本の紹介:EBPMの組織とプロセス: データ時代の科学と政策

EBPM リスクガバナンス

要約

私も執筆者の一人である書籍「EBPMの組織とプロセス: データ時代の科学と政策(佐藤ら編著)」について紹介します。さまざまな分野におけるEBPMの現状や課題について、特に科学と政策の橋渡しを構成するの4つのプロセス(エビデンスの生成、統合、仲介、対話)に焦点をあてたことに特徴があります。

本文:EBPMの組織とプロセス

今回も前回に引き続き本の紹介です。EBPM(Evidence-based policy making、エビデンスに基づく政策立案)に関する本になります。

佐藤靖、松尾敬子、菊地乃依瑠(編) (2024) EBPMの組織とプロセス: データ時代の科学と政策

https://www.amazon.co.jp/dp/4130603248/

さまざまな分野で科学と政策の間を担う専門家がその分野におけるEBPMの現状や課題などを整理した本です。以下のように扱っている分野は多岐にわたります:
第1章 気候変動――IPCCと科学的アセスメント
第2章 感染症――緊急時における科学と政治の協働
第3章 地震防災――地震被害想定の統合的評価に向けて
第4章 原子力安全――安全規制とその科学的議論
第5章 化学物質管理――ガイドライン化の追求
第6章 健康・医療――データヘルス政策を事例としたエビデンス活用
第7章 人口――政策研究の深化と少子化対策の限界
第8章 学校教育――データ分析と実践知の活用
第9章 金融――高度な専門性が支えるFRBの政策
第10章 エネルギー――モデル分析とステークホルダーの関与
第11章 インフラ――費用便益分析の有効利用に向けて
第12章 科学技術・イノベーション(STI)――認識共有と議論を促すエビデンス

前半の第1~6章まではみな「リスク」のことを扱っていることがわかります。リスクを扱う政策は多くの分野で科学的な判断が重視されています。本ブログではこれまでEBPMをメイントピックとする記事を書いたことはありませんが、リスクの分野ではエビデンスに基づくことはあたりまえなので、わざわざこの言葉をあまり使わないように思います。

後半の第7~12章は社会経済に関する分野で、前半の分野に比べれば科学的な判断があまり重視されてこなかった分野です。ただし金融は例外です。

私は本書の「第5章 化学物質管理」を執筆しました。3人の編者はEBPMに関してさまざまな分野の専門家にヒアリングをしたり、ワークショップを開催したりして、その集大成として本書がまとめられました。たぶんこのブログを見て声をかけていただいたのかなと思いますが、化学物質管理の執筆者として選ばれたことは光栄なことです。

本記事では、まず本書の構成、特に科学と政策の橋渡しを構成するの4つのプロセス(エビデンスの生成、統合、仲介、対話)に焦点をあてたこと、次に各論の中から私が面白かったいくつかの章の内容、最後に私が執筆した第5章の内容、という順番で紹介していきます。

科学と政策の橋渡しを構成するの4つのプロセス

私の専門分野ではあまりEBPMという言葉を使わないので、「レギュラトリーサイエンス」や「意思決定のための科学」といったほうがピンときます。いずれにせよ科学と政策の橋渡しの部分が重要という意識は共通しています。

本書の特徴は、この科学と政策の橋渡しを「Science-Policy Interface(SPI)」と表現して、SPIを構成するプロセスを4つに分け、各分野において4つのプロセスを整理したという点にあります。

この4つのプロセスは以下のとおりです:
1.エビデンスの生成(知識を生み出す)
2.エビデンスの統合(さまざまな分野の知識を統合して政策に適用する)
3.エビデンスの仲介(科学と政策に関与するステークホルダー間をつなぐ)
4.エビデンスの対話(政策立案プロセスにおけるコミュニケーション)

SPIという用語はこれまでいろいろな意味で使われてきたようです。例えば国連環境計画(UNEP)では「政策プロセスにおいて意思決定の質を高めるための科学者と他の関係者との間のやりとり、共進化、知識の共同構築を可能にする社会的プロセス」という定義を採用しています。

