要約
塩分の摂りすぎは大きな健康リスクがあり、日本人の食事摂取基準(2025年度版の案)では食塩の目標量は男性7.5g/日、女性6.5g/日となっています。そこで、食事摂取基準の総論や、食塩の目標量の根拠、食塩の目標量の歴史的変遷について解説します。
本文:食塩の食事摂取基準
みそ汁一杯1.5g、梅干し一つ2.2g、塩サケ一切れ1.1g、ラーメン一杯6-7g。和食は洋食に比べて塩分が多いことが知られています。ほとんどの日本人は塩分を摂りすぎており、そのリスクはかなり高いのです。
本ブログの過去記事でも書きましたが、世界疾病負荷研究の結果から食事に関係する項目を抜き出すと、高リスクの上位3つは食べすぎ、飲みすぎ、塩分摂りすぎでした。食事に気を付けたい人がまず減らすべきはこの3つからです。
また、熱中症対策と塩分摂取の関係を書いた過去記事では、日本人の食事摂取基準(2020年度版)にて食塩の目標量は男性7.5g/日、女性6.5g/日となっていることを紹介しました。ただし、本来はWHOのガイドラインにあるように5g/日以下を目指すべきなのです。
ちなみに熱中症対策で塩分の補給が重要と言われていますが、熱中症の「予防」に塩分は必要なく、熱中症のリスクよりも塩分摂りすぎリスクのほうが大きくなりました。
こうした塩の悪影響については多くの人が正しく認識していることでしょう。ところが、正しく認識できていることと正しく管理できていることはまた別の話です。日本の食文化は高塩分と切り離せない関係にあり、「わかっちゃいるけどやめられない」タイプなのかもしれません。
ここで出てきた「日本人の食事摂取基準」は現在2020年度版が最新ですが、最近(2024年3月)になり2025年度版の案が公表されました。本記事は食塩の目標値に注目してこの新しい食事摂取基準について紹介します。
厚生労働省:第5回「日本人の食事摂取基準(2025年版)」策定検討会 【資料1】「日本人の食事摂取基準(2025年版)」策定検討会報告書(案)
まず、食事摂取基準とはどういうものかの総論について紹介し、次に食塩(多量ミネラルのナトリウム)の検討結果を紹介します。最後に、食塩についての過去から現在にかけての基準の変遷についても大変興味深いのでこれを追いかけてみましょう。
食事摂取基準とは?
食事摂取基準とはどういう性質のものなのかは以下の図に端的に表現されています。
栄養というのは基本的に「これ以上は摂ったほうがよい」というものなので、この図の左側の推定平均必要量、推奨量、目安量が重要になります。ところが「摂りすぎ」も当然問題になるため図の右側の耐容上限量も重要です。実際のところ、栄養素は「これ以上摂るべき」というレベルと「これ以上摂ると有害」というレベルの間が結構狭いものです。
食塩は「目標量」が定められており、この図には出てきません。不足や過剰というエビデンスとは別の視点で決められる性質があるからです。これはまた後ほど解説しましょう。
耐容上限量は化学物質の有害性評価とよく似たやり方で決められます。人の疫学調査や動物実験などから無影響となる摂取量(NOAEL)や影響が見られる最低量(LOAEL)を決めて、
それを不確実係数(UF)で割ることで決められます:
・耐容上限量=NOAELもしくはLOAEL÷UF
UFには人を対象とした研究の場合は1~5、動物実験の場合には10を用います。農薬などではデフォルトで動物実験のNOAELにUF=100を適用しますが、栄養素の場合は100で割ってしまうと今度は不足のリスクが出てしまうため、あまり大きなUFは適用できません。この辺が化学物質との違いでしょうか。
例えばビタミンAの成人に対する推奨量は850-900μgRAE/日、LOAELが13500μgRAE/日なので、LOAELを100で割ってしまうと135μgRAE/日となり推奨量を大きく下回ります。
(RAEはレチノール活性当量でビタミンAの数値の指標)
基準は「可能な限り、科学的根拠に基づいた策定を行う」ことが基本とされています。このため、システマティックレビューの手法を用いて、国内外の学術論文や入手可能な学術資料を最大限に活用しています。これがEvidence-Based Nutrition(EBN, 根拠に基づいた栄養学)の手法です。食事摂取基準はEBNの集大成と言えるわけですね。
