科学コミュニケーションとリスクコミュニケーションの違いは何か? ―定義よりも実務を見よう―

science-communication リスクコミュニケーション

要約

科学コミュニケーションもリスクコミュニケーションも、双方向のコミュニケーションを基本として関係者間の相互理解を深めたり信頼関係を構築したりすることが目的である点は似ています。ただし、両者の構成要素や実務上の注意点などは大きく異なっています。

本文:科学コミュニケーションとリスクコミュニケーションの違い

最近話題になった話と言えば、日本テレビの桝太一アナウンサーが日テレを退職して科学コミュニケーションの研究者に転身する、というニュースです。もともとアサリの研究で大学院修士課程まで修了していた方のようです。

日テレNEWS:桝太一アナ、大学の研究員に転身

桝太一アナ、大学の研究員に転身|日テレNEWS NNN
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大学で実際にどこまでやれるかは4月以降の話になってきますが、大まかな研究テーマとしては、
・科学を伝える手段の1つとして、テレビはどの程度の影響力があり、どんな役割を担うべきか?
・科学を伝える手法・媒体にはどんな選択肢があるか? それぞれの特性をどう活かしていくべきか?
・科学と社会の架け橋になる人材をどのように育成し、社会に広げていけるか?
…などを考えています。

“科学”といっても範囲は広いですが、自分が得意とする生き物や自然現象のような“楽しい科学”から、コロナ禍での正しい知識や数字の解釈といった”必要な科学”まで扱っていくことを目指しています。

楽しい科学と必要な科学の両方を扱うとありますね。イメージ的には科学コミュニケーション(科コミ)とリスクコミュニケーション(リスコミ)の両方をやるということでしょうか。

(桝さんは科コミ、リスコミという言葉を使っていませんが)科コミもリスコミも双方向のコミュニケーションが基本ではありますが、その中でも「伝えること(情報提供)」に焦点を絞れば、科コミは「科学の楽しさを伝えること」、リスコミは「危ないことを科学的に伝えること」とざっくりと区別できるでしょう。共通していることは難しいことをわかりやすく伝えること、となるでしょう。

ただ、せっかくなので科コミとリスコミの違いについてもう少し深掘りしてみたいと思います。リスコミについては本ブログでたくさん記事を書いていますので、これまで取り上げてこなかった科コミについて特に注目します。

本記事では、まず科コミとリスコミの定義の違いを整理し、次にそれぞれに含まれる要素を並べて違いを見ていきます。最後にもう少し生々しい注意点についてまとめていきます。

なお、ここでは科学コミュニケーションという用語について、サイエンスコミュニケーションや科学技術コミュニケーションなど複数の呼び方がありますが合わせて「科コミ」と略します。

科学コミュニケーションとリスクコミュニケーションの定義

米国のNRC(National Research Council)が1989年に公表した書籍によると、「リスクコミュニケーションとは、個人、集団、機関の間における情報や意見のやりとりの相互作用過程」と定義されています。

また、本ブログでもこれまで過去記事でいろいろと書いているので、簡単にそちらから引用するだけにしておきます。

リスコミとは、ある特定のリスクについて関係者間(ステークホルダー)で情報を共有したり、対話や意見交換を通じて意思の疎通をすることであって、関係者間の相互理解を深めたり、信頼関係を構築することが目的となります。

https://nagaitakashi.net/blog/risk-communication/evaluation-1/

続いて科コミのほうを見ていきましょう。一番最後の補足に示した参考文献にならって科学技術基本計画を眺めていきます。第3期科学技術基本計画において、科学コミュニケーターについて以下のように書かれており、これが科コミの基本的な認識と考えて良いかと思います。当然ながら、一方的に科学を伝えるだけではなく、社会の声を聴くことも入っています。

科学技術を一般国民に分かりやすく伝え、あるいは社会の問題意識を研究者・技術者の側にフィードバックするなど、研究者・技術者と社会との間のコミュニケーションを促進する役割を担う

