要約
組織にリスコミの専門家が入るだけでは上手くいかないのは(1)大きな組織ほどヒエラルキー構造が強く専門家の意見が反映されにくい、(2)リスコミを活用しようとする組織への変革が追いついていない、という理由が考えられます。そして現在のリスコミ人材の育成は、組織・現場のことをよく知る関係者のリスコミ能力を高める方向に進んでいます。
本文:リスコミの専門家を配置するだけではダメな理由
リスクコミュニケーション(以下、リスコミ)に関する2021年1月の定点観測記事の記事では、トップツイートの解析にて「政府のリスコミ専門家は一体何をしているのか?」という疑問を呈するものがトップに来ていました。
政府にリスコミの専門家を配置せよ、ということはコロナ発生前からなんらかのリスク問題が起こるたびさんざん言われてきましたし、コロナ発生後も当然そのような声が再度大きくなりました。例えば以下の記事でもありますし、コロナ専門家会議のメンバーからもリスコミの専門家を入れるよう要望がありました。
BuzzFeedNews:「同時に引き締めと励ましのメッセージを」 リスク・コミュニケーションの専門家が評価する日本の新型コロナ対応
その後、コロナ専門家会議の後継組織のコロナ分科会にはリスコミの専門家が入り、さらにかなりの時間が経過していますが、リスコミが改善したというような話はあまり聞きません。「政府にリスコミの専門家がいれば、、、」という声が「政府にリスコミの専門家がいるのになぜ、、、」という声に変わってきています。
また、リスコミの専門家を育成して、行政だけでなく企業なども積極的にこういう人材を採用すべき、という声もよく聞かれます。一方で、専門人材がいるのに活用されていないように見える、という声もやはり聞こえます。
本記事では、なぜリスコミの専門家が入るだけでは上手くいかないのか、ということについて考察をしてみます。
なぜ組織に専門家がいるだけではダメなのか?
基本的に組織はヒエラルキー構造を持ち、大きな組織ほどその構造は強まります。ヒエラルキー構造とは、一番上に経営陣がいて、その下に〇〇部、さらにその下に〇〇課、そのまた下に〇〇係という下に行くほど裾野が広がっていくピラミッド型の構造です。指揮命令系統は強力なトップダウン型になります。
一方で専門家というのは独立性が強く、トップダウン型のヒエラルキー構造とあまりなじみません。自由でイノベーティブな発想は独立性から生まれてきます。専門家が専門的知見をもって何か意見を言いたくても基本トップダウンなので、下から上に意見が上がりにくい構造です。
そのような構造の組織に専門家が採用されて放り込まれても、ほとんど何もできないことは想像に難くありません。リスコミの専門家が採用されたとしても、おそらくはリスク管理部あるいは広報部あたりに配属になり、普段は雑用、リスコミに関するイベントがあるときはロジ周りをやらされるだけ、いざ問題が起これば人も予算もない中で何とかしろ、と上から言われて後は放置されるのがオチでしょう。
位置づけとしてはヒエラルキーの最下層で、当然何かの決定権も何もありません。ましてや経営陣に専門的見地を指導する機会などあるはずもないのです。このように何の価値も提供できずにいるうちに、経営陣からは「アイツは一体何のために雇っているんだ?もっと人手の足りない部署に異動させろ」という意見がでてきて、何の関係もない部署に異動させられる、という最悪の結果が待っています。
さて一方で、コロナ分科会のような専門家組織は、直接の組織の従業員ではなく外部の専門家を集めた組織ですから、トップの直属に位置づけられ、ヒエラルキー構造の中に位置づくことはありません。この辺は直接雇用されているよりもだいぶマシです。ただし、専門家はアドバイザーの位置づけですから、その意見を聞くかどうかは政治家が判断する構造です。
コロナ分科会の脇田氏も、リスコミの専門家を入れてくれるよう要望した結果として専門家がメンバーに入ったが、大臣の会見を仕切っているわけでもなく、リスコミが改善したかどうかはわからない、と述べています。
DX推進の分野では専門人材の活用がどう議論されているのか?
リスコミの話題からはかなり変わりますが、DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉も最近よく聞くようになり、菅首相肝いりのデジタル庁が2021年度中に新設されようとしています。デジタル庁の職員としてIT人材を民間から多数採用するなど、景気の良い話も聞こえてきます。これも私としてはなんとなく同じ問題をはらんでいるように見えます。
DXの分野では、専門人材を雇用するだけではダメだといような議論がすでにかなりあるので、参考にしてみたいと思います。以下にいくつか例示します。
ハーバードビジネスレビュー:デジタルトランスフォーメーションを「専門家」に任せてはいけない
-> DXを外部から雇用したITの専門家に任せたところ、既存の事業と独立した形でデジタル化を進めた結果、既存の事業との整合性がとれずに大失敗。次にITに精通していないプロパーの幹部に任せたところ、デジタル化の勉強をしつつも、既存の事業をデジタル化することの有益性を示すことで社内のプロセスを変革させることに成功した、みたいな話です。
ハーバードビジネスレビュー:デジタルトランスフォーメーションを成功に導く人材の要件
-> DXの成功のためには、技術(IT)、データ(インフラ)、事業プロセスの変革、組織変革の4種類の専門家が必要。前者の専門家は後者の重要性を軽視しがちであるという話で、ITやデータの専門家だけではダメなようです。
しこうさくご:失敗事例に学ぶ、DXを成功に導くプロジェクト推進戦略とは?
