要約
リスクマネジメント文脈における(エンタープライズ・)リスクコミュニケーションは、組織内のコミュニケーション、ステークホルダー(組織外)とのリスクコミュニケーション、緊急事態におけるクライシスコミュニケーションを組み合わせたもので、リスク学文脈では取り扱わない組織内コミュニケーションを扱う点がユニークと言えます。
本文:リスクマネジメント文脈における「リスクコミュニケーション」
リスクマネジメントを勉強するシリーズの三回目となります。初回はリスク学の文脈における「リスク管理」とリスクマネジメントの文脈における「リスクマネジメント」の違いについて整理し、二回目はEnterprise Risk Management(ERM)についてまとめました。
三回目に取り上げる話題は「リスクコミュニケーション(以下リスコミ)」です。本ブログではリスコミについてsns等の動向をウォッチングしてきました。
そこで出てくるリスコミとはほとんどがコロナ対策関係をはじめ、放射線防護・化学物質・食品安全などのリスク学文脈のものであり、組織のリスクマネジメント文脈のものはあまり出てきませんでした。
そんな風向きが少し変わり始めたのが2020年7月に「日本リスクコミュニケーション協会」が新設されてからです。これはリスク学文脈のリスコミではなく組織のリスクマネジメント文脈でのリスコミを扱う団体だったのです。
さらに2021年に入ってからはリスクマネジメント文脈でのリスコミで「エンタープライズ・リスクコミュニケーション」という用語を見かけるようになりました。前回の記事でまとめた「エンタープライズ・リスクマネジメント」になにか関係ありそうですね。前述の日本リスクコミュニケーション協会の代表である大杉春子氏がよくこの用語を使っています。
ざくっと見た印象では、リスクマネジメントに関する組織内のコミュニケーション、ステークホルダー(組織外)とのリスクコミュニケーション、緊急事態におけるクライシスコミュニケーションを組み合わせたもので、クライシスコミュニケーションの比重が高めのように感じました。
本記事では、組織内のリスクコミュニケーション、ステークホルダー(組織外)とのリスクコミュニケーション、緊急事態におけるクライシスコミュニケーションの3つに分けて、リスク学文脈とリスクマネジメント文脈の違いに注目しつつ整理しました。
組織内リスクコミュニケーション
リスク学文脈ではリスコミの中で組織内コミュニケーションを取り上げるということは見たことがありません。通常リスコミといえば政府・自治体と国民・住民との対話、工場や原発などのリスク源となる可能性のある施設と周辺住民との対話、もう少し広げれば医師などの医療的な支援者と患者などの被支援者との対話などがメインとなります。
一方でリスクマネジメント文脈では組織内コミュニケーションがより重視されていると言えます。ポイントとしては以下の3つがあります:
1.使用する言語(用語)や認識の共通化
2.悪い報告ほど迅速に報告するシステム
3.リスク分析の文書化&職員教育
1番目について、リスクマネジメントでは概念から用語まで聞きなれないものが多いので、まずはそれを組織内で共有することが重要です。リスクに対する認識も重要で、これはまず組織のトップの認識が変わらなければどうにもならず、トップが強いメッセージを発することで認識が組織内に共有化されます。
2番目について、最近は心理的安全性の確保という言葉で語られることが多くなっています。成果を出しているチームでは、懸念・失敗・ミスなどの発言や報告がためらわずにできてたくさんミスが挙がってくる、という研究成果がもとになっているようです。良い報告だけを重視し、悪い報告をした人を罰するようなシステムではトップに悪い情報が届かずに、リスクの顕在化を防げなくなります。
トップがリスクの対応でとんちんかんなことばっかり言っている状況では、トップがバカだというよりは悪い情報が伝わっていないことが原因かもしれませんね(現在のコロナ対応のように)。リスク学文脈でももっとこの辺に注目しても良いかもしれないと思います。
3番目について、(エンタープライズ)リスクマネジメントは担当部署のみならず経営層から末端の職員まで全員が担うものですので、リスク分析結果や対応方針の文書化&職員教育が必要になります。
前述の大杉春子氏による記事でも詳しく書かれています。リスク対策.comの連載では第1回、第3回、第6回が組織内コミュニケーションの話ですね。
日経ビジネス:あなたの会社が挑戦できない意外な理由
リスク対策.com:組織の生産性を上げるエンタープライズ・リスクコミュニケーション
(組織外との)リスクコミュニケーション
リスク学文脈においては、第1回で書いたように、リスク評価-リスク管理-リスクコミュニケーションという三位一体論が語られます。このような文脈でのリスコミについては当ブログでも記事を多数書いてきています。
ここでのポイントとして以下の4点を挙げておきます:
1.リスクコミュニケーションとは、ある特定のリスクについて関係者間(ステークホルダー)で情報を共有したり、対話や意見交換を通じて意思の疎通をしたりすること
2.関係者間の相互理解を深めたり、信頼関係を構築したりすることが目的
3.一方的な情報提供ではなく、双方向的
4.リスクコミュニケーションは説得のためのツールではない、炎上案件の火消し法でもない
一方で、リスクマネジメント文脈におけるリスコミとはどのようなものかを整理してみると、基本的には上記4つのポイントがほぼそのままあてはまるように思います。
「ステークホルダーに対してリスクが小さいことを説明することではなく、リスクとして認識している情報を共有することによりステークホルダーからの意見や考えを収集してリスクマネジメントを改善すること(リスクマネジメント協会 リスクマネジメント基礎講座)」という説明がありましたので、ほぼリスク学文脈の用法と変わらないと考えてよいでしょう。
