コロナウイルスのリスクガバナンスにおける科学と政治その5:リスク評価・管理の分離から解決志向リスク評価へ

solution リスクガバナンス

要約

専門家はリスク評価、行政・政治はリスク管理という評価・管理分離論がリスク対策においては主流となっていますが、今回のコロナウイルス対策の事例を見てもいろいろと不都合が浮かび上がってきました。「解決志向リスク評価」はそのような関係性を再構築するものです。

本文:解決志向リスク評価

前回の記事で、科学-政治の2分割ではなく、純粋科学-レギュラトリーサイエンス-政策という3分割で考えようと書きました。

コロナウイルスのリスクガバナンスにおける科学と政治その4:「科学と政治」の二分式ではダメな理由
科学と政治の間にある純粋科学ではないものの正体はレギュラトリーサイエンスとして整理すると位置づけが明確になります。コロナウイルス対策では、発症後8日間で職場復帰、都道府県ごとの自粛緩和基準、ソーシャルディスタンス2m、37.5度以上が4日間続くときに相談、コロナ対策なしなら42万人死亡予測、などがレギュラトリーサイエンス的な要素です。このときどこまでが科学的ファクトでどこからが仮定に基づく推論なのかを明示することが重要です。

専門家会議(とその後継に位置づく新型コロナウイルス感染症対策分科会)はこの関係の中でレギュラトリーサイエンスを担っていると言えます。リスク学の用語を使うと、純粋科学の知見をなるべく活用しながら専門家がリスク評価を行い、行政・政治がリスク管理を行います。これがリスク評価・管理分離論です。こういう全体のフレームワークがリスクガバナンスです。

今回、コロナ対策におけるリスク評価とリスク管理の間でどのようなことが起こったかをすごく単純化して書くと以下のようになります。

リスク評価:対策なしなら42万人が死亡するよ!

リスク管理:で、どうすればいいの?

リスク評価:人出・接触を8割減らせばいいよ!

リスク管理:国民のみなさんは外出自粛して8割減らしましょう!

外野:そんなことしたら経済が大変だ!補償!補償!

リスク管理:で、どうすればいいの?

リスク評価:。。。

リスク管理:専門家会議は廃止。新たに分科会を立ち上げます!
(→イマココ)

これが、感染症の専門家にできる限界ですね。あくまでコロナ感染を減らす対策は提言できますが、それ以上の提言を求められても困ります。コロナ対策の専門家とは感染症対策だけではなく非常に幅広い分野にまたがります。

コロナウイルスのリスクガバナンスにおける科学と政治その3:コロナウイルス対策の専門家とは誰なのか?
コロナウイルス対策に関連する学問分野は感染症関連だけではなく多岐にわたっており、様々な分野の専門家が必要になります。さらに各論の専門家だけではなく、全体のリスクガバナンスを考える専門家も必要になります。これに対して現在の専門家会議はキャパシティ不足であったようです。

42万人死亡という評価だけでは対策を立てる際に情報として不十分なのです。ではどうすればよかったのかというと、リスク管理対策オプション評価が必要でした。本記事では、コロナウイルス対策におけるリスク評価とリスク管理分離論を考え、どうすればもっと改善できるかということで、「解決志向リスク評価」について解説します。

リスク評価とリスク管理の分離論

リスク評価→リスク管理という順序で進むリスク評価・管理分離論は、米国で1983年に出版されたいわゆるRed Book (National Research Council 1983) 

Risk Assessment in the Federal Government: Managing the Process | The National Academies Press
Read online, download a free PDF, or order a copy in print.

で整理されています。この中では、客観的事実を扱う「評価」の機能と、価値選択を含む「管理」の機能とを、概念的にも手続き的にも明確に区別する、ということが記されています。ただし、機能の分離と組織の分離は別物であり、むしろ組織は分離させない方が好ましいとも記されています。組織を分けてしまうとどうしても壁ができてしまい、コミュニケーションが円滑でなくなってしまうからでしょう。

redbook
Red Bookにおけるリスク評価・管理

化学物質のリスク評価を想定したこのRed Bookのフレームにおいては、研究とリスク評価、リスク管理の3つに大きく機能が分かれています。ここで研究→リスク評価→リスク管理という流れは一方通行であって、相互作用は示されていません。

例えば日本における食品中の化学物質管理はこのような体制になっています。食品安全基本法に基づき食品安全委員会がリスク評価を行ってADIやTDIなどの許容レベルを決め、リスク管理機関である厚生労働省が食品中の基準値を決定し、農林水産省が生産現場で基準値を達成できるような対策をとる、というリスク評価・管理の関係があります。機能的にも組織的にもリスク評価と管理が分離しています。

また、食品安全の分野ではリスク評価、リスク管理、リスクコミュニケーションの3つのステップを総合して「リスクアナリシス」と呼ばれています。使っている用語はリスクの分野ごとに結構違います。

分離論のメリットデメリット

リスク評価と管理を分離するメリットは、コロナ対策の専門家会議でも発言があった科学的Integrityの向上(客観性・中立性・誠実性のこと)にあります。リスク評価者と管理の意思決定者との癒着をなくし、科学への介入を防げるというわけです。

しかしながら、リスク評価の独立性を脅かすものは様々なものがあります。コロナ対策の専門家会議においても、政府からの求めによって提言の内容が削除・修正されたようです。

新型コロナ対策専門家会議 政府側の求めで文言の削除や修正も | NHKニュース
【NHK】新型コロナウイルス対策を話し合う政府の専門家会議は、これまで専門家としての見解や提言を示してきましたが、その過程で政府側…

