質をハザードベースで決める流れとなっています。

このような流れの中で「リスク評価は時代遅れ」という声も聞こえてきているとのことです。そこで本記事では、プラスチック条約をめぐる動き、欧州グリーンディール政策をめぐる動き、農薬管理をめぐる動きなどを紹介し、ハザードベース管理の潮流について解説したいと思います。

プラスチック条約をめぐる動き

まずはプラスチック条約ですが、これは以下の論文を参考にして紹介していきます。日本リスク学会年次大会で開催された企画セッションの内容をまとめたもので、パネルディスカッションの内容も非常に興味深いものとなっています。

井上ほか (2025) グローバルな化学物質リスクガバナンスの展望とベストプラクティス―サステナビリティと循環型制度の調和を考える―. リスク学研究, 35(2), 63-71
https://doi.org/10.11447/jjra.T-25-004

2022年3月の国連環境総会において、決議5/14「プラスチック汚染を終わらせる:法的拘束力のある国際約束に向けて」が採択され、条約が策定されることになりました。ただし、内容については、2025年の時点で各国の合意にはまだ至っていません。

この条約策定の議論の中で、プラスチックそのものだけではなく、プラスチックの製造時に添加される化学物質についても規制しようという流れになってきました。

この化学物質がどんなものかについては、論文中の記載を以下に引用します。発がん性や内分泌かく乱など、有害性の性質、つまりはハザードベースで選定されているようです。

UNEPの報告書では,プラスチックの製造時に使用される13000以上の化学物質のうち,3200物質以上で人健康又は環境への有害性が懸念されるとしている。特に10物質群(難燃剤,ペルフルオロ及びポリフルオロアルキル物質 (PFAS), フタル酸エステル類,ビスフェノール類,アルキルフェノール類,特定のバイオサイド(有機スズ,ヒ素,トリクロサン,4 級アンモニウム),紫外線吸収剤,金属・半金属 (As, Sb, Cd, Co, Cr, Pu, Hg, Sn, Zn), 多環芳香族炭化水素 (PAH), 非意図的添加物(揮発性有機化合物 (VOC), ダイオキシン))が主要な懸念物質だと指摘されている。

(中略)

また,最新の議論では,懸念物質の定義(以下)まで提示された。広範なクライテリアが設定され,仮にこれが採用されれば条約の対象となる懸念物質の数は相当数に上ることが想像される。
・発がん性・変異原性・生殖毒性 (Cat. 1A or 1B)
・特定標的臓器毒性(反復ばく露)
・内分泌かく乱毒性
・呼吸器・皮膚感作性
・難分解(P)・高濃縮(B)・毒性(T) (PBT)
・非常に難分解(vP)・非常に高濃縮性(vB) (vPvB)
・難分解(P)・移動(M)・毒性(T) (PMT)
・非常に難分解(vP)・非常に移動性(vM) (vPvM)
・長距離移動性(LRT)

これに対して、パネルディスカッションでは以下のような意見が出されました:
・懸念物質の懸念とは何なのかが定まっていないのが課題
・一意に懸念物質が定まるはずがない
・どのような化学物質も正しい使い方が存在するという考え方は間違っていないはず

さらに以下のような発言もあり、リスクベースからハザードベースへの流れに転換させようとする勢力があるようです。

プラスチック条約の議論に参加して規制推進派の議論を聞いていると,「リスク評価は時代遅れだ」と言い切る人がいる。リスク評価は時間・リソースがかかるのに対して,ハザードベースの評価は人健康や環境を守るための実用的なアプローチだという主張のようだ

こういう議論があるので合意がなかなか得られないのだろうなという気もします。ということで、プラスチック条約をめぐる動きは今後も注意深く見ていく必要がありそうです。

欧州グリーンディール政策をめぐる動き

欧州グリーンディールは、脱炭素と経済成長の両立を図るものとして2019年に発表されました。これをもとに多数の新たな法案や取り組みが提案されてきましたが、化学物質管理分野では、2020年に「持続可能な化学物質戦略(EUs chemicals strategy for sustainability, CSS)」が公表されました。

このCSSでは「有害物質のない環境に向けた汚染ゼロ目標」が打ち出され、PFASの規制などさまざまな規制強化の方向性が示されています。欧州のPFAS一括規制のことは本ブログの過去記事でも解説しました。リスク評価をせずにPFASに該当する化学物質を一括で禁止するもので、典型的なハザードベースの管理になっています。

有機フッ素化合物PFASのリスクその2:フッ素樹脂が巻き添えで欧州のPFAS規制対象になった
PFAS問題の解説として、PFOS・PFOAからPFASへ世間の注目が変化したことをGoogle trendsを用いて示します。次に、PFASとは何か?についてリスクの観点から大きく3つに分けて解説します。そして欧州で進んでいるリスク評価を伴わないPFAS一律禁止措置の動向について紹介します。

さらに、PFASに限らず、「最も有害な化学物質」については、「必要不可欠でないものはすべて禁止」という考え方、すなわち「エッセンシャル・ユース概念」が提案されました。ここでは以下の記事に基づいて紹介していきます。

みずほリサーチ&テクノロジーズ:EUにおける化学物質の「エッセンシャル・ユース」概念の明確化

EUにおける化学物質の「エッセンシャル・ユース」概念の明確化 ―注目されるPFAS規制への影響―:みずほリサーチ&テクノロジーズ
EUにおける化学物質の「エッセンシャル・ユース」概念の明確化 ―注目されるPFAS規制への影響―について解説します。

