リスク教育に期待がかかるが教育にもリスクがある

education 身近なリスク

要約

リスク教育はリスクを学ぶための強力な手法ではありますが、間違った方向に進むという教育リスクもあるため、学校でのリスク教育にはあまり期待しすぎないほうがよさそうです。教育リスクの特徴は「教育は善いことなのでリスクはつきもの」という考え方からリスクを軽視することにあります。

本文:リスク教育と教育リスク

リスクについての話題になると、よく耳にするのが「学校などでリスクの教育が必要だ」というリスク教育のことです。

安全性が確認されている農薬などの化学物質を必要以上に恐れてその使用に反対したり、反ワクチンなどの陰謀論に染まったり、原発処理水を汚染水などと呼んで政府を批判したりなど、リスクをめぐって間違った判断をするのは「リスクに関する知識がないからだ!これは科学教育の敗北である!」などと感じることもあるでしょう。

リスク教育必要論はそのようなところから発生していることが多いと思います。私自身もリスクに関する知識はよりよく生きるための基礎知識であると考えており、本ブログにてさまざまな情報を提供してきました。

ただし、学校教育、特に義務教育でリスクに関する教育が必要なのかと言われると、「あまり期待しないほうがよい」、「あまり頼らないほうがよい」と思ってしまいます。なぜなら「リスク教育」を担う教育現場にもまた「教育リスク」があるからです。

以下は最近のニュースですが、授業の実践例として原発事故を取り上げて「汚染水の放出を強行」などを表現した結果、多くの生徒が処理水放出に反対の立場をとった、という内容が報告されています。

産経新聞:社会科教材に「汚染水」表記 日教組集会で授業実践例を発表「放出を強行」記載も

【教研集会】社会科教材に「汚染水」表記 日教組集会で授業実践例を発表「放出を強行」記載も
日本教職員組合(日教組)が札幌市で開催している教育研究全国集会(教研集会)の社会科教育分科会で、東京電力福島第1原発から放出される処理水を「汚染水」と表現する…

リポートの発表者は神奈川県の中学教員。「日本の資源・エネルギーと電力」に関する授業実践例として、福島の原発事故や廃炉工程を取り上げている。授業で使ったプリントとして、「日本政府は何をしようとしているか」との見出しで「汚染水の放出を強行」などと記載していた。

リスク教育はリスクを学ぶための強力な手法ではありますが、どっちに転ぶかわからないというリスクもあるのです。そこで本記事では教育リスクについてまとめます。まず、教育現場に侵入する非科学的な主張の例を取り上げて、「善きもの論」がその根底にあることを解説します、次に、善きもの論から始まる教育リスクの構造について整理し、最後に実際のリスク教育の実践についてもまとめます。

教育に侵入する非科学的な主張と善きもの論

教育に非科学的な主張が入り込んでくる根底には「善きもの論」があります。

近年、「発達障害の子供が増えているのは農薬が原因。給食を有機農産物に変えれば解決する!」などの主張が目立つようになりました。もちろんこれは科学的に全く不正確な内容です。本ブログの過去記事でもでも「何かしなくちゃ症候群」の一例として紹介しました。

なにかしなくちゃ症候群:効果がある対策よりも目立つ対策が好まれる
リスクは一般的に目に見えにくい性質があるため、リスク低減対策はその効果よりも目立つ、わかりやすい、話題になるなどの対策が好まれる傾向があります。そのような目立つ対策に飛びついてしまう「なにかしなくちゃ症候群」の中で、効果がないことをわかりつつあえて行う「確信犯」の存在に注目します。

ただし、「給食に有機農産物を導入しよう」という結論自体は「善いこと」なので、市民のウケは非常によいのです。そして推進しようとするがあまりに、発達障害と結びつけたりなどの非科学的な論に飛びついてしまうのです。善いことをしているんだから少しくらい農薬のリスクを誇張したっていいじゃないか、となるわけですね。

これが根底にある「善きもの論」なのです。学校や推進者など一部の人間だけが悪いのではなく、市民のウケがよいという事実が教育現場の善きもの論を支えているのです。

次に、EM(有用微生物群)の事例です。最近でも環境教育の一環として、授業でEMを用いて水質浄化などに取り組む事例が相次いで報告されています。

EMは科学的にはその効果は認められていませんが、沖縄で農業資材としての利用から始まり、次第に万能な環境浄化資材として利用が広がっていきます。以下の論文では社会をよくしようとする「善意」に突き動かされて非科学的なものが侵入すると説明されています。