特に説明を追加すると、以下のようなポイントを挙げられるでしょう:
・ステークホルダーとの間で共に考えていくというプロセスが重要
・分析の途中であっても情報を公開し、人々の疑問や要求に応えながらステークホルダーとの理解を共有して関係性を築く
・科学的な合理性のみならず、人々がどう生活し、どのようにリスクを捉え、どう行動するかという価値観を考慮する
・科学的に評価されたリスクの大きさだけではなく、信頼性・管理・公平性などの関心事に応える
・消費者からのクレームをもとに新商品を開発したり、風評防止のために組織的に疑問に回答したりして、「攻めの」コミュニケーションをとる
このように、リスコミによってリスクマネジメントに必要な情報を得ていく、という部分が重要ではないでしょうか。上記のリスク対策.comの連載では第4回に価値観の変化に対応する話がでてきます。
クライシスコミュニケーション
クライシスコミュニケーションはリスクコミュニケーションよりも歴史が古いとされています。リスク学文脈では「緊急時のリスクコミュニケーション」と呼ばれることもありますが、どちらも同様の意味です。
大きなものでは2001年のアメリカの911同時多発テロ事件、2011年の東日本大震災とそれに伴う原発事故、そして2020年からの新型コロナウイルスによるパンデミックなどでのコミュニケーションが該当するでしょう。もう少し小さい規模のものではタンカーからの原油流出事故、工場の爆発事故、放射性物質の漏れ、などがあります。この辺を扱うリスク学文脈でもクライシスコミュニケーションは非常に重要な位置づけになります。
組織のリスクマネジメント文脈では不祥事や事故への対応が主になります。基本的にはリスク学文脈とポイントは同じと考えてよいでしょう。
クライシスコミュニケーションの失敗事例として、2000年に起きた雪印食中毒事件の際の社長による「私は寝てないんだ!」発言はあまりにも有名です。
「私は寝てないんだ」
雪印乳業の大阪工場で製造された低脂肪乳による食中毒事件で、2000年7月4日の記者会見の後に、エレベーターに乗り込もうとした同社の石川哲郎社長が、会見の延長を求めるマスコミに対して行った発言。これに対して、記者が「こっちだって寝ていないですよ」と言い返す場面が、テレビで繰り返し放映されて、雪印批判に拍車が掛かった。同社は6月29日に食中毒を公表して以来、数度にわたって記者会見を開いたが、製品の汚染の実態や衛生管理、製造工程などについての説明が二転三転。結局、石川社長は先の発言から2日後に辞任を表明した。
犯罪被害の際の対応も一歩間違うと大きなダメージをもたらします。製品への異物混入などの被害にあった場合の経営者の「こっちも被害者なんだ!」みたいな逆ギレ発言が炎上するなどが想定されます。これもクライシスコミュニケーションの失敗と言えますね。
これもポイントとしては以下の4つが挙げられます:
1.内部告発や顧客の発信よりも先に情報公開する
2.エスカレーションルール(緊急時の内部報告ルール)をあらかじめ決めておく
3.危機発生前に組織内外のコミュニケーションの準備・計画・訓練を行う
4.詳細さよりも迅速性を重視する(誤報でも報告者を罰しない)
1番目について、snsなどで商品の購入者やサービスのユーザーがまず「こんなことがあった!(怒)」などと書き込んでそこから炎上が始まるパターンが多いのですが、その前に企業の方から「こんなミスをしてしまい申し訳ありません」などの正直な情報発信をした方がダメージを最小限に抑えられるとされています。先に公表されてしまうとニュース性がなくなるのでマスコミにも深堀りされなくなります。
2番目について、組織内部でどんな場合にどこまで報告するか、どんな場合に誰が責任者となって対応を決めるか、をあらかじめ決めておくということです。これができていないと1番目のような迅速な対応ができないのですね。
3番目について、これも2番目と同じでどんな場合にどのように組織内外への報告をするか、マスコミ対応などのマニュアルを作って練習しておく、などの事前準備が重要という話になります。
4番目について、とにかく迅速性が重要なので、間違っていても良いので報告を挙げること、間違っていても報告者を罰しないこと、情報がなくても「情報がない」ということを報告すること、を意識することです。マスコミなどに先手を打たれてしまうのが一番マズイということです。
リスク対策.comの連載では第2回と第7回がクライシスコミュニケーションの内容で、いずれも平時からの入念な事前準備なしに危機対応はできない、という話でした。
また、日本リスクコミュニケーション協会が実施するリスクコミュニケーション技能認定第一種講座では、危機管理広報やメディア対応、snsの炎上対応などがカリキュラムに入ってますね。
まとめ:リスクマネジメント文脈における「リスクコミュニケーション」
リスクマネジメント文脈における(エンタープライズ・)リスクコミュニケーションは、組織内のコミュニケーション、ステークホルダー(組織外)とのリスクコミュニケーション、緊急事態におけるクライシスコミュニケーションを組み合わせたもので、クライシスコミュニケーション(危機管理広報)の比重が高めになっています。組織内コミュニケーションはリスク学文脈ではほとんど扱いませんが、組織外リスコミとクライシスコミュニケーションはリスク学文脈でもリスクマネジメント文脈でもほぼ同様の特徴を持っています。
リスクマネジメントシリーズはあと二回くらい書く予定です。次回はリスクマネジメント文脈における「リスク評価」について書いていきます。
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