要約
リスクと健康・幸福の関係を見るために、肉体的なリスクだけではなく精神的・社会経済的なリスクも含めて統計データを整理しました。私たち日本人はより健康になり、より安全な社会に暮らし、より経済的に豊かになっているのに、暮らしはより悪い方向に向かっていると感じています。これは大きなパラドックスです。
本文:日本の統計からみるリスクと幸福
今回はまず、いくつかの指標の経年変化を示した図を見ることから始めます。結構インパクトのある図です。
Aは健康の指標として平均寿命(データは厚生労働省 生命表)を示しています。戦後に一気に上昇し、その後も右肩上がりに上昇しています。
Bは安全の指標として他殺による死者数(データは厚生労働省 殺人事件被害者数)を示しています。戦後の1950年代にピークとなりましたが、その後はずっと下がり続けています。
Cは豊かさの指標として、一人あたりGDP(国内総生産、名目・ドルベース、データはOECD)を示しています。これもリーマンショック時に下がっている以外は基本的にずっと上昇しています。
Dは主観的な生活満足度の指標として、暮らしが良い方法に向かっていると回答した割合(データは内閣府 国民生活選好度調査)を示しています。バブル経済のころにピークをむかえましたが、その後は減少傾向にあります。2011年ではなんと14.3%という低水準でした。この調査は2011年で終了しているようなので、その後の推移はわかりません(もったいない!)。
私たち日本人はより健康になり、より安全な社会に暮らし、より経済的に豊かになっているのに、暮らしはより悪い方向に向かっていると感じています。つまりさまざまなリスクが下がっているのに幸福ではなくなっているようです。これは大きなパラドックスと言えるのではないでしょうか。
リスクを考えるうえでもこれはあまり良い傾向であるとは思えません。そこで、リスクと幸福がどのような関係になっているのかについて、いくつかのシリーズとして記事を書いていきたいと思います。第1回目はもうだいぶ出してしまいましたが日本の各種公式統計からリスクや幸福を考えてみます。
リスク・健康・幸福の関係性
世界保健機関(WHO)の憲章によると、健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。
これって「健康」というよりはむしろ「幸福」のイメージに近くはないでしょうか?肉体的な健康状態に問題がなく、精神的にも安定していて生活に満足しており、安定した職業について家族や友人にも恵まれていたら十分幸せですよね。つまり健康≒幸福と考えることができそうです。
とりあえずこの「健康の定義」に従うならば、健康を達成するためには直接的に健康に影響を与えているリスクのみならず、社会や経済的なリスクについても適切に管理されていないといけません。また、生活満足度が低い状態は精神的に満たされていない状態ですので、これも何とかしないといけませんね。この辺はリスクコミュニケーションとも関係がありそうです。
次から肉体的、社会的なリスクの指標となる統計データを見ていき、最後に精神的な側面に関係する統計も見ていきます。
リスクの指標の推移
健康(肉体的な)リスクの指標として平均寿命はすでに示した通りですが、さらに主要な死因による死亡率のトレンドを見ていきましょう。データはいつもの通り厚生労働省の人口動態調査です。ここでは経年変化をわかりやすくするため、高齢化による死亡率の上昇を調整した年齢調整死亡率(昭和60年モデル人口ベース)を以下に示します(ただし男性のみ。女性もほぼ同様のトレンド)。
戦後に最も大きく減少したのは結核などの感染症です。3大生活習慣病であるがん、脳血管疾患、心疾患も一時上昇したものの現在は減少傾向にあります。不慮の事故は災害による死者を含むため、大震災があった1995年と2011年などを除いては減少傾向にあります。事故の中でも交通事故については近年の減少が著しいことがわかります。自殺に関しては大きなトレンドがありませんが、バブル期終盤の1990年に最も低い数字を記録しています。
次に、社会経済的リスクの指標として失業率(データは総務省 労働力調査)、貧困率(データは厚生労働省 国民生活基礎調査)、ジニ係数(データは厚生労働省 所得再分配調査)の3つを見ていきましょう。
