VUCAの時代にリスクと向き合う3つの方法:リスクベース、予防ベース、熟議ベース

VUCA リスクガバナンス

要約

「VUCAの時代」とは将来の予測が困難な時代を指します。リスク学においてV, U, C, Aをそれぞれどう扱うかをまとめた論文を紹介し、「リスクベース」、「予防ベース」、「熟議ベース」という3つのアプローチによるリスクへの向き合い方を解説します。

本文:VUCAの時代にリスクと向き合う3つの方法

「VUCAの時代」みたいな言葉をたまに目にすることがあります。リスク学の分野ではあまり聞いたことがなかったのですが、以下のとおり、VUCAとは、
・Volatility:変動性
・Uncertainty:不確実性
・Complexity:複雑性
・Ambiguity:あいまい性
の頭文字を取ったもので、VUCA時代とは「将来の予測が困難な時代」のことを指します

気候変動によって急激に気温が変化したり、AIのような進化の早いテクノロジーが登場し、社会はますます複雑になり、問題の本質が何かもわかりにくくなってきた時代、ということですね。「リスクの時代」みたいな言い方をしても同じような意味になりそうです。

また、V, U, C, Aのそれぞれはリスク学ではごく頻繁に扱うものです。リスク学会が出版している「リスク学研究」誌においても以下のような記事があります。これによると1990年前後からVUCAという言葉が使われ始め、2010年代に入ってからは一般的なビジネス用語として使われ始めたようです。

上野雄史 (2025) VUCA時代におけるリスクへの向き合い方. リスク学研究, 34, 139-140

VUCA時代におけるリスクへの向き合い方
J-STAGE

まあ、もっとも「将来の予測が簡単な時代」なんてものが過去にあったのかどうかはじつに疑わしいところでもあります。「VUCA時代だからこそ○○!」的に単なるスローガンとして使われていることも多いのではないかと思われます。

例えば以下の記事でも、VUCAの解説とともに、VUCA時代だからこそデジタル化を進めよう!、というような内容になっています。

SmartDB:VUCA(ブーカ)とは何か?不確実性の時代におさえておくべきこと

VUCA(ブーカ)とは何か?不確実性の時代におさえておくべきこと
皆さんはVUCAという言葉をご存知でしょうか?VUCAは「将来の予測が不可能な状況」を意味する言葉で、昨今ビジネスシーンにおいてよく耳にします。今回は、そんなVUCAの時代ではどのようなことが起きるのか、組織と個人それぞれでどのような準備をしていくべきなのかをご紹介します。

ビジネス用語としてのVUCAでは、V, U, C, Aをそれぞれどう扱うか?みたいな具体的な話はほとんど出てきません。一方でこれはリスク学で長く扱ってきたことです。

本記事では、リスク学においてV, U, C, Aをそれぞれどう扱うかという観点で重要となる一つの論文を紹介し、その中から「リスクベース」、「予防ベース」、「熟議ベース」という3つのアプローチによるVUCA時代のリスクへの向き合い方を解説します。

Klinke and Renn (2002) の論文におけるVUCA

リスク学会のレギュラトリーサイエンスタスクグループにて、「Most Influential Papers」として選定された論文が以下のクリンケ&レンの論文(以下、クリンケ論文)です。この論文の内容と波及効果を日本語でまとめた総説論文も続けてリンクしておきます。

このクリンケ論文では、VUCAをそれぞれどう扱うかについてのガイダンスを提供しており、これが「リスクガバナンス」のフレームワークにつながっています。

Klinke an Renn (2002) A New Approach to Risk Evaluation and Management: Risk-Based, Precaution-Based, and Discourse-Based Strategies (邦訳:リスク評価と管理 への新しいアプローチ:リスクに基づく戦略,予防に基づく戦略,議論に基づく戦略), Risk Analysis, 22, 1071-1094

Handle Redirect

村上道夫, 小野恭子, 井上知也, 西川佳孝, 小島直也, 岩崎雄一, 平井祐介, 藤井健吉, 永井孝志 (2024) リスクガバナンスの分野横断的波及効果―レギュラトリーサイエンス的視野からの考察―. リスク学研究, 33, 155-165

リスクガバナンスの分野横断的波及効果―レギュラトリーサイエンス的視野からの考察―
J-STAGE

このクリンケ論文では、リスクの重要な特性として複雑性(C)、不確実性(U)、そしてあいまい性(A)の3つを挙げています。そして、この順に扱いが難しくなる、ということになっています。