ただし、その後の第4期科学技術基本計画では、以下のように科コミはリスコミを含む活動(リスコミは科コミの一部ということ)として書かれています。これはちょうど東日本大震災の直後に決定されたことが大きく影響していると思われます。

 科学技術イノベーション政策を国民の理解と信頼と支持の下に進めていくには、研究開発活動や期待される成果、さらには科学技術の現状と可能性、その潜在的リスク等について、国民と政府、研究機関、研究者との間で認識を共有することができるよう、双方向のコミュニケーション活動等をより一層積極的に推進していくことが重要である。このため、研究者による科学技術コミュニケーション活動、科学館や博物館における様々な科学技術に関連する活動等をこれまで以上に積極的に推進する。また、これにより、科学技術に関する知識を適切に捉え、柔軟に活用できるよう、国民の科学技術リテラシーの向上を図る。

https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/index4.html

さらにその後の第5期、第6期では、科学技術の推進・社会実装のためのコミュニケーションという位置づけが強くなっていきます。逆に言えば国民の理解不足が科学の推進の阻害要因になっている、という認識があるのかなと思います。

さらに文部科学省が公表している文書(補足参照)では、「痛みを伴う科学コミュニケーション」として、社会の意思決定を目的としたものや社会問題の解決のための科コミが求められると書かれています。これでは本来の相互作用的なものは薄れてしまっていますし、「科学の楽しさを伝える」というイメージとはかなりズレてきているようですね。

科コミとリスコミに含まれる要素の違い

ここまでの定義論を見てきたところだと、科コミもリスコミも双方向的なコミュニケーションである、社会の意思決定や問題解決を目的とする、リスコミは科コミの一部である、などの点で類似する点が多いことがわかります。

ただ、実際に科コミやリスコミの分野で行われてきたことを考えるとやはり両者の違いはかなり大きいと感じます。これは定義を比べてみただけではわからないところです。それぞれの分野に含まれる要素をざっくりと列挙すると以下のようになるでしょう。

科コミ:
科学イベント(サイエンスカフェやサイエンスアゴラなど)、理科教育、科学館・博物館の展示・解説、大学・研究機関における科学広報、メディア論、科学技術社会論の活動(コンセンサス会議、テクノロジーアセスメントなど)
リスコミ:
認知心理学(ヒューリスティックとバイアスなど)、行動経済学(ナッジなど)、リスクリテラシー、意思決定論、ファシリテーション、合意形成、情報提供・情報公開、リスク教育、危機管理

このように要素を分解してみるとやはり大きく違いますね。科コミの活動の場は科学イベントや科学館・博物館、科学広報などになりますが、リスコミの活動の場はリスク管理行政や(化学物質や原子力などを扱う)事業者による事業推進のプロセスであることが多いです。

また、科コミの分野でリスク認知などの心理学やナッジなどの行動経済学が出てくることはあまりありませんし、事故・災害や感染症パンデミックなどにおける危機管理もリスコミ独特のものだと思います。

ただし、科コミの要素として列挙したものの中で、リスクをテーマとして扱った場合には両者が融合したものと言えます。ちなみに、健康管理などの医療・保健分野におけるヘルスコミュニケーションというのもありますが、東日本大震災後の福島においてヘルスコミュニケーションとリスコミが融合した活動が見られています。

科コミの人がリスコミをやる場合の注意点

続いて科コミの人がリスコミをやる場合の注意点について考えてみます。科コミの人なら科学を伝える技術を持っていますので、この技術はリスコミでもきっと役に立つはずと思うでしょう。ところがもっと生々しい話としての注意点もあります。

新型肺炎サイコム・フォーラム:これからリスクコミュニケーションを始めようと思っている科学コミュニケーターの皆さんへ

これからリスクコミュニケーションを始めようと思っている科学コミュニケーターの皆さんへ(佐野和美・帝京大学)|新型肺炎サイコム・フォーラム
佐野和美さんは帝京大学理工学部で科学コミュニケーションとリスクコミュニケーションについて研究されています。その佐野さんからみて、科学コミュニケーションとリスクコミュニケーションは似ているようで、異なる点が多いと指摘されます。新型コロナウイルスが蔓延する中で、科学コミュニケーターが...