吉野 航一 (2009) 沖縄における「EM(有用微生物群)」の受容 : 公的領域で語られたEM言説を中心に. 宗教と社会, 15, 91-105

沖縄における「EM(有用微生物群)」の受容 : 公的領域で語られたEM言説を中心に
J-STAGE

これも結局のところ環境をキレイにするのは「善いこと」なので、善いことを教えるためには多少怪しいものでも構わないだろう、という考えがあるのでしょう。

最後に「水からの伝言」の事例です。氷の結晶の写真をたくさん並べて、「ありがとう」などのよい言葉を見せると美しい結晶となり、「ばかやろう」などの悪い言葉を見せると結晶を作らないという内容です。

この時点で非科学的なことはすぐにわかるのですが、「よい言葉を使いましょう」という結論自体は「善いこと」であるため、道徳教育に入り込んで広がってしまったのでした。この顛末は以下の論文に詳しく書かれています。

天羽 優子, 菊池 誠, 田崎 晴明 (2011) 「水からの伝言」をめぐって. 日本物理学会誌, 66, 342-346

「水からの伝言」をめぐって
J-STAGE

道徳は「善いもの、悪いもの」を扱うもので、エビデンスを扱う科学とは相性がやっぱり悪いのです。もちろん世の中は「善い悪い」と「科学」が混在して成り立っているのは間違いないのですが、これを理解するのは大人になってからじゃないと難しいと思います。

教育におけるリスクはつきもの論

ここまで書いたように、学校教育の問題は「善きもの」を追及することによってその裏側にあるリスクが忘れ去られてしまうことにあります。このような「教育リスク」についてまとめているのが内田良氏による「教育という病 子供と先生を苦しめる教育リスク」という本です。この内容を簡単に紹介します。

https://www.amazon.co.jp/dp/4334038638

この本では、巨大組体操、2分の1成人式、運動部の体罰と事故、部活動顧問の過重負担、柔道部の死亡事故などの事例を取り上げて、リスクが発生する原因の根底に「善いことしているのだからリスクはつきもの」という根強い考えがあってリスクを直視できなくなっていることを指摘しています。

本ブログの過去記事で書いたように、事故が起こってからの規制強化と事前のリスク評価ベースの安全対策という二つの安全のカタチがありますが、教育は完全に前者の事故衝動型のようです。

知床観光船事故から考える、事故が起こってからの規制強化と事前のリスク評価ベースの安全対策の違い
知床観光船沈没事故を受けて船舶の規制強化が議論されようとしています。事故が起こってからの規制強化と事前のリスク評価ベースの安全対策という二つの安全のカタチがありますが、船舶安全の分野ではFormal Safety Assessment(FSA)という後者のフレームが整っています。

安全のカタチ1のほうは目に見える事故がありそれに対応するやり方なので、何かをやったというインパクトが強く残ります。一方で安全のカタチ2のほうは事故の未然防止であり、起こっていないことを想像することが難しいため、世間のウケはあまりよくありません。

安全のカタチ1の例を挙げてみます。通学路で壁が崩れて死者が出る事故が起こると、全国の壁の一斉点検が行われ、小学生はヘルメットの着用が義務付けられたりしました。その場では対策をした気分にはなりますが、それによってどれくらいリスクが下がったのかは誰も評価しておらず、そのうち事故の記憶が薄れるにつれ誰もヘルメットをかぶらなくなります。

体罰についての指摘も非常に示唆的です。「平手打ちはあったけれども、生徒の成長を願っての指導であり、体罰ではない」などという言い訳が平気で出てくるようです。このような考え方によって体罰は「悪いもの」から「善きもの」へ変化してしまいます。

処分の統計を見ても暴力に甘い教育の実態が見えてきます。教員がわいせつを行った場合には6割が懲戒免職になっているのに対し、体罰ではなんとゼロです。被害の中には鼓膜障害や骨折なども含まれているのに!です。

さらには重要な点は多くの人が暴力を肯定的にとらえていることであり、これが給食の有機化と同じように体罰の「善きもの」論を支えています。運動部での暴力事件などの際に、顧問の寛大な処分を求めて多くの市民から署名が集まってくるのです。

このように学校だけではなく市民もまたリスクを軽視して事故・事件の発生が美談化・正当化されるという構造があります。

「社会の役に立つ子」よりも「問題を起こさない子」を増やしたいという考えから、「役立つこと」よりも「善いこと」を覚えて行動してほしいという潜在的な欲求が強いのではないでしょうか。教育リスクは教師だけではなく市民も望んでいるときに暴走します。

