要約
ソーシャルディスタンスの距離は、ニュージーランドとイギリスで2m、米国では1.8m、オーストラリアで1.5m、シンガポールで1mです。日本ではマスクなしで2m、マスクありで1mです。この差は科学的な根拠に基づくものではなく、それぞれ科学と現実の狭間から生まれたものであろうと推測されます。
本文
「ソーシャルディスタンス」なる聞きなれない言葉もだいぶ目にする機会が増えてきました。ところで、「コロナウイルスのソーシャルディスタンス:なぜ世界中で距離が異なるのか」という興味深い記事がありました。
この記事によると、ソーシャルディスタンスの距離は、ニュージーランドとイギリスで2m、米国では1.8m、オーストラリアで1.5m、シンガポールで1mです。この違いに明確な根拠はない、というのが結論です。
上の記事にも出てきますが、シミュレーションの結果、ジョギングの際は5-10mの距離が必要などという意見もあります。
緊急事態下、運動時の距離「2メートル」では全然足りない可能性
元論文(プレプリント):http://www.urbanphysics.net/Social%20Distancing%20v20_White_Paper.pdf
以下のサイトはくしゃみの飛沫は最大8m程度も飛ぶという記事です(証拠の動画付き)。
根拠がないとすれば一体ソーシャルディスタンスとは何なのか?という疑問が出てきます。この記事では、1から2mの間の差に一体どんな謎があるのかに迫っていきます。最初に日本ではどうなっているかを調べて、次に私たちがこの「距離」とどう向き合うかを考えてみます。
日本は「マスクせずに2m、マスクありで1m」
日本政府(厚生労働省)はソーシャルディスタンスという用語を使っていないので、はっきりとした推奨距離はわかりません。ただし、厚生労働省は様々なところに感染防止の要請通知を出し、その中に距離について記載しています。
例えば、経団連会長あての通知:
https://www.mhlw.go.jp/content/11303000/000617466.pdf
では以下のような記載があります。しゃべらずに作業するだけなら1m、会話するなら2m、2m開けられないならマスク着用、となっています。
・ 事務所や作業場においては、人と人との間に十分な距離を保持(1メートル以上)すること。また、会話や発声時には、特に間隔を空ける(2メートル以上)こと。
・ 外来者、顧客・取引先等との対面での接触や、これが避けられない場合は、距離(2メートル以上)を取ること。また、業務の性質上、対人距離等の確保が困難な場合は、マスクを着用すること。
ところで、濃厚接触者の定義では以前は「2m」であったのが、4月20日から「1m」という距離に変更になりました。以下のサイトがわかりやすいでしょう。
濃厚接触者の定義から私たちが学ぶことhttps://note.stopcovid19.jp/n/n7bef9991fb56
「患者さんとの距離が1m以内で、マスクなどで口元が覆われていない状態で15分以上会話した人」となっています。
これはWHOの見解に合わせた形での変更となっているようです。
総合すると、「マスクせずに2m、マスクありで1m」というのが日本のソーシャルディスタンスということになるでしょう。
学校は「1m」
学校の休業に伴う学童保育では「1m」という通知が示されています。
学童「子ども同士は1m離れて」国の通知に困惑 感染症の専門家「言うだけの側の責任回避」 新型コロナ対策
元の文章はこちらになります↓
令和2年3月2日付け元文科初第1598号、子発0302第1号、障発0302第6号厚生労働省子ども家庭局長ほか連名通知
新型コロナウイルス感染症防止のための小学校等の臨時休業に関連した放課後児童クラブ等の活用による子どもの居場所の確保について
https://www.mext.go.jp/content/20200303-mxt_kouhou01-000004520_01.pdf
ここには以下のような記述が出てきます:
「教室等において、座席間を離して配置し、1m以上離して交互に着席するなど、できる限り児童生徒同士の距離を離すよう配慮するとともに(図参照)、不要な接触は避けるよう指導する。」
「咳エチケットを行っていない場合、くしゃみや咳のしぶきは約2mの距離まで届くため、咳エチケットを行った上で、児童生徒同士の距離を1m以上保つように座席を配置する。」
本来2mだけど、マスク等の咳エチケットを行えば1mでよいという内容です。濃厚接触の定義にあたらないようにするということですね。ただ、これでも現場は無理と考えているようです。普通に小学校の様子を想像すれば無理ですよね。
東京都は「2m」
東京都広報課では、2mのソーシャルディスタンスを推奨しています。
ここではマスクをすれば1mでよい、などの表現は出てきません。
小池知事は2mの距離をとることで二次感染を生み出す割合が50%減る、というように具体的な数字を公表しています:
港区いきいきプラザ
では、テキストでは人と2メートルの距離を保ちましょう。と書いてありますが、図では1m~2mと書いてあります。。。
ソーシャルディスタンスをとれば絶対安全か?