このSPIは「プロセス・アクター・組織体制のエコシステム」であるとされており、科学と政策を分けて考えるのではなく、両者を統合して考えるモデルとなっています。

12章にわたる各分野の著者はバラバラですが、このSPIの4つのプロセスや「プロセス・アクター・組織体制のエコシステム」という観点から執筆することにより、本全体に一定の統一感が出されていると思います。本書のよい点はまさにこのさまざまな分野について統一感をもって記述したところにあるでしょう。

さまざまな分野を扱って科学と政策の橋渡しを論じたという点では拙著「基準値のからくり」とコンセプトが似ていると思います。さまざまな分野でのプラクティスを知ることで、自分の分野にも適用できる引き出しを増やせるでしょう。

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各執筆者も政策に関わってきた経験の深い方で、中の事情をよく知っているなと感じます。違う分野の「中」の話は興味深いところが多いですね。

本書の最後には分野横断的なまとめもあります。いくつかの論点を決めて分野横断的に比較してみるとさらに興味深い点が出てくるので、ここは自分なりにもいろんな分野間比較をしてみたいところです。

感染症、原子力安全、人口、金融におけるEBPM

ここでは各論の中からいくつか個人的に面白かった章を紹介します。

第2章 感染症

コロナ禍での分析に必要なデータの取得が困難だったことなどが書かれています。また、コロナ禍では数理モデルによるシミュレーションが大きく注目されました。モデルの活用について「明確な思考を支援するためのツールである」という言葉を紹介しています。さらに
・戦略やモデルによる結果の差異を見出す
・介入戦略(さまざまなコロナ対策の効果)を比較する
・意思決定において最も重要な事項を決定する
・現在の知見における重大なギャップを特定する
という数理モデルの意義を紹介しています。

人材育成の難しさについても書かれていますが、科学と政策の橋渡しに関わるメリットがあまりない中で、パンデミック時には関わる専門家が誹謗中傷の的となり、そんな中でも火中の栗を拾う覚悟をもつ人を育てるというのは大きな困難を伴いますね。

第4章 原子力安全

原子力の安全目標について、定性的目標と定量的目標が書かれています。定量的目標とは、公衆の死亡リスクが年間100万人に1人を超えないことなどと定められているものです。

また、原子力規制庁における規制のプロセスも紹介されており、実務担当者は行政職と研究職の混成チームであること外部の専門家に諮問するのではなく内部の職員と委員で検討して決定する、など知らなかったことも結構ありました。

第7章 人口

人口分野では、これまでの少子化対策のほとんどが結婚後の夫婦の育児支援、女性の就労支援が中心的であり、出生率低下の原因である未婚化・晩婚化への対策が遅れてきたようです。

どのような対策が効果があるかというエビデンスの生成やその活用が遅れてきた分野でもありますが、近年は状況が変わりつつあり、結婚支援などへも幅が広がりました。子育て支援の出生率に対する効果はプラスではあるもののその大きさは小さすぎるようです。とりわけ児童手当などの現金給付の効果は弱いのですね。

また将来の人口推移の予測は人口学の「総合芸術」であると書かれていて、出生率や国際人口移動の仮定でかなり変動が大きいようです。

第9章 金融

金融政策における政治からの距離のとり方はかなり絶妙なバランスの上にあることがわかります。金融政策の決定者は選挙で選ばれるわけではないため、より一層のコミュニケーションが重要と認識されているようです。

元FRB(米国の中央銀行制度の最高意思決定機関)議長のバーナンキ氏は「金融政策は2%が実行で、残り98%がコミュニケーションだ」と発言したそうです。

FRBの職員は経済政策のための分析のプロ集団で、勤務時間の半分くらいを自分の研究にあててよいなどの環境にあるとのことです。さまざまな対策オプションの影響などについてモデルを用いたシミュレーションを行い、選択肢を提示することが彼らの仕事になります。

また、政策決定者も専門家であるため内部でかなり深い議論がされているようで、うらやましい分野だと思いました。

「第5章 化学物質管理」の紹介

最後に私が執筆した「第5章 化学物質管理」について紹介します。

「5.1 化学物質管理におけるリスク評価・リスク管理とその体制」
では、農薬取締法に特に焦点をあてて、リスク評価・管理のプロセスについて書いています。

化学物質管理では何か影響が見つかってから規制するのではなく「未然防止」が原則なので、今後影響が発生する可能性や小さすぎて見えないリスクをリスクとして計測する必要があります。

