公衆衛生か個人の自由か?その2:皆にPCR検査を受けさせるべきかどうかは価値観の対立である

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要約

国民全体の健康のために〇〇すべきという公衆衛生的な視点と個人の自由には価値観の対立が存在します。コロナウイルスのPCR検査についても、無症状の方への検査は推奨されないという公衆衛生的な視点と、検査を受けて安心したいという個人の視点があり、これも価値観の対立であると考えられます。

本文:PCR検査に関する価値観の対立

健康のために、たばこ・酒をやめろ、食塩を減らせ、野菜・果物を食べろ、やせろ、運動しろ、などのメッセージは身の回りにあふれかえっています。これらの行動でがんなどの生活習慣病を予防してより健康になることは高いエビデンスがあります。

ただし、生活習慣や何を食べるかは個人の自由でもあり、どこまでそれを制限してよいかの線引きは難しいものがあるのです。これが前回の記事でコロナ相談・受診目安(37.5度以上が4日間続く)を題材に書いたパターナリズムの問題です。

公衆衛生か個人の自由か?その1:コロナ相談・受診の目安(37.5度以上が4日間続く)のからくり
コロナ相談・受診の目安(37.5度以上が4日間続く)は、医療崩壊を防ぐために設定された基準ですが、一方で個人の自由を制限するというジレンマもあります。この基準がどのように誕生して、その後どのよう消えたのかについて調べました。公衆衛生か個人の自由かという議論は明示的にはありませんでした。

コロナウイルス対策におけるPCR検査についても、このような問題がずっと議論されてきました。検査を受けて安心したいのに受けさせてもらえない、などの不満があったのです。そのような要望に応えるような検査キットは最初楽天から出てきて消えましたが、その後も続々と出てきています。例えば最近でも以下のようなものがありました。

<株式会社サンドラッグ>弊社通信販売 e-shop 本店にて新型コロナウイルス PCR 検査サービスキット販売のお知らせhttps://www.sundrug.co.jp/news/PCR%E6%A4%9C%E6%9F%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%88%E8%B2%A9%E5%A3%B22.pdf

現在、新型コロナウイルス感染拡大の収束が見えない状況下で、お客様の不安を少しでも和らげるツールとして、簡単にご利用いただける PCR 検査サービスキットです。

このあたりの論点を整理するために、本記事ではコロナの検査をやみくもに行うことの問題点と、検査を受けたい個人の事情をまとめてみます。最後に、福島県における甲状腺がんの過剰診断の問題点と合わせて公衆衛生か個人の自由かの対立を考えます。

コロナの検査をやみくもに行うことの問題点

コロナの検査をやみくもに行うことの問題点についてはすでに論点は出尽くしており、本ブログにおいても書いてきました(下の補足にリンクを貼っておきます)。コロナ専門家有志の会による以下の記事が最もわかりやすそうです。

無症状の方にPCR検査を拡大することの問題は?|コロナ専門家有志の会 | COVID-PAGE
専門家有志の会の中島です。 PCR検査の対象を無症状の市民にも拡大すべきとの声をよく聞きます。 しかし、感染症の危機管理の立場からすると、このアイデアには多くの問題があります。ここでは、感染防止対策と検査の考え方について、ぜひ知ってもらいたいポイントをお伝えします。 (本記事は、...

まず、無症状者を二つにわけることが重要です:a 無症状だが、感染者と濃厚接触した、集団感染が起きそうな環境に身を置いていたなど感染の確率が高い方、b 無症状で、特に濃厚接触などしておらず、感染の確率が低い方

このうちbについては、検査による感染予防効果は高くない、陽性だから人にうつすとは限らない、偽陽性で感染していないのに隔離される、感染しているのに陰性となる人が3割程度いる、などの問題点が挙げられています。

もっと詳しい解説は以下の記事にあります。

「PCR検査・隔離」の膨張が引き起こす現実の問題
――無症状者への検査拡大で最近は実際に問題が生じているそうですね。参考になる例を1つ紹介する。新型コロナに感染した人の濃厚接触者を調査したところ、1人の無症状の小学生が陽性と判断され、その結果、学校が…