リスクコミュニケーションは、簡単なように見えてとても難しいことを忘れないでください。技術的な面で、というより、心理的な面での負担がとても大きいものです。

正しいことを伝えても、逆サイドの人から、激しい突き上げを受けることもあります。
また、リスク情報を分析し続けている間に、自分自身が飲み込まれて心を病む恐れもあります。くれぐれも無理はしないことです。

何度も言いますが、皆さん、できることをできる範囲でやっていってください。

この辺も定義の比較だけをやっていてもイメージしにくい部分かもしれません。(だいぶ抑え気味に書かれていますが)こういう実務家目線での違いはとても大きいものだと思います。

宇宙開発とか新種の生き物の発見とか、科学って夢いっぱいでワクワクしますよね、みたいな話に強く反論してくる人はいません。ところが、化学物質、原子力、遺伝子組み換え、感染症みたいな話になると、人によってリスクの捉え方が大きく異なり、どんな話に対しても強く反論してくる人が必ず出てきます

マイナスの面に注目して極端にリスクを大きめに認知して不安を持つ人がいる一方で、プラスの面に注目してリスクのことはあまり考えない人もいます。リスク認知の違い、リスク選好の違いなどで表現されます。結果として、両者の間ではリスクに関する意見が正反対に分かれてしまいます。

工場、廃棄物処理場、原子力関連施設などの建設では、推進したい事業者と反対したい市民との間で対立構造になります。リスコミはこのような対立構造の中で難しいかじ取りを迫られます

さらには、リスクに関しては科学の世界の中だけでも激しい対立があります。これは過去記事にも書いたように、通常科学者はファクトを追及する専門家であって、断片的なファクトから社会問題に対してモノを言う専門家ではないから(素人論議になっているから)です。

リスク評価はファクトではない~断片的なファクトから問題解決につなげる作法~
リスク評価はファクトではなく、むしろ「ファクトがわかってからでは遅すぎる」という問題に対応するための作法と言えます。断片的なファクトを最大限有効に活用して、知見が欠けている部分は推定や仮定を置いて穴埋めし、政策などの意思決定の根拠として活用できるようにしたものです。

まとめ:科学コミュニケーションとリスクコミュニケーションの違い

科コミとリスコミで共通するポイントとして「関係者間の相互理解を深めたり、信頼関係を構築することが目的である」ということがあります。これは重要でありながらも見逃されやすいポイントではないかと思います。


――桝さんの最終目標は?

「桝太一が言うことならば…」と興味をもったり見たりしてもらえるような、信頼感ある伝え手。僭越ながら名前をお借りするならば、「理系版の池上彰さん」のような存在を目指します。お世話になった皆様、そして何より、温かく見守って下さってきた視聴者の皆様に恩返しできるよう、新しい道へ進んでいきます。「真相報道バンキシャ!」をはじめ、これから様々な場を通して研究の成果を還元していければと、決意を新たにしております。

https://news.ntv.co.jp/category/culture/50e6b2b2927548f5a2a224b11be79214

「信頼感ある伝え手」が最終目標ということで、さすが桝さんよくわかってますね(「理系版の池上彰さん」は見なかったことにして)。ということでこれからの活躍に期待しましょう!

補足:参考文献など

National Research Council (1989) Improving risk communication

Improving Risk Communication | The National Academies Press
Read online, download a free PDF, or order a copy in print.

種村剛 (2018) 科学技術コミュニケーションにおけるリスクコミュニケーションの位置づけ. 科学技術コミュニケーション, 24, 69-81

科学技術コミュニケーションにおけるリスクコミュニケーションの位置づけ : HUSCAP

文部科学省 科学技術・学術審議会 研究計画・評価分科会 科学技術社会連携委員会 (2019) 今後の科学コミュニケーションのあり方について

今後の科学コミュニケーションのあり方について:文部科学省

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