要約
PFOS・PFOAは最近になり日本で水道水や環境水での目標値・指針値(基準値的なもの)が50ng/Lと策定されました。一方世界各国では70~10000ng/Lまで幅があり、日本が世界一厳しくなっています。無影響とされる量や基準値を決める際の仮定の組み合わせによりこのような差が出てきます。
本文:PFOS・PFOAのリスクと基準値
私はこれまでに「基準値のからくり」という本を執筆するなど、基準値の設定等の安全に関する線引き問題に特に関心を持っています。本ブログでもソーシャルディスタンス2mの根拠、都道府県ごとの自粛解除基準、職場復帰まで何日自宅待機すればよいかの根拠などを取り上げてきました。
つい先日、有機フッ素化合物のPFOS(ピーフォス)・PFOA(ピーフォア)について国が決めた目標値を超えて検出されたとのニュースがありました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200612/k10012467461000.html
(2020年8月9日修正。リンク切れ)
このPFOS・PFOAの基準値超えがもたらすリスクについて二回に分けて書いていきたいと思います。その1は基準値の根拠についてです。
PFOS・PFOAとは?基準値はいくつか?
PFOSやPFOAという化学物質は有機フッ素化合物の一種ですが、それぞれ半導体や金属メッキ、フッ素コーティングなどに使用されてきました。かつては毒性が低くて安定な物質として重宝されてきましたが、環境中でも安定な性質のため長期間環境中に残留し、生物蓄積性もあることからいわゆるPOPS条約(残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約)により使用制限が課せられることになりました。国内ではPFOSが平成22年度に化審法の第1種特定化学物質に指定され、特定の用途を除き製造・輸入・使用等が禁止されています。
ところが、最近でも水質モニタリングで検出される状況が続いており、諸外国でも水中濃度の基準値を設定する動きがあることから日本でも検討が行われてきました。
水道水質のほうでは厚生労働省の令和元年度第2回水質基準逐次改正検討会(令和2年2月19日):
環境基準のほうでは環境省の中央環境審議会水環境部会(第49回)(令和2年5月26日):
先に水道水質のほうで暫定的な目標値ということでPFOS, PFOAそれぞれ合わせて50ng/L以下という値が決められました。その後環境基準のほうでも、要監視項目の暫定指針値として同じく50ng/Lと設定されました。
両者とも基準値よりもワンランク下の水質管理目標設定項目の目標値(水道)や要監視項目の指針値(環境水)としての扱いとなっていますが、ここでは用語としては基準値と同様のものとして扱います。
実はPFOS, PFOAそれぞれ合わせて50ng/Lという値は世界各国と比べると日本が一番厳しくなっており、そのことに非常に驚きました。なぜ日本の基準値が世界で一番厳しいのか、そのからくりに迫ってみることにします。
PFOS・PFOAの基準値の根拠
基準値の設定の仕方はいくつか考え方がありますが、PFOS・PFOAの場合は「無毒性換算型」になります。まず人体に対して無毒性(無影響)と想定される量を設定し、その量を超えないように水中の濃度基準を換算します。ニュースでは発がん性について触れられているものもありますが、日本はじめ世界各国でも発がん性物質としての基準値設定ではありません。
厚労省の検討会資料(https://www.mhlw.go.jp/content/10901000/000597714.pdf)から有害性評価を見ていきます。自前で評価を行ったというよりは各国の有害性評価の結果をレビューして、そこから値を借りてきたということのようです。一般的な有害性評価では、動物実験から得られた無影響用量(NOAEL)を不確実係数(UF, 一般的には種差10×個体差10=100)を割って耐容一日摂取量(TDI)とします。
このあたりのざっくりとした説明は以下の資料をご覧ください:
ニュース農業と環境 リスクって何?安全って何?https://www.naro.affrc.go.jp/publicity_report/publication/files/no113_3.pdf
最近では単純にマウスやラットとヒトの種差としてUF10を適用するのではなく、PBPKモデル(Physiologically based pharmacokinetic model)でマウスとヒトの体内動態を補正するようなやり方が使われているようです。UF10を体内動態の差3.2×感受性の差3.2に分割するような考え方です(ときには2.5×4だったり、いろいろややこしい。。)。
結局のところ、各国のTDI等の数字のうちで最も低い値を選んだとのことです(以下引用)。
近年のリスク評価として、カナダ(Health Canada)(2018)、欧州食品安全機関(EFSA)(2018)、オーストラリア(FSANZ)(2017)及び米国(USEPA)(2016)における有害性評価値(TDI 又はRfD)を確認し、妥当と考えられるものの中から、安全側の観点より最も低いものを採用する。
各国・機関の有害性評価値のレビューの結果(p28,別紙5)、TDI として、PFOS については20ng/kg/day(オーストラリアのTDI 及び米国のRfD)を、PFOA についても20ng/kg/day(米国のRfD)を採用する。
ただし、実際は欧州EFSAの評価値が最も低いのですが、これはコレステロール値の上昇がエンドポイント(これが起こってはいけないという状態)となっており、何かしら体への悪影響が発生する以前の状態であることから、この値は採用しない(安全側すぎる)ということです。まあ、バイオマーカーレベルの影響ということで通常はあまり使われないと思います(ほかの物質で使っている例もあるのでこれもややこしいのですが。。)。EFSAの値を除いて「最も低い値をとる必要性」については特に言及が見つかりませんでした。私としては単に安全側の値をとったという以外に説明が欲しかったと思います。
さて、TDIが20ng/kg/dayと決まればあとはわりと機械的に基準値案を算出できます(これも上記ニュース農業と環境の資料をご覧ください):
TDI (ng/kg/day)×体重 (kg)×寄与率/水の摂取量 (L/day) = 基準値 ng/L
体重50kgの人が一日に2Lの水を飲み、水道水由来の曝露の寄与率が10%(他は大気や食品経由など)と仮定して計算します。こういう数字を曝露係数といいます:
20 (ng/kg/day)×50 (kg)×0.1/2 (L/day) = 50 ng/L
算出された50ng/LはPFOSとPFOAの濃度の合計値です。
なぜ日本のPFOS・PFOAの基準値は世界で最も低い(厳しい)のか?