では、ソーシャルディスタンスをとれば絶対安全なのでしょうか?について考えてみます。
国立感染症研究所
積極的疫学調査実施要領における濃厚接触者の定義変更等に関するQ&A(2020年4月22日)
https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/9582-2019-ncov-02-qa.html
Q4 1メートル以上の距離での会話や、15分以内の会話では感染しないということでしょうか。
という質問があり、その答えは以下となっています。
「感染しやすい状況については、徐々に分かってきましたが、感染しないことを保証する条件についてはよく分かっていません。
感染リスクを下げるための効果的な手段に、飛沫感染対策としてのマスクの着用や、接触感染対策としての手指衛生(適切な手洗いや手指消毒用アルコールによる手指消毒)があります。また、三密(密集・密接・密閉)を避けることも感染リスクを下げる手段であり、これらの手段を最大限に執ることで、可能な限り感染リスクを軽減することが重要です。」
このように、感染症の専門家からもすっきりとした答えは出てきません。また、一番初めに紹介した、ソーシャルディスタンスの距離が各国で違うことを記載した記事中でも「感染性の飛沫がどこまで移動するか、そして「安全な」距離とは何かを確実に知るための十分な証拠はありません」と書いてあるわけです。
もっとも小池知事の話が本当であれば2m離れても二次感染を生み出す割合は半分にしかならないわけです。では一体何を目標としてこのソーシャルディスタンスは決まっているのでしょうか、ますますわからなくなります。そもそも現時点では何をもって安全とするか?さえ定義されていなわけです。一体コロナウイルスによる死者数を何人以内に抑えたいのか?などの目標があいまいなままでは本来どこまで対策するべきかは決められないはずです。
とにかくここまで調べた段階で、1~2mでは不十分ということ、距離は離れれば離れるほど感染しにくいということ、この2点はなんとなく想像がつくわけです。かといって5mも離れた相手とコミュニケーションとるのは難しいのです。結局のところ、現実的に実行可能なのは1~2mくらいが限度だろう、という出発点から始まり、くしゃみや咳の飛沫(その中でも大粒なもの)が1~2m飛ぶ、という科学的知見と組み合わせてできあがったものではないか、というのが私の推測です。国によって1~2mの間のどこに持ってくるかが違うだけ、ということなのでしょう。
よって、何メートル離れたら安全か、という確実な情報がない中で私たちにできることは、まずマスク着用&最低1mの距離を取ったうえで、さらに各自が合理的に達成可能な限り距離をとる(as far as reasonably achievable, AFARA)ということになるでしょう。
2020年7月20日:ソーシャルディスタンスの科学的根拠とナッジを応用した実践活動についての記事を追加。2021年1月31日:スパコン富岳が示すソーシャルディスタンス1mの効果についての記事を追加。
まとめ
各国で1~2mと距離が違うソーシャルディスタンスは、現実的な実行可能性とくしゃみや咳の大粒の飛沫が1~2m飛ぶという科学的知見との組み合わせの中で任意の数字が選ばれたものと推測されます。2mで十分というわけではなく、当然離れれば離れるほど感染しにくくなります。ところが線引き問題は常に実行可能な範囲内で決められることになります。
補足(レギュラトリーサイエンスについて)
今回のソーシャルディスタンスにまつわるテーマは、科学的知見は重要、ただし現時点ではわからないことも多くて科学だけでは決められない、という問題の典型的なものです。そしてこれは(アカデミックの世界ではなく)現実の世界でリスクを扱う場合には頻出する問題です。このような科学だけでは決められない問題に対して、専門家に任せるべきではないという立場の人もいます。アカデミックなサイエンスは基本的に「わからないならわかるまで研究して調べよう」という立場です。一方で、研究が進んでわかるようになるまで世間は待ってくれないので、現時点の限られた知見を最大限活用して積極的に答えを出そうという立場が「レギュラトリーサイエンス」になります。
化学物質安全の分野では、レギュラトリーサイエンスとは
「従来の科学において得られる科学的知見と行政が行う規制措置等との間のギャップを埋めるための橋渡しとなる科学(小野 2013 環境科学会誌 https://doi.org/10.11353/sesj.26.440)」
と書かれています。ただし、定義はいろいろとあるのであまり定義にこだわってもしょうがないです。本記事のように事例を見ていかないとわかりにくい概念ですね。
私はレギュラトリーサイエンスを推進する立場として、その事例などを今後紹介できればと考えています。
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