自発的なリスクと非自発的なリスクその2~1969年のスターの研究を読みとく~

ski-2 リスクコミュニケーション

要約

「自発的なリスクは非自発的なリスクよりも受容性が高い」という結果を示した古典である1969年に公表されたスターの研究を紹介します。論文の内容とともにその限界点も併せて紹介し、この限界を踏まえてリスク心理学がどのようなアプローチでリスク認知研究を進めたかという流れも示します。

本文:1969年のスターの研究を読みとく

自発的なリスクと非自発的なリスクについて考える記事の第2回になります。一般的に自発的なリスクは非自発的なリスクよりも受容性が高いと言われており、リスクコミュニケーションの際には注意すべき点とされています。第1回では、自発的なリスクと非自発的なリスクの線引き問題について解説しました。

自発的なリスクと非自発的なリスクその1~線引きすることの是非~
一般的に自発的なリスクは非自発的なリスクよりも受容性が高いと言われていますが、自発的・非自発的なリスクという区分自体がそもそもあいまいなものであり、区分自体が過剰な自己責任論を引き起こし、自発的で高いリスクを許容している現状を肯定することにもつながることについて解説します。

自発的・非自発的なリスクという区分自体がそもそもあいまいなものです。また、自発的なリスクの結果として健康を害したりケガをした場合に自己責任だから助ける必要はない、などの過剰な自己責任論を引き起こす可能性があります。さらに、自発的で高いリスクを許容している現状を肯定することにもつながるため、自発的・非自発的という区分自体がよくないかもしれません。

第2回では、「自発的なリスクは非自発的なリスクよりも受容性が高い」という結果を示した古典である1969年のスターの研究を紹介します。

Chauncey Starr (1969) Social Benefit versus Technological Risk: What is our society willing to pay for safety?. Science, 165, 3899, 1232-1238

Handle Redirect

本記事では、まずスターの論文の内容を紹介し、次にスターの研究の限界点を紹介します。最後にスターの研究の限界を踏まえてリスク心理学がどのようなアプローチでリスク認知研究を進めたかという流れを紹介していきます。

スターの論文の紹介

スターは論文のサブタイトルにある通り、「私たちの社会は安全に対してどのくらい支払う意思があるか?」という問いを立てました。すなわち、「どの程度なら安全なのか?」を、リスクとベネフィットのバランスという定量的尺度で表現するアプローチを提案したわけです。

現状世の中に受け入れられているものは、リスクとベネフィットのバランスが取れているから受け入れられている(=安全であると認識されている)と仮定したのです。よってそれらのリスクとベネフィットを計算してやることで、安全の尺度を導けると考えたのですね。

リスクの単位として、ある要因に1時間関わった際に死亡する確率を使用しました。自動車の場合は、1.5人に1台の割合で自動車を所有し、1台が1年間で400時間使用するという条件で計算されています。スキーの場合は、スキー場に1日16500人が訪れ、1人1日5時間スキーを行い、1人が事故で死亡した、という情報から計算されています。喫煙の場合は非喫煙者と喫煙者の死亡率の比率から計算されています。

ベネフィットの単位として、1人が1年間に得られた利益をドルで計算しています。例えば自動車の場合は、自動車の運転によって1日1時間の時間を節約し、それは当時の給与水準と比較して5ドルの利益に相当すると計算されています。スキーの場合は、1人が1年間でスキー旅行に使う金額の平均に加えてスキーの装備に1人1年25ドルを費やすという情報から計算されています。喫煙の場合は年間の喫煙量とそのコストから計算されています。スキーと喫煙はそれに費やしたコストがそこから得られる利益と同等である、と仮定しています。

こんな風にいくつかのリスクとベネフィットをプロットすると以下の図のようになりました。自発的(voluntary)なリスクと非自発的(involuntary)なリスクでそれぞれ別々に横軸のベネフィットと縦軸のリスクの相関関係が得られています。