「エッセンシャル・ユース」概念の方針は以下のとおりです:
① 物質の使用を必要不可欠とみなす「エッセンシャル・ユース(essential use)」の概念を域内の規制全般に取り入れる
② 必要不可欠ではない使用は段階的に廃止する
③ エッセンシャル・ユースの基準・原則を策定する

ここでの「最も有害な化学物質」とは何か?ということですが、以下のような性質を持つものと定義されました:
・発がん性
・生殖細胞変異原性
・生殖発生毒性
・内分泌かく乱(ヒト健康)
・内分泌かく乱(環境)
・呼吸器感作性
・特定標的臓器毒性(反復ばく露、免疫毒性・神経毒性を含む)
・残留性・蓄積性・毒性、極めて高い残留性・極めて高い蓄積性
・難分解性(残留性)・移動性・毒性、極めて高い難分解性(残留性)・移動性
・オゾン層への有害性

先ほどのプラスチック条約における懸念物質の定義と非常によく似ていますね。これもリスクベースではなくハザードベースであることがわかります。

ちなみに「不可欠かどうか」については以下のように示されています:
・健康・安全のために必要であるか、社会機能上重要であること
・許容できる代替がないこと

農薬管理をめぐる動き

欧州グリーンディールは農薬管理にも大きな影響を与えています。Farm to Fork(農場から食卓まで)戦略は、2030年までに農薬使用量とリスクを50%削減する目標を定めています。この話題については本ブログの過去記事でも詳しく紹介しています。

欧州の農薬削減目標(リスク50%減)は法規制の撤回前にすでに達成されていた
日本の「みどりの食糧システム戦略」が参考とした欧州の農薬削減目標について解説します。欧州では2023年にすでに農薬のリスク50%削減を達成しましたが、農薬削減目標の指標2つ(農薬の使用量とリスクを50%減、より有害な農薬使用を50%減)の具体的な計算方法などを紹介します。

ここでは上記の過去記事のおさらいをしておきましょう。

欧州委員会はFarm To Fork戦略の農薬削減目標(法的拘束力はない)を達成するために、法的拘束力のある規制を含む「植物保護製品の持続可能な利用規則」と呼ばれる法案を2022年に発表しました。

ところが、農家のデモが激化した結果、この法案は廃案となったのです。そうはいってもFarm to Forkの目標は継続しており、実際に使用量50%の削減目標が達成されました。目標は使用量50%削減のほかにもう一つあり、より有害な農薬の使用を50%削減するというものです。

ここで出てくる「より有害な農薬」は、「懸念物質」や「最も有害な化学物質」などと似たような概念ですね。この「より有害な農薬」も、発がん性・生殖毒性・内分泌かく乱作用のような、ハザードベースによる分類となっているようです。

欧州のFarm to Fork戦略にならったのが日本の「みどりの食料システム戦略」で、この戦略でも農薬の使用量をリスク換算で50%削減する目標が立てられています。ADIによって農薬毎ごとの使用量に重み付けがされており、毒性の強い農薬を優先的に削減するようになっています。

しかしながら、毒性の強弱にかかわらず、使用方法やその後の環境動態などで実際の人体への曝露量は大きく異なるため、毒性が強い=リスクが高いではありません。そのため、「リスクベース」であるかと言われるとちょっと違いますね。

まとめ:リスク評価は時代遅れなのか?

プラスチック条約や欧州グリーンディールに基づくエッセンシャルユース概念やFarm to Forkにおけるハザードベースの化学物質管理の動きについて紹介しました。リスクベースの管理は評価に時間がかかる、ハザードベースのほうが手っ取り早い、というのがハザードベースを推進する側の考えのようです。ただし、何のために化学物質を使っているのか?が置き去りになっている印象です。臭いものにフタをするように化学物質を禁止しても、別の物質に代替されるだけであって、それでリスクが減るのかどうかはわかりません。これを把握するにはやはりリスク評価が必要になります。

補足

本記事を書いている最中に以下のようなニュースがありました。

EU、エタノールの「発がん性物質」指定検討 手指消毒に影響=FT

EU、エタノールの「発がん性物質」指定検討 手指消毒に影響=FT
欧州連合(EU)は、手指消毒剤に広く使用されているエタノールを「発がんリスクのある危険物質」に分類することを検討している。英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)が21日報じた。

欧州連合(EU)は、手指消毒剤に広く使用されているエタノールを「発がんリスクのある危険物質」に分類することを検討している。英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)が21日報じた。

欧州化学品庁(ECHA)の作業部会の1つが10月10日にまとめた内部勧告で、エタノールは、がんや妊娠合併症のリスクを高める有害物質であり、洗浄製品などでは他の物質を使うべきだとの見解を示した。

詳細がまだわからないのと、これが最終決定ではないので今後どうなるかわかりませんが、これも典型的なハザードベースの管理と言えるでしょう。使い方とか量を無視して「発がん性」という性質のみに注目して他の物質に代替させようとしています。

消毒剤として有用な物質の使用をやめることにより、感染症を含めた広い意味での人類に対するリスクを下げるのかどうか、少し考えればわかりそうな気がします。欧州は「汚染ゼロ」という表面的なイデオロギーに毒されてしまっているのがわかるニュースです。

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