要約
世界疾病負荷研究(GBD study)が提供するツールを用いて、日本のがん死亡に対するリスク要因を整理しました。その結果、たばこやお酒、不健康な食事などの日常生活に起因するがんの影響は化学物質によるがんと比べてけた違いに大きくなっています。
本文:日本におけるがんのリスク要因は何か?
前回までに、グリホサートの発がん性をめぐっていくつかの記事を書いてきましたが、発がん性の証拠は弱いものの、仮に発がん性があったとしてもそのリスクは非常に低いレベルにあること(10万人あたりの年間死者数0.0001人)を示しました。
全てのがん死のリスク(10万人あたりの年間死者数304人)と比べてもごくわずかな数字であり、グリホサートを避けてもがんになりやすさはほとんど変わることがありません。
また、発がん性物質の規制は一般の人を対象とする場合は生涯で100万人に1人や、10万人に1人というリスクレベルを目標にすることが多いことも示しました。
これらの規制の目標となるリスクレベルも全てのがん死のリスクに比べてごくわずかであり、このレベルのものを一生懸命心配したり、避けるよう努力したりしても大きな意味はなさそうです。
これまで一生懸命化学物質を避けてきたのは無駄だったというの!?
じゃあ、自力で避けられるがんの要因の中で、効果の大きいものは一体なんなの!?
このような疑問が出てくるのはもっともだと思います。最近(2022年8月)公表された論文がその答えを出してくれました。いくつかのことに気を付けるだけで、がんによる死亡リスクがなんと半分に下がる、という結果です。
本記事では、その論文の内容とベースとなっている世界疾病負荷(Global Burden of Disease: GBD)研究について紹介し、特に日本のデータを抜き出して整理した結果を紹介します。本記事のもう一つの目的はGBDで提供しているリスクツールを紹介することです。
世界疾病負荷研究(GBD study)
世界疾病負荷(Global Burden of Disease: GBD)研究とは
「疾病・傷害による健康損失を比較的に定量化するための、体系的かつ科学的な取り組み(https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000511705.pdf)」
であり、WHOを母体とする世界的な研究プロジェクトです。
どの病気がどれくらいの負荷になっているかの大きさを考慮して、対策の優先順位を付けようという考え方がベースにあります。これはリスク評価が目指すものと全く同じですね。
特に疾病負荷の指標としてDALY(disability-adjusted life year:障害調整生命年)を活用しているところが特徴的です。DALYとは、損失生命年(死亡数×死亡時平均余命)と損失健康年(障害を受けた人数×障害の継続年数×障害のウェイト)を併せて、死亡だけでは表現できないリスクを考慮しています。本ブログでも大麻とたばこや酒のリスクを比較した記事でDALYを活用しました。
そのGBDによる一連の研究成果の一つが、ここで紹介するがんのリスク要因をまとめた論文です。
GBD 2019 Cancer Risk Factors Collaborators (2019) The global burden of cancer attributable to risk factors, 2010-19: a systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2019. The Lancet 400, 10352, 563-591.
さまざまな疫学研究をメタアナリシスなどの手法でまとめ、リスク要因とがん死亡リスクの関係を定量化していく方法が使われています。メタアナリシスなどの詳細についてはグリホサートの発がん性について書いた過去記事をご覧ください。
さて、この論文自体は非常に膨大なデータが示されている長編であるため、ここでは全部を紹介しきれません。そこで、冒頭の疑問(回避できるがんの要因で大きいものは何か?)に答える部分のみを紹介します。
以下のNatureのニュースが端的にまとまっています。がんによる男性の死亡者数の半分、女性の3分の1以上が、たばこやアルコール、不健康な食事、危険なセックス、アスベストなどの有害物質への職業曝露など、回避可能なリスク要因によるものでした。
これは全世界の話ですが、日本の場合はどうなるのか?について以下からデータを紹介していきます。
GBD Result tool
上記論文のデータを可視化したりダウンロードできたりするツール「GBD Result tool」が公開されています。ここからはそのツールを使って日本のデータにアクセスしてみましょう。
まずは登録が必要です。これは正直めんどくさい。営利目的以外なら活用OKのようです。登録が終わると以下のような検索用の画面が出てきます。
・GBD estimateで「Risk factor」を選ぶと、病気ではなくその要因の情報が得られる
・DALYではなく死亡リスクを見るのでMeasureは「Death」を選択する
・MetricとしてはRate(10万人あたりの年間死者数)だけでもよいが、Number(年間死者数)も落としてみる
・Risk(リスク要因)は全て(All risk factors)をチェックする
・Causeとしては全死亡とがん死の2種類を見る
・Locationは日本を指定して、日本のデータに限定する
