「ゼロリスク」のシンプルなメッセージは妥当か?―ゼロリスクを求める心理学―

zero-risk リスクコミュニケーション

要約

市民には小難しいことを言っても伝わらないからシンプルに「リスクはゼロです」というメッセージを出すべきなのでしょうか?この妥当性を考えるために、ゼロリスクを求める心理学や本当に人々はゼロリスク志向なのか?について解説します。

本文:ゼロリスクを求める心理学

私たちの身のまわりにはさまざまなリスクがありますが、それらを完全にゼロにすることはできません。未来の不確実な状況を完全に予測することはできませんし、リスクをゼロに近づけようと対策するほどにコストが余計にかかるようになりますし、あるリスクを減らし過ぎると別のリスクが高くなります。

それでも一般の人々は「ゼロリスク」を過剰に要求しようとする、それは人々の知識が足りないからだ、と考える人もいます。そしてさらにこの考えが進むと、人々に難しいことを言っても伝わらないから嘘でも「リスクはゼロです」と言えば安心するのだ、という考えにつながります。

例えば下記の動画では食品安全の第一人者である唐木英明氏が食品添加物のリスクについて「リスクはゼロと言って間違いがない」と話しています。

Agrifact: 【動画】食品添加物はやっぱり危険?

【動画】食品添加物はやっぱり危険? | AGRI FACT 農と食の科学的情報サイト
渕上 唐木先生! 添加物には大事な役割がある。とは言っても、添加物はやっぱり摂取したくないよっていう人はやっぱりいるんですよね。 唐木 そうですね。そう思ってる方はとても多いと思います。実際に加工食品のほとんどには、非常に微量ですけれども添

より正確に言うならば「リスクがゼロかどうかはわからないが、実際になにかしらの健康被害が出る可能性は限りなく低い」程度でしょうか。

よりシンプルな「リスクはゼロです」という断言型のメッセージの伝え方は本当に大丈夫なのでしょうか?そもそも人々がゼロリスクを求める心理はどのようなもので、いかなる場合でもゼロリスクを求めるのでしょうか?

本記事ではそのような疑問に対して解説してみたいと思います。参考としたのはリスク心理学者の第一人者である中谷内一也氏(現同志社大学教授)による以下の書籍です。Chapter3に「人々はゼロリスクを求めるか」という内容があります。

中谷内一也 (2003) 環境リスク心理学. ナカニシヤ出版

環境リスク心理学
環境リスク心理学

ゼロリスクを求める心理学、本当に人々はゼロリスク志向なのか?について、この書籍をもとに解説し、その結果をもとにどのようなメッセージがよいかについても考えてみましょう。

ゼロリスクを求める心理学

書籍で紹介されているいくつかの心理実験から、ゼロリスクを求める心理についてまとめます。

まずは以下の2つの選択肢のどちらをとるかを答えてもらう実験結果を見てみましょう:
A: 確実に30ドル手に入る(78%)
B: 80%の確率で45ドル手に入る(22%)

期待値を比べると、Aは100%(1.0)×30=30で、Bは80%(0.8)×45=36なので、Bのほうが儲かる可能性が高くなります。ところが人間は確実性を好み、確率的な事象を好まないことがわかります。これがゼロリスク(確実性)を求める基本的な心理になります。

次にお金の話ではなく健康リスクに関する実験を見てみましょう:
A: 人口の20%が感染するウイルスがあるが、それを予防するワクチンを受けた人の半分は病気にならない (ワクチンを受けると回答した人は40%)
B: それぞれ人口の10%が感染するウイルスが2種類あり(症状はほぼ同じ)、ワクチンは一方のウイルスに完全に予防するがもう一方にはまったく効果がない (ワクチンを受けると回答した人は57%)

Bの場合でも両方のウイルスの感染率とワクチンの効果を考えるとAと条件が同じになりますが、特定の範囲内でゼロリスクが約束されている(Bではどちらかのウイルスの感染は完全に予防できる)と、そちらのほうが好まれます。これは疑似確実性と呼ばれるもので、実際には確実ではないのですが、一方のウイルスに限定すると確実に予防できるという文脈に惹かれるのです

次にリスク低減対策についての実験結果を見てみましょう:
600人の死亡が予想されている病気に対して考えられる2つの対策のうちどちらを選ぶか?
A: 200人が救われる (72%)
B: 1/3の確率で600人が救われるが2/3の確率で誰も助からない (28%)

別のグループには同じ状況で意味は同じですが異なる表現の選択肢を2つ提示しました:
C: 400人が死亡する (22%)
D: 1/3の確率で誰も死なずに済み、2/3の確率で600人が死亡する (78%)

AとC、BとDは意味的には同じで表現のみが異なりますが、回答のパターンは大きく異なりました。AとBの選択では、200人が確実に救われるという「確率の疑似確実性」が好まれ、Bの確率に依存する結果が好まれなかったと考えられます。一方でCとDの選択では、Cは確実に死ぬという結果が好まれず、Dの誰も死なずに済むという「程度の疑似確実性」が好まれたと考えられます。

また、AとBは助かる数に注目するポジティブフレーミングと呼ばれ、CとDは死ぬ数に注目するネガティブフレーミングと呼ばれます。リスクの問題はたいていマイナスの影響に注目するネガティブフレーミングであるため、確率の確実性よりも程度の確実性のほうに人々は惹かれるのです。

本当に人々はゼロリスク志向なのか?

