要約
グリホサートの発がん性の根拠とされている疫学調査のメタアナリシスを事例に、農薬の疫学調査はなぜ難しいのか?を解説します。農薬の疫学研究が難しいのは、農薬の曝露量の推定が難しいことが一番の理由です。結果として、信頼性の低い研究を積み上げたメタアナリシスの信頼性もまた低いということになります。
本文:農薬の疫学調査はなぜ難しいのか?
除草剤グリホサート(商品名ラウンドアップなど)の健康影響の第2回になります。第1回の記事では尿中から検出されたグリホサートのリスク評価について解説しました。
今回はグリホサートの発がん性をめぐる疫学調査をどのように捉えたらよいかについて解説します。
グリホサートの発がん性については前回の記事でも紹介した以下の記事がよくまとまっています。IARC(国際がん研究機関)がグリホサートの発がん性について評価し、グループ2Aの「ヒトに対しておそらく発がん性がある」に分類しました。その後、欧州や米国、日本、WHO/FAOで農薬のリスク評価を担当するJMPR(合同残留農薬専門家会議)も揃って発がん性を否定する(あるいは根拠は弱いとする)見解をまとめています。
IARCはマウスやラットを用いた動物実験、ヒトの疫学調査を評価して、動物実験では十分な根拠があり、ヒトでは限定的な根拠がある、としてグリホサートをグループ2Aにしました。
仮にヒトでも十分な根拠ありとなればグループ1の「ヒトに対して発がん性がある」になります。グリホサートの場合はグループ1に分類できるほどの十分な根拠がなかったことになります。IARC以外の公的機関では証拠はさらに弱いと判定しています。
「限定的な証拠」って一体何なの?
証拠はあるかないかの2択で、科学的に決着がつくものなんじゃないの?
このように感じるのも無理はありません。ところが、農薬のヒトへの影響を調べる疫学調査はなかなか難しいもので、白黒ハッキリつけるのが難しかったりします。そこで、断片的な証拠を集めて、それが十分なのか不十分なのか、という議論をしなければいけないのですね。
そこで本記事では、農薬の疫学調査がなぜ難しいのか?ということについて解説していきます。農薬の疫学についての一般論、グリホサートの疫学調査の実際の内容、その中でも最も有用と思われる疫学調査の結果の順で紹介していきます。
農薬の疫学はなぜ難しいのか?
最も信頼性の高い疫学研究とは、ある集団をランダムに2つに分け、一方にはグリホサートを使ってもらい、一方には使わせず、それ以外は同じように生活してもらい、健康調査を長期間続ける、という方法です。これはランダム化比較試験と呼ばれるものです。これならグリホサートを使う以外の条件がそろえられるので、グリホサートの影響だけを調べることができます。
ただし、このような研究が1つだけでは、再現性はあるの?とか、地域や国が変わったらどうなるの?という疑問が残ります。よって、このような疫学調査を違う地域(国)でいくつか行い、それらのデータをあわせて解析を行う(メタアナリシスと呼ばれる方法)とさらに最強です。複数の研究が同じ結果を示していればさらに結果の信頼性が高まるわけです。
農薬を含む化学物質の場合、このような人体実験は不可能です。さらに、農薬の場合は使用される前に評価をする必要がありますので、どうしても動物実験で評価せざるを得ません。
使用開始後の疫学研究は観察研究と呼ばれるものです。これには主に二種類あり、「コホート研究」と「症例対照研究」があります。
コホート研究は、ある集団を設定してその集団の農薬などの曝露歴を調べ、そこから長期間の健康観察を行い、曝露歴のある人とない人の病気の発生率を比較する方法です。
症例対照研究は、がんなどの病気になった人(症例)を集めてきてその人の農薬などの曝露歴をさかのぼって調べ、がんになっていない集団(対照)の曝露歴と比較する方法です。
さて、ここで欧州食品安全機関が公表している農薬の疫学研究602論文(2006年以降に出版されたものだけ)のレビューを紹介します(文献1:文献情報は最後の補足参照)。メタアナリシスの結果、妊娠中曝露による小児白血病や、パーキンソン病などで農薬曝露と疾病の間に統計的有意な関係性が見られたものの、農薬と疾病の間の因果関係については大部分の研究で確固たる結論が導き出せないことを示しました。
これは疫学研究に多くの制限があるからです。特に農薬の曝露量の推定に問題があります。ほとんどの研究で、自己申告に基づいた使用歴あるなし(もしくは使用頻度)程度の分類しかできていません。これでは曝露量が多くなるにつれ病気の発生率があがるかどうか、という用量反応関係の評価ができません。
特に症例対象研究では、「想起バイアス」の影響を受けやすいことが指摘されています。病気になってから調査が始まるので、そのような人たちは健康な人たちよりも「きっと自分が病気になったのは農薬が原因だ」と思い込みやすいため、健康な人よりも曝露量を過剰に申告しがちになります。
また、ほとんどの農業者や農薬散布者は多種類の農薬を使用するため、特定の農薬の影響を評価することが難しいのです。グリホサートの影響だと思っていたけど実際には違う農薬の影響かもしれません。さらに、農薬散布者は農薬成分のみならず、農薬の補助剤や重金属、浮遊粒子状物質などにも同時に曝露されるため、農薬の影響と他の物質の影響を分けることができません。