上記厚労省の資料7ページから諸外国の基準値(的なもの)をリストを示します。これを見ると日本の50ng/Lが最も厳しい値になっていることがわかります(米国の州レベルでは日本よりも低い基準値を設定しているところもあるようです)。この違いは一体何が原因なのでしょうか?
まずTDIの値が違うのかも知れません。あるいは曝露係数(体重、寄与率、水の摂取量)かもしれません。これらの情報をまとめて表にしてみました。厚労省の資料で不足する情報は厚労省の追加資料(https://www.mhlw.go.jp/content/10901000/000597721.pdf)と環境省の資料(http://www.env.go.jp/press/files/jp/113983.pdf)から埋めました。ただし、イタリアとスウェーデンの情報はわかりませんでした。
TDI ng/kg/day | 体重 kg | 寄与率 | 水摂取量 L | 基準値案 ng/L | |
日本 | 20 | 50 | 0.1 | 2 | 50 |
カナダPFOS | 60 | 70 | 0.2 | 1.5 | 560 |
カナダPFOA | 21 | 70 | 0.2 | 1.5 | 196 |
オーストラリアPFOS | 20 | 70 | 0.1 | 2 | 70 |
オーストラリアPFOA | 160 | 70 | 0.1 | 2 | 560 |
米国 | 20 | 任意 | 0.2 | 体重×0.054 | 74 |
デンマークPFOS | 30 | 任意 | 0.1 | 体重×0.03 | 100 |
デンマークPFOA | 100 | 任意 | 0.1 | 体重×0.03 | 333 |
オランダPFOS | 150 | 70 | 0.1 | 2 | 525 |
英国PFOS | 300 | 10 | 0.1 | 1 | 300 |
英国PFOA | 3000 | 5 | 0.5 | 0.75 | 10000 |
ドイツPFOS | 83 | 70 | 0.1 | 2 | 290.5 |
ドイツPFOA | 100 | 70 | 0.1 | 2 | 350 |
まずTDIは最小20から最大3000までで10倍以上の開きがありますね。PFOSは20~300ですが、PFOAのほうが20~3000と開きが大きいようです。一番TDIが緩いのは英国で、PFOSはドイツと同じサルの毒性試験が根拠になっていますが、UFのかけ方(ドイツは蓄積性を理由として追加のUF3を適用)や数字の丸め方の差でTDIが違っています。PFOAは英国とデンマークは同じラットの13週の毒性試験を根拠としていますが、英国は単純にUF100を適用、デンマークはPBPKモデルを適用することでTDIに30倍もの差が出てしまいました。
曝露係数のほうですが、日本は体重50kgですが、欧米は標準で70kgですね。英国だけは小児・乳児を対象としているので10kg、5kgという数字が使われています。この理由も興味深いところですが追えていません。寄与率は0.1のところが多いですが0.2もありますね。0.1でも0.2でもあまり確かな根拠に基づいた数字ではありません。乳児の場合0.5となっています。水摂取量は1.5から2Lが多いですが、体重との掛け算になっているところもあります。この場合、体重をいくつに設定しても計算値は同じです。
これらの組み合わせで算出される基準値が変わってきます。例えばカナダのPFOAについては、TDIが21と日本とほぼ同じなのに、基準値は4倍も違います。これは体重、寄与率、水摂取量がそれぞれ違うために、それらが組み合わされることで違いが出てきます。これだけで結構な差が出てしまうのですね。日本の曝露係数は厳しめに設定されていることがわかります。米国と日本はTDIが同じです。あとは寄与率が米国は緩め、水摂取量は米国のほうが多く(厳しめ)、体重50kgなら2.7Lも飲むことになります。この辺のバランスで差が出てくるわけです。
PFOSとPFOAを合算するかしないか?という点も各国バラバラで興味深いところです。日本の基準値は濃度を足し算して50ng/L以下ですが、諸外国では別々のところが多く、上の表では米国とスウェーデンだけが合算するようですね。化学物質の規制は多くの場合単独の物質毎に行いますが、ダイオキシン類のように似ている物質の場合は毒性としての作用の仕方が似ているのでグルーピングしてまとめて管理する合理性があります。この辺きちんと書くと長くなるので別の機会に説明してみたいです。
まとめ:PFOS・PFOAのリスクと基準値
PFOS・PFOAの基準値の導出根拠を追いかけることで日本の目標値・指針値が世界一厳しくなっている理由を明らかにしました。TDIも曝露係数も安全側の数値を採用しているからです。次回はこの基準値を超えたことがどのようなリスクを意味するのかについて書いてみたいと思います。
補足
PFOS・PFOAの基準値設定の方法は「無毒性換算型」と書きました。他の考え方としては「受け入れられるリスクレベルからの設定」「現時点で合理的に達成可能な限り低くするALARA型」があります。これらの例を知りたい方は、化学物質等の各種基準値がどのようにして決まっているかを調べた私たちの集大成の本をご覧ください。
ところで、本ブログはリスク評価、リスクコミュニケーション、レギュラトリーサイエンスについて書くブログであり、コロナウイルスブログではありません。sns定点観測などから現在注目されているリスクを調べてそれをネタに書こうとしていますので、たまたまコロナ関係になってしまっていただけです。snsでも徐々にコロナ離れが起こっていますので、本ブログも徐々に脱コロナ化をしていこうと思います。
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