食品安全の分野でも事例があります。例えば日本の食品安全委員会では、2009年6月5日に食品安全委員会の委員として吉川泰弘氏を任命する人事案が参議院で否決されました。この理由として、吉川氏が食品安全委員会のプリオン専門調査会座長として、米国産牛肉輸入再開に事実上お墨付きを与える内容の答申をまとめたことが挙げられており、事実上の政治介入だったのです。

リスク評価と管理を分離する体制のデメリットは以下の3つに整理できます。
1.選択肢がない
2.リスクトレードオフの考慮ができない
3.リスク評価とリスク管理の間に壁ができる

1について、コロナの例では「対策なしなら42万人死亡なので外出8割削減すべき」という対策案が出てきますが、代替案の提示がないため押しつけがましく感じてしまいます。

2について、あくまで感染症対策の視点のみでの評価となるため、コロナ以外のリスクの考慮、特に経済影響との比較ができません。通常はリスク評価の段階ではそのコスト(経済影響含む)は考えず、その後管理対策を考える際に初めてコストや実行可能性が考慮されます。

3について、この点は今回のコロナウイルス対策ではあまり当てはまらなかったように思います。専門家会議がリスク管理側と密接にコミュニケーションをとっていたのではないでしょうか。前回の記事にて、放射線の健康影響評価の要請に対して食品安全委員会は低線量の影響は情報不足で評価できないという答申を出した例がこれに当てはまります。このような「科学的に正しいが役に立たない」結果は、リスク管理機関から独立したリスク評価機関の限界を示す例になります。

解決志向リスク評価

従来のリスク評価は問題志向(problem-focused)であって、例えば「コロナはどれくらい怖いのか?」が問いになっています。対して解決志向(solution-focused)リスク評価は「実行しようとしている対策はどれくらい良い対策なのか」が問いになります。外出8割削減以外に、5割減や6割減などの実行可能な対策オプションをいくつか用意し、それらを実行した場合の感染者数や死者数、経済への影響などをモデルによって予測する、というやりかたです。行政や政治など対策の意思決定者は、それぞれの対策のメリット/デメリットを比較しながら最終的にどの対策を実行するかを決定します。

解決志向リスク評価のプロセスは以下のようになります:

  1. 初期的なリスク評価
  2. 複数の管理対策オプションの作成
  3. リスクの増減や他の影響の予測
  4. どの対策を採用するかの意思決定

リスク評価と管理を分離するのではなく、意思決定のための情報の解析(リスク評価や管理オプション評価を含む)と、どの管理オプションを選択するかという意思決定そのものを分離させることが特徴です。専門家側は対策なしなら〇〇人死亡、5割減なら△△人死亡、8割減なら□□人死亡、という選択肢を提示し、行政・政治側がそれを吟味して8割減という対策に決めた、というプロセスを透明性をもって行えばよいのです。これはこれまでのリスク評価とリスク管理の位置づけを再構成するものです。

もう一つの特徴は、問題(リスク)が完全に理解(評価)してから解決策を考えるのではなく、早い段階で複数の管理対策オプションを考えることにあります。もともとリスク評価は不確実性の高いものなので、リスク評価での科学的妥当性を追求しすぎると対策をとるのが遅れてしまいます。重要なことは、正しさの追求ではなくどの対策を選択すればよいのかの判断材料を出すことです。

リスクコミュニケーションの視点からも大きな違いがあります。リスクは高いor低いという情報を一方的に押しつけ、納得させるためのリスクコミュニケーションは誤ったやり方です。従来のやり方では、独立性や透明性を高めるためにリスク評価とリスク管理を分離したはずなのに、何かリスク評価が押しつけがましく、個人の意思決定にまで踏み込んでいる印象がします(コロナで42万人死亡、外出を8割減らせ)。解決志向リスク評価では、リスクをコミュニケーションするのではなく、複数の管理オプションの(リスクを含む)メリットとデメリットをコミュニケーションすることに重点をおきます。

解決志向リスク評価をゴールに設定すると、どういう予測モデルが必要で、専門家会議(的なもの)にどういう人が今足りていないか、というのが具体的に見えてくるはずなのです。

まとめ:解決志向リスク評価

これまではリスク評価・管理分離論の下に科学と政治の関係が築かれてきました。しかしながらリスク評価→リスク管理の一方通行では不都合な場合が多く、逆にリスク評価が管理に入り込みすぎても問題が生じます。そこで生まれた考え方が、意思決定のための情報の解析(リスク評価や管理オプション評価を含む)と、どの管理オプションを選択するかという意思決定そのものを分離させる解決志向リスク評価になります。

コロナ対策の科学と政治シリーズは今回5回目にて終了です。ここまで読んでいただきありがとうございました。

補足

解決志向リスク評価について解説した日本語で読める唯一の論文:
永井孝志 (2013) リスク評価とリスク管理の位置づけを再構成する解決志向リスク評価
日本リスク研究学会誌, 23, 145-152

リスク評価とリスク管理の位置づけを再構成する解決志向リスク評価
J-STAGE

最初にSolution-Focused Risk Assessmentとして提案したFinkelの論文:
Adam M. Finkel (2011) “Solution-Focused Risk Assessment”: A Proposal for the Fusion of Environmental Analysis and Action
Human and Ecological Risk Assessment 17(4), 754-787

Handle Redirect

今回紹介した食品安全のリスクアナリシスの枠組みについて解説した本:
山田友紀子 (2005) リスクアナリシスの枠組み. 新山陽子(編)食品安全システムの実践理論, 昭和堂, pp 22-38.

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