冒頭に原発処理水を汚染水と教えている事例のニュースを紹介しましたが、これも(安全性とか関係なく)本来海に何かを流すのは道徳的に善いことではないですよね?というところが出発点となっていそうです。

リスク教育の実際

さて、教育現場におけるリスク教育の実態について調べてみました。日本学術会議が2023年9月に公表した報告「初等中等教育におけるリスク教育の推進」を見てみましょう。以下のようなことが書いてあります。

報告「初等中等教育におけるリスク教育の推進」ポイント|日本学術会議
日本学術会議は、我が国の人文・社会科学、自然科学全分野の科学者の意見をまとめ、国内外に対して発信する日本の代表機関です。

 しかしながら、現状の初等中等教育では、①リスクに関わる個別の課題を各教科・科目で学んでいるが、リスク総体を統合して教えていない、②科学的にリスクはどう評価されるかなど、リスクの概念を正しく理解する学習は充分ではない、③教員自身が、持続可能な未来のビジョンを描き、地域社会との連携、ボランティアなどの体験をもつなどを通じて、リスクを教える知識や能力を習得することが実現されていない、等の問題点がある。

持続可能社会を実現するリスク教育には、
① 来るべき社会の大きな目標である持続可能な社会の実現に役立つように、分野横断的にリスク教育に取り組むこと、
② 身の回りのリスクがどの様な科学的知見により把握されているか知ること、
③ どの様な社会制度によりリスクが回避されているか、その仕組みを知った上で、自ら判断してリスクの未然防止の原則に立って、実際の行動と知識を結びつけることができるようにすること、が必要である。

問題意識もレベルが高すぎるし、必要とされる教育の実現もなかなかキビシイと思います。数字の理解の難易度をニューメラシーという数的能力の測定結果に基づいて順位付けすると、リスクの理解は最も難しいという結果になるのです。(詳細は本ブログの過去記事参照)

リスコミでは中学生でもわかるように説明しろと言われたけど、どうしたらいいかわからない人のためのツールを紹介2:情報全体の評価方法
リスクコミュニケーションにおいてはわかりやすい説明が重要です。資料等の情報全体のわかりやすさの評価方法3つ:マーカー法、Clear Communication Index(CCI)、Suitability Assessment of Materials(SAM)と、数値・図表・リスクなどの表現方法の注意点を紹介します。

実際は「化学物質などでこんな悪影響があります」などの悪者を設定する話はわかりやすいので、ついついそのような「キケンキケン」という教育になりがちです。リスクを「怖いもの」とか「避けるべきもの」と考えているうちはダメでしょう。

むしろリスクは「取りに行くもの」です。科学技術によって我々の生活は向上して安全になりましたが、どんな科学技術にもリスクがあり、どこまでのリスクをとって、どこからはとらないのか?というバランスを考える必要があります。バランスを考えないリスク教育はあまり意味がありません。

このような教育はせめて最低でも(偏差値高めの)高校生以上じゃないとキツイです。さらには仕事をした経験がないと「どこまでのリスクをとれるか」というバランスを考えるのは正直キビシイでしょう。

まとめ:リスク教育と教育リスク

リスク教育はリスクを学ぶための強力な手法ではありますが、どっちに転ぶかわからないリスクもあります。教育リスクの特徴は「教育は善いことなのでリスクはつきもの」という考え方からリスクを軽視することにあります。しかも市民の側もこれを後押しするため教育だけを変化させることは困難です。市民も変わらなければいけないため、すぐに改善する特効薬はありません。あまり教育に期待しすぎないほうがよいのはこのような理由です。

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身近なリスク
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コメント

  1. 梅田彬晴 より:

    研究者や仕事でもない、個人でコントロールできて割の合うリスク対策はあるのでしょうか?
    日常生活で最も高いリスクは個人の状況や行動によって異なりますが、事故や健康上のリスク、家計リスクが一般的に重要視されていますよね。
    かつて、加入保険は火災保険と自動車保険だけ良い。これらは 損を覚悟しながらも加入せざるを得ません。​統計的には保険加入は損で「後知恵バイアス」や「利用可能性バイアス」で思い違いをしているだけです。と聞いたことがあります。
    情報が多いほうが決断の質が上がるというのは錯覚で自信過剰に陥っているだけとも。

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