上記の図に出てこなかった「目標量」とは、生活習慣病の発症予防を目的とした基準です。ただし、食事は多数ある生活習慣病の原因のうちの一つにすぎないため、あまり食事だけを厳しくしても効果が薄い場合があります。そのため、エビデンスのみならず総合的な判断が必要になります。
目標量の決定方法はいくつかの観点がありますが、食塩はそのうちの以下にあてはまります:
・十分な科学的根拠により導き出された値が、国民の摂取実態と大きく乖離している場合は、当面摂取を目標とする量として目標量を設定する。
食事摂取基準2025の報告書案p10より
つまり、「目標量」と「科学的根拠により導き出された値」は別物ということです。EBNの集大成と言っておきながらエビデンスだけでは決められない、という非常に悩ましい性質のものですね。本ブログで食塩に注目するのもまさにそこがポイントになります。こういう線引きはレギュラトリーサイエンスの出番です。
食塩(ナトリウム)の目標値の導出
食事摂取基準2025年度版の報告書案の中から食塩の目標値について追っていきましょう。
まず、推定平均必要量としては男女ともに1.5g/日とみなされました。日本人の食塩摂取量は2018年の調査の中央値が9.7g/日となっており、日本人の通常の食事ではこれを下回ることはまずありえないので、欠乏を考える必要はなさそうです。
一方の過剰摂取のほうは高血圧や胃がんの原因となることが知られており、日本の高血圧治療ガイドラインでは食塩6g/日未満にすべきとされています。さらに、WHOのガイドラインでは5g/日未満が推奨されています。これと比べると9.7g/日はかなり高いですね。
ここで目標値の設定をどうするかですが、以下のように実行可能性が重視されています。
習慣的な摂取量として5g/日未満を満たしている者は極めてまれであると推定される。したがって、目標量を5g/日未満とするのは、実施可能性の観点から現時点では適切ではない。
食事摂取基準2025の報告書案p264より
そこで、これまで同様に実施可能性を考慮し、WHOが推奨する5g/日と、平成 30・令和元年国民健康・栄養調査における摂取量の中央値との中間値をとり、この値未満を成人の目標量とした(表1)。
食事摂取基準2025の報告書案p265より
目標量=(5g/日+現在の摂取量)/2
この計算により、成人男性で7.5g/日・成人女性で6.5g/日が導出されました。なぜ現状と理想の「中間の」値なのか?この問いに明確に答えることは難しいでしょう。線引き問題あるあるですが、明確な根拠がない場合でも先延ばしせずに当面の「根拠はないけど役に立つ」値を決めることが重要になります。
この目標値の決め方はALARA(As Low As Reasonably Achievable、合理的に達成できる限り低く)の原則的になっています。残留農薬の基準値設定や放射線の各種基準値設定に使われる考え方です。本ブログの過去記事でも紹介しています。
ただし、値が一旦決まってしまうとその数字が一人歩きすることも基準値あるあるです。本来は6g/日・5g/日以下に下げることが望ましいのですが、「7.5g/日」と決まってしまうとその数字だけが頭に残るので「7.5g/日以下なら大丈夫!」と思ってしまいがちになります。
ということで、なぜ7.5g/日なのかという「基準値コミュニケーション」がその後の減塩アクションで重要になってくるでしょう。
食塩(ナトリウム)の目標量の歴史的変遷
最後に食塩(ナトリウム)の目標値の過去から現在にかけての変遷を見ていきましょう。食塩の目標量(以前は目標量という名前ではなかった時期もあります)は以下の図のように徐々に下がってきました。
食事摂取基準は2005年から5年ごとに改定されていますが、その前は「日本人の栄養所要量」という名前でした。これは初回策定が1970年で、2000年まで5年ごとに改定されていました。
以下の文献によると、1970年の初回策定時は食塩の所要量=15g/日とされていましたが、この時は不足と過剰がうまく仕分けされていなかったため、本来これ以下にすべきという意味だったにもかかわらず、15g/日以上摂るべきと誤解される懸念があったようです。そこで1975年の改定では一旦削除され、1980年に再度適正摂取量という形で10g/日(ナトリウムで3.9g/日)と設定されました。