これは非常に不確実性の高い状況です。そのため、この状況下で限られたデータからリスク評価を行うためのいわば「作法」が発達してきました。これがガイドライン(必ずしもガイドラインという名前が付いているとは限らない)に集約されており、この章のサブタイトルは「ガイドライン化の追及」となりました。

「5.2 データ確保・集積の現状と課題」
では、リスク評価のためのデータの生成やその活用について書いています。

評価のための毒性試験などは事業者側で実施するため信用ならん、という意見もあるのですが、実際にはGLP(Good Laboratoty Practice)制度で妥当性が確保されており、その試験成績は第3者の専門家によって試験ガイドラインからの逸脱状況や結果が精査されて評価に使えるかどうかがひとつずつ判断されているのです。

私も専門家としてこのような毒性試験の結果を(無報酬で)精査していますが、これは本当に大変な作業で、かなり細かいところまでチェックが入ります。それくらい私たちが労力を割いてチェックしているのでぜひ安心してほしいと思います。

「5.3 エビデンスの統合についての現状と課題」
では、さまざまなエビデンスをどのように収集・活用しているのかを書いています。モデルの活用、システマティックレビューのガイドラインについても紹介しています。

「5.4 エビデンスの仲介についての現状と課題」
では、化学物質管理のキモである科学と政策の橋渡しの部分について書いています。

立場の相違がある場合(ガイドラインに適合しないエビデンスがある場合、何をどこまで守れば十分かという安全目標に対する意見の相違、発がん性の有無のような二者択一の判断)はリスク評価の実務において非常に悩ましい問題です。

また、このような橋渡しに関わる人材育成に関しても課題がたくさんあります。

「5.5 リスクコミュニケーションの現状と課題」では、リスクコミュニケーションとは何か、SNSなどでキケンをあおるデマが拡散しやすい状況などについて解説しています。

「5.6 化学物質管理におけるEBPMの展望」では、ガイドライン化を追及する姿勢についてほかの分野での活用の可能性、科学がになう役割について書いています。

特に、解決志向リスク評価リスク評価の中に潜む価値判断「科学的に決めました」の弊害、など科学と政策の橋渡しを考える際に重要な点について解説しています。この辺は本ブログでも記事を書いていますのでぜひご覧ください。

コロナウイルスのリスクガバナンスにおける科学と政治その5:リスク評価・管理の分離から解決志向リスク評価へ
専門家はリスク評価、行政・政治はリスク管理という評価・管理分離論がリスク対策においては主流となっていますが、今回のコロナウイルス対策の事例を見てもいろいろと不都合が浮かび上がってきました。「解決志向リスク評価」はそのような関係性を再構築するものです。
リスク評価はファクトではないその3~リスク評価の中に潜む価値判断~
「リスク評価は専門家が行うものなので完全に科学的なもの」と言えるわけではなく、その中にはさまざまな価値判断も含まれています。特に「そもそも何を評価するか?」という部分には価値観が大きく反映されるので、専門家以外のかかわり方も重要になります。
解決志向リスク評価を阻害する要因は何か? 日本リスク学会シンポジウムの議論から
解決志向リスク評価を阻害する要因は何か?について、2022年6月24日に開催された日本リスク学会シンポジウムの議論をもとに整理しました。Jリーグの成功事例やコロナウイルス対策における問題などから、意思決定する側の意識・組織文化の問題が大きいと考えられました。

まとめ:EBPMの組織とプロセス

EBPMの組織とプロセス: データ時代の科学と政策(佐藤ら編著)について紹介しました。SPI(科学と政策の橋渡し)を構成するの4つのプロセスに焦点をあてることにより、12の分野におけるEBPMの現状や課題について一体感をもって知ることができます。また、さまざまな分野の事例を知ることで、自分の分野に適用できる考え方の引き出しを増やせるでしょう。

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