-> DX推進の最大のボトルネックは人材育成ではなく組織にまつわるところにある、という話。DXはデジタル技術を活用して顧客に付加価値を与える、ということと、それができるような組織や文化を作り続けること、の二つの要素に分解でき、前者は専門家の仕事、後者は組織の幹部の仕事になるのでしょう。
他にも、私が詳しい人から聞いた話では、DXの付加価値(一体何のメリットがあるのか)がちゃんと示せていない、伝えきれていない、そもそも価値を高められていない、という点もボトルネックにあるようです。
付加価値をきちんと示せていない、ということはリスコミでも同じではないでしょうか。例えばコロナに関してイギリスのジョンソン首相やドイツのメルケル首相のスピーチが話題ですが、スピーチの上手さとコロナの感染拡大はあまり関係がないようにも見えるわけです。
また、安倍前首相が日本のリスコミは失敗していない、欧米と比べて感染を抑えられたと語っているように、そもそもトップ層が改善の必要性をあまり感じていないのではないでしょうか。リスコミを積極的に活用しようという組織としての土壌がない中に、専門家が放り込まれてもやっぱり能力を発揮するのは難しいかもしれません。
47NEWS:政権は新型コロナ「抑えた」 安倍晋三前首相インタビュー(1)
リスクコミュニケーションの人材育成はどこに進むべきか
さて、話が一旦DXの方にそれてしまいましたが、組織に専門家を配置するだけではなく、組織変革の重要性も示唆されました。そしてこの組織変革は専門家の仕事ではなく、組織に元々いる人たちの仕事です。
実は現在進んでいるリスコミの人材育成は、リスコミ専門家を育てることではありません。リスコミを「職業」ではなく、「職能」としてリスコミ能力を身に着けた人材の育成を目標としているのです。言い換えれば、少数の専門家を育てるのではなく、リスクに関わる全ての人が一定程度のリスコミの知識・技術を持つことが目標になっています。例えば以下のような資料から見ることができます。
文部科学省 科学技術・学術審議会 安全・安心科学技術及び社会連携委員会 (2014) リスクコミュニケーションの推進方策
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu2/064/houkoku/__icsFiles/afieldfile/2014/04/25/1347292_1.pdf
p13
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu2/064/houkoku/__icsFiles/afieldfile/2014/04/25/1347292_1.pdf
リスクコミュニケーションに特化した職業としての専門人材よりも、様々な職業分野においてリスクコミュニケーションの適切な実践能力を職能として身につけた人材を育成し、このような人材が社会の多様な場で活躍できるよう取組を進めていくことが適切である。
このことを踏まえた文部科学省のリスクコミュニケーション モデル形成事業では、例えば工場と地域住民のリスコミにおいて、リスコミの能力を持つ企業のプロパーの技術者養成のためのカリキュラムを開発したり、原発事故後の福島県におけるソーシャルサポートの担い手として保健師に的を絞り、保健師のリスコミ能力向上のための教育訓練などが行われました。このように、現場をよく知る人たちのリスコミ能力を高める、というのは少なくとも今の日本の現状では正しい方向ではないかと思います。
政府でも企業などでも、とにかく専門家を採用したり外部から呼び寄せたりするだけでは、組織変革まで成功させることは難しいでしょう。関係する人の多くがリスコミ能力を身に着けていくという長い道のりを経て、初めて組織変革を伴う大きな改善が見られるのではないでしょうか。
まとめ:リスコミの専門家を配置するだけではダメな理由
なぜ組織にリスコミの専門家が入るだけでは上手くいかないのか、ということについて考察しました。まず、大きな組織ほどヒエラルキー構造が強く、トップ層にいない専門家の意見が反映されにくいことがあります。DXの事例からは、専門家の雇用だけでなく組織そのものが変革しないと上手くいかないことが示唆されました。そして現在のリスコミ人材の育成は、職業としてのリスコミ専門家の育成ではなく、組織のこと・現場のことをよく知る関係者のリスコミ能力を高めて、リスコミを活用しようとする組織を作る方向に進んでいます。
補足
リスコミと近い分野に「ELSI」があり、用語もだいぶ広まってきました。大阪大学に最近設置されたELSIセンターによれば、ELSIとは「倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues)の頭文字をとったもので、エルシーと読まれています。新規科学技術を研究開発し、社会実装する際に生じうる、技術的課題以外のあらゆる課題を含みます。」とのことです。
新規技術の社会実装を進める際に、チームにELSI人材を含めて将来の社会受容性や炎上リスクなどを早いうちから議論することが重要と言われています。そこからさらに進んで、リスコミと同じように企業はELSIの専門家を雇用すれば炎上を防げる等とも言われていますが、やはり同じ問題をはらんでいると言えます。組織運営にELSI的側面を積極的に取り入れようという気運なしに専門家が放り込まれても、、、ということは容易に想像できます。
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