上記のような実験から、人々はゼロリスク(確実性)を好むことがわかります。

ただし、そもそも私たちの身のまわりのあらゆるものに対してゼロリスクはありえず(ゼロリスクという選択肢は現実にはない)、それでも人々はそれらのリスクと共に生きてきたはずです。人々がゼロリスクを追及するというイメージは、上記のような非現実的な(ゼロリスクという選択肢がある)実験によって生み出された虚構なのではないでしょうか?

非現実的な選択肢(一足飛びにゼロリスクが達成される)がある場合と、現実的な選択肢(少しずつリスクを低減するために継続的にコスト負担がある)しかない場合を比較すると、回答のパターンはどのように変わるのでしょうか?

ダイオキシン対策を想定して、25%, 50%, 75%, 100%のリスク低減率をそれぞれ一気に達成する場合に、どれくらいのコストを支払ってよいかの支払い意思額を尋ねた実験では、25%のリスク低減あたりの支払い意思額は、100%リスク低減(ゼロリスク達成)ができる場合に最も高くなりました。つまり、ゼロリスク達成の価値は非常に高いと評価されていることになります。

一方で、より現実を模した状況では結果が変わりました。現状から25%ずつ段階的にリスクを低減して、そのたびに追加のコストがかかる場合を想定すると、最初の現状から25%のリスクを低減する際の支払い意思額が最も高くなり、最後のゼロリスク達成の際は支払い意思額は最初の半分程度しかありませんでした。最初のうちはよいのですが、徐々にコスト負担に対する抵抗が大きくなっていく(リスク低減に価値を感じなくなる)のです。

現実世界に近い後者の状況では、必ずしもゼロリスクを追及するわけではない結果となりました。ちゃんと説明してもゼロリスクが不可能なことはわかってもらえない、と決めつけないほうがよさそうです。

さらに別の実験において、ゼロリスクは不可能だということを明示した行政や組織に対する信頼感などを評価させた場合、ゼロリスクが可能だとする組織と比べて統計的有意な差はありませんでした。ゼロリスクは達成できませんと言っても信頼は大きく損なわれないということですね。

ゼロリスクを追及する、という人々の姿勢は傾向としてはあるわけですが、状況に大きく依存する、ということに注意すべきでしょう。

それでも「リスクはゼロです」と言うべきか?

まずはリスクコミュニケーション(リスコミ)の目的をもう一度考えてみましょう。

リスクコミュニケーションの成功・失敗とは何か?その1:WEBによる情報発信の効果の測定方法
リスクコミュニケーションが成功した・失敗したなどと語られることがありますが、何をもって成功・失敗と言うのでしょうか?WEBによる情報発信を例にして、計測によってその効果を評価する方法を紹介します。ユーザーによる評価、A/Bテストによる表現方法の違いの評価、SNSを用いた情報発信後の反応を計測する方法を活用します。

リスコミとは、ある特定のリスクについて関係者間(ステークホルダー)で情報を共有したり、対話や意見交換を通じて意思の疎通をすることであって、関係者間の相互理解を深めたり、信頼関係を構築することが目的となります。一方的な情報提供ではなく双方向的であって、情報発信側の思うがままに人々を操る方法ではありません。

「リスクはゼロです」というメッセージは、「小難しいことを言っても伝わらないからあえてシンプルなメッセージにしよう」という考えがベースなので、相手を見てメッセージの内容を変えていることになります。

リスコミの目的は説得よりも信頼関係の構築ですので、同じ人(リスクを説明する側)が対象によってメッセージの内容を変えていると信頼は築けません。

この話は本ブログの過去記事でも書いているのでそちらも参考にしてください。

トンデモ科学を撲滅せねば!と憤慨したときに考えるべきことその2:自分以外はダマされやすいと考える第三者効果
デマやトンデモ科学と戦う際に気をつけたいのが「自分はダマされないが他の人は簡単にダマされる」というバイアスが働く「第三者効果」です。専門的知識のある人、デマの嫌いな人、自分に自信のある人ほどこのような効果が高まり、デマの影響を過大視してしまいます。

第三者効果(自分はダマされないが無知な一般人は簡単にダマされるという心理的効果)を自覚できていないと、一般の人には難しいことをいっても無駄だから「〇〇は科学的にゼッタイに安全!」と断言するなど単純なメッセージを繰り返して洗脳すればよい、という方向に向かってしまいがちになります。
(中略)
ただ、情報の受け手からするとこのようなメッセージは馬鹿にされていると感じてしまいます。リスク評価には科学的不確実性があるのが当然で、むしろこのことを正直に話したほうが話し手への信頼感が上がるというような研究結果もあります。

ただし、シンプルなメッセージそのものがダメということではありません。それでも、少なくとも専門的な知識のある学者はそのようなメッセージを出す役割ではありません。専門家は専門的な内容をできるだけわかりやすく伝えることに専念すべきであって、相手を見てメッセージの内容を変えていると思われては信頼を損ねます(市民側からも専門家側からも)。

シンプルなメッセージを出すのは普段からそのような役割を果たしている断言系のインフルエンサーにお願いしたほうがよいでしょう。

まとめ:ゼロリスクを求める心理学

ゼロリスクを求める心理(確率としての確実性、程度としての確実性)は傾向としては確かに存在します。ただし実際には、人間は長い間リスクと共に生きてきており、現実的にゼロリスクの選択肢がない中で、ちゃんとリスクと折り合いをつける(ある程度のリスクを受け入れる)ことができます。少なくとも専門家が「ゼロリスクである」というシンプル過ぎるメッセージを出すのは、専門家としての役割を放棄しているのでやめたほうがよいでしょう。

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