さらに、曝露群として農家、対照群として非農家を比較すると、農薬曝露量以外の条件(生活習慣や社会経済的状況)も大きく違ってしまうため、何の影響を見ているのかわからなくなります。このことを「交絡因子の影響を受けてしまう」といいます。
結論としては、曝露量の正確な評価のためには、前回の記事で書いたような尿中濃度を測るなどのバイオマーカーが有用です。ただし、尿中グリホサートは1日で摂取量のほとんどが排出されてしまうので、発がんにいたるまでの長期間の曝露量は測定できません。代わりとなるよいバイオマーカーの探索が求められます。
グリホサートと非ホジキンリンパ腫の関係を示すメタアナリシス論文
農薬の疫学調査が難しい理由について一般論を解説しました。これを踏まえて話題の論文を見ていきましょう。これまでに行われたグリホサートの疫学調査をまとめてメタアナリシスを行った2019年の論文です(文献2:文献情報は最後の補足参照)。
1つのコホート研究と5つの症例対象研究があり、それらをまとめるとグリホサートの曝露群において悪性リンパ腫の一種である非ホジキンリンパ腫のリスクが1.4倍(95%信頼区間が1.1-1.8で統計的有意)になった、という結果です。発がん性を支持する人はこの論文を根拠としているようです。
また、このメタアナリシスはIARCが行ったメタアナリシスとほぼ同様の結果となっています。IARCと異なるのは1つのコホート研究が最新の結果にアップデートされていることだけであり、5つの症例対象研究は同じです。
早速5つの症例対象研究から曝露評価を見ていきましょう。
・De Roos et al: 電話か対面のインタビュー。曝露情報はグリホサートの使用歴があるか否かのみ
・Eriksson et al: 郵便によるアンケート。グリホサートの使用日数(曝露なし群に加え、グリホサート曝露群は使用10日以上と10日以下で分類)
・Hardell et al: 郵便によるアンケート。グリホサートの使用日数1日(8時間)以上で曝露群と判定
・McDuffie et al: グリホサート曝露に関する情報なしと書かれている(えっ!?)。
->ちなみに元論文の要約を読んでもグリホサートのことが一切書かれていません
・Orsi et al: アンケートと個人インタビュー。グリホサートの使用期間の中央値以上が曝露群、使用歴なしが曝露なし群
曝露評価の精度がどれもあまり高くないことがわかると思います。基本的に農薬の使用頻度と曝露量は全く比例しません。同じ1回の使用であっても、使用面積、使用量、使用方法、防護服などの装備、などで曝露量は全然違ってきます。1日でも使ったら曝露群とされているような研究もあり、これでグリホサートの影響を見ているというのは結構厳しいと思われます。疫学者が農薬の使用実態をあまりよく知らないので適切な質問ができていないのかもしれません。
結果として、De Roos et al、Eriksson et al、McDuffie et alの3つの研究では、グリホサートと非ホジキンリンパ腫の発生との間に有意な関係あり。Hardell et alとOrsi et alの2つの研究では有意な関係なしになっており、結果が分かれています。
コホート研究は1つだけですが、こちらのほうは症例対象研究と比べて曝露量の推定精度が高いと思われます。これを次に詳しく説明していきます。
Agricultural Health Studyから得られた知見
1つだけあるコホート研究はAgricultural Health Study(AHS)と呼ばれる疫学調査で、農業、ライフスタイル、遺伝的要因が農業者の健康にどのように影響するかを調べています。調査は1993年から、調査地は米国のアイオワ州とノースカロライナ州で、89000人以上の農家とその配偶者が参加しています。
AHSの曝露量の推定は他の症例対象研究と比べると精度が高いと思われます。登録時とその後のフォローアップアンケートにて、49種類の農薬使用について年数と年間使用日数などに基づいて指標化されています。
曝露指標=生涯使用日数×強度スコア
で計算され、さらに強度スコアは
(混合作業+散布作業+散布機の修理作業)×防護具の使用による曝露の減少度
で計算されます。この方法は実際の尿中農薬濃度で検証されるなど、かなりの努力がなされています(文献3:文献情報は最後の補足参照)。さらに、曝露指標は4段階に分けられ、用量反応関係が成立しているかどうかも見ることができます。
AHSにおける2012年までの追跡調査の結果、グリホサートの曝露指標と非ホジキンリンパ腫を含む20種類のがんの発生との間に有意な関係は見られませんでした(文献4:文献情報は最後の補足参照)。ただし急性骨髄性白血病については一部の分析で有意な関係が見られました。
このように、AHSは5つの症例対照研究よりも信頼性が高いと思われますが、文献2のメタアナリシスでは信頼度の落ちる症例対照研究を合わせることで、信頼度の高いAHSの結果を「薄めてしまった」と解釈できます。
