要約
リスク比較をする際には、比較対象を都合よく選んで「○○よりも小さいから気にするな」という類のメッセージを出してはいけません。それを避けるために、常に一定のリスク比較のセット(リスクのものさし)を使って新型コロナウイルス感染症のリスクを比較してみます。
本文
前回の記事ではリスク比較の方法を示すとともに、「○○のリスクはたばこや酒のリスクよりも低いのだから許容するべきである」というような文脈で用いるリスク比較は大きな反発を招きやすいことに触れました。なぜこれが反発を受けやすいかというと、リスクの許容を説得したい側が都合の良い比較対象をもってくるからです。説得したい側の「思惑」が透けて見えてしまうわけですね。逆に、比較対象として落雷のリスク(10万人あたりの年間死者数0.0024人)を持ってきてしまうと、多くのリスクはこれより高いので、「許容すべき」といったメッセージが出せなくなってしまいます。
リスクのものさし
適切な比較対象こそがリスクのものさしになります。リスクコミュニケーションの専門家である同志社大学の中谷内教授は「リスクのモノサシ(2006年 NHKブックス)という書籍の中で標準的なリスクのものさしを提案しました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4140910631
これは、あるリスクの大きさを示す際に、そのものさしを情報の受け手側が考えるのではなく、情報を提供する側が標準的なリスク比較セットとして提供するものになります。この特徴として、
1)恣意的にリスク比較できないように比較対象を一定にさせる
2)大きなリスクから小さなリスクまでをカバーできる複数の基準をセットにする
3)なじみがあって統計的に安定している
4)リスク認知のバイアスがかかりにくい
などの点となっています。
上記の書籍で示されたリスクのものさしの一案は以下の表のとおりです。
要因 | 死亡率 |
がん | 250 |
自殺 | 24 |
交通事故 | 9 |
火事 | 1.7 |
自然災害 | 0.1 |
落雷 | 0.002 |
がん、自殺、交通事故、火事、自然災害、落雷の6つの要因をセットとし、リスクは死亡率(10万人あたりの年間死者数)で表現しています。ただし、リスクのものさしは常に改良が必要です。そこで、今回新しいデータを用いてアップデートしたものが以下の表となります。
要因 | 死亡率 | 元データ |
がん | 297 | 人口動態調査(2018年) |
自殺 | 15.9 | 人口動態調査(2018年) |
交通事故 | 3.6 | 人口動態調査(2018年) |
火事 | 0.81 | 人口動態調査(2018年) |
落雷 | 0.0024 | 警察白書(2000~2009年の平均) |
自然災害は年変動が非常に激しい(東日本大震災のあった2011年に突出するなど)ので不採用としました。がんの死亡率は高齢化の影響で上昇し、自殺、交通事故、火災による死亡率は減少していることがわかります。特に交通事故のリスクの減少は目を見張るものがありますね。
新型コロナウイルス感染症のリスクの大きさ
リスクのものさしができあがったので、いよいよここにコロナウイルスのリスクをはさみ込んでみます。前回の記事では、4月2日時点で国内の死者数は63人でしたが、4月7日発表分では73人となっていますので、10万人あたりの死者数は0.057人となります。もしも年間で死者数がこの10倍に増えた場合は10万人あたりの死者数は0.57人、100倍に増えた場合は10万人あたりの死者数は5.7人となります。結果は以下の通りです。
要因 | 死亡率 | 元データ |
がん | 297 | 人口動態調査(2018年) |
自殺 | 15.9 | 人口動態調査(2018年) |
コロナ 現状の100倍 | 5.7 | 仮定 |
交通事故 | 3.6 | 人口動態調査(2018年) |
火事 | 0.81 | 人口動態調査(2018年) |
コロナ 現状の10倍 | 0.57 | 仮定 |
コロナ 現状 | 0.057 | 厚生労働省(2020年4月7日) |
落雷 | 0.0024 | 警察白書(2000~2009年の平均) |
10万人あたりの死者数は0.057人という数字を単独で示されるよりもリスクの大きさがイメージしやすくなったのではないでしょうか。また、常に「一定の」リスクのものさしと一緒に示すことで、「○○より低いからたいしたことはない」などと都合よく言えなくなり、情報の送り手側が常に公正なメッセージを送る必要性が出てきます。
ただし、コロナウイルスに特化したリスク比較をしたいのであれば、ものさしの比較対象が違いすぎると感じます。そこで、感染症による死因のみを集めた感染症用リスクのものさしもついでに作ってみることにします。前回の記事でも何度も出てきた厚生労働省の人口動態調査のデータ(第7表 死因簡単分類別にみた性別死亡数・死亡率)を使います。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei18/index.html
リスクのものさしの特徴:
2)大きなリスクから小さなリスクまでをカバーできる複数の基準をセットにする
という観点で選んでみると、以下の表になりました。
要因 | 死亡率 | 元データ |
肺炎 | 75 | 人口動態調査(2018年) |
誤嚥性肺炎 | 31 | 人口動態調査(2018年) |
インフルエンザ | 2.6 | 人口動態調査(2018年) |
髄膜炎 | 0.23 | 人口動態調査(2018年) |
HIV | 0.03 | 人口動態調査(2018年) |
肺炎のリスクがこんなにも大きいものであったことにいまさらながら気づきます。誤嚥性肺炎とは、ものを飲み込むときに誤って肺に細菌とともに入ってしまって炎症を引き起こすもので、通常の肺炎とは別カウントになっているようです。ほかにインフルエンザ、髄膜炎、HIVを選んでみました。髄膜炎はヒブや肺炎球菌などが脳を包む髄膜について炎症を起こす病気で、現在ではワクチンで予防できるものもあります。
そして、コロナウイルスのリスクをはさみ込んだ結果が以下の表です。
要因 | 死亡率 | 元データ |
肺炎 | 75 | 人口動態調査(2018年) |
誤嚥性肺炎 | 31 | 人口動態調査(2018年) |
コロナ 現状の100倍 | 5.7 | 仮定 |
インフルエンザ | 2.6 | 人口動態調査(2018年) |
コロナ 現状の10倍 | 0.57 | 仮定 |
髄膜炎 | 0.23 | 人口動態調査(2018年) |
コロナ 現状 | 0.057 | 厚生労働省(2020年4月7日) |
HIV | 0.03 | 人口動態調査(2018年) |
インフルエンザ以外は死因としてなじみが薄く、また肺炎のリスクの大きさが意外に大きいことなどで逆にリスクの大きさをイメージしにくくなったかもしれません。ぱっと見た感じでは現状の100倍(国内死者数7000人程度)以内で抑え込めればかなりマシな方なのでは、と思えてきます。もちろんそれでも多大な犠牲(自粛による社会・経済活動の停止、医療への過大な負担など)の上にようやくそのくらいに抑えられた、ということになると思います。加えてイタリアやスペインのように全くその程度で抑えられない将来もありえます。
まとめ
リスクのものさしを使うことでより客観的な比較ができるようになる、というのがふたつめのポイントになります。ポイントの3つ目では数字に飛びつく前に考えたい数字の信頼性や多面的な要素について触れてみたいと思います。
補足(余談)
上記の人口動態調査の死亡数・死亡率の表には、一番最後に特殊目的用コードとして「重症急性呼吸器症候群[SARS]」が示されています。現在は数字が入っていません(ゼロではなくハイフンが記載されている)が、今年の新型コロナウイルス感染症はこのSARSのところに数字が入るのか、それとも別途コードが用意されるのか、どのようにカウントされるのかが気にかかります。
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