「陽性≠人にうつす」なのに安易な隔離が行われている、子供に関しては特に差別の影響が大きい、妊婦全員検査による安易な帝王切開の横行、検査の量・スピードが優先されて質の担保が伴っていない、陰性証明を受けた人が安心してしまいそこから感染が拡大している、などいろいろ具体的な問題点が指摘されています。

最近の動向としては、体操の内村選手の偽陽性問題があります。

<東京新聞>東京五輪に向け、PCR検査に新たな課題「偽陽性」 体操の内村航平 8日開幕の国際大会出場へ

東京五輪に向け、PCR検査に新たな課題「偽陽性」 体操の内村航平 8日開幕の国際大会出場へ:東京新聞デジタル
東京五輪の開催に欠かせない新型コロナウイルスのPCR検査を巡り、新たな課題が持ち上がった。8日に東京で開かれる体操の国際大会に出場する...

 「今回は新たに『偽陽性』という課題への対応に直面した」。国際体操連盟(FIG)の渡辺守成会長は10月31日、問題を受けた声明で検査の難しさをにじませた。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/67048

偽陽性の問題は最初から大きな問題であると専門家は皆声を大にしてきました。いまさら「新たな課題」と言われるとガックリですね。基本的に陰性になることを前提として検査しており、陽性が出た場合にどうするのかを何も考えていないのが問題なわけです。陰性が出るまで検査し続ける、というもの問題ですね。これは内村選手のような特別な人にだけに許され、普通の人がやってもらえることではないので、不公平感が大きくなると思われます(上級国民論争による社会の分断)。

これは実は化学物質の分析でも全く同じ構造で、何も考えずに分析を続けて「基準値を超えちゃいました、どうしたらいいでしょう?」みたいになってしまうのです。

コロナの検査を受けたい個人の事情

これも最近の動向として、政府のコロナ対策分科会が(感染確率が低い)無症状者の検査は「推奨されない」が「社会経済に資する」という見解を出したことがあります。

令和2年10月29日 新型コロナウイルス感染症対策分科会(第13回)
検査体制の基本的な考え・戦略(第2版)https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/bunkakai/kensa_senryaku_13.pdf

検査実施のメリットと考えられている点
・感染していることを自覚していなかった感染者を明らかにし、適切な感染防止策を講じることにより、2次感染を防止する。
・健康状態を正しく知りたいという希望に応える。
・不安を持つ受検者に「安心感」を与える:陰性であった場合、その時点でウイルスに感染している可能性が低いことを示す。
・海外渡航、興行などにおいて受検者がその時点では陰性であるという検査結果を提示することにより、社会経済活動に資すると期待できる。

尾身会長はコロナ分科会後の会見にて、最後の点は是非入れてくれということで入れたと話しています(誰が入れてくれと言ったのかはわかりませんが)。

YouTube
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無症状でもコロナの検査を受けたい個人の事情として3つ挙げてみました
・海外渡航前にPCRの陰性証明が必要な国が多い
・大規模イベントなどの実施
・職場から求められる(注)

いずれも感染予防的にはあまり意味がないのですが、検査を受けたい個人からすると重要な問題であったりします。長年の夢だった海外勤務や留学にようやく行けるようになった、一生に一度の重要なイベント(オリンピックとか?)に何としてでも参加したい、陰性証明を提出しないとようやく就職できた職場をクビになりそう、などいずれも人生がかかっている状況があったりするわけです。

このような個人の状況を無視して、パターナリズム的にエビデンスがないから検査するな、と言われても、言われた側からすると、じゃあそれで壊される自分の夢を保証してくれるのか?と言いたくなります。

これはまさに価値観の対立と言えるものです。問題だと思うの点は、このような価値観の対立があるということそのものがこれまで明示的に示されることがなく、議論された形跡も見られないということなのです。

前回の記事にて書いた、相談・検査の目安(37.5度以上が4日間続く)が撤廃された経緯においても、撤廃を求める理由は「4日間待っている間に病状が悪化するかもしれない」というあくまでコロナ対策の範囲内の話でした。一方で、ここで書いた検査を受けたい人の事情はコロナ対策の範囲にとどまりません。皆にPCR検査を受けさせるべきかどうかという問題は、医学よりももっと広い視点で考えなければいけないようです。