複雑性とは、原因と影響の因果関係を特定して定量化することの難しさを指します。例えば何かの健康被害が見つかったとして、その原因(化学物質など?)を特定するには時間がかかります。疫学的な調査では、曝露量と影響の関係が明確ではない場合があり、さらに多数の交絡因子が絡み合うため解釈が困難です。また、アスベストなど、原因に曝露されてから影響が出るまでに長い時間がかかるものもあるため、これも因果関係を見つけにくくします。個人間で曝露量や感受性が違う、という変動性Vもこの中に含まれます。

不確実性とは、対象となるリスクに対する知識が足りないことです。対象となる化学物質の毒性がよくわかっていない、マウスに対する影響はわかっているけど人に対する影響はわかっていない、分析方法が未発達で正確な曝露量がわかっていない、発生源がよくわかっていない、などのことです。原因と影響の関係がランダムに発生することも不確実性に含まれます。例えばタバコはがんの原因であることがわかっていますが、どれだけタバコをたくさん吸ってもがんにならない人もいます(これを変動性Vに含めてもよい)。

あいまい性とは、ある科学的知見からリスクや対策をどう判断するか?という解釈の個人間でのバラつきのことです。例えば、ある化学物質を与えると何かの影響が出た、という科学的知見を目にしたとき、「影響が出ない濃度まで下げて管理すればよい」と判断する人と、「影響が出るのだからその化学物質は禁止だ」と判断する人に分かれたりします。一見すると科学的な論争に見えるのですが、実は科学的知見についての論争というよりも、価値観の違いの論争であったりします。守りたいものは何なのか?どのような世界に生きたいのか?というもっと広い世界の話をしているのですね。

VUCAとリスクの6分類

ここまで、リスクの特性としての複雑性、不確実性、そしてあいまい性について説明しました。ただし、ほとんどのリスクは、複雑性、不確実性、あいまい性をそれなりの割合で含んでいると言えるでしょう。

タバコの場合は因果関係や影響がすでにはっきりわかっているので、複雑性と不確実性は低いのですが、禁止すべきかどうかについては賛否ある思われるため、あいまい性は高いと言えるでしょう。

放射線の場合は、知識についてはかなり蓄積されているので不確実性は低いのですが、甲状腺がんが見つかった場合にそれが放射線の影響かどうかは判断が難しく、原子力の利用についても賛否分かれるため、複雑性とあいまい性は高いと言えるでしょう。

PFASなどは複雑性、不確実性、あいまい性すべてが高いと言える状況ではないでしょうか。

そんなわけでクリンケ論文では、リスクをその特性によって6種類に分類しています。この分類によって、どのようなリスクをどのように管理すればよいかのヒントが得られるわけです。ただし、分類がギリシャ神話を基にしているので、日本人にはとっつきにくいのが難点です。

・ダモクレスの剣
低頻度高影響のリスクのことです。ギリシャ神話によると、ダモクレスは王から宴会に招かれ、その席で細い糸1本で吊るされた鋭い剣の下で食事をしなければなりませんでした。つまり、ダモクレスの剣はチャンスを脅かすリスクの象徴だったのです。結局、糸が切れて致命的な結果にはなりませんでしたが、たとえ確率が低くても致命的な結果が起こりうるという脅威を表します。原子力発電所の事故や、隕石の衝突などの破局的な災害もこの分類に含まれます。

・サイクロプス
いつ起こるかが不明ですが定期的に発生しており、しかも影響の大きいリスクのことです。ギリシャ神話における一つ目の巨人サイクロプスは、片目なので現実の一面しか認識できず、ものごとを不確実にしか捉えられません。地震や火山の噴火、水害などの自然災害は定期的に発生してますが、次にいつ来るのかがわかりません。新型コロナウイルスのパンデミックなど、新興感染症も含まれます。

・ピューティアー
発生確率も影響の大きさも不確実なリスクのことです。古代ギリシャでは相談したいことがあるときに、デルポイの神託所に仕えたアポロンの女神官ピューティアーに相談しましたが、ピューティアーの予言はいつも不明瞭なものでした。地球温暖化に伴う海洋大循環の変化など、非線形で予測不可能な結果をもたらすものがここに分類されます。