Starr
Chauncey Starr (1969) Social Benefit versus Technological Risk: What is our society willing to pay for safety?. Science, 165, 3899, 1232-1238

ここから以下のようなことがわかりました:
1.「自発的な」リスクは「非自発的な」リスクよりも1000倍程度受け入れられやすい(ベネフィットが同じならリスクが1000倍高くても受け入れられる)
2.病気による死亡のリスク(点線)は、非自発的なリスクの受け入れの上限となっている
3.得られるベネフィットが大きいほどリスクは受容されやすくなる。そして受け入れられるリスクの大きさはベネフィットの3乗に比例する
4.リスクの受容性は参加者数に反比例する(例えば自動車が普及するにつれて死亡率が下がっていく)。

このあたりの結論はいろいろなところで紹介されており、非常に有名となっています。自発的なリスクは非自発的なリスクよりも受け入れられやすいという言説はこれが源流です。

スターは論文の中で自発的なリスクと非自発的なリスクの特徴を解説しています。これによると、自発的なリスクは個人の価値観が迅速に反映され、分析に基づいたものではないがそれぞれの個人によるリスク・ベネフィットの最適化の結果である、とみなしています。一方で、非自発的なリスクは個人ではなく社会の権威などが決めることであるため、フィードバックが遅くリスク・ベネフィットが最適化されていない、とみなしています。

もう一つ、世間ではあまり紹介されていませんが、スターの論文では原子力発電所の安全基準についても解析しています。これも非常に興味深い結果です。

まず、原子力発電は石炭火力発電と同程度のリスクであるべきと仮定します。石炭火力発電のリスクは感電死、電力による火災の死者、石炭の炭鉱での死者、大気汚染による死者数から算出されており、これが10万人あたりの年間死者数0.4人となります(単位は本ブログのリスク比較で使う死亡率に合わせています)。

原発事故ではがんによって10万人に1人が死亡するとみなすと、3年に1度事故を起こしても10万人あたりの年間死者数0.33人となり、石炭火力発電のリスクを下回ります。ところが、3年に1度も事故を起こしていては原発は経済的に成り立ちません。実際には経済的に成り立たせるために100年に1度くらいの事故発生率を目指すので、リスクは10万人あたりの年間死者数0.01人程度になります。これはリスクの受容レベルよりもかなり低いよね、と結論しています。

スターは原子力エネルギーの専門家でもあったため、やはり原子力発電の受容レベルはどこにあるのか?ということを念頭にこのような研究を行ったのではないかと推測されます。

スターの研究の限界

このように自発的なリスクと非自発的なリスクの受容の関係を示したスターの研究は非常に有名ですが、よく見ていくと疑問に思う部分もあります。

上記の図においては、いくつかのリスク要因がプロットされていますが、自発的・非自発的の線引きをどのように行ったのかは明確ではありません。自動車は自発的なリスクの曲線と非自発的なリスクの曲線の間にあり、どちらともつきません。

自動車を非自発的なリスクからはずした場合、非自発的なリスクは自然災害と電力の二つしかないことになります。2点しかデータがないのにどのようにこの曲線が導かれるのでしょうか?論文にはこの辺のことは書かれていません。

そのように考えると、上記で書いた1~3の結論はちょっとアヤしいものに思えてきます。

そもそもスターの研究は「どの程度なら安全なのか?」を、リスクとベネフィットのバランスという定量的尺度で表現するアプローチを提案したものです。このアプローチにこそ評価のポイントがあると考えられます。

結果的に自発的なリスクと非自発的なリスクの受容性の違いが確認されたものの、その結論はデータから見るにあまり強いものではないでしょう。スターの研究から自発的なリスクと非自発的なリスクの受容性の違いを主張するのは慎重になったほうがよさそうです。

一方でリスク心理学の方面からスターの研究をみると、社会で活用されているものは「受け入れられている」という仮定に疑問が付けられます。原子力発電は社会として活用されているものの、個人個人では強い反発を持つ人もいます。つまり、本当に受け入れているのかどうかを尋ねたわけではないところに限界があると考えられたのです。