神戸 (1982) 食塩. 生活衛生, 26(6), 349 https://www.jstage.jst.go.jp/article/seikatsueisei1957/26/6/26_6_349/_pdf
福場 (1979) 昭和54年改定「日本人の栄養所要量」. 調理科学, 12(3), 182-187 https://www.jstage.jst.go.jp/article/cookeryscience1968/12/3/12_182/_pdf
この食塩10g/日以下という値は2000年の第6次改訂まで続きました。2005年からの食事摂取基準は以下のWEBサイトにまとめられています。
厚生労働省:日本人の食事摂取基準
2005年版では成人男性10g/日、成人女性8g/日と設定されましたが、概要のみしか記載されておらず、特に根拠となる記載はありませんでした。また、この年から男女差が出てくるのですが、その導出も不明のままです。
2010年版では成人男性9.0g/日、成人女性7.5g/日と引き下げられました。この数字の導出方法は2025年度版と同様で、理想とする6g/日と現状の12g/日(男性)の中間の値として決まっています。ただし、言い回しは以下のように現状のものとは変わっています。
日本高血圧学会ガイドライン(JSH2009)も食塩摂取量として6g/日未満を勧めている。この食塩摂取レベルは、介入研究によって降圧効果が認められており、欧米諸国では現状の摂取量からみて実行可能な目標である。しかし、日本人の現時点での食塩摂取量とは隔たりがあり、QOL(生活の質)を悪化させたり、他の栄養素摂取量に好ましくない影響を及ぼしたりするような無理な減塩には注意すべきである。
食事摂取基準2010の報告書案p191より
つまり、欲求を我慢しすぎるとストレスによって逆に健康に悪影響があるのではないかというような配慮がなされたわけです。
2015年版では成人男性8.0g/日、成人女性7.0g/日と設定されました。食塩摂取量は2005年前回策定時と比べて男性で0.5g/日、女性で1.0g/日減少しましたが、その一方で2012年にWHOガイドラインが5g/日を出してきたため、その分理想の値も下がりました。報告書の表現はここから2025年版と同じになっています。
2020年版は食塩の摂取量がさらに下がったことを反映して成人男性7.5g/日、成人女性6.5g/日となりました。これが2025年版にもそのまま適用されています。つまり、食塩摂取量の減少が止まっていることになります。
食塩摂取量の推移は以下のサイトにまとめられていますが、薄味になっただけではなく、食べる量自体が減ってきた影響や、高齢化で平均的な食べる量自体も減ってきたことも影響しています。男女差も食べる量自体の差の影響です。
ただし、以下の本によると食塩摂取量は減っているかどうかも実はよくわかっていないという面もあるようです。統計では食事記録法(食べたものの種類や量を記録する方法)が使われていますが、より正確な24時間蓄尿法による食塩摂取量の測定結果は25年間でほとんど変わっていないそうです。
ちなみに、食事記録法ではやせている人ほど食べた量を過大に申告し、太った人ほど逆に過少に申告するバイアスがあるようです(食事摂取基準2025の報告書案p27より)。
まとめ:食塩の食事摂取基準
食事摂取基準の2025年度版(案)について、特に食塩の目標値(男性7.5g/日、女性6.5g/日)に注目して解説しました。この目標値は「科学的根拠により導き出された値」とは別物であり、実行可能性を考慮してALARAの原則的に決まっています。食塩の摂取量の経年的な低下に伴って目標値も徐々に下がってきました。
補足
拙著「基準値のからくり」でも食事摂取基準の目標値(2010年度版)と高血圧の基準値について解説しています。
また、みそ汁一杯1.5g、梅干し一つ2.2g、塩サケ一切れ1.1g、ラーメン一杯6-7gの情報源は以下のサイトです。
東海道薬局:2017年12月号『減塩』
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