・パンドラの箱
広範囲に、持続的に、そして不可逆的な影響を引き起こすリスクのことです。ゼウスによって作られた女性であるパンドラは箱とともに地上にやってきましたが、箱の中には希望だけではなく多くの災いが入っていました。箱の中に入っている限りは何の影響もありませんが、ひとたび外に出てしまうと永続的で広範囲な影響をもたらします。例えば、難分解性有機汚染物質(POPs)や、オゾンホールの原因となったフロンガス、生物多様性の損失などがここに分類されます。

・カサンドラ
影響が目に見えるまで長い時間がかかり、人々が現実を受け入れにくいリスクのことです。アポロンの恋人になり予言能力を授かったカサンドラは、アポロンが自分を捨て去る未来が見えたため、アポロンの愛を拒絶してしまいました。そのためアポロンはカサンドラの予言を信じないようにと触れ回り、カサンドラの予言を誰も真に受けなくなりました。気候変動などはその因果関係や将来の影響の大きさについてよく知られているのに、そのリスクは軽視されがちです。

・メデューサ
実際のリスクは低いのに、実態以上に恐れられているリスクのことです。メデューサはその姿を見た者を石に変えてしまうため大変恐れられていました。しかしメデューサは想像上のものであり、実際には存在しません。一般市民のリスク認知と専門家のリスク分析との間に大きなギャップがある場合に問題となります。例えば農薬などの化学物質や電磁波、平時の原子力発電所周辺における放射線影響などが該当します。

VUCAのリスクへの対応方法:リスクベース、予防ベース、熟議ベース

リスクをその特性に応じて6つに分類しましたが、ではそれぞれどのような管理をすればよいのでしょうか?それが、ここで紹介するリスクベース、予防ベース、熟議ベースという3つの方法です。以下、順に説明します。

・リスクベース
ダモクレスの剣とサイクロプスに分類されるリスクは、高い複雑性を特徴とするため、主にリスクベースの戦略を適用します。これはリスク問題に対する一般的な管理方法であり、発生確率と影響の程度に応じた管理を行います。

ダモクレスの剣の場合は、発生確率と影響の大きさの両方が比較的よく知られているので、発生した場合の影響を抑える管理を進めます。原子力発電なども、事故を絶対に発生させない、という考え方から、事故は低頻度だけどまれに発生するので発生したときの影響を低く抑える、という考え方に変えていく必要があります。

サイクロプスの場合は次にいつ発生するかが不明確であるため、発生の予兆を検知・監視するための研究・体制作りが重要になります。また、リスクの発生源に厳格な責任を負わせます。災害については事前の訓練や、冗長性の整備(複数の交通網やライフラインを整備して、一つが使えなくなっても別のルートを確保したりすること)が重要です。

・予防ベース
ピューティアーとパンドラの箱に分類されるリスクは、高い不確実性を特徴とするため、予防ベースの戦略を適用します。発生確率や影響の程度が不確実であるため、リスクベースの管理よりも予防的なアプローチが求められます。

発生確率や影響の程度ではなく、非線形で不可逆的で広範囲な影響を及ぼすかどうかを判断基準とします。そして影響が顕在化する前に予防的な管理措置を導入して、代替品に切り替えるなどを行います。ただし、予防的措置には代替品のリスクやコストの増加などのリスクトレードオフがつきものです。また、研究を強化して不確実性を減らすことも重要です。

・熟議ベース
カサンドラとメデューサに分類されるリスクは、高いあいまい性を特徴とするため、熟議ベースの戦略を適用します。社会的合意や公衆からの信頼性を築くことを目指します。

カサンドラの場合は、科学的にはよく知られているものでも、人々がリスクを受け入れることが困難です。メデューサの場合は、リスクの実態がないものでも、不安によるストレスや政府への不信感、社会的な分断を招きます。

リスクの扱いによって意見が対立している状況であるため、科学者や行政だけでは解決できません。よって、政治的解決や新しい市民参加型のアプローチが求められます。利害調整や、価値観の合意あるいは妥協などが目標となります。

まとめ:VUCAの時代にリスクと向き合う3つの方法

「VUCAの時代」とは、Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:あいまい性が大きく、将来の予測が困難な時代を指します。V, U, C, Aをそれぞれどのように扱ったらよいかは、リスク学で長く取り組まれてきました。リスクが持つ特性によって、リスクベース、予防ベース、熟議ベースという3つのアプローチを使い分けて、VUCAの時代のリスクに向き合う必要があります。

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