スターの研究からリスク心理学へ

スターの研究の限界を受けて、リスク心理学の分野では、個人個人にリスクやベネフィットの大きさ、リスクの受容性について尋ねることでそれらの関係を解析する、というリスク認知心理学が発展していくのです。

このあたりの流れはリスク心理学の第一人者である中谷内一也氏(現同志社大学教授)による以下の書籍(第4章 リスクは心の中でどうかたちづくられるか)に詳しく書かれています。

中谷内一也 (2003) 環境リスク心理学. ナカニシヤ出版

環境リスク心理学
環境リスク心理学

リスク心理学者として有名なフィッシュホフやスロビックらが行った初期の研究では、さまざまな活動や科学技術(スターの研究で取り上げた項目にさらに多数の項目を加えた)について、今よりどの程度安全なら受け入れられるか?を尋ねました。その結果、ほとんどの項目でよりリスクの低減が必要という回答が得られ、気持ちの上ではリスクを受け入れていないことがわかったのです特に原子力、タバコ、拳銃、農薬では大幅なリスク低減が望まれていました。

そして、どの程度リスク低減が必要か?という度合いと、9種類のリスクの性質との関係を調べたところ、恐ろしいもの、結果が重大なもの、突然の大惨事など、発生頻度が低いが一度起きると大きな影響を与えるものについて、より大きなリスク低減が必要と認識されていました。自発性についてもリスク低減の必要度合いと相関がありましたが、その相関は一度起きると大きな影響を与えるような性質よりも低かったのです。

また、リスクの性質に対する反応はバラバラというよりはそれぞれに相関があり、二つくらいのまとまりに分けられることがわかりました。一つめは技術的リスクで、自発性や新しさ、制御可能性などが関係しています。二つめは重大性で、発生頻度が低いが一度起きると大きな影響を与えるものです。つまり、自発的か否か、それ自体が重要というよりも、自発的と感じられる心理の背景にあるもっと広い心理的な因子が重要であることがわかったのです。

その後もこのような研究は発展し、リスク要因とリスクの性質それぞれさらに多数の項目を加えて研究が進められました。そうすると、リスク認知(人が考えるリスクの大きさ)は、「恐ろしさ」と「未知性」という2つの因子(リスクの性質のまとまり)で表現できることがわかりました。これが現在でも定番となっているスロビックのリスク認知マップです。

ここでは自発性は恐ろしさ因子に含まれる1つの性質に過ぎず、自発性が単独でリスク認知に影響しているというよりは、制御可能性や不平等性、大惨事の可能性などのほかの要素と組み合わせてリスク認知に影響していると考えられました。

このようにスターの研究からリスク心理学が発展してきたわけですが、現在でもスターの研究の影響は大きいようで、自発的・非自発的なリスクという区分がよく使われています。リスクとベネフィット、リスクの性質の関係を始めて示したスターの研究の功績は大きいのですが、その限界点やその後のリスク心理学の知見なども合わせて慎重に活用する必要があるでしょう。

まとめ:1969年のスターの研究を読みとく

スターの研究は(1)自発的なリスクは非自発的なリスクよりも受容性が1000倍高い、(2)病気による死亡のリスク(点線)は、非自発的なリスクの受け入れの上限である、(3)得られるベネフィットが大きいほどリスクは受容されやすくなる。そして受け入れられるリスクの大きさはベネフィットの3乗に比例する、(4)リスクの受容性は参加者数に反比例する(例えば自動車が普及するにつれて死亡率が下がっていく)、という結論を導きました。

ところがよくよくデータを見ていくと(1)~(3)の結論は微妙なもので、さらにスターの研究をベースに進められたリスク認知研究では、自発的かどうかは単独でリスクの受容性に影響しているわけではないこともわかりました。このような限界点やその後の研究も踏まえて、自発的・非自発的なリスクの区分とその受容性の話は慎重に扱うべきでしょう。

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