(注)日本産業衛生学会の職域のための新型コロナウイルス感染症対策ガイド(8月11日第3版)では「医療機関には原則として「陰性証明書や治癒証明書」の発行を求めてはならない。」とはっきり書いてありますが、実際にはまだ求める例はあるようです。
https://www.sanei.or.jp/images/contents/416/COVID-19guide0811koukai.pdf

福島県における甲状腺がんの過剰診断の問題点から考える

がんという病気は早期診断・早期治療こそが重要というのがこれまでの常識でしたが、甲状腺がんは例外的に、放置しても一生患者に害を与えない若年型甲状腺がんが多いということがわかってきました。2011年の原発事故後に福島県で行われた大規模な甲状腺がんの検査によって、本来治療が必要なかったはずのがんを見つけてしまい、治療による健康被害とともにがん患者のレッテルを貼られてしまうという、過剰診断の問題が起こっています。以下の論文に詳しく解説されています。

高野徹 (2019) 福島の甲状腺がんの過剰診断―なぜ発生し,なぜ拡大したか―
日本リスク研究学会誌, 28, 67-76

福島の甲状腺がんの過剰診断―なぜ発生し,なぜ拡大したか―
J-STAGE

専門家から見て弊害のある検査であったとしても、やはり検査を受ける側からすると、検査でシロクロはっきりさせて安心したいという願望があります。例えばシロを証明しないと結婚にも影響が出るかもしれない、など本人にとっては人生がかかった重大なことであったりします。これを専門家が非科学的と切り捨てたところで、じゃあお前が結婚の世話まで責任取ってくれるのか?というようにすでに科学の問題ではなくなっていたりもするので、すれ違いが起こってしまいます。

これもコロナの検査と同様に価値観の対立であり、公衆衛生的なパターナリズムvs個人の自由の対立でもあるのです。

リスク学の専門家であれば様々なリスクを横串をさして見ることができるので、上記のような福島の問題とコロナの問題の共通点がすぐに思い浮かびます。これらは共通の問題として考えていく必要があるでしょう。

まとめ:PCR検査に関する価値観の対立

症状もなく感染者との接触歴もない(感染確率が低い)方が安心のために検査を受けることは少なくとも公衆衛生的には意味がないと思われます。ところが検査を受ける側から見ると、単に安心したいだけではなく人生がかかっていることもあります。このような価値観の対立は、福島県における甲状腺がんの過剰診断の問題とも共通点があります。このような価値観の対立という視点はあまりこれまで表に出てきていないように思います。

補足

PCR検査の問題点に関する過去記事は以下の二つがあります。

確率で書くとわかりにくいのでやめよう!その1:コロナウイルスのPCR検査で陽性がでたら感染している可能性は〇%か?
PCR検査は白か黒かをはっきりさせる確実なものではありません。偽陽性や偽陰性の問題がありますが、これを確率で表すととてもわかりにくいものになります。代わりに頻度で示すことによって理解しやすくなります。事例として検査で陽性が出た場合に本当にどれくらいの人が感染しているのか計算してみます。
職場でのコロナ対策は自粛が開けてからが本番。発熱等疑わしい症状から職場復帰するまで何日必要か?
発熱等コロナウイルス感染症を疑う症状があった場合、職場に復帰するには陰性証明をもらう必要はありません。症状後8日かつ症状消失後3日経過後という目安が示されています。これはコロナウイルスの感染力の持続性が根拠となっています。

私的な自由を尊重する立場であるリバタリアンと、人は放っておくと何をするかわからないから規制によって人々を正しい方向へ向かわせなければいけないという立場であるパターナリズムの妥協点として生まれたのが「ナッジ」です。以下の記事ではソーシャルディスタンスを例にナッジの解説をしています。

ソーシャルディスタンスのからくりその3:強制ではなく行動科学の知見を使ってそっと後押しする手法「ナッジ」
ソーシャルディスタンス対策として、スーパーのレジ前などの足跡マークなどはすでに日常的な光景となっています。これは強制ではなく行動科学の知見を使ってそっと後押しする手法「ナッジ」を活用したものです。

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