・Sex(性別)は両方
・Year(年)は最新年度の2019年を選択する
これでダウンロードを押せば登録したメールアドレスにデータのURLが届きますので、それをクリックすればcsvファイルがダウンロードできます。結構面倒です。
ダウンロードしなくても「Search」を押せばその場でデータが見られますし、以下のようにグラフも出てきます。これは不健康な食事による日本のがん死亡リスク(全年齢、男女両方)の経年変化を示しています。推定の信頼区間も示されていますね。これはなかなか便利です。
ちなみに食事によるリスクの内訳の項目もあり、以下のようになっています:
・果物が少ない
・野菜が少ない
・全粒穀物(玄米や全粒粉など)が少ない
・牛乳が少ない
・食物繊維が少ない
・赤身肉が多い
・加工肉が多い
・食塩が多い
つまり、これと逆の食事を摂れば健康的な食事になるわけです。また、この中でも影響が大きいのは牛乳と全粒穀物になっています。
がんによる死亡や全死亡のリスク要因
続いてダウンロードした日本におけるがんや死亡のリスク要因のデータを整理してみましょう。
リスク要因も何十種類もあるため、ここでは以下の10種類に注目して整理します:
大気中粒子、喫煙、受動喫煙、アルコール、ドラッグ、高BMI、不健康な食事、食塩の摂りすぎ、運動不足、アスベストの職業曝露。なお、不健康な食事は食塩の摂りすぎを含んだ数字です。
まずはがん死亡のリスク要因から整理したのが以下の表です。たばこが圧倒的に多いことがわかります。
リスク要因 | 年間推定死者数 | 10万人あたり 年間死者数 |
大気中粒子 | 8031 | 6 |
喫煙 | 105461 | 83 |
受動喫煙 | 3324 | 3 |
アルコール | 18285 | 14 |
ドラッグ | 6057 | 5 |
高BMI | 11741 | 9 |
不健康な食事 | 31486 | 25 |
食塩の摂りすぎ | 4677 | 4 |
運動不足 | 4897 | 4 |
アスベストの職業曝露 | 20267 | 16 |
次に、全死亡のリスク要因を整理したのが以下の表です。こちらもたばこがトップですが、不健康な食事のリスクもかなり高いことがわかります。
リスク要因 | 年間推定死者数 | 10万人あたり 年間死者数 |
大気中粒子 | 39692 | 31 |
喫煙 | 199396 | 156 |
受動喫煙 | 16796 | 13 |
アルコール | 47795 | 37 |
ドラッグ | 10535 | 8 |
高BMI | 51822 | 41 |
不健康な食事 | 138104 | 108 |
食塩の摂りすぎ | 38087 | 30 |
運動不足 | 20536 | 16 |
アスベストの職業曝露 | 20699 | 16 |
最後にいつものように、がん死亡のリスク要因についてリスクのものさしで表現してみましょう。10個でも多いので、リスクの高い5つを選んで示すと以下のようになります。5つの合計で10万人あたり年間死者数147人です、全がんでは304人なので約半分を占めることになります。つまり、この5つの要因を回避するだけで約半分のがんを予防できることになります。
要因 | 10万人あたり 年間死者数 |
がん | 304 |
喫煙によるがん | 83 |
不健康な食事によるがん | 25 |
アスベストによるがん | 16 |
自殺 | 15.7 |
アルコールによるがん | 14 |
高BMIによるがん | 9 |
交通事故 | 3.5 |
火事 | 0.8 |
落雷 | 0.0017 |
さらに全死亡のリスク要因も同様にリスクのものさしで示します。不健康な食事、食べすぎ(高BMI)、飲みすぎ(アルコール)の影響は大変大きいですね。
要因 | 10万人あたり 年間死者数 |
がん | 304 |
喫煙 | 156 |
不健康な食事 | 108 |
高BMI | 41 |
アルコール | 37 |
アスベスト | 16 |
自殺 | 15.7 |
交通事故 | 3.5 |
火事 | 0.8 |
落雷 | 0.0017 |
このような影響の大きい要因を避けずに、化学物質のごく微小なリスクばかりを気にしてもあまり意味がないことが確認できます。
実際に最近になり、野菜・果物の摂取が多い人は死亡リスクが低下したという調査結果を国立がん研究センター等が発表しました。
また、以下のサイトでは科学的根拠に基づくがん予防として、「禁煙」「節酒」「食生活」「身体活動」「適正体重の維持」という5つの日常習慣の実施を推奨しています。
実に面白くないというか、特効薬などがなくあたりまえのことをあたりまえにやるしかない、という感じですね。「〇〇(健康食品など)を食べればがんが防げる!」やその逆の「〇〇(化学物質など)でがんが増加!」などの単純でウケがよいストーリーは実際にはごくわずかな影響しかないと言ってよいでしょう。
まとめ:日本におけるがんのリスク要因は何か?
世界疾病負荷研究(GBD study)のデータを用いて、日本のがん死亡に対するリスク要因を整理した結果、たばこやお酒、不健康な食事などの日常生活に起因するがんの影響は化学物質によるがんと比べてけた違いに大きくなっています。GBDが提供するツールはこのようなさまざまなデータを可視化するのに有用です。
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