収入の安定に関係する指標として、Aに示す失業率があります。失業率は戦後長らく5%以下の低い水準が続いてきました。その後、ITバブルの崩壊後の2002年やリーマンショック後の2009年に5%を超えるピークを示しました。さらにその後は緩やかに減少しています。
国としての豊かさを示すGDPがいくら大きくても、格差が大きければ健康・幸福ではありません。精神的な安定には他人との比較が常に付きまとうからです。Bの相対的貧困率は国内の所得格差に注目したもので、等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割ったもの)の中央値の半分未満の世帯員の割合として計算されます。1985年から経年的に上昇傾向にあり、2015年では15.6%となっています。特に子供がいる世帯で母子家庭など大人が一人しかいない場合の貧困率は50%を超える水準になっています。家族に恵まれているかどうかは健康・幸福に大きく関わっていると言えますね。
もうひとつ所得格差に注目する指標としてCのジニ係数があります。これは、0から1の範囲で値が大きいほどその集団における所得格差が大きい状態となります。当初所得ベースのジニ係数は上昇傾向にあり、2014年では0.482となっています。ただし、社会福祉などによる再分配後の所得ベースでは2014年では0.308となり、こちらは逆に減少傾向にあります。確実に格差が広がってきていることと、税金による再分配の制度が非常に重要なことを示しているグラフですね。
日本人は精神的に満たされているのか?
内閣府の国民選好度調査から精神的な満足度を見ていきましょう。まず、2011年の個人の幸福感は10点満点評価の平均値で6.4という結果でした。これは主観的な幸福度を0から10までの11段階で答えてもらうものです。この幸福感の判断に重視する事項として半数以上の人が挙げた項目は、家計の状況・健康状況・家族関係・精神的なゆとりの4つでした。つまり、肉体的な健康状態に問題がなく、収入が安定しており、家族に恵まれ、ストレスのない毎日を過ごしていると幸福になるわけです。やはりWHOの健康の定義とほとんと同じになりますね。
ここで家族関係について注目してみます。国勢調査によると、30年ほど前から生涯未婚率が急激に上昇しており、晩婚化・未婚化による単身世帯が増加しています。これは幸福にとってはマイナス影響になるでしょう。
また、この調査では幸福感を高めるための手立てとして、以下のような回答が挙げられています。
(1)自身の努力
(2)企業による行動:給料の安定
(3)政府が目指すべき目標:公平で安心できる年金制度の構築と社会の目標として安全・安心に暮らせる社会
現在の状況というよりも将来に対する不安が大きく、「安定」というのが一つのキーワードになっていることがわかります。非正規雇用者の割合はこの30年で倍に増加しており、雇用の安定が失われてきたことは幸福にとってマイナス影響になります。さらに非正規就業者は正規就業者よりも未婚率が高いなど、相互的な影響もあります。
まとめ:日本の統計からみるリスクと幸福
私たち日本人はより健康になり、より安全な社会に暮らし、より経済的に豊かになっているのに、暮らしはより悪い方向に向かっていると感じています。これは大きなパラドックスです。健康とはWHOによると肉体的・精神的・社会的にすべてが満たされた状態であり、幸福と同様の概念となっています。そこで、肉体的なリスクだけではなく精神的・社会経済的なリスクも含めて統計データを整理しました。肉体的なリスクは下がってきていますが、社会の格差が広がっていること、未婚化が進んでいること、雇用が不安定化して将来にわたる不安があることなどが幸福のマイナス要因として考えられます。
次回はOECDが測定している幸福度指標とリスクの関係について紹介していきます。
補足
本記事はリスク学事典の1-4「私たちを取り巻くリスク(1):マクロ統計からみるリスク」の一部をベースに、各データの推移を示す詳細な図表を加え、幸福の観点を加えて書き直したものです。本当は事典のほうにもこれらの図表を掲載したかったのですが、紙面の都合でボツになりました。
コメント