この辺については、IARCのメタアナリシスでも同様で、文献5や文献6で批判的に指摘されています(文献情報は最後の補足参照)。
AHSでは、調査対象の農業者の発がん確率と、同じ地域に住む一般の発がん確率を比較した結果も報告されています(文献7:文献情報は最後の補足参照)。
農業者では一般の人と比べて、非ホジキンリンパ腫の一種であるB細胞リンパ腫などで統計的有意な増加が見られました。ここだけ聞くとびっくりしますが、全てのがんで見ると統計的有意に減少しました。特に肺がんなどの呼吸器系のがんが半減するなどの大きな減少が見られます。肺がんが減るのは細菌への曝露が多いからかもしれないと考察されています。
疫学調査で農薬のみの影響を見るのは難しいため、このようにトータルで考えたほうがよいと思います。アウトカムとしても個別のがんよりも全がんや寿命で考えるべきでしょう。
農家が長寿命かどうかはこれまでもいくつか記事を書いていますが、なかなか難しいものです。少なくとも大きく寿命を短くすることはなく、影響があったとしても他の要因に隠れてよくわからない位の影響しかないと考えられます。
オフィスワークですら座っている時間が長いだけで死亡率があがるという研究もあります。ひとつひとつのリスクにあまりくよくよしていてもしょうがないですね。
まとめ:農薬の疫学調査はなぜ難しいのか?
農薬の疫学研究が難しい理由は、曝露量の推定が難しいことが一番です。(1)農薬への曝露を定量的に調査することが難しい、(2)農業者は多種類の農薬を使用するため個別の農薬の影響を調べることが難しい、(3)症例対照研究では想起バイアスの影響を受ける、という3点にまとめられます。結果として、信頼性の低い研究を積み上げたメタアナリシスの信頼性もまた低いということになります。
以下、グリホサートの健康影響シリーズの続きです。
補足:文献情報
文献1:EFSA(欧州食品安全機関)が外部委託した農薬の疫学調査レビュー
Ntzani et al (2013) Literature review on epidemiological studies linking exposure to pesticides and health effects. EFSA supporting publication 2013:EN-497
文献2:グリホサートの疫学調査をまとめた最新のメタアナリシス
Zhang et al (2019) Exposure to glyphosate-based herbicides and risk for non-Hodgkin lymphoma: A meta-analysis and supporting evidence. Mutation Research/Reviews in Mutation Research 781, 186-206
文献3:AHSにおける農薬の曝露評価方法
Coble et al (2011) An Updated Algorithm for Estimation of Pesticide Exposure Intensity in the Agricultural Health Study. International Journal of Environmental Research and Public Health, 8, 4608-4622
文献4:AHSの疫学調査の結果、グリホサートと20種類のがんとの関連なし
Andreotti et al (2018) Glyphosate Use and Cancer Incidence in the Agricultural Health Study. Journal of the National Cancer Institute, 110, 509-516
文献5:IARCのメタアナリシスの欠点を指摘した論文
Crump (2020) The Potential Effects of Recall Bias and Selection Bias on the Epidemiological Evidence for the Carcinogenicity of Glyphosate. Risk Analysis, 40, 696-704
文献6:米国EPAによる文献2の批判的検討
US EPA (2020) Glyphosate: Epidemiology Review of Zhang et al. (2019) and Leon et al. (2019) publications for Response to Comments on the Proposed Interim Decision.
文献7:AHSの疫学調査における農薬と各種発がんの関係
Lerro et al (2019) Cancer incidence in the Agricultural Health Study after 20 years of follow-up. Cancer Causes Control 30, 311-322
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